つれづれに

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 今日のYoutube

今日の午後からは『シネマ』の予定。そして、夜は飲み会。
それにしても一週間が経つのが早い。

先週の土曜日に、湯沢で中学校の『古希の会』があったが、
途中、友人の車で乗り合いで六日町を通過した。
その時、40数年前に、よく『雲頓庵』に通っていたことを
思い出して、当時の話題をしていた。

当時、お寺には80歳を過ぎた、お婆さんが、手伝いで住み込んでいたが、
品の良い、人だった。が、そのお婆さんが、私たちと、お茶飲み話で、
新井石龍禅師に、「老いた現在、何をしたらよいですか?」と、聞いたら、
「学び続けなさい! そのために、読書が最適です」と言われたという。
今さら読書と思っていたので、驚いたと言っていた。まあ、そのとおりである。
その時々、新しい知識を入れておかないと! あの人たちのようになる!



・・・・・・
2647, アメリカ狂乱 -2
2008年07月03日(木)

   この本の次期大統領の行方以外のテーマ、
   アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
   成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。

ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。
すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、いまのアメリカには
資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。
アメリカには資金がいまや有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。
うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明はきわめて意味深長である。
これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入れば
すべて使ってしまう。消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。
だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々がアメリカに資金を
持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。
 
 歴史的にみてもこの事実は明らかだ。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによって
ドル安を実施した。実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は
不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビア
など中東のオイルマネーアメリカに取り込み、アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、
世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によって
グローバル化した世界の金融界から資金を集め、アメリカ経済の好況を維持した。 
この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として
確立しているかどうか分からないし、この問題について経済専門家が明確に
説明をしているわけでもない。 だが政治的に見れば、このサブブライム債券は、
ブッシュ政権にとって世界中から資金集めるのに役立った。
 「アメリカが偽札で世界をだました」と私が言うのは、このことである。
その証拠にポールソン財務長官はじめアメリカの財政金融当局に大勢の
人間を出しているゴールドマン・サックスは、MBSをいち早く売り払って
難を免れている。

かってアメリカは三つ子の赤字と呼ばれる財政赤字貿易赤字、所得収支
の赤字を抱え込んだとき、せっせとドルを印刷をして世界の人たちに渡した。 
受け取った人たちは紙切れになるのではと、心配になったが、アメリカ経済が
拡大したためにそうした事態にはならなかった。しかし、アメリカがドルを
集めるために使ったサブプライム債権が紙切れ同然になった。
次の大統領はブッシュの「偽札事件」の後始末をしなくてはならない。
 ---
 ブッシュは、最悪の大統領として歴史に残るはずだ。
アメリカ狂乱」は言いえて妙の言葉である。

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2007年07月03日(火)
2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪

 新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。
(ただし値段は、ネット上の価格の2~3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。
そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
コンパクトのものは一畳のスペースがあれば何処にでも設置できる。
フレームの形が舟型をしていて、その中にハンモックを吊るすようになっている。
土曜日に注文したものが送ってきたが、値段は送料込みで5300円。
さっそく居間のベランダをサッシでガラスを囲ったスペース(幅1.5×7m)に設置。
そこで寝てみたが、これが非常に良い。一枚の網にスッポリ包まれ浮遊した感じが、
それだけで別世界に移動した感覚になる。 大人の揺り篭といったらよいだろう。
この夏、暑さで寝れない時、かなり頻繁に使うことになりそうだ。

ハンモックは一度、旅先で使ったことがあった。ベネゼイラのエンゼルフォール
へのキャンプ地に、エンジン付きの10人乗りのカヌーでキャンプをした時である。
大きな広い屋根の下に、数十のハンモックが吊ってあった。
初めは怪訝に思ったが、まあ郷に入ったら郷に入れと寝てみた。
ところが、これが寝心地が非常に良いのである。 寝返りの必要がないのである。
少し腰を動かすだけで寝返りをしたと同じ効果がある。疲れていたこともあったが、
熟睡をした。一緒に行った家内と次男も、熟睡できたと言う。
それ以来のハンモックだが、別世界に移動したような気分がよい。
サルは木の上で寝ていたので、ハンモックは原始に帰るようでいいのだろう。
それと宙に浮いている気分が、瞑想をしているようである。

買う前から分かっていたことだが、もう少し良いものにしておけば良かった! 
    でも、よい! ますます「お宅」か!         バイ☆(^∀^)ノ~~
 
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2006年07月03日(月)
1917, スペイン画家・堀越千秋ー8 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning  
    「スペイン七千夜一夜」-読書日記 ービバ、ジョ!(俺様万歳!)

「ビバ・ジョー!」という言葉が、スペイン人を表す言葉なら、
「世間様(に対して、恥かしい)!」という言葉が日本人を表わすといってよいだろう。 
東洋の島国の湿気の多い農耕民族として割り切ってみると、その特質も理解できる。
狩猟民族や、ジプシーなど放浪の民族では、世間様など気にしては生きていけない。
(仲間内があるか?)最近、国内でも「オイラが大将!」という言葉が流行った
ことがあったが。まずは、「スペイン七千夜一夜」の一節を、ご覧あれ!
ーー
      o(●´ω`●)o♪ Y(´∇`*o)(o*´∇`)oIビバ・ジョ ~
誰でも、スペイン人をつかまえて問うがよい。「あなたは、ふだん誰も口に
しないこのひとこと『ビバ・ジョー』をどう思いますか?」「もちろん」と彼は
答えるだろう。「それこそ最も私のいいたいことです」と。 それは
「私は神を信じますか?」にハイと答えるスペイン人より、多いに決まっている。

スペイン人は、初めからまっすぐなつもりで線を引く。それは道理や物理に
かなった直線である。しかし現実社会の間違った悪い事件が心を痛めたり道理を
歪めたりする。すると、この正しい直線に外的な力が加わり、多少のズレが生じる。
しかし、彼はそれに気づかず、また気づいたとしても、それは彼のせいではない。
外部の悪いもののせいである。外部の悪いもののせいであるから、
彼はひたすら彼の直線を引き続ける。彼はまとこに正しいのである。

しかし、悲しいかな、地球の直線は宇宙から見るとまさしく、らせん、なのである。
ロマネスクの教会などで見られる、素朴な力強い直線的な表現が、やがて渦を巻き、
天高きらせんになって、ついには「悪趣味」「過剰」の代名詞ともなってゆくところの、
かのバロック。これこそ、このねじれゆく姿こそ、スペイン人のこころの奥深く
潜むエッセンスなのではあるまいか。

あれはれた砂漠のようなスペインの大地に根をおろし、老獪にねじくれて、
節くれだって、乾いた木肌をらせんに巻きつつ天に伸びて繁る、かのオリーブの樹。
そのオリーブの樹のように渦巻く精神が、他に植物の湿り、陰とてないスペインの
荒れ地で、どうして同様に人の心に育たないわけがないだろうか。彼らスペイン人
においては、直線は、やがてかならず捩れ、ネジくれて、渦となり、らせんとなって
天へと吸い上げられるように天に昇るのである。(エル・グレコの絵を見よ)。
スペイン人は、家族を愛し、故郷を愛し、故国を愛す。自己愛にもとづく、それへ
の依存度は非常に多きい。それは、「ビバ・○○(地名)!」の言葉に表れている。
哲学者も指摘する、スペイン人の究極のひとことが、「ビバ・ジョー!」である。
   
 ーーー
 「俺様、万歳!」   ヾ(>ω<○)【。゚+.万歳。゚+.】(●>ω<)ノ゙
 これこそ、これからの時代のキーワードになるのか? それとも、
500年前にピークを向かえて、時代から取り残された国の姿なのか? 
歳をとると、そういえば俺様万歳!になっていくのではないか?
先が短くなると、見えなかったことが見えてくるか?
思い切って、アウトサイダーになるか?それとも、仮面を被って
インサイダーに徹するか? どうでもよいか? 「貴様」どうする?  
ε(´',_c')зβyё ☆βyёε('c_,'`)з゛

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2005年07月03日(日)
1552, アウトサイダー

高校の同級会で「お前はアウトサイダーだ!」と言われた事がきっかけで、
コリン・ウイルソンの「カリスマへの道」の中の『アウトサイダー』の章を
読みかえしてみた。これから見ると、私は「アウトサイダー」に確かに重なる
部分がある。しかし全くのアウトサイダーとは違うようだ。自分の人生を大切に
しようとするなら、アウトサイダーの要素を持っていないと自己放棄の人生に
なりかねない。

彼は「アウトサイダー」の特徴を、サルトルカミュヘミングウェイ、ヘッセ、
ニーチェドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、
グルジェフ、T・E・ヒューム、バーナード・ショー、等々の中から引用して
共通項を上げて、以下のように描写している。ー「あまりに深く、あまりに多くを
見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の
尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だし
を塗って、何とか文明的、合理的なものに見せかけようとする欺瞞の試みにしか
見えない。 そしてこう述べる。
「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、 これと言って伝えるべき
感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、
なんらかの償いをわたしは欲する。」 アウトサイダーとは、
・世人や文明規範の価値を受け入れることができず、
・それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、
・それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは
目的を欲している者なのである。 等々である。
誰でもこの要素を持っている。早くいえば孤高に似ている態度でもある。
孤高は自己を無意味とは思わないところが違う。諸子百家の中では、荘子にも
重なる部分がある。鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰という視点の鳥瞰にも重なる。
また敗者が社会からはじき出された時の心情にも似ている。この辺は何度も
経験しているからよく解るが。「アウトサイダー」といえば、その逆の言葉
「インサイダー」が思い浮ぶ。株の取引で、内側情報を知りえたものが、
その立場を利用して株で儲けることを『インサイダー取引』という。
内側でこそ知りえる視点情報がある。反面、外側からこそ見える視点情報もある。
アウトサイダー」の視点も、「インサイダー」の視点も人間には必要である。
「和して同ぜず」というが、「同じて和せず」になるのが人間である。
小さな世界で生きる知恵としての両者の立場が各々ある。

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2004年07月03日(土)
1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6
  ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが
初めてである。2000年前の動物の臭い? がいまだに残っていたのは驚いた。
それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。
十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。
近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の
生活がそのまま完全保存されていた。ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活
がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。鉛の水道管が施されて水道が
あったのは驚異だ。 猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。
歩道もあり、横断歩道もある風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。街の中心の水飲み場で、
街の人がそこに手をついて飲んだところが、回数を重ねたためか、すべすべしていて
当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。

遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。(あとで、
その時の文章をコピーしておきます)とにかく、スケールの大きさに圧倒された。
シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。 今後2000年~5000年先は気の遠く
なるほどの彼方と思うが、過ぎ去ってしまえば昨日のように感じるのも妙である。
シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。かつて隊商都市として
栄華を極め、ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、圧倒的な
存在感を漂わせている。 記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、
2000年前にいたような気持ちになった。

神秘的という面では、インカの遺跡である。その中で、やはりマチュピチの
遺跡は圧巻であった。霊界の世界というのが、正にいいあてている。
日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く
残してくれる。時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。

ーーーーー
H0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に! 周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。歴史が私という小さな存在を
見下ろしているのだ。日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術が
あったのだ。

 壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、
「今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかった
のだろうか?」と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念でつき
とめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。また、夕日の長い影を落と
していたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、やはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景
も印象的であった。
 
 翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の
夕日の中での“ひととき”も、その一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという
“四千年が諸君を見下ろしている!”というまさに異様なイスラム社会が大きな
カルチャーショックになった。丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの
断食の行)という事もあり、異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化
去れているのが逆に対比する事ができた。早朝、街中とどろくアラーラの祈りの
スピーカーの音も異様そのものだった。

 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教。
カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾックと身ぶるいを
してしまった。まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも
「数千年をこえて不死への激しい希求」を魂にかたりかけてくるようであった。

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2003年07月03日(木)
 820,ある時間の断片ー27
・10月28日 1968年
 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
 13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 その後、江ノ島に行く。
 第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。江ノ島の夕日を浴びた富士山が
 絶景であった。自然のこれだけの夕景は初めての経験である。右手に真っ赤な
 夕陽と左手に江ノ島。秋の海岸が何ともいえない。一生の思い出といってよい。 
 夜3時間、勉強をする。
・10月29日 1968年
 10時起床、洗濯をした後食事だ。12時から13時半まで勉強、その後
 高橋君の部屋に行きコーヒーを飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。 
 聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。 その後、
 瓜生君の部屋に行き話をする。その後夕食をして、21時から本を読む。
 深井がまた新橋から20分位遊びに来る。

・・・・・・・・・
2002年07月03日 スイス旅行中
・・・・・・・・・
2001年07月03日(火)
 [72] 3D-ホームページ延期
三D-ホームページソフト7月2日の予定が富士総業の都合で7月23日に延期。
打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、延期になりました。
ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、大化けの可能性もある為、
徹底的な練り上げが必要のようです。