* ペプシパラドックス
ペプシパラドクス」なるものがある。コカコーラとペプシコーラの区別が
わからないようにし飲み比べると(ブラインドテスト)、「ペプシコーラの方が
よいとする人が多いが、実際に売れているのはコカコーラ」というパラドクス。
ブラインドテストでペプシが勝つのは、ペプシの方が甘いためとも言われる。
私が実際に目に触れる広告は圧倒的にコカ・コーラマインド・コントロール
されているため。マヨネーズも、「キューピー」だけ。味に慣らされてため。
   * 新潟駅前のホテルの状況は?
 昨日、家内が新潟の絵画展覧会に行ったおり、『列車から以前、経営していた
ホテルの斜向いの「グリーンホテル」が更地になっているのが見えた』と言う。
当初、40室だった客室を、10数年前に76室に増築したが、ネットによると、
2012年末で経営続行を断念したようだ。倒産の話は聞いてないので自主廃業か。
新潟駅再開発の道路拡張工事に引っかかっていたが、その延期で、維持しきれな
かった? 私は4年前に売上の激減で事業続行を断念をしたが、同じホテル名で、
三者が経営を続けている(代がわり)。 その事業物件が
相場の半値八掛で、役員のカットで、更に値引き攻勢を目前でかけられれば、
これは当然の結果。その直撃を受けているホテルが、あと一つあるが、貸ビル
部門で何とか息をついているようだが、駅周辺に三棟もあるため厳しいだろう。
去年、地元の政治経済を対象にした雑誌社から、電話インタビューがあり、
『あなたのホテル事業断念は、駅前開発の道路拡張工事の延長のためですか?
その対象の地権者から、悲鳴が上がっています。』との内容。 
『いえ、リーマンショックによる、売上激減のため』と返答したが、実際は、
持続限界は、あと一年。 ところで、「あの地区の道路拡張など必要ない」
といえば、ない! もう、他山の石のことになる。 で、以下に続く!
・・・・・・
4797,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜⑤
2014年05月03日(土)
  * 苦悩の時間的推移
 この節目の一連の精神的苦痛の実感は
「 ①痛いー> 
  ②痛・哀しいー> 
  ③痛・気持ち良い(痛みに慣れる)ー> 
  ④痛・面白い(立場を客観視できる)」へと変化している。 
 もちろん七転八倒をした上のことだが・・ 
 私のすぐ上の姉の連れが20年前に亡くなった時に、葬儀の席で、一まわり
以上年上の従姉妹が、姉に『私の経験からみて、三年で哀しみは消えるよ!』
と慰めていた。 時間が解決する『時間薬』である。 
 青年期からの節目(挫折)の苦痛の経過を振返ると、大よそ上記の経過を
たどったが、大たい次の障害への取組で、それらが消えていった。前向きに
生きることが、如何に重要かである。そして、最後に、その痛いが無くなり、
「ああ、面白かった」だけが残るなら、ハッピーリタイアよりは良い? 
肯定的に捉えれば、それを境に全く違った新世界が開けることになる。
その世界からみると、節目前の自分が、何とも滑稽に思えるもの。
新しい自分の再生が、何とも奇妙な感覚である。「泣いても笑っても同じ空」
で、笑ってきたが、泣きが不足していたのだろう、私には。母親から聞いた話が
耳に残っている。 『小姑の虐めに、耐えられず実家に帰ったところ、母に
〈シッカリしなさい!一番辛い時が人生で一番良い時なのよ〉と励まされた』と。
見方によれば、この3年間が、私の人生で一番良い時? といえば、思い当たる
フシもある。いや、サホド辛くもなかった?どうだろう? 少なくとも、人生で
一番、内省できたことと、解放感があったことは事実。本当に精神的苦痛なんど、
あったのだろうか? それからも、解放された? 成るほど、人間は少しハンデ
を負って、《痛》が、頭に残っていた方が良いのかもしれない。
どの道、10年後には、8.9分は存在していないのだから。苦悩も、
解放も、知的欲求も、感動も、感謝も、至高体験も、生きている今のうち。
・・・・・・
4430,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −2
2013年05月03日(金)
 * ルート1 心が幻想だと理解する道(脳科学の道) 
          ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
信長が、幸若舞の演目のひとつの「敦盛」を好んで舞っていたが、そこには、
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬ
もののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・」
という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。
人生振り返れば全てが夢幻。 その辺りを以下のように述べている。
 ≪ 古くは進化論で有名なダーウィンが、感情は基本的に「幸福」「驚き」
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「嫌悪」「軽蔑」の七つから成ると述べている。
また、心理学者エクマンは、表情から見た感情には、「幸福」「驚き」「恐怖」
「怒り」「悲しみ」「嫌悪」の六つがあるという。軽蔑を感情に含むかどうか
だけが異なるが、あとは同じ。「幸福」が感情だというと日本語ではやや
不自然な感じがするかもしれないが、「ハッピネス」を「楽しさ」と訳さずに
「幸福」と訳したと解釈すれば、違和感はない。ちょっと驚くのは、ポジティブ
な感情は「幸福(楽しさ)」だけで、他の五つないし六つはネガティブな感情と
いう点だ。ああ、人間のポジティブとネガティブは、なんて非対称なんだろう。
いずれにせよ、恐怖=怖さ。人間は、怖いという感情を持つ。ちなみに、
恐怖に限らず、あらゆる感情の記憶はすべて大脳辺縁系に蓄えられている
といわれる。このため、大脳辺縁系は心の中心だという人もいるくらいだ。
 ・・もし人間に感情が無かったら、人間社会は、ロボットの集団、ないしは
アリの集団のように、ただ役割分担をし、ただ生きて死んでいくような、無機質
な社会だったに違いない。・・・シマウマの群がライオンに襲われたとき、
一匹が犠牲になる。それはお布施と同じで、一匹の命をライオンに提供している
のだという。あたかもお布施のように思えるシステムが、種と種の間の調和の
ために成り立っていることは、進化の当然の帰結だと言うべきだろう。・・
要するに、生物種は、個体の死へのセンチメンタルを超えたダイナミズムに
よって進化を遂げただけ。それだけのこと。≫ 
▼ 一人称の死は存在しない。死んだ瞬間、無になるからだ。あるのは二人称と
 三人称の死しかない。怖いというのも感情の一つなら、心=感情は幻想と理解
すれば、死は恐ろしくないはず。固体の死への感傷を超えたダイナミズムが猿から
 人間に進化させたのだ。一人称の私の死など、真面目に考えることはない、
ということ。死ねば幻想が抜けたゴミでしかない。逆に、夢幻こそ大事にすべき
といえる。小説、映画、ドラマ、コミックも作者の創作という幻想。だから面白い。
・・・・・・
4056, 個性など、どうでも良い。的を絞った意欲と根気だけ!
2012年05月03日(木)
 * どう騒いでも、われわれは集合体の一部なのだ     
         ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 結局のところ、なにをどうしてみたところで、われわれは集合体なのだ。
 なぜといって、純粋な意味で自分の所有だといえるものなぞわれわれはごく
わずしか持っっていないのだから。われわれはみな、先人からも同時代人からも
受け入れて学ばねばならないのだ。どんな偉大な天才でも、なにもかも自分の
内部にたよろうとしたら、大したことはできないだろう。(略)
要するに、自分の内に持っているか、他人から得るか、独力で活動するか、
他人の力によって活動するか、こんなことはみな愚問。大事なことは、大きな
意欲をもち、それをやりとげるだけの技能と根気をもつことだ。それ以外は
どうでもいいことなんだ。 ≫  エッカーマンゲーテとの対話』
▼ 我々は何らかの形で人類の蓄えられてきた文化遺産の一分野にいるのであって、
 それから一歩も出ることが出来ない、ということになる。一歩出たところで、
それも際の範疇でしかない。そう思えば、あくせくすることもない。そのことに
気づきてしまえば、後は楽。個性とか、自分になるとかは、他と違うことを
なしうる能力に求めがちだが、本当に必要なのは、強い意欲を持って、やり
遂げるだけの根気。アランは『教育論』で、発明や、一般に天才とよばれて
いるものについて、長い間の勉強のあとでなければ出てこない、と述べている。 
個性など、その後の話でしかない。好きこそものの上手なりで、好きだから
こそ、辛抱づよく続けることが出来る。それを誤って才能と誤解してしまう。
 一人一人が意欲をもち、やりとげる技能と根気をもち努力するしかない。
他人と比較することもない。要は意欲と根気だけ。
 で、根気を持って、これ続けています。
 ・・・・・・・
3690, この随想日記も、まる10年か〜
2011年05月03日(火)
 今日で、この随想日記がまる10年、我ながらよく続いたと驚いている。
10年は大きな節目、今後どうするかである。これで自分の全てを出し切った
思いがある。あけすけに脳内を公開しているようなものだが、これを続けた
おかげで自分の中に、一人の記者の目が出来たようである。その結果、世界の
見方が変わってしまった。 いや世界そのものも大きく変わってしまった。
書き続けるために、常に数回分の文章を書きためておかなければならない
プレッシャーは大きい。が、それを逆に楽しむ面白さもある。
「一度でも休むと、もう二度と書き続ける気力が無くなるのでは」
という恐れが続ける後押しをしてきた。振り返って読んでみると、ここで
書いてきたことが私の限界線でもある。 一番のメリットは数年分の同月
同日の文章を毎朝、読むことが出来ることである。過去の痕跡の文章を早朝、
読み返しているから10年続いたのかもしれない。それと、「何人かの知人が
読んでくれている」という実感があることである。それと書き続けることで、
否が応でも常に読書を自分に強要できることである。 この10年で、
私の人生の支柱の一つとして残すことが出来たのは大きな収穫である。 他にも、
・最後は、こういう結果としても、四十年近くの事業の起承転結と、
・50回近い秘境ツアー、・そして10年間続けた随想日記。
・それと、好きな酒と肴を思い残すことなく、飲み食べたこと。  
・それと読書を十分にできたことなど、思い残すことはない。
そうこう考えて、これから続けるかどうか、止めれば張りが無くなるし、
続けるのもシンドイし・・「力を半減して、当面、続ける」が、現在の答え? 
・・・・・・
3325, やりたいことは三千五百万円もあれば・・・
2010年05月03日(月)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −2
  * やりたいことは三千五百万もあれば・・・
・「死ぬ時に、楽しい人生だった」と言えるには、したいことは全部やった
  と思えること。
・ そのための金額は普通の人なら三千五百万もあれば殆んど実現できる。
  葬式代は350万もあれば充分。自分で葬式の手立てをしておけば三分の一
  で可能。(120万を前提に葬儀屋を何社か呼んで手はずを組んでおくこと)
・ 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」
 これが日本の大部分のバカな老後の姿である。 要は、考えてないからである。
▼ 以上のことは大前研一でなくとも私でも思うことである。要は考えないから
 である。40歳の時、良い悪いは別にして「年間1000万は使い切る」と決心。
しかし当時、10歳前後の子供がいて大学を卒業するまで10数年は、それほど贅沢
を出来る金額ではなかったが、それでも年二回は家内と海外ツアーに行き続ける
ことが出来た。海外旅行代は総額3千万前後だろう。一点豪華主義?である。
月にすると10万になるが、普段の生活で節約をしていたので、使いすぎた
という感はなかった。その御蔭か満足した後半生を過ごしてきたと思っている。 
これまで46回のツアーに行ったが、これを、これから始めることは時代背景と
年齢を考えると無理。「べき時に、べき事を、べくすべき」を実行していて
良かったと満足をしている。したがって老後の心配は殆んどない?。三千五百万
といえば大金である。しかし100万ずつなら何とか可能?家を売却して貸家に
入っても「やりたいことを、すべき」と思うが、いざとなると、これが出来ない
のも分かる。それぞれの事情があるから、これ以上は言えないか。もし何とか
可能なら40歳から100万×35年間で、不可能でもない?。無理?なら、50万は?
それも無理?月に4万の積み立ても無理? その前に、まず「自分は本当に何を
したいのか」考えなくてはならない! で、ないと「漠然とした不安感で貯めて
おいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」ことになる。そういう
思いで、歳をとってから秘境に来ていた人と出会ってきた。それを実感したので、
迷いなく実行できたのである。 ーそれがどうした?って、どうもしないが・・
くだらない自画自賛か! これから3500万か〜面白そうだが、老後資金を
考えると?となる。 でも、その金が! 宝籤を買うか!
 ・・・・・・・・
2950,人はどうしてオヤジになるか?
2009年05月03日(日)
 *『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹著の
     《人はどうしてオヤジになるか》の問いかけが面白い。
この文章を読みながら( 私は「オヤジ」かどうか?)を内省してみた。 
オヤジといえば、オバサンである。現象に大きく左右され、考えることをしない
両性化した生き物。オヤジも長年かけて自分でつくりあげる生き物である。
常に自分の中で肥大化しようとしている化物として、監視しておかないと・・
 ー まずは、その部分から ー P・20
 人の誤解のうちに最も危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」
を人間的能力の一つと思い込むことです。その耐性はむしろ有害であり、命を
縮めることの方向にしか作用しません。「耐える」人の場合は、「耐えること」
が自己の中心にあります。それ以外のことは「耐えること」のために総動員
されます。「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的
ダメージの中で最も破壊的なものの一つです。世の言う「中年オヤジ」という
のは、この耐えることが劇的に人格化されたものといってよい。会社で上司の
罵声に耐え、部下の暴言に耐え、クライアントのわがままに耐え、満員電車に
耐え、妻の仏頂面に耐え、セックレスに耐え、子供の軽蔑に耐え、巨額のローンに
耐え、背広の綻びに耐え、全身これ「忍耐」からできているのが「中年のオヤジ」
という存在です。 人生のある段階で、(たぶん、かなり早い段階で)不愉快な
人間関係に耐えている自分を「許す」か、あるいは「誇る」か、とにかく
「認めて」しまったのです。そして、その後、「不快に耐えている」ということ
を自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟の証しとか、
そういうふうに合理化してしまっている。蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、
人間は、自分でつくってしまったパターンに合わせて不幸を呼び込みます。
「不幸に耐えている自分」を「器量の大きい人間」と勘違いをしたら、
もうその後の「オヤジへの道」は一直線である。そういう人は不愉快な
人間関係だけを選択し続けることになります。本当にそうなんです。
▼ 以上だが、八割の人は、この「耐え人」の人生を過ごしている?
 自分の人生を振り返って、一番良かったことは何か?と、考えた時に、
「事業を立ち上げ、一度も営業赤を出さないで何とかやってこれたこと」
(今年度からは??) (字数制限のためカット2010年5月3日)
・・・・・・・・・
2586, 日本の貧困率 ワースト2
2008年05月03日(土)       ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。ウィル・スミス演じる
主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を上っていく内容だが、その大部分が
「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。リアルで他人事に思えない内容。
地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと
引き込まれてしまった。実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。 
黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を置いて
出て行く過程など現実的である。そして、最後はホームレスになる。
這い上がるのは無理という状況から主人公が成功を掴んだ要因は、
【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。何か身につまされる内容。 
人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。一つの判断が致命傷になる、
それが創業ということ。 (字数制限のためカット2010年5月3日)

つれづれに

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  今日のYoutube

5月3日の昼は、毎年、プロ野球の巨人戦、競馬の天皇賞や、
サッカーなどのTV観戦の番組が重なって、楽しみの日になっている。
今年は、ボクシングの世界タイトルマッチもある。まあ、幸せなことだ。
その合間に、二回目のポタリングを入れるが、今年は無理か?

で、どちらが有利かといえば、メイウエザーが6対4。
引退興行ふうとしても、騒ぎすぎ。 こう書いていること自体、
私もヒマということか。

昨日、家内に新潟駅前の新潟グリーンホテルが、更地になっていると
聞いて、ネットで調べたが、殆どヒットしない。「2012年12月で、
閉鎖」とあるぐらい。 とすると、私のホテルの代かわりのオープンで、
事業断念をしたことになる。 それにしても、何のニュースにもならない
のも・・・ そして、次は、何処か? になっていく。



・・・・・・
2221, 静岡で感じたとこ
2007年05月03日(木)

ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!

去年、学生時代の友人が私のところに訪ねて来て、
今年は私が静岡を案内してもらった(4月30日、5月1日)。
学生時代に30日間欧州旅行をした友人である。
静岡は住みやすいと聞いていたが僅か2日間だけでも、その豊かさを感じ取った。
静岡市内を案内してもらった後に、車で一時間近くにある浜松市に行き、
その後に焼津に行って、友人の地元の知り合いの経営しているホテルに泊まった。

その間に車の中から垣間見た世界は、東海ベルト地帯の豊かさである。
「日本は東京から名古屋までの地帯に富が一極化に集約されるのではないか」、
とさえ思えるような景気の良さと豊かさを感じとった。
車から見える家と車は新しく、街並みは奇麗に整備されており、
静岡駅や浜松駅周辺は再開発など大きなビルラッシュで、
カナダの都市?のような活況と清潔感があり、「これが地域格差」「これが21世紀」
を具体的に見せつけられた思いであった。
新潟駅立体交差再開発の完成の姿を思い浮かべることができた」ということか。

静岡県は「ヤマハ」「本田」「鈴木自動車」それにトヨタの関連企業が
数多揃っていて、お互いシノギを削っている。
友人の実家が、トヨタ自動車ラジエーターを主につくっている会社で、
友人は、その子会社の社長で、かなり鼻息の荒い状態だった。

東海道ベルト地帯は永年かけた工場地帯の集積がある上に、お茶の生産地があり、
焼津などの漁港もあり、山梨などの後背地域もあって、それぞれが有効に連鎖している。
名古屋駅周辺を含めて、隔世の感があるほど活況があり、不景気はどこ吹く風という。
なるほど他とは格差がつくにはつく、理由がある。
それに引き換え、それ以外の日本は?・・・・

 --
そうそう、今日でHP開設、6周年になる、2200も毎日、この文章を書いたことになる。
それと、もう一日に書ける限度のレポート用紙20枚分をオーバーする。
6年前の文章をカットしなければならない。
毎日、過去の書いた文章を眺めて自己満足をしていたが、
オーバーのサインが出てきて、カットするのが非常に心が痛む。
過去の自分(のエネルギー)を切り捨てるような気持になり、
どれも捨てがたいのである。

(○´ω`○)ノ **SeeYou *(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・・
2006年05月03日(水)
1856, HP開設、5周年  -1

 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
明日で、このHPを開設して、まる5年になる。
旅行以外は、ほぼ?一日も欠かさず随想テーマ日記を書いてきた。
我ながら続いたことに驚いている。5年前のこの日を境に一変した。
全て、このHPを中心に生活がまわるようになった。

    一日、何らかのカタチで5時間以上?はパソコンに向かうようになった。
    5年前にパソコンの先生に事務所にきてもらって、このHPを立ち上げた。
    さらに自宅近くのパソコン教室に三年以上通った!

・パソコンを自分の道具として使いこなせるようになりたい!
・HPを自分のネット上の部屋にしたい
・ネット・サーフィンでネット空間を飛び回りたい
 という思いがあった。
 随想日記に書き続けたお陰で以上のことが身についた。

    インターネットの世界は日進月歩である。
    現在はインターネットが出来る人と、それ以外の人に
    分類できるのではないか?
    今どきパソコンが出来ない人がいるのか?というが、
     私の年代の半分以上はできない。
数年前に、
「パソコンは奈良時代におりたった最新のヘリコプターのようなもの。
それを使えるか使えないかで、数百年の時代の格差が生じる」
という言葉に出会ったことがある。
いい得て妙だが、現在は全くその通りであると確信できる・・・

    《検索》の機能が飛躍的に良くなったのだ。
    それと、オープンソース化で情報は無限に手に入るようになった。
    この二年で、検索の機能の飛躍的アップと、ブログの爆発的増加で
    インターネットの世界は激変してしまった。
    素晴らしいHPに多く出会えるようになった。

「インターネットが出来るようになって、それが何なの?」
という問いかけをする人がインターネットの出来ない人にいる。
「何で新聞を読むのですか?」
「何でTVを見るのですか?」
「何で携帯電話を持つのですか?」
という問いと同じである。

    ブログ(ネット上の日記)が数年で爆発的の増加したという。
    500万以上というが、あと数年で1000万以上になるだろう。

                 ゚+.(*・ω・)ノ*. バイ!
・・・・・・・・
2005年05月03日(火)
1491, 男と女-3

 my感想を書いていて、面白い。
 これが考えるという事でもあろうか、それとも批評か。
 夫婦生活で、お互いに飽きないのも全く違う生きものだからだろう。
 相手にもよるが、男も女も品性があればこその話である。
 
 一番身近にいて、そしてお互いに訳けのわからない生き物が異性である。
 だから多くの喜劇も悲劇も生まれる。
 親しい異性の友人?というのが、一番良いが?
 
 それにしても面白い格言が多い。
 
 ーーーー
・分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。
 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。
                    -チェスターフィールド
・四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。
                    -メレディス
       ーmy感想ーこれだけは一夫多妻がよい
・男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
                    -バルザック
・これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、
 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。
                    -ランクロ
       -my感想ーだから丁度良いんじゃない?
・もう一日くらい待ったなら、自分の婚約者よりももっと好みに合った
 理想的な女性が見つかるかもしれないという気持ち。
 どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。
                    ーサーバー
       ーmy感想ー女のほうがもっと強いのでは?と、つくづく感じます
             結婚間じかの女性を多く見てきて、つくづく感じます
・この地上には、男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
                    -リガリエン
       ーmy感想ー????!!!!!!?
・男の人って一度女を愛したとなると、その女のためならなんだってしてくださるでしょ。
 たった一つ、してくださらないもの。それはいつまでも愛しつづけるってことよ。
                    -ワイルド
・人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。
                    -ディスレーリ
        -my感想ー最後の晩餐の絵、暗いものね
・情熱家より、冷淡な男のほうが簡単に女に夢中になるものだ。
                    ー?
        ーmy感想ー「女に」の「に」、「が」の間違いじゃない?       
・男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、女はその一生を賭ける。
                    -モーリアック
        ーmy感想ーそういう人も、たまにはいるのかも?
              その日、出会った男とできちゃった婚をする女も
              見るものね、最近は。結婚するだけましか!
・男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。
                    -シュラッツラー
・勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。
                    ーシラー
        ーmy感想ーその時だけはね!
・一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが
 死ぬときはもっとも孤独な死にかたをする。-へミングウェイ
        ーmy感想ーうんだ、うんだ、うんだ、うんだ・・・
             多くを愛した男はもっと孤独?解らない?
・私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。
 彼らが女でないからである。      -クリスティー
        ーmy感想ー家内に女の子が欲しいといったら
              同じようなことを言っていた!
・芸術でも技術でも、いい仕事をするには、
 女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。
                    ー本田宗一郎
       ーmy感想ー女がわかれば天下が取れるというけど
・愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。
                    ー島崎藤村
       ーmy感想ー馬鹿の方がズット面白いからじゃ!
             いい訳、9割だけどね!
・男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。
                    ーシュワルツ
       ーmy感想ー今は反対だもんね
・男は法律をつくり、女は風俗をつくる。
                    ーセギュール夫人
・君の人生に女が入ってくる。
 素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっと幸福なのに。
                    ーポール・モラン
       ーmy感想ー相手次第じゃない
・ライオンの雄にはたてがみがあり、孔雀には豪勢な羽があるが、
 人間の男には三つボタンの背広しかない。
                    -J・G・サーバー
       ーmy感想ー女性には、いま一つのチャーミング・ポケット
             がありますもの
・ああ、世の中には面白くないことがたくさんある。
 神様、あなたは女までお作りになりました。
                    -ロシアの諺
       ーmy感想ー本当にありがとうございます
・女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。
                    ーデッカー
       ーmy感想ーそんなこと、ないね!
             悪魔になってしまう、絶対に!
・男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
                    ーニーチェ
       -my感想ー 一盗、二卑、三妾、四妓、五妻    
・男は常に女の初恋の人でありたがる。それが男の無様な虚栄である。
                    ーワイルド
・男にほれられるような男でなければ、女にはほれられない。
                    -作者不詳
       ーmy感想ー気持ち悪! ?
・男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
                    ーシェークスピア 
       -my感想ー最近は家のほうが陽気な人が多いもんね
・男というものは元来多妻主義だ。
 心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
                    ーモーム
       ーmy感想ーある女の呟き 
            「大目に見なければやっていけません!」
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2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」-9
ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は
万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源に
なることだ。未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。
いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。
極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。
そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。

すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、
こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー

・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、
いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは
生の進行である。
大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは
恐れとその波及効果への対処に費やされている。

恐れはすべてをさえぎる影である。
愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。
私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。
しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?
ほとんどはおこらないのだ。

それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
だからこそ保険会社は、人々の危惧の大半がただ幻想であるという可能性に賭け、
その賭けに勝って、毎年、数十億ドルという利益を上げている。
掛け率からいえば、人生はけっしてそれほど低いものではないのだ。

・人生で経験する感情には、幸福、恐れ、喜び、恨みなど、さまざまな
ものがある。しかし、そのずっと底のほうの、人間の核になる部分には、
愛と恐れという二つの感情しかない。
あらゆる肯定的な感情は愛から生まれ、あらゆる否定的な感情は恐れから生まれる。

愛は幸福、満足、平和、よろこびがわきあがり、
恐れからは怒り、憎しみ、罪悪感がわきあがる。
基本的な感情は愛と恐れの二つしかないことは確かであり、両立しない
のが特徴である。
愛と恐れはまったく同時に感じることはできないのだ。
愛を感じているときは恐れを感じることはできず、
恐れを感じているときは愛を感じることはできない。

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【-恐怖について-】-

・恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、
敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。
                -モルゲンシュルテン
・船は水よりも火を恐れる。
                -西洋の諺
・恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。
恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の
役目を果たす。
                -ヒルティ
・何も知らざる者は何も恐れず。
                ーイタリアの諺
・恐怖は残酷の両親である。
                -フロード
・恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかない。
                ーアラン
・苦痛には限度があるが、恐怖には限度がない。
                ープルニウス

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2003年05月03日(土)
759, 陽気と陰気

 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。
人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。
陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。
引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。

どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の人の人がよい。
陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。 陰気は家康だろう。
信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違うことになる。

我々は、生きていくために陽気が求められる。
外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。
その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に前面に出して
無理をしなくてはならない。
しかし陰気が悪いのだろうか。
プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。

我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。
しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいってなかったことに
唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。
そして内側の充実に取り掛かるようになる。
そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。
それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、
この随想日記に度々書いている。

その意味で、決して陰気は否定してはならない。
何故なら陰のエネルギーも人生のバランスを考えると必要であるからだ。
ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。
家には居間も必要だし、書斎も必要である。
陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。
そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。
書斎に閉じこもることも必要だ。
といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。

このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?
いや中庸でよい!ほんと。

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2002年05月03日(金)
395, 文章作法-1 (文章作法は人生作法?)

この種の本を数冊借りて、もっている本を数冊計7冊並べて見た。
共通点と相違点を考えてみた。

共通点は全てそれぞれの人の人生論であること。
相違点はその職業の立場の視点であった。
   ー詩人、作家、記者上がりの作家
面白い発見であった。
そして文章を書くことの大事さを再確認した。
その2つの更にベースの共通点がある。
聞く人によっては非常にきつい事が羅列してある。

・好きな事を書け(好きな事をやれ)
 愛情をもてること以外書くな(するな)ー対象に愛情を込めること

・自分の選らんだテーマに集中する
 ー結論を先に

・自分の地頭で考えた事を書け(やれ)
 自分で考えた事をそのまま書くー自己責任の行為

・失敗を大事に書け(大事にしろ)

・わかった振りするな

・まず書け(行動しろ)ー

・とりあえず量を書き、推敲をどんどんするしかない
 ーとりあえず多くの経験を積んで、フィードバックするしかない
 (行動を噛み砕け)

・いかにして「書くプレッシャー」を乗り越えるか

・自然体でー背伸びや虚勢を張らない

・自分を直視するー自己責任

・基本的の技術を身につける

・自分の持ち味を生かした文を書くー個性を発揮する

・文章の脈絡をキチントとうすー筋をとうす
 起承転結を常に忘れずに   

・他人の文と比較しないー生き方と比較しない

・常に現象のの底を見つめる

・何故を常に忘れない事

・見えないものを常に見る視点をー観察力を持つ

・主語を忘れずにー主体性を大事に
 書く時代であるー個人発信の時代

・常識を常に疑う