* 風に立つライオン 
 映画の冒頭の場面が、アフリカの大地を少年たちが横一列に手を組み
歩いていく。そして、暫くして地雷の爆発がする。子供を使った地雷探し。
ケニアの病院研究所から国境近くの病院に派遣された医師は、そこが
実質、野戦病院であることを知る。そこは戦闘で腕や足を切断したり、
縫い合せる治療が中心の中で、主人公が、日の出の中、大地に向かって、
「がんばれ〜!」と何度も絶叫する。しかし終盤、極限の日々の中で、
自身に向けた絶叫と告白する。 見終わった後、内容が重いため、面白い
とか、ストレス解消より、何も考えられなかった。しかし、夜半、映画の
様々なことが、思い出されてきた。最後は、殺された後、行方不明になる。
 さだまさしが、この話を知り、感動して書いた原作『風に立つライオン
を映画化。 そのまま題名の曲名にした歌がある。 〜内容説明から
≪1987年、日本人医師・航一郎(大沢たかお)は、大学病院からケニアの研究
施設に派遣される。アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘
を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもいないチャンスだった。
しかし、それは恋人との長い別れも意味していた。父の跡を継ぎ、女医として
離島医療に従事する貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかった。
理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の
赤十字病院から1か月の派遣要請を受ける。物見遊山のつもりで赴いた彼は、
重傷を負って次々運ばれてくる少年が、みな麻薬を注射され戦場に立たされた
少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願する。
過酷な状況ながらも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚かった。
一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かな
スキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながら互に認め合っていく。
そして、心に傷を抱えた少年たちを「オッケー、ダイジョブ」と温く包み込む
航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていた。
そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれる。 彼は銃傷よりも、
両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大だった
 ― 航一郎は、そんな彼の心の闇に真正面から向かっていくのだが…≫
▼ 20代30歳代の頃、もう極限!という場面で、左手を充電池に、右手を
 手動のトッテに見立て回転をし自らに充電する仕草をしていた。もう一つ、
自分をボールにイメージをし、初めは小さく、徐々に、大きくバウンドさせる
イメージ。本能的行為だったが、不思議なことに、極限ほど、気力も体力も、
湧き出る。そうこう考えると、極限の彼が絶叫をしないでいられない気持ちが
現れ出ている。 重いが、心に残る内容。 エンディングの歌が良い!
・・・・・・
4754,そんなに長生きしたいですか ー6
2014年03月21日(金)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊
   * 「表の安楽死」「裏の安楽死
 ガン末期の殆どは安楽死だが、当然、裏と表が存在する。ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。
 方法としては、人工呼吸器はずし、塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤や
インシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に
至らしめる方法を使う安楽死を、私は「表の安楽死」と呼びたいと思います。
それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指す。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、
「表」「裏」のほうが実態に近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のこと
ながら「表」よりはるか以前から行われていました。方法は、大量の鎮静剤の
投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減など。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を
投与するわけではありません。耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。
苦痛が激しいと、通常量では眠らないので必然的に大量に使われる。
そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが
 書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが留まった。その結果、一時的に
良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。懇願されたときに
死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  
普段は医者の口から語られない患者の悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。
死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸
装置を外し、息を止めている。時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が
生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」
あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
・・・・・
4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
               「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。
しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。特に大阪のオバチャンより
オジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めが
きかなくなったのだろう。数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、
傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、
顔を見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているよう
だった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは事件にならないという。
激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。
新潟駅前周辺の地元老人に、こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。
酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。ーアマゾンの内容よりー
【待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。
現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。その「暴走」の底に隠されて
いるものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら
「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の激変する「時間」感覚、
「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を
探るが、あくまでも「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、
暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」した
人間の反動的行動と指摘。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題ではなく、
暴走はあらゆる世代に共通する連続的な現象となりうるのである。
感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や
規範さえも、日々更新され続けており、今後も加速度的に拡大していくに違い
ない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後
どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。
 決して孔子の教えのようにはならない。「・・、40にして迷わず。50で
天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。
60で自分の人生を悔い。70歳にして呆然自失で暴走化する」これが、最近
みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに
切れてしまい暴走を始めたのである。あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、
あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。
そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
  * 野田一夫教授のこと(20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化
していった。専門課程の三年になると卒業後が見えてくる。そこでドラッガー
を日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2(随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者。 
忘れられない授業があった。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は
経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。学生時代の自分の中で
色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして
学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの「ベートーベンの生涯」
をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
楽家にとっての難聴は致命的。それを乗り越え、その心を作曲したのが
「運命」である。この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、不幸に
耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉
だから素晴らしいのだ。この本を買って繰り返し読みたまえ!これから諸君は
何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!
真ん中に座りなさい。】 大体がこんな内容であった。
 この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガー
訳者として高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところが
あった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に駆り立てるカリスマが
あった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVで
お目にかかった。更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。
ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャー
 ショックは、あまりに大きな衝撃であった。21年間の小さな固定観念
根こそぎ壊された。欧州文化と文明に直に触れ、また夜は連日、飲み歩き。
毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種
日本人である自分を逆照射はベストだった。自分は、世界の広さも、深さも、
実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、
経験も、富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。
その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
    「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
   * 汝自身を知れ  ー P28 ー
人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえ
ソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、すこしでも
無知でない状態へと自己を導くことであった。そのためにこそ、自己は配慮
されなければならない。 無知な状態を脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らか。 
世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く
自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくは
ないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神を
できるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もして
いないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、
真実をめざして精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な
老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固な
までに強調する。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいもの
であると考えた。それゆえに、そうした方向を制御して、ひたすら自己自身を
よくするように努めなければならないと考えた。
  * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、どのように
理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか「正しく」
と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダ
の主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することであろう。それは、
ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体にかかわる快楽や飾りで飾るのではなく、
節制、正義、真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。そうした
輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、自分に対して
批判的にかかわり、自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく
生きるように努力しなければならない。その意味で、「汝自身を知れ」という
よく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、無知の状態
から抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・ 
――
ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人は
おらず、知っていないことさえ気づいていないとして、無知の知を問題とした。
終盤に人生を振り返り、何と自分はバカなのかと実感してもおそい。はやいうち、
それに気づき、真っ白な状態で書物や人の話を聞かないと、何も知っていない
自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、この随想日記を
公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。
そして気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
・・・・・・・・
3282, 哲学者は神について、どのように語ったか −7
2010年03月21日(日)
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の『神の必要性』が解りやすい。
ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー 
                (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか
自分の人生というものに耐えられない。自分で自分の人生を意味あるものに
すればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って飛ぼう
としているようなものである。自画自賛というのは、そのことを意識するかぎり
において、まことにつまらないのだ。どうしても自分以外の大規模なものから
自分の人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。しかし、世界や宇宙は
何も保証してくれないし、そもそも語りかけてくれない。いわゆる「神の沈黙」
である。そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族から
だけでも、自分が生きている、あるいは生きていたことの意味や価値を認めて
もらいたい。仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる
人類や国家そのものが頼りない存在である。三葉虫アンモナイト、恐竜で
さえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を破壊して
きた種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、
シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。いずれ、そんなものは、類人猿
の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、誇大
妄想を抱けたか、実現した程度のことと変わりはない。彼等にとって、池が
全宇宙である。 古池も銀河系も空間としてはスケールの違いがあるだけで、
質的に変わるものではない。 まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、
せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、その中で「なにものか」になれるだけ
で満足をして一生を終えるのである。この限界に不満の者は、個人はもとより
全世界を超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 
我われの視野が身辺の野山に限られている頃は神々が、そして見渡すかぎり
砂漠と天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、
その役に振り当てられた。その存在の有無など、問題ではない。なぜなら、
我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。在って
くれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 
我われは確認したいのではなく、確信をしたいのである。
「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・
〜〜
神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかない
ことが分かる。国家もしかり。小さな池のカエルと何処が違うかというと、
共同幻想としての神を持っているかどうかである。それでは、その幻想は
人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。といって、人間は言葉を
持ったが故に無限の欲望を持ってしまった。そこで自分の世界を支配している
だろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を
持ったのである。
 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で6分の1
というから尋常ではないからだ。ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と
一面ぬきの広告が出てきた。顧客の目からみたら非常に好感のもてるような
内容だが実感だろう。 反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいう
とおりである。私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで
買っている。数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、
ジャスコヨーカ堂は、仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」
というような話題を聞いたことがあった。 
 最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、
ヨーカ堂西友とのサシの勝負の様相。この世界恐慌で、何れの商売も、
最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に存続できるかどうか、
それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかに
エネルギーを集中するしかない。久々に会った知人がリゾートホテル街の
ガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事
ではないから困ったものだ。「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、
欲しいものを並べれば客が来るが・・ 2001年で3分の2、今回で更に
3分の2に縮小してしまったのが、地方経済の現状。地方に大型SCを出店して
きたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
・・・・・・・・・・
2543, 今年のプロ野球の予測
2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
 毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者
による「今年のプロ野球の順位予測」がある。ところが当たらないところが
面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事に
ついて取り上げている。今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者
の平均値の順位をみると、セは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス楽天  
の順位になる。この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて
「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ!貧民広島、大貧民のヤクルト」
と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないという
から、難問であろう。ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が
一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。毎年のように巨人の
過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。
あまり娯楽の無かった時代の、「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。
前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・
以前書いた内容をコピーしてみる           
 (字数制限のためカット2012年3月21日)

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 昨日は、さだまさしが、以前、この話を聞いて感激し、書いた原作
風に立つライオン』を、元につくられた映画で、面白いというより、重い内容。
早速、今日の随想日記のテーマにした。20数年前、ケニアに行ってから
アフリカに魅せられ、10回、行ったが、あくまで観光である。
ここでも出てきたナクルにも行ったが、隣接の国境でない限り、
危険地帯以外は、安全だった。 しかし、今は違うようだ。 
 本当に、週一回のシネマは、 手軽にトリップできるのが、
私の精神にとってストレス解消に働いてくれる。 それと、ブログも!

 さて、今日の午後は、スポーツジムと、ポタリングだ。
できたら、図書館も! 



・・・・・・
3282, 哲学者は神について、どのように語ったか -7
2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、
『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー 
(著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか
自分の人生というものに耐えられない。自分で自分の人生を意味あるものに
すればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って
飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを
意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。
どうしても自分以外の大規模なものから自分の人生の意味や意義を
保証してもらいたくなる。しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、
そもそも語りかけてくれない。 いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、
自分が生きている、あるいは生きていたことの意味や価値を認めてもらいたい。 
仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる人類や国家
そのものが頼りない存在である。 三葉虫アンモナイト、恐竜でさえも
絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を破壊してきた
種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、
シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。いずれ、そんなものは、
類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれた
カエルが、誇大妄想を抱けたか、実現した程度のことと変わりはない。 
彼等にとって、池が全宇宙である。 古池も銀河系も空間としては
スケールの違いがあるだけで、質的に変わるものではない。まして、
大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、
その中で「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 
この限界に不満の者は、個人はもとより全世界を超えるような存在を
想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 我われの視野が
身辺の野山に限られている頃は神々が、そして見渡すかぎり砂漠と
天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、
その役に振り当てられた。その存在の有無など、問題ではない。 
なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは
出来ない。 我われは確認したいのではなく、確信をしたいのである
。「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・
 ~~
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想
しかないことが分かる。 国家もしかりである。小さな池のカエルと何処が
違うかというと、共同幻想としての神を持っているかどうかである。 
それでは、その幻想は人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 
といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。
そこで自分の世界を支配しているだろう絶対者としての神を発明し、
その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。

 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー「イオンの反省」広告には驚いたー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で
六分の一というから尋常ではないからだ。ところが昨日の新聞に
「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。顧客の目からみたら
非常に好感のもてるような内容だが実感だろう。反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。
上記のいうとおりである。私の場合は、専門チェーンか、
大型ディスカウントか、ネットで買っている。数年前に化粧品店を
何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような
話題を聞いたことがあった。最近、プライベートブランドなど5100
品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。
5年後に存続できるかどうか、それも今年が最も厳しい戦いの年になる。
一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、
高そうなホテルの「一泊2食付6800円」につられて泊まったところ
充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困った
もの。「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを
並べれば客が来るが・・ 2001年で三分の二、今回で更に三分の二に
縮小してしまったのが、地方経済の現状。地方に大型SCを出店してきた
イオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
・・・・・・・・・・
2543, 今年のプロ野球の予測
 2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による
「今年のプロ野球の順位予測」がある。あまり当たらないところが面白いが、
秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り
上げている。今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の
順位をみると、
 セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス楽天  
の順位になる。この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩え
「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ!貧民の広島、大貧民のヤクルト」
と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないと
いうから、難問であろう。ところで十人の記者で、その平均値の順位が
同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。
毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝
できないから面白い。それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなく
なってしまった。あまり娯楽の無かった時代の、「巨人・大鵬・卵焼き」
が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・  
以前書いた内容をコピーしてみる
ーーー
2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」
           才八∋ウ_〆(∀`●) 
プロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前に
セ・パ両ーリーグの順位を12人のスポーツ記者が予測する。
そしてシーズンが終わると、それぞれが「反省の弁」を、実際の
「予測順位」と「実績」の下に書く。《私はセリーグは巨人、
パリーグソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
 ー記者の結果を見ると、
・セ/パ両リーグとも、1?6位の順位を当てた記者は一人もいなかった。
セリーグに関して、1?4位まで当てた記者が一人だけいた。1位に 中日を
予測した人が6人中3人いたことと、巨人を4位予測が3人いた のは、さすが。 
それと、一位を6点、2位を5点というふうに点数を つけた順位がセリーグ
1?6位まで、記者の予測通りになったのには驚いた。
パリーグにいたっては6人中5人の記者が、日本一位の日本ハムを5位と
予測、全くの予測外れであった。総括として、日本ハムが「新庄選手効果」
の大きな緊迫感をエネルギーに変えて、「楽しむ力」にしたのが勝利の 要因
と結論付けていた。ところで、これを「12球団の順位当てトトカルチョ
 として、面白おかし売り出せば面白いだろうに・・・
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007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子私の履歴書)ー2    才八∋ウ  _〆(∀`●) 
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」
が、ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、作家の吉行淳之介と、
母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
いや、何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・
彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・聞こえてくる。
心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを
尽くす!という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、
そのまま胸に突き刺さってくる。合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒ
の少女を演じたミュージカルの「何もしないで出世する法」という。
その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。脳性マヒのため
思い通りに手足が動かない場面で、人の悲しい形で笑いをとることに抵抗を
感じ、からだが全く動かなくなる。それも精神的に動かなくなり、
そのことで悩む姿が痛々しい。その場面が芝居のハイライトなるが、
笑いが取れないで、菊田一夫とやりあう。それがキッカケで役者をやめ、
その病の子供たちのため一生を捧げることになる。「やさしく やさしく 
やさしくね やさしいことはつらいのよ!」と「ねむの木学園」のHPの
トップページにある。やさしさは、辛いことである。愛を行動に転換すると、
「やさしさ」になる。愛とは何だろうとか考える暇があったら、人に優しく
することである。しかし、強くなけば優しくはなれない。
吉行淳之介の元の奥さんが、その後の彼女を生き方を見ていたら、欺瞞、
それとも深い愛情を感じるのだろうか。あらゆる情念が吹き荒れた後に、
最後は忘却しかないか! 生きることは、つらいこと そのつらさが、
やさしさをつくる土壌になる
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2006年03月21日(火)
1813, スモール・ベースボール      
          おは(* ̄(エ) ̄)ノよぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督ソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、
このスモール・ベースボールだった。今年の巨人が、清原・江藤とローズを
含め外人全ての首を切ったトレード・オフからみて、明らかにスモール・
ベースボールへの切り替えである。 ===くやし?(っ≧ω≦)清原
ところで、WBCの日本代表のチーム方針は「スモール・ベースボール」
と言われているが、実際は「スモール&ストロング・ベースボール」という。
あれだけの選手は、長打を打てて当然。スモールベースボールの真の意味の
「守り勝つ」布陣を目指す合言葉。マリナーズのイチロウをはじめ、出塁率
4割を越えた中日ドランゴンズの福留、ホークスの松中、4割を目の前にした
西武ライオンズの和田、東京ヤクルトスワローズ岩村・青木を打者を起用。
投手では、巨人の上原、西武の松坂、ロッテの藪などそれぞれの役者が
揃っている。 決してチマチマした野球を目指すというのではない。
ーそこで検索でスモール・ベースボールとは何か?を調べてみた。
スモール・ベースボールとは「ホームランなど大技に依存せず、
打線の繋がりと堅実な守備により少ない得点差で勝つ」である。 
マイケル・ルイス著、 講談社マネー・ボール」で、スモールベース
ボールを駆使してチームの強化に成功したオークランド・アスレチックス
ビリー・ビーンGMの手法を紹介している。    ~~旦 ゝ(-_- )
ー彼のスモール・ベースボールは走塁、バント、エンドランといった
小技の駆使ではない。彼はそれらの小技は禁止しており、その代わりに
徹底的に出塁率を重視している。打者には初球を振らせることや、走者には
走塁を禁じている。またドラフトやトレードでは出塁率を指標に補強を
進めている。出塁率が高いとは、相手にアウトカウントを提供せずに
得点のチャンスを得られることを意味する。例えば無死1類の場合、
エンドランが成功すれば無死1、3塁でチャンスは広がるうえ、犠打でも
1アウトを許す代わりに走者を得点圏に進められる。しかしそのリスクは
高く、失敗すればチャンスは一瞬にして費える。チャンスがその試合
唯一の得点機会になるかもしれない。これに対し出塁を重視したスモール
ベースではどうか。同じく無死1塁の場合、安打は出なくても四球で出塁
すれば無死1、2塁にチャンスは拡大する。そうなれば、攻撃の選択肢も
いっきに拡大する。
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以上だが、今回アメリカが苦戦したのもスモール・ベースボールに
敗れたといってよい。キューバは如何なんだろうか? 
今日の試合が楽しみである。

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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)
 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。この本は、
ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」(TBSブリタニカ)
の続編である。前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解り
やすくまとめてあり、非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する
見直しをするキッカケになった。この新著は更に深耕された内容といってよい。
ビジネスに特化し「より少ない労力で富と幸せ」を獲得する方法が書いてある。
特に大きな組織から自立し、個人として成功するための方法を、具体例を
多数紹介しているのが特徴である。もともと『80対20の法則』はパレート
が発見をした法則である。前回も書いたが、ここでおさらいをしてみる。
ーイタリアの経済学者パレートが1897年に発見した法則で今では社会の
様々な分野で実証されている経験則である。
(字数制限のためカット 2,010年3月21日)
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2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日
地元紙「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
自宅で毎朝見ないと何か不安だけだったのだ。恐らく次は朝日新聞を止める
可能性も出てきた。家内が朝日を気に入っているから、当分は止めないだろうが。
しかし私の場合、会社に来れば全紙見れるし、各紙のWeb上の新聞でも充分に
こと足りる。はっきりいって、サイト上の新聞が便利で面白いのに驚く。
さらにブロードバンドのためか映像の内容が面白いものが目立つようになってきた。
本当に時代が変わったと思う。先日知人が事務所に来て言っていたが、
これからはTVからのインターネットが主流の時代になるとか。
光ファイバーにパソコン経由か何かで、TVにそのままインターネットが繋がる
時代がもう目の前にきている。 地元紙がこれだけ早く家庭内から消えるとは
思ってなかった。週刊誌も月刊誌もネットをやりだしてから読まなくなった。
またTVも地方局はほとんど見なくなった。衛星局かDVDの取りだめかレンタル
DVDが中心になってきた。決してオーバーに言っているのでない。
光ファイバーが家庭に本格的に入りだしたら、それに対応してTVや
パソコンの端末もできてくるだろう。 面白い時代になってきた。
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2002年03月21日(木)
 352,西アフリカ旅行記
・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が 
 引いている地引網。
 一 間隔ぐらいにそれが見える。その道路の反対側にその魚村が見える。
・海には丸太をくり抜いた帆かけ舟の魚船。
・ガーナのエルミナのケープコーストの城塞。 奴隷を一時収監していた牢獄
 をもつが、奴隷倉庫の為か陰惨さは想像していたより少ない。これが世界遺産
 かと驚く。しかしそれを取り巻く漁村のトータルとしてみれば納得する。
・感動感激の連続の旅とは程遠い事も事実である。
・ここで始めて知ったのは、白人が奴隷を捕まえて売り払ったのでない事だ。
 ガーナのアシャンテ王国を中心とした国々が、他民族を征服していく過程で
 捕まえた捕虜が奴隷として売られていったのだ。 ーほとんどがアメリカ大陸
 に、2500万人が売られていった。今でもその民族同士の恨みがあるという。
 男が25人女が31人に一台の大砲が、相場だったというー大きさにより
 前後するが。男は屈強、女は絶世の美女が条件だった。アメリカ大陸の
 白人が決して悪いわけでない。ただそれが売られていただけだ。 
 当時の自殺よけの口銜えが悲しい!
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同行の人達をみると、過半数以上が一人参加。ほぼ全員が50回以上の海外
旅行参加の人達。アフリカはほぼ行きつくした「アフリカ大好き人間」の集団。
私の行ってないナミビヤ、エチオピアリビア、マダカスカルは、大体の人が
旅行経験者だ。これは数年のうち行くつもりだ。行った場所が温暖の気候の為、
アフリカ大陸としては物質的には比較的恵まれていた?しかし資源が少ない為、
世界から取り残されていた。同行の顔ぶれで変わったところでは、ミュージ
シャンや商店主などや茶髪の女性の新婚さん(10歳年上をカバーする為と
後でわかった) ・・年齢は30歳前後から70代まで
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総括として
まだ早いという感じ。 ナミビヤ、エチオピアリビアなどの後でも良かった。