* 22年ぶりの車選び
 日常生活の中で、TV、パソコン、車の位置づけは大きい。この年齢になれば、便利で、面白そうで、実利的で
あることが第一になる。 年金生活者ということがあるが、これが最後の車の買物?となると、大いに迷いが出る。 
しかし、選定のための中古車センターまわりは、なかなか面白い。 
 22年間、乗っていたソアラの車検の見積で、修理費など30万といわれていた経費がマフラーの交換が加わり、
50万以上の見積になった結果、急遽、買替えを決め、先週、連日、市内と見附と三条の中古車センターまわった結果、
メーカー直の販売所に比較的良い車があることを知る。 まず、ソアラ・クラスの三ナンバーの大型車か、普通車の
セダンか、スポーツタイプか、と判断に迷った。 まわって思い知ったのは、22年も乗っていた車より、どの車も、
遥かに良い!ということ。「このソアラは当たり!」という思い込みが、過剰に縛られることになっていた。
 日産とトヨタというと、先代のソアラと、その前のコロナを加えると、35年以上もトヨタ車を乗ってきたため、
トヨタ系を選びたくなる。 また、車は家内名義になるため、どうしても最安の選定に引っ張られる。こういう時に、
偉そうなことをいっても、森の生活とサバンナの年金生活の差が出てくる。歳からして、あと?年しか乗れないから、
可能な限り良いものか、逆に安いものか、大きな迷いになったが・・  何の制約もなければ、年齢を考えても、
トヨタスポーツ車にするが、中古でも結構な値がする。今更、遠出も、スピードも出さないため、考えた末に止めた。
 で、決めたのが、マークXのの「マークXジオ」、走行距離57千キロの格安のワゴンタイプ。
一応スタイルも気に入った上に、実用的が判断基準。オーナーは、もちろん家内。で、ますます頭が上がらない。
出処は、私?だが、現実は現実。産業廃棄物とは、よく言ったもの。で、車選定も一歩手前の己と似たのを探し出す!
 それにしても、これだけの中古車の在庫があるものと思い知る。 それと値段は、情報化で客観化されていることも!
・・・・・・
4452, 早朝座禅 −3
2013年05月25日(土)             
   * 座禅とヨガの呼吸法      「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、
禅室で独り座禅を組んだこともあった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみればド素人の野狐禅だが、
青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考えると、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ
整理をしていたことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし行き先を考えていた。 
雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、
5秒間止め、10秒かけて吐き出す。そして5秒止め・・・を繰り返す。 実際にやれば分かるが、これが息が続かない。
これに対し著者の座禅の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、体の中の空気を全部吐きだす感じで、
 吐ききってください。吐ききれば、自然に吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一から十まで数える。
 ヒト〜で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ〜で長く深く吐き、ツで吸います。これを、何回も繰り返すのです。
 呼く息は、自分の気海丹田に吐きかけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切です。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、お腹に空気を溜めて膨らませます。そして
 腹から空気を押しだすように、鼻からゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐くイメージ。
 *胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
 基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、
 深呼吸は身にはついているが、新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、その必要もないが。
 ・・・・・・
4078, 老いの見本帳ーダークサイト −2
2012年05月25日(金)
   * 序章 初老期と不安  ー�      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
 人生で一番大切な時期は50歳代と思って、悔いの残らないように過ごした。今から振り返ってみて、良かったと思っている。
「残り20〜30年分を10年に凝縮して生きる」と、本気で。 60歳を過ぎて、気持ちが非常に楽になったことはいうもでもない。
「老いの不安」からウツに陥り、初老にさしかかり医者から貰ったハッピードラッグで薬中に陥った人がいる。 それは惨憺たるもの。
  ー ここで「惰性から離れる不安=初老期の不安」を表している。
≪・・ となれば、定年とは惰性の喪失、マンネリの終わりということになるだろう。もちろん新たな惰性が始まることにはなろうが、
 その前に、よるべなさや心細さを痛感し、生きる意味といった類の根源的問題が脳裏をかすめることになる。そのような事態を
 先取りして想像し、自分で自分を追い詰め、自壊するかのように五十代半ばにして「うつ」に陥っていくケースはかなり多い気がする。
 しかも実際に定年に直面すれば、予想外の雑用や成り行きでどうにか乗り切ってしまったりすることのほうが案外普通ではないだろうか。 
 老いそのものよりも、想像力や予兆によって我々は老いに脅かされる。それはホラー映画の構造と相似しでいる。お酒落というよりは
「若作り」に励む中年男性が増えたような印象がわたしにはあるが、それはたんに異性にモテたいとか一目置かれたいとかの皮相的な
 理由ではなく、老いという未知なるものへ対する護符にも似た魔術的効能が求められているからだろう。
 老いることのネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないことと、世間から置き去りにされかねない不安、死への接近と
 いったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して遠ざけられがちなことへのもどかしさ、
 切実な無力感といったこともあるかもしれない。核家族化によって、老人なりの役割分担を与えられなくなってきていることも問題だろう。
 そうなると老人は青年や中年の劣化バージョンということになりかねない。男性、ことにサラリーマンは定年と老いとの同義化と、
 それを先取りした不安が問題となっている。若作りというどこか滑稽な振る舞いにも、シリアスな意味が込められている。≫
 ▼ 初老期の人間の姿をシリアスに浮かび上がらせた内容である。「老人は青年や中年の劣化バージョン」は、言いえて妙である。
  ひと足先に定年をむかえた人が先年、「暇を持て余すと思っていたが、実際は毎日やることがある」と言った意味が最近分かってきた。
  人生は最大限に生きるべき、それが老いへの準備になる。年齢に従って劣化を劣化として受け入れるしかない。起承転々・・いや転倒
・・・・・・・
3712, ジャズについて −7
2011年05月25日(水)
  モダン・ジャズの誕生 ー�       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ■ 四〇年代、ジャズの常識を打ち破った「モダン・ジャズ」の誕生!  P−195
   ▽ "踊る音楽"から"鑑賞する音楽"へ ーまったく新しい「ビバップ」とは?
【 時代は第二次世界大戦(一九三九〜一九四五)に突入。四一年の日米開戦によってアメリカは本格的な戦時体制に入り、
 ジャズメンの中にも召集を受ける人が出てくる。あわせて、歓楽街とりわけダンズホールへの課税も強化され、スウィング・ジャズ
 支えたビッグ・バンドの維時は雛しくなる。 そうした状況の中で、ひと旗上げようと全米各地からニューヨークに集まってきた
 ジャズメンは、ハーレムのミントン・プレイ・ハウスやモンロー・アップタウン・ハウスなどのクラブで、店が閉店したあとも、
 夜な夜な ジァム・セッション(独奏者が集まって即興演奏の腕比べをすること)を繰り返して腕を磨いた。
  小規模のコンボで演奏する彼らにとって、型通りのビッグ・バンド・スタイルのスゥィング・ジァズは、もはや古くさく物足りない
 ものであったことはいうまでもない。いかにありきたりの形式を打破し、自分なりの新鮮な要素をジャズに注入するかという実験に
 彼らは腐心した。 こうして生まれたのが、「ビバップ」(もしくは単に「パップ」)と呼ばれる新しいスタイルである。
  ジャズにおけるビバップ・スタイルとは、メロディー、リズム、ハーモニーすべてにわたって従来のジャズの常識を打ち破ったもの。
 なによりも驚くほどテンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化など、
 全体の音色はより硬質化し、フレーズ(即興演奏における音の連なりの聴こえ方)の多様性はいちだんと広がった。 
  ジャズの醍醐味の一つは、ソロによる即興演奏にある。たとえば、同じ曲を演奏するにしても、ソロの演奏の仕方によって
 まったく別な印象を与える。そのソロ演奏が不可欠となったのも、この時代といっていいだろう。
 もちろん、このビバップは、従来のニューオリンズ・ジャズやスウィング・ジャズの、ある意味では単純な‘ほのぼの’とした
 ジャズを聴き慣れた耳には、複雑で"とんがった・印象を与えた。
  こうして、それまではもっぱら"踊るための音楽"だったジャズは、‘鑑賞する音楽’の色合いを強めていく。
 そしてそれは、大衆的な幅広い人気という面では、従来の輝きを失っていくことにもなるのだが、一方では、
 音楽としての芸術的真価を発揮し、熱心なファンを獲得することになる。 】
  ▼モダン・ジャズが第二次世界大戦の最中に生まれ、ビパップのスタイルに変わっていった。「全体の音色が硬質化し、
 テンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化が特徴」というと、
 訳も分からず聴いていたモダン・ジャズの特徴を、それまでのジャズとの区別がつくようになる。 ジャムセッションという言葉は
 聞いたことがあるし、幾つかのバンドが次々と演奏を競うのもTVでみたことがある。あれがジャムセッションだったと、今回知った。 
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3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2
 2010年05月25日(火)
   (字数制限のためカット2012年5月25日)
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2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
(字数制限のためカット2011年5月25日)
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!
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2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
                 (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記
  (字数制限のためカット2010年5月25日)
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2006年05月25日(木)
 1878, <不良>のための文章術        おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
 ーNHKbooks 著者 永江朗  ー長岡中央図書館・借入れー
5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。書き続けたからこそみえてきたこと。 
何が違うのだろうか? ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。
そんなことは素人が書くことだという。この本でまずガツンとやらえるのが「自己表現を捨て読者を愉しませることに徹せよ!」
である。私の5年間書き続けてきた「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。そこがプロと私の差である。
もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!
 ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。
こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそが
プロフェッショナルの文章である。おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
(字数制限のためカット2011年5月25日)
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2005年05月25日(水)
 1513, こころを凛とする196の言葉 ー2      ー読書日記
美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、自分は
悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが「姿勢の悪さ」である。
背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・。
世にも簡単な、変身である。
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を
演じているのは、遺伝子と生物個体である。」人間の身体を支配するものは遺伝子であって、
人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
 ーあるホームページからのコピーですー なかなか解りやすくうまくまとめてあるー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンス
遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。  (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。個体を維持させることが目的でなく、
遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になって
きたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
・・・・・・
2003年05月25日(日)
 781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
(以下、字数の関係でカット2,013年5月25日)
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,013年5月25日)
・・・・・・・・・・
2002年05月25日(土)
 417,人生の負け組みと勝ち組み
だいたい20パーが勝ちで、80パー負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
・・・・・・
2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)

 

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 今日のYoutube

 中古車の選定も終わり、何か気が抜けた状態。 
最大限のことをしておけば、買ったあとの後悔は、最小で済む。
恐らく、これが最後の自家用車になるが、状況が状況だけに・・・ 
 
 今日の新聞記事に、中小企業の自主廃業が続いているとあった。
隠れ倒産だが、それが出来るうちなら良いが、手遅れが大部分。
私も実質的自主廃業だが、最期まで踏ん張っていたら、最悪の事態もありえた。
つくづく思うことは、世の常識とかいう、バカな固定観念。 

 大相撲も終わってみれば、『白鵬が優勝』である。
何か大きな世代交代のウェーブが起きてきたようだ。 やはりモンゴル人だが。
大草原で自由に、肉食で育ってきたのと、日本人では骨格からして違う。

 そろそろ、サッカーのワールドカップに、全世界の目が集中する。
その間に、政治的、経済的大問題が起きないといいが。

・・・・・・・
3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。
これは不徳のなせること?もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで
美しく今だかって見たことのないイメージ。何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 
神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 
宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。
アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。3Dの映画やTVで、これに近いか、
それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。 
内面は宇宙ということ? 宇宙の境界線に実は我われの意識があるのでは? それとも、宇宙の外の視線?
夢分析?からみると、その不快な夢が、その前段階にあり、それからドロップしたのが、宇宙ということか。
 * 朝鮮半島の不気味!
 朝鮮半島が不気味な緊張感に包まれてきた。果たして米韓の陰謀なのか、アメリカの潜水艦が
接触事故をおこしたか。北朝鮮の攻撃だったのか、今のところ分からない。北朝鮮としたら、新通貨導入
失敗の混乱の引き締めと、後継者引継ぎの権力移行の計画的パフォーマンスとも考えられる。 
実際に、この真相は何年か経たないと分からない。欧米諸国にとって、ここで戦争を起こして注意を向けて、
その間に通貨切り替えをするに丁度良い事件。中国が上海万博で動きづらい時期と、ワールドサッカーも
あるから、ここが狙いどこでもある。 イラクが片付き、次は北朝鮮かイランという順もある。
アメリカにとっても、北の暴発を期待しているのか。
欧州の金融恐慌の広がりも含めて、だんだん、生臭くなってきた。
 ・・・・・・・・
2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでも
ニッポンATMからゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、
みんな日本以外のところに流れていき、世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力
となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに供給してきたキャッシュだったのである。
アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
しかしただ日本だけは、好景気から取り残され街角に佇んでいたのである。ニッポンATMから
どんどんお金を引き出しては、飲んで踊って、いい気分に酔っていた。
自分の銀行口座に残高ゼロなのに、ATMから無尽蔵に引き出しているとしたら、それが本当に
ラッキーだったのだろうか。ゼロコストで借りたと思って引き出したお金には高い金利がついていた。
為替変動によって、数割も、ものによっては数倍にも元本額が膨らんでしまった。・・・ 》である。
 もう一つは、「おわりに」の政府を「一法人」に例えた話である。
《 政府は一個の法人に過ぎないと言う事実を見過ごして、「国民が1570兆円の金融資産を
持っているから、1570兆円までは国債を増やしても大丈夫」などという戯れ言に、ウカウカと
乗せられて国を誤ったのが、この結果。町内に資産が16億円の資産家が住んでいたとして、
そこに住む札付きの悪党が合計16億円の借金をしていいとは限らない。
悪党と資産家が同じ町内で住んでいても、別個の家計を持ち、独立した人間であるからである。
ところが、こんな滅茶苦茶のな理屈でも、成り立つ場合がある。 
警察にも裁判所にも悪党の息がかかっている場合だ。何をしようが、借金をチャラにするだけの
力を持っていることが前提である。 悪党=政府が国民から資産を脅し取る権利が前提である。
それを知っている町内の人は誰も金を使おうとしない。ところが、悪党が改心をしないで、
上手くいくケースもあるのである。 町内が対象となる大規模再開発計画が明らかになり、
いきなり投資資金が流入し始めた場合が、これに当たる 》
 解りやすい例え話である。特に「まえがき」のニッポンATM論が、何とも上手い例え話し。
後者の方も、私もそう信じさせられていた。悪党が裁判所と警察とグルときているから絶望的である。
 町内の人もある日、その事実を周知する。それが何時か?近い。結果として株価暴落と、
ハイパーインフレ
・・・・・・・・
2609, サルトルについて、考えてみる ?1
 2008年05月26日(月)
              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。
サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」
というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、
 ということだけは疑うことが出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
  それをサルトルは批判をした。 彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の
 「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。
 つまり反省している意識とは、意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。                   
       次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2
          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」
と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通り。
藤田はパソコン世代なのである。会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
人気ブログの「きっこのブログ」に、自分の書いた文章を寄せてきたのである。これで火がついたのである。
国交省の役人も思ってみない所から火がついてしまった。小泉と安部でしか、この隠蔽は指示・判断できないのは明らか。
そして、その安部が『美しい日本』などと、のたまっている。政治家を今さら非難するなど、意味はない。 
pー^263
 (字数の関係でカット2008年5月26日)      ーつづく    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
(字数の関係で中間カット2009年5月26日)
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。
この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
(字数の関係でカット2009年5月26日)
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2005年05月26日(木)
 1514, 酒中日記        ー「酒中日記 」中公文庫  吉行 淳之介著    
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』の
エッセイを集めたもの。出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの
交友であると同時に、文壇交遊録でもある。ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、
金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。 
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、
更にひきつけられる。30年?40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに
作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。このように私も当時の酒中日記が
書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、私にとって
絶品の内容になっただろう!誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。
この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、
いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの酒にまつわる話が次々と出てくる。
吉行淳之介から、安岡章太郎瀬戸内晴美遠藤周作など、現代文学史に出てきそうな人たちから、
山田詠美吉村昭までの32人の作家によるエッセイだから、面白くないわけがない。
「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)をテーマに軽く書かれたが内容は生々しい。
「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、
「作家」イメージが見事に再現されている味ある文章が続く。「朝、家で起きてみると、
やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、酒飲みの
何ともいえない心理を書いている作家もいる。銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、
京都逗留の水上勉の一人酒の話もよいものだ。創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や
先斗町をフラフラと飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。
次に具体的に彼らの文章を書き写してみたい。             ー つづく                   
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2004年05月26日(水)
 1149, ああ結婚! ー1
結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。長い歴史の中で一番多くのドラマが、
結婚という結びつきの中で生まれてきた。そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。
そこで、格言集の中から面白そうなものを探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、
いくらでもある。赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとにあらゆるカタチで露出している。
結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、諦めと、
思いやりである。以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。一番こころ、うったのは、
「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」 ーバイロンーである。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!女房も同じだが。
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。
 ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、
   なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
   ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。  D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。     フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。  バルザック
(字数制限のためカット 2010年5月26日)         
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2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
  (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2002年05月26日(日)
 418,価値観の変遷
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。
「こいつ凄いテーマを考えたな」と完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。 
時間がないということで、断念してしまった。 ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。マセタ子供なら緊急事態の
  性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」以上のようなことが、
 その年齢でどんどん変化していく。以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。
 その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。それを受身でなく、積極的に自ら
 変えていく時節。どんどん変わっていく価値観と変わらない価値観がある。そして地域によって
 違う価値観がある。その年齢ごとの欲望の変遷でもある。56歳ー7年説から考えると、
 8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。価値観の再検討、いや今の変えるべき
 価値観からの脱皮の時節という事か。
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 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化
欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07?
 デンマークコペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 
・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01?30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。?深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた
当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。
その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をした。
 それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
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A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!
それが北欧の街並みにぴったり!そこのバイキングの食事
 ーバイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。
軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客が
ステージの楽団にあわせてホール全体が一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。
なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよい
 ハイデルブルグ、そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む
楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見たピエタの像。 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク?その何ともいえない素朴な景色。 寺院もどこもかしこも仏教の
影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。この旅行から帰ってきて数ヶ月呆然自失。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー