* 「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、お宝の正体
 先回、「最悪の結果云々」と書いたが、私の人生から見れば、最善の結果とも解釈出来る。 
まる三十年の最終日の記念日に、偶然としても事業を終え、一年もしないうちに六つの抵当物件が売れ、金融負債以外は、
ほぼ負債ゼロ。 「早々に隠遁の生活に入り、老いと死に準備に本気に入るように!」と、65歳を区切りにするため
三羽の黒鳥を遣わせた。これが人生からの私への贈物。 勝手に隠れたお宝の正体と正当化と見てとれるが・・・ 
 創業時点から(万一を考えて)親戚や家族には一切、事業には入れなかった。長期装置産業のため、大きな変動を
幾つか乗り越えなければならない。そこに、家族を入れると共倒れのリスクが出る。その時が身の引き時と思っていた。 
結果として順調の状態で息子に事業継続するより、この方が良かった。(そう思うしかないが)
 私の知人や周辺を見ていて、思うことは、「世界も、身近の事業環境が激変をしている。無理と思ったら、早々に
事業継続の断念をすべき」ということ。 私の場合、事業整理には五千万少しを要し、何とか清算?に近い状況だった。
 この激変の正体は、20世紀前半の第一次世界大戦から世界恐慌を経て第二次大戦に渡る30年以上の混沌に匹敵するか、
それ以上の歴史的スケールの変動で、あと20年は続くとみてよい。
 今度の件の結果に隠されたサインとは、《 現在は歴史的激変の真只中にあり、日本は世界に先立った変動の事態にある。
これから世界が本格的激動に入りつつある。それもあって中途半端な規模では事業は成り立たないことに早く気づくこと。》
それと機をいつにして、私自身がリタイアの年齢になった。「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、お宝の正体。
 この一連の中で感じたことは、「日本の危機感が少なすぎる」こと。裏山の天辺から、外海と内海への津波を見ている気分。
裏山に避難した私を、多くの人が笑ってる何が見えてくる。その彼らに政府が泡踊りを勧めているのだから、これはエログロ。
・・・・・・
4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1
2012年6月16日(土)
 アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。
一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に引き上げることが出来るという。不自然に4:1、
5:1に引き上げようとする無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。「ポジティブ」という概念は、精神論で
語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ欧米では教育界、ビジネス界などでもその成果が応用されている。 
 100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初から割り切ってしまうのも良い。
秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると起きて当然と割切りが出来てくる。
僻地という圧縮された時空の中で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、
自然と出来てくる。そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。 旅行もネガティブの比率を経験を重ねることで
四分の一にすることが可能になるということ。 最初の数回はネガティブな方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに
気持ちを集中できるようになる。
 人生も似たようなもの。 私の見立てでは八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。
少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要なのは、神を信じることでネガティブな感情を
ポジティブな感情に押し上げる効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。「積極一貫」を常に心がけ、肯定的
言語を意識的に使うことで己を御す教えである。それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。
最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス用語を使うようにしている。
オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。
 ・・・・・・・
3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜?
2011年06月16日(木)
                       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている
 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。
だが私にとっても、その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。私にとって、宇宙のすべてのものは自分から
はじまる。これを「自己中心」の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。 これは子供じみた見方ではないだろうか。
幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。 こういう自己中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、
私は自分の幼稚な世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。成熟と死は、似た者同士だ。
私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、
私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、
そして自分自身の感情についてはたった数行すらも書くことはできないのだ。
 私は絶対に大人にならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる子供の部分を絶対に捨てないと、
子供のすばらしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。 私は自分のなかの子供らしさの
最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んでいくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、
死を体験することができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。
 あなたは宇宙の中心にいるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。あなたが回転すれば、あなたから見て、
部屋のなかのものもあなたを軸としてぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという宇宙の中心に
いるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。
他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、
他の人や力をそこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に置いたりする力を自分が持っているならば、
私たちは自分自身にもっと敬意を払うべきではないだろうか。 
 これについて、さらによく考えてみよう。私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取ることはできない。
だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉だということになる。私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。
私は自分の宇宙の中心を占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。だが、許可を与えるのは私自身だ。】
 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。
 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが
 組み込まれている」という‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究発表をした。
 だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を
 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。
 ・・・・・・・
3369, Youtubeでみる津波の映像
2010年06月16日(水)
 何度もYoutubeスマトラ沖地震津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、
現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が
流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。
津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 
映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・
 この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震震源とした大津波が日本に押し寄せている。
「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。
その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 
現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。
 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。
そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。
 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。
もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減で、
それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。
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2994、筆談ホステス
 2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、
「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?
と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に
とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 
私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。
    ≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫
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2630, 閑話小題 
2008年06月16日(月)
  * 台風と地震が何で土.日曜日に多い?
統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。  
最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。
(中国の四川地震ミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。
  * ワーキング・プアのテロ?
  * 「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断
≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
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2007年06月16日(土)
2265, 動物が家畜化されると、どうなる?          *´・ω・)ノはよー!
  動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、文化(檻ーおり)を発展させてきた
 不思議な生き物という。  ー家畜化した動物の特徴は
・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。
 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。
・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。  >(^┰^;)ゞ
 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。
 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、
 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。
・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。
 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。
・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。
・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・
 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。
 ▼ 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、
  自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。
 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。
 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して
 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな
 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。
 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と!
「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・
  ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい?
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2006年06月16日(金)
 1900, グーグルアースが凄い!        おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。
・画面鮮度が3~4倍のアップ、
・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。
 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。
 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。
 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」
 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。
 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。
使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。
最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。
「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。
別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。
知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」      (。・ω・)ノバイ         
  以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。   (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日)
 ーー
2006/04/07
 1830, あちら側の世界 ー8       (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
    ≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
ーーー
2005年06月16日(木)
1535, 秘境探検家の「幸福論」ー1
(字数の関係でカット2009年6月16日)
・・・・・・・・・
2004年06月16日(水)
 1170, 哲学についてー4
ー近代科学の芽吹き近代科学が16~17世紀にかけて登場してきた。新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。
まずはポルトガルコペルニクスである。宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に解明
できなかった問題が多く解決できると指摘をした。地動説である。それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いて
あったことを根本的に否定することになった。そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。
キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。
しかし彼は有名な言葉をつぶやく「それでも地球は回っている」と。次に史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。
1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。彼はそこでリンゴを落下させるために働いて
いる力は、月を地球に引きつけている力、地球を回らせている力と同じであると気がつく。
近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。 ーつづく
・・・・・・・・・・
2003年06月16日(月)
 803、50歳の頃ー1
 ー60歳までの人生
曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。
50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという自分への
問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、
夕陽を見ながら息子と日本酒を飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、
曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう!
『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。
・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう  等、生き方を変えようであった。
 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。
本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。
しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心」は良いのではと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。
「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。
その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして
生きている。短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」 かなり深い人生の示唆であった。
「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、尚のこと心に響いた。 
あと2年半で、その60歳に近づきつつある。「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることができるのではないだろうか。
そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に飛び出せる
のではないかと考えている。 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどでアフリカや
中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
・・・・・・・・・
2002年06月16日(日)
439,随想日記の不思議
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 
それが何か非常に気持ちが安定する。 心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。悪趣味?といえば、
そうかも知れないが、見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。
書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」のような不思議な
感覚を受ける事がある。ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。もっと面白いのは過去の自分の文章。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の
心のメルクマールになる。過去に日記を書いておけばよかった。反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。書くという事は排泄と感じることもあるし、
昇華ということもある?メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。
思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
・・・・・・・・・・
2001年06月16日(土)
 [54] つれづれに
朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。HP を開いてから、毎日が楽しい。
パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあいコミニケをしているという。女性だからできるのだろうが、
ある意味で理想に近いコミニヶだろう。もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。
自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。
 

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ak9zCj8I6AM

 
 今日の早朝の信濃川へのミニサイクリング、雨で途中から引き返す。
そのためか、凌ぎやすいと温度計をみると、28度を超えている。




・・・・・・
2003年06月16日(月)
803、50歳の頃ー1

 -60歳までの人生
曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)
人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。
あとの人生を如何生きようかという自分への問いかけをしていた。
その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。
テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら息子と日本酒を
飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。

その時に考えたのは、「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』
なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう!
『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。
・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう
 等、生き方を変えようであった。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。
本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。
しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心』は良いのではと解釈した。 

 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。
「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。
それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。
その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。
その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして生きている。
短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」
かなり深い人生の示唆であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」
を自分の生き方に取り入れた直後であったから、尚のこと心に響いた。

 あと2年半で、その60歳に近づきつつある。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることが
できるのではないだろうか。
そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。
その意味では、逆に広い世界に飛び出せるのではないかと考えている。

 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSや
テロなどでアフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。

・・・・・・・・・
2002年06月16日(日)
439,随想日記の不思議

毎日書いていて不思議な気がする事がある。
気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。
それが何か非常に気持ちが安定するのだ。

心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。
悪趣味?といえば、そうかも知れないが、
見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。
書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。

書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。
色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界
のような不思議な感覚を受ける事がある。
ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。

もっと面白いのは、過去の自分の文章である。
読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。
書き続けている事で、その日その時間の心のメルクマールになる。

過去に日記を書いておけばよかった。
反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。
学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。
書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある?
メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。

一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。
思考の再深耕が容易になる。
ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。

・・・・・・・・・・
2001年06月16日(土)
[54] つれづれに

朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。
更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。ホームページを開いてから、毎日が楽しい。
パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあい
コミニケをしているという。
女性だからできるのだろうが、ある意味で理想に近いコミニヶだろう。
もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。
自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。