「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 情景描写の効果 ー鱒寿司の話
 伝える効果の「人プラス物」の他に情景がある。その中でとりわけ生活情景のワンシーンは抜群。
その幾つかが紹介されているが、試しとして、私の子供時代の思い出の、「鱒寿司の話」を書いてみる。
≪ 子供の頃、父が店の仕入れの御土産に、北陸まわりの車内販売で、鱒寿司を買ってきてくれた。
 笹の葉に包まれた鱒寿司は、当時の家族にとって最上の食べ物だった。それを家族が集まり八等分の一切れが分配される。
その大きさが微妙に違っているのを固唾をのんでみているが、末っ子のため、最後の一切れが私に配られる。それに醤油を
一タリつけて食べると、それが美味いのである。ケーキを切って食べるのと似ている。 それから何年後に、義兄が、車内で
思いついて土産に買ってきた。その時の話が印象に残っている。隣席の人が、車内販売の鱒寿司を幾つか買う義兄に連られて
買い求めて、早速、食べた。ところが期待したほど美味いと思わなかったのか、不思議そうに、「それほど美味くないが、
どうして、こんなに買うのですか?」と尋ねたので、義兄は、「これは家族が集まり、幾つか切った一切れを団欒しながら
食べるから美味しいので、一人で列車内で食べるものでないですよ!」と教えたところ、その人も納得していたという。≫
 ▼ これを書いていて、鱒寿司を兄姉と分かちあって食べた当時の情景が、鮮明に思い出てくるから不思議。
 ウィキペデアによると、【鱒寿司は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに
 酢で味付けした押し寿司の一種。】とある。 今では、スーパーなどで催事で時々、見かけるが買う気になれない。
 小学校の5年から高校を卒業するまで、長岡駅裏に8年住んでいた。そのため、そこの生活が、いやに懐かしい。
 母親が極度の「うつ病」になり、心筋梗塞を誘発し、あわや死にそうになったり、近隣の遊び友達と遊んだり、十姉妹や
 文鳥、カナリヤを飼ったり・・ あの受験勉強さえなければ、良いことずくめ。 読書を薦めてくれる人はいなかった。
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3988, 閑話小題 
2012年02月25日(土)
   * アマゾンの「なか見!」が良い
 ネットの立ち読みとして最近、アマゾンのサイトの「なか見!」を覗いているが、これで本一冊の半分以上の情報を得ることが可能。
その上に類似本が自動的に紹介されるので次々とチラ読みができる。さらに、読者からの感想投稿文の要約が幾つかある。
iPadで、月々450円を払うと多くの週刊誌や月刊誌を立ち読みでき、毎日の楽しみの一つである。 その何冊かはバックナンバーを
ダウンロードすることが出来る。バックナンバーでも、コラムとか、趣味のコーナーに面白いのが多くある。去年の春にリタイアーし、
気持ちに余裕ができ、腰を据えてネットや書籍を読む環境が出来たのと、40数年の縛りから外れたのが大きい。
アマゾンのチラミの「なか見!」も、慣れてくると濃厚な読書タイムになる。 あらためて「本はすごい!」「ネットはすごい!」と、
実感する。本屋の立ち読みをネットで可能になるのである。図書館と、近くのSCにある蔦屋の書籍コーナーと、アマゾン内の書籍検索が、
現在の私の情報収集のネットになっている。 ネット上に、まだ知らない有効なサイトが溢れているのだろうが、私のレベルでしか、
有っても、理解できないことも確か。その人の経験と知識の範囲でしか、物事は理解できない。だから好奇心と実行力が必要になる。
  * 生涯単身者
 私の従兄弟と私の兄を含めた17人のうち、早死にした私の兄三人を除いて14人が結婚している。
兄三人は既婚年齢を超えないで亡くなったので、全てが既婚といえる。しかし私の息子を含めた甥っ子が9人にうち未婚が4人。
これから一人が結婚しても、三分一が生涯未婚の可能性がある。50歳まで未婚の人の割合を「生涯未婚率」というが、1985年までは
1〜3%で推移していたのが、5年後の1990年に二倍の5・6%、2005年には16%で6人に一人の割合に、現在30歳が
50歳になる2030年には男30%が、女22%と予測されている。今までの家族単位に重きを置く社会通念が、個人単位になり、
生活もコンビやスーパーで調理品や日用品を手軽に買うことが出きる。目先、結婚する必要性がないのも大きな要因になっている。
ペットの犬は、子犬から飼わないと飼い主とはシックリいかない。人間も同じで、適齢期を超えた者同士は、丁度良い相手と出会う確率は
歳を重ねるごとに低くなる。 30歳前後の男女と、40歳を超えた男女とは、相性が年々悪くなっていく。
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3623, 日本人発明の食べ物
2011年02月25日(金)
 カレーはインドのものだが、ライスの上に乗せてカレーライスたるものを作ったのが日本人である。
日本人は西欧の香りのするカレーを、ハイカラ、肉食、手軽というカレーライスに仕上げた。明治の頃に明治政府が肉食を勧めるために
天皇が肉を食べてみせた。そして、仮名垣魯文がカレーのレシピを作ったのが始まり。カレーといえば新宿の中村屋の純印度式カリーは
有名で、香りが何ともいえない。これは、東京帝大前のパン屋のハイカラ文化の経由。そして、極めつけが、インスタントカレールー。 
これで誰もが手軽に夕飯にカレーをつくれるようになった。これは、同じ頃に「すき焼き」が日本特有のものとして大衆に浸透していった。
更に、『きむらや』は明治七年に銀座に進出し、やがてパンにアンを入れたものを売り出したのが始まり。これもカレー、すき焼きと共に
日本文化の一つになっている。これは饅頭の皮をパンに思いついたのだろう。
 そして戦後になって、『チキンラーメン』と『カップラーメン』である。日本というより世界屈指の発明である。
これは日清食品の、創業者の安藤百福がつくりあげたもので、今や年間一千億食も食べられている。世界の一人当たりにつき、
15食以上も食べられていることになる。 宇宙食として、災害や紛争の救援食として、世界中の津々浦々まで浸透している。
最近では、回転寿司である。酢飯と魚が丁度、健康ブームとあいまって、爆発的に進出をしている。古来からあるもの食文化を、
外来のものとアレンジをして新たに日本人好みに変えてしまったもの。最近では米粉を材料としたパンや麺なるものが出てきている。
 ところで、話しは違うが、日本の夜の世界のクラブ。着飾った女性が客にサービス(踊ったり、歌ったり、話し相手になったり)
する業種は日本だけという。外国は、何?の前段階の品定めならあるが、ただ、接客や、雰囲気を楽しむのは日本だけ。
これは昔からある芸者遊びを現代版にしてものだが、何か、上記の日本特有の食べ物と、進化過程が似ている。
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3258、日米「振り込め詐欺大恐慌 −1
 2010年02月25日(木)
  日米「振り込め詐欺大恐慌 
    ー 私たちの年金・保険は3分の1に削られる  副島隆彦/著
[要旨]オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)に突入する。日経平均は4500円を割り込んで
  最安値を更新。金(ゴールド)も買えなくなるから、今のうちに金にしがみつけ。これから2012年までに何が起きるのか?
  「9.15のリーマン(破綻)ショック」を事前に言い当てた著者の提言。 年金などもらえると思ってはいけない。
  ドルは大暴落し、日本もアメリカと一緒に沈む。暗黒の世界に突入して以後の3年を予測。
 ーカバー裏
米国債とドルの大暴落でこれから「アメリカ発の世界恐慌」が始まる
オバマ大統領は2010年にドルを半値まで切り下げて辞任する(後はヒラリー)
FRBと米国務省は今から2000兆円のドルを刷り散らす
アメリカの「振り込め詐欺」(ネズミ講)で日本の700兆円が奪われた
・ 日本の年金資金の半分が吹き飛んで、もう年金は3分の1になる
・ NYダウ平均は3000ドル台へ、日経平均は4500円を割り込む    
・ 大銀行、大証券といえども潰れないという保証はなくなる
・ 日本も緊急の金融統制体制(「預金封鎖」)に追い込まれる   
・ 金(ゴールド)もいずれ買えなくなる
  〜〜
 この本は、去年の4月30日に発刊されている。アメリカの執拗な日本に対する謀略は、著者が言うとおりになっている。
鳩山の脱税容疑、小沢の政治資金問題で、元秘書の逮捕など、あまりに露骨な日本攻撃である。ここで、さらにトヨタの狙い打ち。
そして、裏ではアメリカ国債の押し付けが行われている。そのアメリカは、何処も買う余力がないので、日本にアメリカ国債
買うように執拗に迫っている。それが、アメリカ「振り込め詐欺」である。実際のところ、何処が違うのか? 同じである。
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2883, 現在のクラッシュは全面事故そのもの
 2009年02月25日(水)
 「現代思想」ー金融恐慌特集ー の中で、
都市学の研究家が、スリーマイル島や、チェルノブイユ原発事故などを取り上げている仏国のジャーナリストが、
今回の金融危機を一連の原発事故と同じ視線で捉えているところが新鮮である。「歴史」の加速現象が、これらの重大事故の
主要な原動力として捉える。 これらは偶然ではない。「歴史の加速」より、現実的なものへの加速への移行ではないかと。 
このことを「進歩」という。我われは、「現実主義」の時代を生きているが、一歩ふみこんで「瞬間の時代」に入ってしまった。
このような「できごと」を、切断という特異《唯一無二》の出来事の分析をすることを勧めたい。《事故》は一つの発明であり、
創出された作品である。「金融活動」は一つの仮想世界を創出した。しかし、これも現実の一部。 この仮想世界は、
植民地に喩えることが出来る異邦性の一形態である。 移住可能な遊星の神話である。今回の金融クラッシュの被害者は、
サブプライム・ローンをかけた人々である。彼らは住拠を失いつつある人々である。金融クラッシュは、国家そのものを
不安定にしつつあり、株価や土地などの価値を落としていく。我われは未来の生きられなくなってきている。 
そこで、現在しか生きられないが、現在にさえも生きられなくなっている。それが我われが現在経験していることである。 
これは、原発事故が現に起こったときと同じこと。人は「起きていること」を見抜かなければならない。無理解は恐れを大きくする。
私たちには恐れている暇など与えられていない。最も恐れるべきは、生活の全領域まで及ぶ、
個人的で内密的やる気無さです。あれやこれや、個人として行うことに及び腰になることである。
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解)解ったような解らないような内容だが、要は地球全体に大きな影響を及ぼす大災害と捉え、
 割り切って手を打つべきということ! とにかく次の爆発を最小限にし、多くの教訓を吸収すべきである。
 従って、チュルノブイユ原発事故と同じく二度と起きないように原因を展覧すべきである。
 ところで、昨日の昼飯で寄った喫茶店にあった「週刊ポスト」の中で‘たけし’が「今回の大不況は災害だから、
 派遣切りにあったホームレスに仮設住宅を与えろ、っちゅうの!」と、のたまっていた。もしかしたら、
 誰かが知恵を与えたのでは?と思ってしまった。世界を覆った大惨事と捉えれば、 日本中に一人当たり1万2千円を
 ばら撒くより、緊急宿泊施設こそ優先すべきことである。 そこで、麻生のズレタ感覚を面白おかしく茶化していた。
 職安で、仕事を探しに来た若者を相手に「自分の目的を持って仕事を探しなさい」と言った世間知らずは、あまりに御坊ちゃまと! 
 今さらだが、シェルターぐらいは作った方がよい。アメリカは教会が、その役割を果たしているというが。
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2008年02月25日(月) 2518, 閑話小題 
 *アース
 一昨日、最近出来たばかりの長岡の映画館で「アース」を観てきた。一人で映画を観るなど数年ぶりである。
新潟では、よく観たが・・・画面が小さいのがきになったが、それぞれ大きさが違うようだ。
この映画の中のカジキマグロが魚の群れを襲っているところと、鯨の親子の南極への数千キロの
長い旅路が印象的であった。二時間近い上映が半分近くに感じたのだから、内容があったのだろう。
還暦を過ぎると1000円というのがよい。1〜2ヶ月に一度はいくか?
 *何で今になって三浦?
 27年ぶりに。「ロス疑惑」の三浦和義アメリカで逮捕された。誰の目にも彼が犯人というのは明らかだったが。
あれから27年とは! 今の若い人なら「誰?」ということだろう。米国の連続ものTVドラマに「コールド、ケース」
が面白いので見ている。 この紹介文に日本とアメリカとの司法制度の違いが紹介されている。
 −“コールドケース”とは未解決凶悪犯罪のこと。
アメリカでは原則的に殺人罪に時効がなく、未解決事件がいきなり再捜査されることもある。何十年も前の事件も、
当時まだ無かったDNA鑑定など、現在の最新テクノロジーを駆使すれば、解決の糸口が見つかる可能性は大きい。
また当時の関係者が重い口を開き、意外な真相を語り出すことも……!「コールドケース」が「CSI」シリーズと異なるのは、
回想場面で事件発生当時の時代背景を細かなディテールに至るまで再現する点。 よって普通の犯罪ミステリーを超えた、
濃密なヒューマン・ドラマがそこに浮かび上がるのだ。 −− とあった。 本人(三浦)も「青天の霹靂」であろう。
三浦の殺人の無罪判決は検察とマスコミの敗北だった。今回もアメリカが何時、無罪放免するかもしれない。
その結果、三浦が告訴による生活費確保の餌食を恐れて、報道の腰が引けているのが面白い。
この時期の逮捕は沖縄の暴行事件に対するアメリカの政治的な思惑と考えるとタイミングとして辻褄があう。 
また三浦騒動の始まりである。それより日本の司法の問題点が大きくクローズアップするだろう。
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2007年02月25日(日)
 2154, 立川談志             (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
先日のハイビジョン特集立川談志 71歳の反逆児 」( 2月20日(火)後8:00〜)が面白い。
  まずはNHKのHPにあった ー内容ーから、
立川談志といえば早くから「天才」と賛辞を浴び、鼻っ柱の強さで落語界、落語だけでなく政界でも大暴れ。
落語協会に公然と反旗を翻し、脱退して立川流を立ち上げ、まさに「破天荒」を絵に描いたような人生を送ってきた。
  (以下、字数の関係でカット 2011年02月25日)
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2006年02月25日(土)
 1789, おやじ、ありがとう ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]      ー 読書日記
 母親は家を象徴しているが、父親は社会の象徴になる。母親に対する思いの本は数多あるが父親に対する思いの本は数少ない。
男にとって父親は煙たく、恐い存在であリ、人生の乗り越えなくてはならない大きな壁でもある。私にとって父親は最大の恩人であり、
教師であった。この世で私を誰よりも愛してくれたのは、間違いなく父親であリ、次に母親である。
故人も含めて一人だけお礼の言葉を残すとしたら、「おやじ、ありがとう」である。     ´Д`*)ありがとぉ☆            
母親の夢は見ても、父親の夢はその数十分の一しかみない。でも、この世に生まれて一番恵まれたのは「父親」であると確信をもって
いえるのが幸せある。男が父親を語るとは、自分自身を語ることにもなる。父親を否定するほど惨めなことはない。自己否定になるからだ。
親元を離れて初めて両親の愛情を感じるものである。私の父親に関しての思いは、この随想日記で何回か書いてきた。
「商売が好きで好きでたまらない」が、父の姿であった。仕事が好きかどうかがプロとして一流化どうかの分岐点だろう。
父は、戦前、戦中、戦後と時代の変化に従って事業を変えていった。父親の姿を見ていて仕事の厳しさと人生を学んだ。
特にお金の哲学は家訓的に叩き込まれた。それにしては  ??
・仕事を楽しむべし!       ・人間を選んで付き合え!
質実剛健の生活を忘れるな    ・小金をつかうな!大金を使え
・肩書きを求めるな、実利でいけ  ・変化をみて、思い切った変身をすべし その為に情報に敏感であれ!
・人間は、まず疑ってかかれ!
 以下は、検索で調べた内容の紹介である。
  (以下、字数の関係でカット 2012年02月25日)
・・・・・
2005年02月25日(金)
1424, DVD レコーダー
レンタルビデオ店の中の、DVDの棚が過半数を超えてきた。映像ソフトも、主としてDVDで提供されるようになった。
   (以下、字数の関係でカット 2009年02月25日)
・・・・・・・
2004年02月25日(水)
1057, あかさたな はまやらわ
以前から不思議と思っていたが、笑い声は、何故か「あ行」と「は行」に並んでいる。
  あはは   ははは
  いひひ   ひひひ
  うふふ   ふふふ
  えへへ   へへへ
  おほほ   ほほほ
 ある本を読んでいたら、「言葉の不思議」という内容でそれぞれの行ごとの類似性を紹介していた。
  (少しこじ付けかと思いつつ、それなりに説得力があった)
ー以下のとおりである。 
・「カ行」は、自分の主張や激しい感情を外に出すものが多い。 「かんかんがくがく」
「カッとする」「きりきりする」「苦労する」「悔しい」「喧嘩」「喧々ごうごう」「高圧的」
・「サ行」は、静かな感じが多い 「細心」「神経」「住む」「繊細」「楚々としている」
・「タ行」は戦い系が揃っている。「戦う」「血」「力」「強い」「強い」「抵抗」「徹底」「闘争」
・「や行」は優しい系の気の軟さの言葉が多い。「優しい」「ゆかしい」「よよと泣く」
偶然ともいえないのが不思議である。私の名前は八郎である。ハチというと何か闘争的である。兄は三郎である。
サブは大人しい感じがするが、兄の性格は大人しい。名前にも霊力がこもってしまうのだろうか。少し話はそれるが、
一番最初の「あ」と、最後の「ん」には深い意味があるという。「あ、しまった!」の時につかう「あ!」は仏教語で「許し」
という意味があるという。その中に深い意味を感じる。 私の場合は「あ〜あ」が口癖だが。
・・・・・・・・・
2003年02月25日(火)
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記
<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。
自分の無意識の言動の大部分が、いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかがわかるにちがいない。
ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、いかに若いか、いかに頭がよいか 
 ーこれからはーいかにーを省く。勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、
いかに凄い体験をしたか、気がきくか、仕事ができるか、正しいか、ものがわかっているか、忙しいか、金持ちか、
ケンカガ強いか、酒が強いか、ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、性技巧に優れているか、
自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。ご寛容を。)・・・・
 ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。   わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。         わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。       わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに費やされる。この、わたしを見よ、と。
 ・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
(字数制限のためカット 2,010年2月25日)
  ーーー
 私の母の口癖は「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。
両親の呪縛があったとしたら、「両親の期待を失望させてはならない!」。両親の期待にこたえることであった。
・・・・・・・・
2002年02月25日(月)
 342、20歳の頃ーある教授との出会い-1
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、
それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」
というテーマを休暇に与えられ真剣に考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 
200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった返事を書くものかと感激をした。それとも「自分の真心に対しての特別の返事」
だったのか? 鈴木教授という名前と、その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。
いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。
そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐことを選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。
今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、等々。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて
不幸な死に方をしてしまった」とも書いたかもしれない。心のこもった返事とは「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。
そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 
というな内容であった。この時点で自分の行き方が変わったように思える。 いや決まったように思える。もともと
決まっていたのかもしれないが。俄然それから目標がハッキリした。「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」

つれづれに

イメージ 1

今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=AnmzNI7FAAw&NR=1&feature=endscreen

 雪が降り続いている。とはいえ、越後では例年の範疇。
米作にとってのダムの役割を果たしている。一度、解けて地下水になり、
それが川になり田圃の米を育てる。と思えば、この景色も良くみえる。

 TPPの参加も、止めようもないグローバル化の一つとして割り切るしかないのか。
結局は、アメリカにつくか、中国につくかの試金石ということ。小沢は中国にスタンスを
移そうとして、官僚(検察官僚)とマスコミにやられた。

1929年に起こった恐慌、本格的現象として表立ってきたのは1932~3年に
かけての本格的株式の暴落からである。当時と違うのは、世界中の主だったトップが
一同に介して話あいをしていること。 
本格的崩壊は、戦争というカタチになるしかないのか。

 
・・・・・
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記
2003年02月25日(火)
<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争
 
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。
いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。自分の無意識の言動の大部分が、
いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかがわかるにちがいない。

ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、いかに若いか、
いかに頭がよいか  ーこれからはーいかにーを省く。
勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、いかに凄い体験をしたか、
気がきくか、仕事ができるか、正しいか、ものがわかっているか、忙しいか、金持ちか、ケンカガ強いか、
酒が強いか、ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、性技巧に優れているか、
自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。寛容を。)・・・・

ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。
わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。
わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。
わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに
費やされる。
この、わたしを見よ、と。

・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
あるいは、生きることのプライドを、追い詰められたギリギリのところでも
もてるかどうかは、自分が無条件に肯定された経験をもっているかどうか、
わたしがわたしであるというだけで全部認められた経験があるかどうかに
言い換えてもいい。その経験があれば、母がじぶんを産んでしばらくして
死んでも耐えられる。
こういう経験がないと、一生どこか欠乏感を持ってしか生きられない。
あるいはじぶんが親や他人にとってじゃまな存在ではないかという疑いが
払拭できない。つまりじぶんを、存在する価値あるものとして認めることが
最後のところできないのである。

 鷲田は、家族による「無条件の肯定」は「じぶんを、存在する価値のあるもの
として認める」と書いているが、わたしはこれを、家族の無条件の承認は、
じぶんを、存在する意味のあるものとして認める、というふうにいいかえたい。
意味の承認は、価値の承認、より無条件であり、より根源的であると考えるからである。
わたしの考えでは、「無条件」ということは、「価値」からはでてこない。
なぜなら、「価値」は交換可能(相対的)だからである。
じぶんという存在の「価値」を証明を求めはじめるのは、家族以外の関係性
においてである。
すなわち、ひとりの異性(あるいは多くの異性)との性的な関係や、
社会的な関係においてである。

ー感想ー
 かの文豪のドストエフスキーが24歳の時に「貧しき人々」が認められ文壇に出た時の話だ。
当時の著名な評論家のネクラーソフが、その原稿を読んで感動し、
友人と連れ立って、夜明けにわざわざドフトエフスキーを訪ねて「きみは天才だ」と
激賞したという。
 その時の気持ちを、ドフトエフスキーはこう記している
「胸がおどる!これが成功なんだ!だが、私にとってなにより嬉しかったのは、
彼らの思いやりだった。朝の4時に、二人は目に涙をためてやってきてくれた。
感激で胸が満ちあふれた」
彼のような暗い感じのする男でも、認められということは最大のこれからの作家生活で必要な
事であった。
  ーーー
私の母の口癖は「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。
両親の呪縛があったとしたら、
「両親の期待を失望させてはならない!」だ。
両親の期待にこたえることであった。