つれづれに

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 今朝は3時に起床。ブログを書上げた5時過ぎにポタリングに出た後に、
宮内の母方のお墓参りをして、父親が戦前に不動産を買った縁の無縁墓を参り、
実家の墓参り。帰ったのが7時過ぎ。例年のごとく、淡々とこなす。

 お盆と、年末年始は国民的レジャータイム。皆と休めば、怖くないという
お墨付きで、年単位の非日常になる。







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5629,お金に強くなる生き方 ~③
2016年08月13日(土)
           【お金に強くなる生き方 ~佐藤 優 (著)】
   * お金という幻想 
 この本は、お金に対して素人向き内容で物足りない!が、佐藤優ならと、
読み通した。そこで、私の「お金について」を、思いのまま書いてみる。
☆ 私たちは、お金という幻想で、何かを縛られている。父親が、日頃から、
「お金の恐ろしさ」について語っていた。 太平洋戦争の戦災で焼出されて、
それまでの国家体制の洗脳と、それを信じた結果、現金は無価値になり、
殆どの財産を失い、時代の激変の恐ろしさを肌身で経験していた。
 自分の身を守るためには、土地、資源株、骨董品に分散して、ヘッジする
とか、普段の生活を質素にするなどを実践するのを身近で見て育った。 
 しかし、晩年、余命一年を告げられ、それらが何の意味がないことも
身近で知ることができた。しかし、バブル期に時代と踊る必要性も直感した。
「踊るときは踊り、崩壊する時は崩壊すればよいことも?」
お金は蓄積した分そのまま、力に変わること。
その為、時間をかけて一定額の預金と、投資をしておくことも。
☆ ここで、著者は、お金に対して、「見切り」と「見極め」の必要性を説く。
 5年前に事業整理で、「見極め」と「見切り」をつけたが、これは「時代」に
対する見極めと、「事業」に対する「見極め」「見切り」であった。
☆ グローバルの時代は、国家間の垣根が低くなり、貧富の差が大きくなる。
 私たちは、この中にあって、お金の本質や、世の中のカラクリを知って
おかなければならない。「アベノミクス」のカラクリを知った上で、
判断しないと、その正体が現れ出た頃には、何らかの食い物にされている。
 大手銀行が、コマーシャルで、投資信託を勧めているが、あれは詐欺同然。
この程度のことが、分別のありそうな?人たちが引っかかってしまう。
そこで、アベノミクスで株価を上げて、景気を煽る。所詮、こんなもの。
 手を引くなら今である。体制に従うしかない「畜群」には、無理だろうが!

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4532, 閑話小題 ーつまらん男
2013年08月13日(火)
  * つまらん男は私(お前)じゃないか
 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」
「嫌な奴」と自覚するようになった。色いろの経緯もあって、自己否定と、
それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。老年は誰も似たか
よったり? 相手を指摘するときの人差指の下の3本は自分の方を向いている。
親指は上を指しているが、親指が天の道理で、人先指は相手の指摘、他の三本
の指が自分のこと、になる。相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。
 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、
不条理の返り矢に当たった実直な人物に、励まそうと思って使った枕詞で、
大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。
この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する
自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。「つまらない男」
は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。
その直前に横の席に実家の老舗を倒産させてしまった人が、「倒産した
現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。
この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の
一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。もう一人の息子に恨まれるし、
継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。三羽の震災クラス
の黒鳥の到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。
下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを逆に黒コマと
して考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、第三者から
みれば自己詭弁でしかない。このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味
がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 
で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前!
人生の完成じゃないか。」である。 哲学で言う「承認」の言葉。 
それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は
当人にとって大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で
十二分に自覚はしているはずだが・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた
「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐しい!
【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の
 倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、個々人の関係における道徳性の再構築)
にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、
その中心は、承認関係に置かれている。】
ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー 
  ご先祖様、歪んだ私を助けて!