つれづれに

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 何やら、中途半端な天候のためか、外にも出れず…
春の風邪には注意しないと! 鶯も、その後、来ないまま
数日が経っている。

 





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・・・・・・

5486,人生で最も大切な技術 ー33 聞き、考え、瞑想する
2016年03月23日(水)
   『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 聞き、考え、瞑想する
「聞き、考え、瞑想する」の「聞き」を、「読み」に置換えてみると、
この随想日記は、「考え」のプロセスになり、その後、「瞑想」で血肉化する
ことになる。特に、数年前の同月同日のテーマを読返すことは、一度、記憶
から消えていることが多いため、新たな視線が瞑想かわりになる。得た知識、
情報を地頭で考えられるまでには、噛み砕く必要性があり、何度か考え、
かつ、瞑想する役割を果たしてくれる。 
  ~その辺りから~
≪ どのような分野の見習修行にも共通することだが、精神的な鍛錬に
 おいても、いくつもの段階を経て前進する。最初は師の教えを受け、次に、
その教えを自分のものとして吸収することが必要となる。生まれながらに
知識を備えた子供はいない。そして、体得した知識が、ほとんど開かれる
ことのない美しい装飾本のような無用の長物とならないよう、活用することを
心がけねばならない。教えられた知識の意味を深く考えることも大切である。
 釈迦は弟子たちにこう説いている。「私への尊敬の念だけで、私の教えを
鵜呑みにしてはならない。金の細工師が金を切り、熱し、叩いて調べるように、
私の教えを吟味し、試しなさい」。 師の教えを頭で把握するだけでは不十分。
それは、医者の処方箋を枕元に置きざりにするとか、「治った、治った」と
唱えることが、病気の治癒を意味しないのと同じこと。 学習した知識を、
心を流れる想念に一体化させ、包括的なものとしてまとめる作業が必要。
 こうすることで、頭の中で組み立てられた理論が、具体的な自己変革に
結びつく。これまでにも触れたように、これが瞑想の意味するものである。
 すなわち、これまでとは違う、新しい在り様に慣れ親しむことである。
瞑想を実践することで、親切、忍耐、寛容などのポジティプな特質が自然に
身についてくる。そして瞑想を続けることでは特質は強化されない。
 最初は短時間でもかまわないが、この訓練を規則正しく続けているうちに、
特質が自分のものとして同化し、隅々にまで浸透してゆき、ついには第二の
天性として習慣化するようになる。平常心を体得するための瞑想を続けるのも
いいだろう。それには、例えば、花、感情、アイデア、仏像などの対象を決め、
それに精神集中するという方法も推薦できる。最初は心がぐらつくかもしれ
ないが、訓練するうちに鎮められるようになるだろう。蝶が花から飛び立って
も、またその花に戻るように、精神集中に心を戻せるようになる。
退屈しつつも義務を果たす生徒になる必要はない。
 瞑想の目的は、弾力的で、安定していて、力強く、明晰で、しかも注意を
怠らない心の状態を維持できるようにすることである。瞑想の訓練とは、
勉強を嫌がって駄々をこねる子供を増長させるようなものでなく、心を放置
して台無しにしないで、変革のための有能な道具として鍛え上げることである。
 瞑想の仕上げの段階に到達したら、思考のべールの後ろ側に常に存在する、
純粋な気づきの状態、具体的には、自分が壮大な宇宙に存在するように、
心を完全に解き放った状態にする仕方で、あるいは、心をよぎる思考の本質を
つぶさに見つめる方法で、意識そのものを抽象的で概念的にではなく、直接に
凝視することができるようになる。瞑想方法は多様だが、どれもが内的変革
プロセスの一環という共通の機能を持っている。瞑想は、単に知性が反映
されるものではない。なぜなら瞑想とは、同一の内省的分析、同化の変革努力、
そして同一の熟考であり、それをたゆまず反復する経験である。 ≫ 
▼ 海外旅行での目的地までの列車や、飛行機内で、ひたすら黙想するが、
 これは、一種の瞑想である。行きの機内と列車内は、日常から非日常へ。
帰りは、非日常から日常への心の切替えと、旅行の総括のための沈思黙考
の場。「聞き、考え、瞑想する」ことは、体験を経験にかえるプロセスになる。
ー偶然だが、以下の内容につながる。~瞑想とは心が魂と一体化した状態。

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4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に
住む人たちは、直下型地震で不安だろう。震度7は、観測以来、神戸震災と
中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の
場合、なすスベがない。引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の
軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。勤務が東京で仕事上、
難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。夜間か土日の直下型地震
場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、
帰る家が残る。 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の
手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、非常事態の
刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 
決断を少し早めると打撃は半分で済むが、少し遅れると二倍になる経験則を
持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、
あの三月末しかなかった。 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、
奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 
冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで買ってくる「ウドンの素」
を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える
料理の紹介特集をしていた。鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、
生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシ
といえば、昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。
何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。家での隠し味は昆布の
出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 
以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を粒状にしたダシ専門
会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。
色いろなフリカケがスーパーに並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。
春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白い。
 
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3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
  * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。
  そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、
  経営の根幹に関わる問題になっている。物から人へと民主党の政策のため、
  今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、
  当てにしてきた飲食店も大打撃。駅前などの繁華街は閑散としており、
  入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンから電話があったが、
  「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで
  家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテル
  などが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12~16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、
  その何倍になる。国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。
  ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。

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2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? -2
2009年03月23日(月)
 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張って
いたが、出来なかったという。 それをキッカケに7~8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか
試したら、一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が
次々と起こってきたという。400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で
「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、調べた限りではなかった。これは簡単に論証
するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。
マギーが、その後の人生で寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。
もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 それを経験したことのない人や、
哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」を信じる人がいるとしたら、私の経験はウソ
と判断するはず。しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、数百分の一の
刹那であったし、それは夢ではなかった。「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。

 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をして
いるのであるが、そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な
論の推測を気楽にできることになる。 
 ーその後の推論は次のようになる
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、
意識の世界でコントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間で
あり、それは意識は捉えるには、その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の
瞬時の集まりが大きい。更にいうなら、無意識(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用で
コントロール出来るほど浅くはないのは経験済みである。その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しい
といってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が刻印されている。 ・・・・ 

 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。
「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。

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2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?3
2008年03月23日(日)
                 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険がないと
判断したためだろう。 真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげないだろう。
所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。 政治家は言葉である。
国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。
「VIP(大変重要な人物)が今、パリにおしのびでいらしていますが、
 最高に品格のある女性をと望まれています」その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしいパーフェクトな
 イギリス女性がおりますので、彼女を送ります」
翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。「クロード、大統領だったのよ」
「えっ、どこの?」と、地球の支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、ぼんやりと尋ねました。
ジョン・F・ケネディよ」「あら、ラッキーね」と一瞬、すらりとした彼の姿を想像しあがら答えました。
「彼、私と今夜も会いたいんですって」と動揺しながら、娘はつけ加えました。「それで私は彼に、多分ね」
と言ったのよ。彼は私が家族と一緒に住んでいて、いつでも自由なわけではないと思っているのよ」
私は指示(つまり彼らが支払うという)が出ているかどうかを調べるために、アメリカ大使館…に電話を
入れました。 大使館員は少し考えた後、「OK」と返答しました。大統領が滞在した一週間というもの、
同じシナリオが繰り返されました。ただ大統領の情熱と娘の情熱が、日に日に強くなる一方で、
支払い義務のある大使館の熱意は薄らいでゆくばかりという誤差はありましたが……。

フランス訪問を終え、彼はワシントンに向けて出発しました。娘は少しメランコリックになり、
アメリカに行くための航空券を送ることを彼が約束してくれた、と告白しました。
それには、私たちは笑ってしまいました。 誰でもが途方もないことを、約束するのです。
まばゆい時間が過ぎてしまうと、彼らは約束を忘れてしまうのが関の山でした。
ところが数週間たって、娘は航空券を受け取りました。私が大使館に電話すると、
「こうした行為のために、さらにお支払いをすることはいたしかねます」と、言われました。
娘も私もすぐ忘れ、そして数ヵ月がたちました。ある朝、電話で、謎めいたアメリカ人が、私に面会
を求めてきました。彼は、私の電話番号を大使館から聞き出すのに、苦労したと話していました。
ケネディ大統領と話していることに私が気づくまで、数秒間かかりました。
まず彼に、私は誰ともお目にかからないということをお話ししました。
でも、彼はしつこく頼んできました。最後には、彼の押しと魅力に負けて、OKをしてしまいました。

一時間後、どきどきしながらドアを開けると、まるで双子のようによく似た二人の大男が立っていました。
名刺を手にして、彼らは大統領をガードするための特殊警護班に属していると告げました。
そして家の中を少し見せてもらえると嬉しいと言いました。 
少しためらいはありましたが、彼らを案内しました。数分たってから二度目のドアのベルが鳴りました。
ドアの前に、最初の二人によく似た三番目の男が立っていました。
「私をFBI全員に引き合わせるつもりかしら」と、私は驚き半分で考えました。
若い男が身を引くと、後ろに大統領が立っていました。彼は楽しそうに、でもはっきりと言いました。
「私を、一人のに娘に夢中にさせ、そして、彼女が大使のガールフレンドだということを信じさせて
くれた有名なマダムにお会いしたいと思っていました」「ええ、彼女ほ大使の姪で、美しくていい娘です。
どこの国の大使かは申しませんが」と、私も言い返しました。私たちはどっと笑いました。今でもあれほど
素敵でチャーミングな、そしてあれほどまでに悲しい運命にあった男性と、ともに分かち合った笑いを
思い出すのです。
 ーー
 これを読んでいると、本当と思われるが、マリリン・モンローとも浮名も本当だったのだろうか?

・・・・・・・・・・
2007年03月23日(金)
2180, 14歳の君へ ?2 
              オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
             ー 読書日記
ー勉学ー についてが、考えさせられる内容である。
私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。何ゆえかというと、知った分だけ自分が
広がっていく実感と、充実感がよいから意欲がわくためである。それと、このHPを持ったことも含め、
情報環境が飛躍的に良くなったことである。この20年近く秘境・異境に行きつづけて、大自然や異境
の文化・文明との出会い、感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。その困難性や
ハプニングの中にこそ、味わいがある。ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。
企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り」の二週間のバスツアー。
旅なれない個人の企画の旅より、20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、
最大限の観光が可能となる。またケニアタンザニアなど個人では危険があまりにも多すぎる。
そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。
勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは、同じである。勉学の目的
「賢くなるため学ぶ」ことである。  目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に
入ることではない。良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、賢さの意味や、手法・手順が
身に付くが、しかし目的(地)ではない。そのプロセスこそ重要ということでは、旅の道程を楽しむ
ことに似ている。

ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー
ー「14歳の君へ」から
P-60
「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」ということだね。
だけど、「賢い」というのは、そういうこじゃない。たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに
活用するものなのか、なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、そういう問いをもっていることだ。
問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、なぜ帝国は滅んで
しまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうことだったのか、そういう問いをもって、
それを自分で考えることだ。教わったことについて自分で考えることことだ。君は授業で教わったことを
自分で考えたことがありますか。・・(中略)自分で考えたことは、決して忘れることがない。その人
の血肉になり、本当の知識になって、その人のものになるのだ。人が賢くなるということは、こういう
ことだ。言葉はなぜ活用するのかを考えるということは、自分がふだん使っているこの言葉について
考えることだし、ローマ帝国の崩壊と人々について考えるということは、同じ人間としての自分の心や
行為について考えることだ。考えるということは、必ず、自分のこととして考えるということだ。
すべて自分に関係のあることとして考えるということなんだ。

P-65
(字数の関係でカット2009年03月23日)
ーーー
解) 14歳の子供に説教するのだから、わかりやすく、かつ面白くなければならない。
それも勉学の必要性を砕いて説かないのだから、哲学者の真骨頂になる部分である。
このような情報化の時代であるからこそ、「知性」が問題になるのである。問を持ち、答えを求める姿勢
こそ、学問から得る最大の習性である。それが知性となり、教養となっていく。「知るということは、
賢い人生を生きるため」と、言われてみて、果たして私の人生は賢い人生だったのだろうか?と、問い直して
みると、反省すること大である。もちろん、私は賢い人生を過ごしてきましたと思ったとしたら、間違いなく
バカの人生を過ごしてきた!という逆になってしまう。
「まあ、いいか!こんなものか!」と、独りブツブツ言うしかないか!
賢いとは、いま思いつく解釈は、「ものごとの本質を、一瞬で読み取る感覚、能力」
「感動、感激をする能力のある人」である。それと、「主体性のある人」である。
                                 ¥(*^_^*)\ バイバイ 
・・・・・・・・
2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見
         ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
  ーまずは、その内容を紹介してみるー
 (字数の関係でカット2008年03月23日)

 ・・・・・・・・ 
 2005年03月23日(水)
1450, 書く(一人、語る)ということ ?2

このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。
よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位のインパクトがあった。
書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。
20代前半の日記を読んでみると、書き残すという意味と必要性が解る。
問題はその後書き続けてなかったことである。書き続けていれば、人生は全く違ったものになっていた。
日記など、自分の考えを書き続けている人は1?しかいないという。それだけ自分の気持を
書き連ねることは大変なことである。記憶として思い出したくないことが人生には多いからだ。

随想日記は、考える生活、語る人生への転換であった。
(それまでも少しはあったが、毎日書き出すことはしてなかった。)
・考えることが少ない生活から、 考える生活へ
・必要なことを求める生活から、  知を求める生活へ
・役立つものを価値としいた生活から、目先は役立たない価値を求める生活へ
・常識に従う生活から、        常識を疑う生活へ
・実生活の利害から物事をみる見方から、 真実を見ようとする生活へ
・日常の会話重視から、          哲学的論理を重視する生活へ
 と変わっていった。  

これは一般社会の見方を根底から否定することになる。
それ以上に自分の知識欲求が、日にちを重ねれば重ねるほど大きくなっていくほうが素晴らしい。
しかし、興味本位でみている人は少しは納得はするが?、何か可笑しな戯言に思えるだろう。
過去の天才を調べると、共通点は日記や、詩、手紙などに自分の気持や考えを雄弁に書いていたという。
天才などなりたくもないし、なれるわけがないが、脳の基礎構造を拡大している実感がする。
4年間書き続けてみて、内面のコペルニクス的な大転換を経験している。おそらく、このペースで
あと6年間ー合計10年続けたら、何かが爆発する予測はできるが、それが具体的に何かはわからない。

一昨日、NHKの「クローズアップ現代」で、‘最近の若者が気楽に小説を書くようになった’という
特集をしていた。全く、他の本を読んだことがない若者が芥川賞をとってしまうのだ。
携帯やパソコンでメールをしているので、いつの間にか文章力、表現力がついてしまっている。
おまけにインターネットやゲームで感覚が研ぎ澄まされている。彼らの文化もチャンとできている。
言葉とイメージは人間に対し、神が与えた最大の能力(脳力)である。

0・・・・・・・・
2004年03月23日(火)
1085, 「80対20」革命 ?3 (読書日記)

現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。
               (字数の関係でカット2008年03月23日)
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2003年3月23日 718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
   
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。
誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、と思わせる言葉だ。
こう言っている人はどんな人かと想像を刺激する言葉に満ちている。
普段バカ話を話している時、こんな事をいつもいっていし、高尚な哲学の話より
ずっと親近感を感じる内容だ。  こうなると言葉の収集家といってよい。

ーまえがきー の一部
考えてみると老人たちが何げなくつぶやく「道家」も、江戸時代の「無名人命語録」だ。
 少し並べてみる
:堪忍袋の袋を常に首にかけ 破れたら縫え破れたら縫え
:今日ほめて明日悪く言う人の口 泣くも笑うも嘘の世の中
:ぶらぶらと暮らすようでも瓢箪は 胸のあたりにしめくくりあり
:手や足の汚れは常に洗えども 心の垢を洗う人はなし
・「若い奴には教養がないっていいますが、その教養を身につける素養というものがありませんねェ」
・「美人の浮気を不倫というの、ブスの浮気は不貞というの。・・・これも美輪明宏語録」
・「美輪明宏が言っていたけど、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れる」
・「夫婦喧嘩しててね、ダンナ言葉の言葉に、お国訛りが出てきたらそろそろ注意するの。
  訛ったら、その次は暴力なの。だから、相手の言葉遣いをよく聞くようになちゃった」
・「良く風呂が熱いと文句をいただくんですけど、私どものように団体の多い温泉宿は
  風呂を熱くしておきませんと、とても汚れがひどくてねェ。ほどよい湯加減ですと、
  どうしても浴槽の中で身体をこすります。この汚れがバカになりませんので」
・「生きにくい世の中ってのはわかるけれど、死ににくい世の中でもあるんですよね」は、
  病床の爺さん?。
・「旅行をリョコウって読まないでさ、リョギョウって読めば、少しは厳しい感じが
  するけれどね……」は、ツアーコンダクターが言いそうな気がする。
・「死刑囚には/最後にタバコをすすめるのですが、/肺癌になるからと断って/刑場に
  向かった男がいましたよ」
・「日本人妻という言葉があるのに日本人夫と言わないのは何故ですかね。」
・「暴力団がいなくなるようだったら、もうその町は活気が無いってことです。」
・「住宅ローンのこと、子どもの受験のこと、親の介護のこと、そして女房のことを考えて
  いるうちに自殺しちゃったんだって・・・・。/駄目だよ、バラバラに考えなきゃ。」
・「生きるということは、/生き残るということです。」
 「面白い話はいくらでもある。/でも、面白い話し方は滅多にない」
・「しなやか、したたか、つややか、この三つ、これが長持ちするコツだすな」
 『無名人名語録』  永六輔 
  2003年03月10日  長岡中央図書館
 
・・・・・・・
2002年3月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ

心理学でいうシンクロニシティーである。今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
居間の時計も9時16分で止まっていたのだ。寝室の時計で6時過ぎである事は確かである。
現在は6時21分のはずである。腕時計を見たら、9時21分になっていた。
ウソじゃないか!ウソじゃない!そうすると3っの時間が9時16分に一緒になっていた事になる。
台所の時計は止まり、居間の時計は現在9時35分でどういう訳か今動いている。
腕時計を今見ると9時35分である。(16分から19分たって35分になっていた為、時間が違う)
シンクロニシテーが起こったのだ! TVをつけたら9時35分であった。4っつ目の偶然の一致?
いや寝室の目覚ましが壊れていたのだ。お粗末!これが時差ぼけだ。家内は今も寝ている。それに
しても朝4時に目覚ましを見たとき、いやに明るかった!それに何の疑問を持たないのが時差ぼけ。
 たった今起きた小さい迷事件である。