つれづれに

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大相撲の初場所も終わり、平々凡々の日々が始まった。
2月になると、プロ野球の開幕につれて、春のキャンプの
様子が入ってくる。 巨人が大幅な入れ替えを計ったが、
如何だろう? 駄目か? 監督を変えないと! 
 春の甲子園に向けた動きも出てくる時節。


 



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2016年01月31日(日)
5434,人生で最も大切な技術 ー⑭
    『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール  
  * エゴの対応
 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め
ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。
スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている
のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを
こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。
 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、
ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、
目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。
それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、
内容は誰も同じような自問自答?  ~その辺りから~ 
≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で
自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。
対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に
精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、
「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。
教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者
がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。
これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。
 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。
これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、
まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気
づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係
ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地
からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを
希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」
と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。
▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、
 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。
 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの
対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。
 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。
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2015年01月31日(土)
5070,閑話小題 ~夜明けのスキャット
 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章
≪ 0~4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。
 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、
先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを
持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ
を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、
目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の
光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 
「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、
実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 
ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、
私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? 
というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、
光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ
ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう
不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・
 ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。
~これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 
 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫
▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、
横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。
その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 
面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、
際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは?
 そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ
直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け
止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた?
ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、
三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 
その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症?

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3963, 貧乏ばあさん
2012年01月31日(火)
     「 女一生の働き方 」―貧乏ばあさん(BB)から働く
              ハッピーばあさん(HB)へ ―樋口恵子(著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピーでは
ない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと楽しくはないようだ。が、その中で
ドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在しているようだ。そこそこ
蓄えと、知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。その辺を
バランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知って
いますか? そう、日本の高齢女性は、実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかり。 
日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、夫の
転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。 さらに、
多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど雇用が不安定なため、年金をはじめ
とする社会保障につなが りにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! そこそ「BB」
(貧乏ばあさん)に甘んじていないで、自らの手で幸せをつかみとる「HB」
(働くハッピーばあ さん)になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちには
ないスキルがいっぱい。老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして
見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。
本書では、人生100年時代を迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に
迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。また、複雑でよくわからない
年金システムや、それにまつわる矛盾も本書を読めばよくわかります。≫

▼ 世界一の長寿国になった日本。 平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳
 という。その中でリッチの年寄りは僅かであり、男より7歳も長生きする女性は、
収入は僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」と
いう言葉が生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリ
の6~8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。しかし、その中にあって人生の
過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが多く見られるという。
  本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、
その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
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2011年01月31日(月)
3598、 閑話小題
  * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は
自殺率はどの位かと調べてみた。以前にも書いたことがあるが、一位から四位が
旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。ちなみに韓国が日本の八割
で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、イギリスが三割で52位。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。日本のGDPは中国に抜かれた
としても世界第三位。旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。北欧の自殺率が
大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに直面してないこと
が重なっているため。 日本の自殺率の多さは北欧病に似ているためか? 
日本の都道府県では秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では
新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、飛び火
が中国全土に全土デモが広がり、(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など
2~3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)
が山のように積み上がっている。それがネットで瞬く間に突然、火を噴く可能性が。
「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。それも
入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が理解できる。
この見方も決してオーバーでない。」という脳の奥からの言葉が不気味に湧き出る。
ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ消滅を始めてきた。20万年前に
道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、人間は他の動物から違う歩みを始めた。
これから人類に数百年先が存在しているかどうかだが、その時点から現在が、
人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? !
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2010年01月31日(日)
3233, 死は‘別れ’のとき ー2
   * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15~6人位。
通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22~3名。 それぞれが
背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。高校の同級生の葬式
といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。ところで葬式で、
火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。実は、この場面の立会いが
好きである。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。故人の奥さん
の絶叫が涙を誘った。御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。
「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。ありがとう。ありがとう。
ありがとうございました。 ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に
家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に「いや、入れないで!」
と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、 その場面に立ち会ってきたが、 
これほどの感動的な悲しい場面は初めて。会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんで
いた。奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの
帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。自分の家族に、果たしてこんなことを
言ってもらえるだろうか。 無いだろう!ところで、本人の死に顔は気の毒なほど
やつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。  ご冥福を! 
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2009年01月31日(土)
2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると -2
63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。
その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、その度に色いろな人との出会いが
あった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。
断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。「父が現在の私の年齢の時には
私が22歳。そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。
9,18、27、36、45、54、63歳である。この時期に大きな節目に
なっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への
御門が待っているか? それとも今年?  
 ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー     なるほど上は空
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始まる時。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って
         直線に差し掛かる時期。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。
1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されて。、学ぶ時期。
 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージ
すればよい。地下は母親の胎内?、それとも姉・兄?基礎構造は家庭、そして祖先。 
だから家庭は大事になる。 しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分
だから難しい。相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。
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2008年01月31日(木)
2493, 読書の腕前 -1         [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、
何度も肯いた。
 ーー
 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って
流されている。中には錨を下ろしている舟がある。川の流れを時の流れ、舟を
人生にたとえたらいいだろうか。そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、
川の流れを感じるようなものだ。川は永遠に流れていく。水がある限り、流れること
をやめようとしない。そんな悠久の流れを、ひととき止めたりを舟の中で感じる。
本を読むということは、そういうものだと思っている。
▼ 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの
 内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / 
ある日/ ゴヤファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」
「生きるとは / ゴヤファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
▼ 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換え
 られなかったのか。そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま
気づいたことに驚いている。ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。
だから、明日からも同じように生きていく。
▼「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います」色川武大
「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかも
 しれない」遠藤周作
「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎
 本は膨大な人間のモデルを提供してくれ、しかも、相手の忖度を気にせず、
 思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる。
▼ 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、という
 ことになったら、それは何か」と、同年代の友人たちと、あるとき話題になった。
さまざまな意見が飛び出した。いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて
山頭火になる・・。しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
□ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインター
 ネットという手段が出てきたが、それでもジックリと他者と対話が出来る
のは本。この本も直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだ面白い箇所が多数ある。
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2007年01月31日(水)
2129, 熟年離婚とセックス        Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!
 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、
熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。55歳あたりから急激な
精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在の喪失の感覚になり
かけて焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか?   
こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。
といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという男の暗黙のルールがある。
「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから
丁度良いタイミングであった。少し際どい?が、男にとって切実の問題である。
このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー                   
    (字数制限のためカット2011年1月31日)
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 2006年01月31日(火)
1764, 袖に涙のかかるとき・・
「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。
リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから深く魂に響いてくる。深い心
の底から、人間を健常者では知りえない世界を、見つめている。そして「生きて
いる、それだけで素晴らしい!」ことを知っている。実際に絶望の淵に立た
なければ、その言葉の奥行きは解らない。
  * あるHPの ー心に残る名句名言集ーより
リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた 
”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。
-字数の関係でカット(2012年01月31日カット)
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2005年01月31日(月)
1399, NHKと朝日新聞
 昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方
が正しい。予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が
口を出すのは当たり前。と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。
問題は政治的圧力をかけたことが悪い。しかし今は時代が変わってしまった。
自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。
  -字数の関係でカット(2008年01月31日カット)
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2004年01月31日(土)
1032、「リクルートナレッジマネジメント
  ー読書日記ー1      
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
それだけインパクトの強い内容であった。現場からの視点でつくりあげた
イントラネットの一つのカタチとしての 凄みを感じとることができた。 
「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。 
サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 
    (2008年01月31日カット)
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2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記
  ー読書日記帳の基本パターンはー   「成功する読書日記」 著者 鹿島茂
  ーこの本の引用とレジェメー
これに書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。
とりあえずこれを続けることに意味がある。        
・量がたまってきたら,しめたものである。  
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて
 何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ       
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、
 むしろ「収集」しているのではないかという感覚になる。ある程度の量になると
 それがジャンル別になってくる。そうすると体系化への志向が生まれ、それ自身が
意思を持ち始める。コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。
読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが「開かれる」という
現象が起こってくる。一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じり
こんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンル
ができると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。SF小説、冒険小説、
推理小説、時代小説などなど。そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。量がある域を超える
と「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。この量を超えて「質」を掴めた
ということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。「量」というのは、
思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。「量」を
こなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを書庫
代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
 ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに
驚いた。アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロードオセアニア
イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。そして今度はどこのジャンル
のどこにしようかという見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの
類似と差異を見たり、アフリカだったら、ケニアタンザニアの差異と類似が
見えてくる。その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。
この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や映画日記をつけ
なかったか今更悔やまれる。こういう本の存在を見つけられなかったからだ。実際に
何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に気をとられてしまい、
そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。でも、読んだ本と、著者、出版社、
買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。
この習慣は必ず身につけることを誓う!!
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2002年01月31日(木)
 317,あだ名
中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。私は「ハチ」である。
小学校は「八ちゃん」である。ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」と
いった。全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。無口の愚直の味のある男
で「おいら」というあだ名がピッタシ。
-字数の関係でカット(2012年01月31日カット)・
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1月31日 金曜日 1969年
8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。
武沢先生の授業はこれでおしまいである。ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。
彼はこのところ角が取れてきた。面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、
一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で彼女の家に泊まってきた。その後、どう
なったか聞いてないが、行動力は凄い。午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。
途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。武澤先生が比較社会主義的発想
と問題中心主義的発想について語られた。面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。それを前面に出して発揮
しなくてはならない。面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。一歩足を
出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。栄光の未来と前途に行こう!
さて、今日は事務管理しかできなかった。明日は価格理論と事務管理である。
予定として、10時起床、2時まで人事管理。15時から18時まで人事管理。