つれづれに

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 日産のコーン会長が逮捕とね~
このクラスになると、逮捕など有得ないと思っていたが…
あるんだ! 明日の随想日記の丁度良いネタだ!




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5728、閑話小題 ~大相撲・つれづれに
2016年11月20日(日)
   * 5歳頃の大相撲と、その変遷
 大相撲、九州場所中だが、白鵬も黄昏時期になり世代交代時期に入った中、
八百長も少なくなり、面白いユニークな力士同士取組の妙が実に面白い。
時々の顔になる横綱と、周辺の力士の素材が、勝負の質を決めている。
 私の生家が長岡駅前だったこともあり、父親が太平洋戦争終戦の焼跡に、
個人名義では全国初の4階建てビルを建てた。昭和26年の頃である。
周囲に高い建物が無かったこともあり、巡業になると、2人のヤッコ姿の男
が二人、棒に吊るした太鼓を叩いて街中を練り歩き、最後に、実家の屋上で、
数時間叩いていたのを記憶している。
 当時の地方都市の娯楽は、ラジオの歌番組と、大相撲放送と、地方巡業と、
プロレス興業と、映画ぐらい。 野球は、まだ都会の娯楽という感があった。 
店の屋上を貸した見返りに貰った地方巡業のタダ券を持った父親と、何回か、
近くの阪之上小学校の運動場に設置されたテント内の土俵周りに連れていって
もらっったが、その観戦の面白かったこと、ワンダーランドを覗き見る思い
だった。吉葉山千代の山、三根山などの姿が目に今でも焼き付いている。
幼児だったこともあって、力士の図体が山のように大きく見えていた。
それと、酔客の惚けたヤジが子供ながら、大笑いをしていた。
 当時、本場所に入ると、実家の商店内には大相撲放送が流れていて、子供
ながら手に汗をにじませ聴いていた。それが、中二の頃からテレビ放送の実況
放送になって、ますます興味を持つようになった。初代・若乃花の頃である。
それも上京してからは、興味は半減していた。
 吉葉山千代の山鏡里栃錦若乃花大鵬柏戸と、その主役が、
時代と共に変わっていった。人気という点では初代若乃花が群を抜いていた。
力量では、北の湖朝青龍白鵬。人品、風格を含めたら、大鵬が抜群である。
 記憶に鮮明に残っている取組は、千秋楽での、栃若の全勝決戦。これは、
全国的な盛り上がりで、現在では考えられない素朴な良き時代?
 幼児期の生活環境は、刺激的で、生々しい日々であった。
その「三つ子の魂百まで」の延長が、今でも続いている? 
<列車の路線は真面目に正攻(成功)法に。列車内は面白可笑しく遊ぶ。>
「死んでしまえば、はい(灰)、それまでよ!」の、今日この頃。
 で、今場所の豪栄道 どうなる? 駄目! 他の力士が順調過ぎる。
潮流は、
・最近の大卒4人衆<正代、御嶽海、北勝富士、小柳>に、遠藤を加え、
 石浦、宇良など学生相撲出身の次世代力士群と、
・モンゴル力士などの外国人力士群と、
・叩き上げ力士群、との三つ巴の目に見えぬ情動の妙が面白くなる。
書いていて、何か年寄っぽくなっている自分に気づく。歳にはかてないのか!
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5363,閑話小題  ~文明の相克
2015年11月20日(金)
   * 文明の相克
 今年も、あと一月足らずだが、やはりISのテロ関連が中心であった。
1月と11月のパリのテロと、ロシア機への爆発テロなど戦争の様相である。
さらにISなどシリア内戦で700万人が難民なり、その何割かが大挙、欧州に
押し寄せている。そこにISのテロリストが紛れ込むため、問題は複雑。
その対処に、欧州の安全がゆれだした。20数年前に、エジプトに初めて
行った時、若い女性の日本人現地ガイドが、空港からホテルに向かうバス
で言った注意が、鮮烈だった。
《エジプトはイスラム圏で、欧米文明の常識とは根本から違います。
これから今までの常識を捨ててください。イスラムは、金持ち、力ある者が、
ない人に何かを与えるのは至極当り前のこと。今日からラマダンが始り、
日中の断食に入りますが、全員がイライラの極み。日本人への釣銭は、ほぼ、
まともに返しません。「騙すより騙される方が悪い」のがイスラムです。
いちいち、それに腹を立てていては、せっかくの旅行がダイナシになります。
女性や、子供を褒めてはなりません。褒めると、それは欲しいと同じ意味に
受止められます。とにかく、ここは別世界、注意をして下さい!》 
 そのイスラム教徒が、欧米世界に大挙して押し寄せたら、摩擦が起きる
のは火をみるより明らか。グローバル化で、文明同士の争い、キリスト教
イスラム教の争いは、より深刻になっていく。欧州に逃れたイスラム教徒は、
自由、平等、博愛の精神に自分たちが当て嵌められないことに、不満を持ち、
それが相克になっていく。今までは、国という括りで、隔離されていた人たち
が、欧州の文明の中に一挙に混入すれば、文明の相克が日々の生活の中で、
直に生じてくる。それにネット社会が、それぞれの絆を、より強固にする
ため、その対立は、より深刻になる。もし、日本に、某国の難民が10万人
単位で大挙して押し寄せてきたら、大混乱する。それが、欧州で現実に起きて
いる。情報化社会でネット難民を生んでいるが、これこそ文明の相克!で、
 以下のテーマにつながっていく。ネット世間が、そこにも存在する。

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3526, 死に至る地球経済   ー2
2010年11月20日(土)
           「死に至る地球経済」 浜矩子 著   
   ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー
 今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。来年から再来年に、一番底が来るのは流れから
みて当然。 そして、その後に数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたに
なされないまま、銀行、企業、自治体などに塩漬けにされている。しかし、そのままにしてはおけない。
   ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■
* 「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に足がつかないまま、無理
  して舞い上がることを強要された恰好で推移してきた。このリーマン・ショックをもたらした諸々の
  歪みを是正され修正されるプロセスを貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。
  二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、一度は活力を取り戻して谷底から這い上がった
  のに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。今回のは、谷に落ちていく途中で、つかの間の踊り場が
  人為的に繰り出されて一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。
  そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」の苦肉の言い回しが、
  この厳しさを実によく言い表している。
* PIGSポルトガルアイルランドギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」
* アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と「キリギリスの政府」
  と喩えられ、「アリギリス」だ。 アメリカは、これからアリギリスを目指そうと言うが・・・
* 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。
*「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を増やすが、各国が密接に関連
  している世界経済では、巡り巡って自国への強烈なカウンターパンチとなりかねない
* ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。それは選択の技である。 
  選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。二つに一つだ」(61-2頁)
  ーー
 [既に起こってしまった現実」で、リーマン・ショックという大地震は発生してしまったのである。
 その津波が、数年後に大きくなって我われを襲うのである。 解決策は無いから始末の悪いのである。
 昔は戦争で一度ゼロベースから建て直しをしてきたが、現代では、これは不可能。
 だから金融を武器にした戦争が始っている。勝者はユダヤ系資本で、敗者は弱体化した国々である。
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3151、災害で助かる人、助からない人
 2009年11月20日(金)
 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で7人が死傷したが、
色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に地震や火災などに遭遇したとき、
人はどのような心理状態で行動するのか? まず、どちらが正しいか?という質問。
 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 
  答えは2という日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は速やかな
避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与えるために状況の深刻さを軽めに伝え、
その結果、手遅れとなることもある。一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重なら
ない限りパニックなど起きないという。過去の大災害時に助かった人で、一番死亡しやすいのは年齢
の高い「男性単身者」。逆に一番助かりやすいのは「家族」で、行動を共にする人がいること。 
また若い人ほど生存確率は高い。家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍
にも高めるということ。マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの避難行動を取る
傾向があり、助かりやすく、また金持ちほど助かりやすいデータもある。大金を残して死ねるかという
執念があるからか。状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるかどうか
が分かれ目になる。少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める効果がある。
神戸の震災は復興はしたが、経済的な後退感は否めない。それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。
逆に関東大震災の東京は、それを機に都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することが
できたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、衰退期の災害は一層の衰退につながる。 
人生も事業も同じようなものか。飛行機事故で数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしている
のにお気づきですか。
 :天声人語に以下のような文章があった; 
 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、駐車場に停まっていた
キャンピングカーを貫通した
◆車で日本全国を廻ることを“晩年の糧”にしていた筒井さんは、ボランティア活動にも積極的に参加、
周囲からも慕われていた。事故当日、富士山に登るため現場に着いた筒井さんは、天候が悪かったので
車を駐車場に止めて待機していた時、事故に遭った。天候が良かったのなら…無念すぎる偶然である
◆落石は、偶然が重なったところの、数万、数百万分の一の確率で起きた事故。しかし、落石の位置と
タイミングは、まるで、筒井さんに照準を合わせたかのように…“正確”に筒井さんを襲った。
もし、落石が20センチ、30センチでもずれていたら或いは、助かっていたかもしれないのに…
◆先日、イエメン航空機がインド洋に墜落、乗客乗員合わせ153人が絶望視された。ところが、
13歳の少女が、奇跡的に救助された。闇夜の荒れた海、少女は遺体や機体の残がいの間で発見された。
救助チームの責任者は、「これは奇跡ではなく、神の意思としか思えない」と語った
◆思いもよらない場所で落石にあって死ぬ人、一万メートルの上空から墜落した飛行機事故で助かる人、
中には、何千、何億分の一の確率で「生死」を左右する事故も、少なくない。すべては“偶然”なのだろう。
しかし、そこには、偶然ではない力…運命を操っている存在が“偶然”を演じさせいる?ような
気がしてならない。
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2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
 2008年11月20日(木)
ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉拘置所に拘束されていた。
その間、私を悩ませた課題は「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。その中で私を惑動させたのは、
宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言であった。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化。
個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。 〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 朝から二度倒れ、四度嘔吐した。
その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。   年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つであることを直感したのだ。
エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で体験したのである。そして平成十六年九月一日、
私は静岡刑務所の独房の中で、自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の
疑問があっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に生まれて来た、
ということだった。】
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 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と違うところは、そのコンセプト
のもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。
‘ゲームとは、到達地点を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、味わうかにある。 
それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】という一休の詩がある。
せっかく、客として呼ばれたからには、この世の人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐が
ないじゃないか!ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や悲しみ、
というのが少しは分かるが。
    4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
    3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
    2階:獲得した「快」を永続させる。
    1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   何か際どい話になってきたが。
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2007年11月20日(火)
2421, 閑話小題             ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 *携帯電話・パソコンが変えたこと
 (字数制限のためカット 09年11月20日)
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2006年11月20日(月)
2057, あたりまえなことばかり -11
  オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン! -読書日記
「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在して
いるのだろう。60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、永遠は「いま、ここ」に
しかないというし、人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、
人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。
先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、ここで気づいている愚かさ! 
そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの
時間ではない。永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる! なるほど、その通りである。
我を忘れるほどの感動の、あの瞬間! 縦に立ち上がっていた! 永遠に今も続いている。
 薬物でもできそうだが・・・   それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう!
        **** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪
  ーー
  * 死ぬことは不幸なことか 
人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として対象化されているという
事実を端的に示している。 観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。 
多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、そのまま長く思い込んできた、
未だ気づかない間違いが、ここにある。考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのこと
によって、死は常に観念となるという事実。観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。
しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。死ぬのは常に他人であるという事実に
ついて考えてみる。他人の死は自分の死ではない、そこにも自分の死は、存在してない。人は、他人が
死ぬのを見て、死を観念として対象化し、それを自分に類推して、自分の死が現実に存在すると、思い
込んでいるに過ぎない。ここでもあくまで観念でしかない。笑うべきことだが、自分の死を考えようと
して与えられている思考の真空、自分がいないとということを、考えている当の自分に、どうして考える
ことができるのだろうか!かくして、哲学が誕生することになる。精神は思考することによって、生物体
としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る、だから、考えることこそが、善く生きるということなのだ。
おそらく生物に存在するのは生存本能であって、死の恐怖ではない。生きようとするために死を避ける
のであって、死を避けるために生きているわけではない。人間という生物においてのみそこが転倒して
いるのは、自ら課した観念による錯覚のためで、人間は動物のように、十全には生きてはいない。
それ自体で転倒している死への恐怖を逆手に取り、再び大きく転倒させるものが宗教である。あるいは、
宗教は考えられないものとしての自分の死、思考の真空地帯のそこに、「死後」の絵を画く。あたかも
それが、生の続きのように。しかし「生の続き」としての「死後」とは、どのようなことでありえようか。
自分の死が観念としかあり得ないのだから、その「死後」というのも、文字通り観念としかあり得ないのは
自明なことだ。死が観念なら死後も観念である。ふと気づけば当たり前のことである。人が死と対になった
「死後」という観念から離れられないのは、真空への恐怖だけでなく、時間の一直線に前方に流れるもの
という時間認識の錯誤にもよるのではなかろうか。時間は一直線に前方に流れるという人々の表象の
原型となっているのは人は誕生から死へと向かう存在であるという人生の表象。人は、物理的肉体と
して生まれ、育ち、次第に老いて、次に死ぬ。時間は、そのような物理的現在、物理的瞬間の重なり
として表象されているのである。しかし、この時間表象によっては、決して表象されないときがある。
それが、それらを表象している正にこの現在、時間は一直線に前方に流れるものだと表象している
この瞬間である。
  (字数制限のためカット 2010年11月20日)
・・・・・・・・
2005年11月20日(日)
 1692, 二つのトッテ
「ものごとにはすべて、二つのトッテがある」という諺がよい。 (人`∀´)ィヒッ♪
 何ごとも両面がある(今さらだが、例えとして判りやすい)+面の取っ手を掴む癖をつけるかどうかで
 人生変わってくる。 私のみるところ、意識をしてプラスを掴むようにしている人は1割も満たない。
 平気でマイナスの取っ手を掴んでいる人をみると、その異様さに唖然とする。 家内にいわせると、
 おばさん系の地味な服装の人に多いという。話題に暗い話をするのが恒例になっていて、マイナスの話に
 快感を覚えているという。     ン・・ ヘロヘロ α~(´`d)ぱぁぁんちぃ   
「この人!マイナスのトッテを意識的に掴んでいるのではないか?」と確信してしまう人が多い。他人事
 ではないか? 弱者ほど、その傾向が強い。必ず対象のマイナスに気持ちがいっている反面「このプラス
 に隠れているマイナス面は何だろうか」を何度か自問しないと、とんでもない落とし穴にはまる危険が
 あることも確かだが。「良い言葉は、良い人生に導く」結局、上手くいってない人生の人は、内語に
 知らないうちにマイナストッテー言葉をつかっている。運命は我われに条件を与えているが、それを
 どう使うかで幸・不幸が分かれてくる。
                                   
 ・・・・・・・ 
2004年11月20日(土)
 1327, まさか、地元で大地震が!ー14
今回の損害は、おおよそ3兆円と発表された。
・インフラー高速道路、山間部の斜面などで、一兆二千億  ・民間家屋、7000億
・商工関係、3000億                   ・他    8000億 という。
阪神大震災兵庫県だけで9兆9000億というから、その三分の一の損害規模になる。
阪神大震災が都市型であるのに対して、中越地震は山間型地震の典型だ。
損壊した家屋が4万8千戸。そのうち全壊とほぼ全壊で2300戸という。現時点で、解雇が50社で420人。
この地震での事業への影響は、目先プラスであるが、当面の復興の為の応援が収まったときのことを考えると
背筋が寒くなる。長期的にみたら、この大震災は新潟県にとって大きなマイナスである。目先の資金の確保は
非常に楽になるが、消費マインドが冷え込む。ことの深刻さは、日が経つにつれて深くなってくる。
本当の問題が出てくるのは、これからである。ただ年内に新幹線が全面開通の見通しが経ったのが救いである。
・・・・・・・
2003年11月20日(木)
960, バードウオッチングの面々-3
字数の関係でカット(2007年11月19日)
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586, 不気味
- 2002年11月20日(水)
株が連日底割れをしている。 日経平均8千円割れも目前になってきた。さらに悪いのは銀行株の連日の
下げである。UFJみずほ銀行が50円額面で100円を割ってしまった。UFJが年内、みずほが来年
そうそう国家管理になるという噂も、現実味をおびてきた。昨日一日早く週刊朝日が手に入り、木村毅
銀行トップ批判の記事を読んだ。日本経済の実情は一般のマスコミが言っている以上に悲惨だ。団塊年代の
世代交代期と情報化による時代の変化が重なっている。これが今の日本の悲劇的のところだ。
先日もその世代の宿泊客の自殺未遂が自社ホテルであった。しかし不良会社の清算はしなくてはならない。
イラク戦争のドサクサでやってしまうのが政府の狙いだろう。次の朝鮮戦争?が控えているから、やはり
先倒しで?整理はしておいた方が良い。イヤやるべきだ!
装置産業の当事者として他人事ではない。 悲壮な話しだが暴風は覚悟はしなくてはならない。
今までが良い時代だったと割り切った方が良い。実際のところ来年は想像するのも恐ろしい。事業も社会情勢も。
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「233]」イチロウ
 - 2001年11月20日(火)
「今の天才と言われる新人類は,皆コンピューター付きマシーンを使っている」とメケメケの美輪?が言っていた。
バッテングマシーンに,何か工夫をしているのではないかとは思っていた。それが昨日のBSNHKのイチロウ特集で、
その秘密の一部を知る事が出来た。それは何か! 「テニスボールを投げ込むマシーン」であった。
それで230?のテニスボールを投げ込み、スピードに対し目を作ることと、反射の訓練をしていたのだ。
これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。スピードに目を慣らすのだ。実際に球がきた時に、緩く見えるまで
訓練するのである。そこに赤と黒で数字が書いてあった。 それが見えるまで訓練するのだろう。
バッテングと守備の捕球に対して、球の見極めができるよう訓練をしていた。 子供の時から、そのマシーンを
使っていたのではなかろうか。脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。脳作業もしっかりしていた。
もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!その上に努力を人一倍重ねたのだろう。
努力は誰もできる、ようはその方法を如何見つけるかだ。イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。
他にも彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。3年前に森監督の講演を聞いた時
「イチロウは王・長島とは格違いのレベル」と言っていた。そのとうりになってきた。
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ある時間の断片
 ー1968年11月20日(水曜日)
11時過ぎ起床。 14時に市川さんがくる、休みのようだ。 彼は早稲田を卒業をして、この春より医薬品メーカーに勤めている。
MEという職種で、医者病院まわりが仕事だという。この8ヶ月でまるで人が変わってしまった。お医者さんのオモリだそうだ。
勤めると彼のようになると思うと複雑な気持である。 すごく自分と性格が合うが、理工系で生真面目な人である。
その後、風呂に行き、Tvを見て食事をしたりしてすごす。22時から夜半の2時まで卒論のまとめをする。
もう市川さんのように社会に出なくてはならないのだ。最後の学生生活をもっと有意義に過ごさなくてはならない。
いい加減な生活だ。あと4ヶ月でジャスコオカダヤに就職だ。三重の四日市に行く事になるだろう。