つれづれに

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 今朝は曇天の中、何とか早朝のポタリング(ミニ・チャリ)をしてきた。
寒さもあってか、平日にしても人の姿は疎ら。 早朝のミニチャリも、
あと二週間?で、残りは午後から11月一杯で終了となる。




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4976,閑話小題 ~TVドラマのマッサンを見たことがある
2014年10月29日(水)
   * 面白い出会い 
 1967年の学生時代に、軽井沢・万平ホテルのレストランで、
NHK・朝ドラ「マッサン」を見たことがある。軽井沢友愛山荘のヘルパー
をしていたある日の午後、車で5分ほどの万平ホテルにコーヒーを飲みにいった
ところ、品の良さそうな老人が、秘書らしき人とコーヒーを飲んでいた。
近くの人が小声で、「あの人が、ニッカの創業者の竹鶴さんだよ」といって
いるのが聞こえてきた。二人とも黒のスーツにノーネクタイの白ワイシャツ姿。
品が良いが人を寄せ付けない空気が、その席に漂っていた。私の連れの話では、
奥さんがイギリス人で、数年前に亡くなったたという。当時も知名人だった。
まさか、47年後の朝ドラ主人公として、たち現れるとは思いもよらなかったが!
 懐かしい思い出の一コマであった。調べてみると、奥さんリタは1961年に、
マッサンは1979年に亡くなっていた。生まれが1894年というから、当時の年齢
は73歳。当時、かなりの年寄りに思えたのは、私が若かったため? ところで、
当時、親しくしていた友人を軽井沢に連れて行ったが、その後、軽井沢に別荘
を持ったという・・ その友人とは、卒業間際に大喧嘩をして、絶交状態? 
人生、色いろある。 所々にある大きな池と並木道を、山荘の宿泊客や、
同僚のホステラーと、早朝、歩いた良い思い出がある。学生時代には、将来の
手がかりも何もかも無かったが、背中に羽があるかのように飛び回っていた。
   * 家内が、ある会の議事録の筆記を頼まれて
 毎日、文章を十数年来、書いてきたこともあり、文章書には抵抗はないが、
家内にとって、議事録をまとめるのは初めての経験。必死の形相で四苦八苦。 
以前もイタリアのポンペイで迷子になった時の対処の礼に、機内で添乗員に
メモ書きに添えて礼金を渡すことにしたが、その文章が書けないという。
そこで、私が、家内にかわって書いたことがあったが・・ 
また、『どうしたら良いか?』というから、『上手く書こうと思うな。
雛形を探し、とにかく、拙速に書き上げること。問題は、その後の、書直しを、
何度かすること』と、答えた。 こういうのは、一気に書きあげるしかない。
この程度の随想日記でも、前日まで書上げた内容を、60~90分もかけ添削を
している。 そう簡単に、気持ちの入った文章など出来ようはずがない。
 何事にも、言えることだが。

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4234, プレイボーイの人生相談 ー2
2012年10月29日(月)

  今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って捨てるところが面白い。
   * 愛の本質とは?
● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。今まで3~4人、肉体関係の
 あった人がいますが、わたしの求める愛ではありませんでした。いまも一人の男性と、月に二~三回あって
 いるのてすが、彼と分かれたあとの何ともいえない むなしさはいったい、なんなのしょうか? 
  ―愛の本貿とは何んでしょうかー
◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。魂というものについて、まず考えなく
 てはならないのだ。君には、それを考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係
 を持つとは、驚くべきズベ公ぶりだ。行為そのものが、どうせ、二~三分の動物的なエンヤコラに相違ない。 
 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。まず阿保らしいセックスを中止して、愛するということは
 何かを知るために、名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。
 魂の美しさ、苦しさ、清らかさ、そして浄化を知るがよい。
   * 惚れて、許して、妊娠し…
● 私は十八歳の女子学生です。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。店のバーテンをどう
 しようもないほど好きになってしまいました。相手も私を思っているようなんです。でもその人は結婚して
 いるらしいのです。人の話を聞いたのだからハッキリわからないんだけれど、聞く勇気もありません。
 でも時々、彼にがらかわれているようにも思えるのです。 相手は遊びのつもりなのでしようか。
◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、すてられて、なかばヤケになって、
 新宿あたりの酒場のホステスになって、だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心
 を起して、いろいろの男から、金をひき出して、ついにその無理がたたって、ダマした男に殺されて、
 バラバラにされるかね。
―― 
▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、人生は生まれてくる。
いずれにしても、人生は真正面からぶつかるしかない。とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚い
のも考えもの。「小汚い人生を小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。
それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。
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3869, 地球の中心点からの声 
2011年10月29日(土)
   * 瞑想のヒント?
 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)に切り替えたが、それ以前は、
25年以上近くの土手を歩いていた。1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間
以上歩いてい時期もあった。しかし1時間も歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、何度かシャガミこむ。
その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。屈伸は10回ぐらい繰り返すと不思議と腰痛が引く。
ある時に思いついたのが、しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、そこからエネルギーを汲み
あげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に向かうイメージである。呼吸法など
の本から租借した呼吸法ということになる。その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 
しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、その呼吸法をすることはなかった。
ところが、昨日の朝、ポタリングの途中、信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の
中心点が頭に浮かんできて、呼びかけてきた。
《 ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。この一点の声を聞こえる奴は
 少ない。何時でもよい。目を瞑り、そのイメージを持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、
そのエネルギーを得ることが可能になる。まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ! 》と。 
本当の話である。 地球の大元に繋がる?イメージは面白い! もしかして頭が変になってきたか。元もと
変だから、何だろう。 内なる声なのか、はたまた妄想か。ただ、純粋にイメージを持てば、これは内なる
エネルギーの大元に繋がることになる?。 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも
鬱から躁への切り替え時のイメージか、これは。 呼吸をしてくれという身体の叫びが正体か。深呼吸は
意識的にしていたが、まだ足りないようだ。 毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。
 深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 
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3504, 10-10-10 ー④
2010年10月29日(金)
   「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」   スージーウェルチ (著)
 ここで多くの事例をあげて、3つのスパンで考える方法を教えている。
そこで自分の日常の小さな判断の経過をあげてみる。
▼(例)=今月は、どういう訳か飲む機会がなかった。そのためか帰りの新幹線車中で「さて今月は、外で
飲んでいない。酒の肴でも買って家に帰ろうか? 殿町にでも飲みに行こうか?」と誘惑の気持ちが出てきた、
とする。そこで、この3つのスパンで考える。≪ 店での二時間はストレス解消になる(短期)、しかし
酔った勢いで下手をすると数軒まわる可能性があり、明朝は後悔する(中期)、それも一週間後には全て
忘れている(長期?)。飲みに行けば明朝のウォーキングかサイクリングは中止になり、せっかくの
ゴールデンタイムが、二日酔いで帳消し。さて、どうするか。朝か、夜か? 一週間後には全く記憶の
彼方なら、帰るか ≫になる。これは数ヶ月に一度はある。以前は三度に一度は誰かに電話をしたが、今は
歳のせいか、ほぼ帰る。要は考えるという間で、衝動を抑えることができる。 事例としては、人生とは
違う内容だから相応しくないか。しかし、この本、久しぶりに頭がスカッとさせられた本である。 
再度、おさらいをすると、
【 紙とエンピツで、目の前の悩みや葛藤を自問形として書いてみる。<わたしは○○をすべきかどうか?>
 つまり、人生の様々な節目に現われてくる問題をまず自分に問いかけてみる。大切なのは、その決断を
下したら10分後、10ヶ月後、10年後(別に10の数字にこだわらなくともよい。一週間、半年、数年後でも
よい)の結果を予測することだ。予測は、ただの想像とは違う。目下の問題の充分の情報を集め、分析し、
客観的に見つめなおし初めて予測可能になる。その過程で、「自分の本心」と「価値観」が浮き彫りになり、
裸の自分と向き合うことになる。そこで、さらに「よりよい決断」をしたかどうかを、その過程で知る
ことになる。もし、そうでなかったら、そこで修正する。人間は誰も節目で同じように考えるのだろうが、
これを習慣化すれば、より深く考えることが容易になり、判断と決断が早まる。現在の恐慌?も、
「100年、250年、500年に一度のスパン」で捉えたり、「500年、1万年、20万年に一度のスパン」で
捉えたりすることもできる。この視点で過去を振りかえると、自分を見つめ直すきっかけになる。 
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3129,電気自動車の時代
 2009年10月29日(木)
先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。
以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」という内容の特集を組んでいたが、地球温暖化防止
のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車へ向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて
脱ガソリン車の開発・完成をした時にあらゆる妨害が入った。それを「誰が電気自動車を殺したのか」
というテーマのドキュメントも放送していた。石油業界にとって脱ガソリンは大打撃になる。が、温暖化
を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの動きと、電気自動車に社運を
かける日本メーカー日産の最前線の動きに密着する。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。
町工場が雨後のタケノコのように生まれ、今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいている。 
新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、自動車メーカーと市場争いを繰り広げるところも出てきた。
一方アメリカでは「グリーンニューディール」を推進するオバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレー
のIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを握ろうという動きが進んでいる。
これに対し、世界の自動車メーカーで初めて本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、ガソリン車
の購買層をターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電インフラ整備など
様々な課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、。 
  (字数制限のためカット 2011年10月29日)
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2764 ,ウォール街の魔女
 2008年10月29日(水)
  【産経抄】の10月25日のコラムが強烈である!
  関西で「がめついヤツ」とかいう三益愛子が主演していた演劇があったが、
 そのウォール街版である。 ここまで徹すれば、これまた御立派である。
  ーまずは、そのコピーから
 1世紀ばかり前の米国に「ウォール街の魔女」と呼ばれる女性がいた。へティ・グリーンという。
 父親の遺産をもとに株や債券、不動産に投資を続け、1916年に81歳で亡くなったとき、
 当時の金で1億ドルの財産を残した。 今のレートで100億円近い。
 ▼作家、ジェイ・ナッシュの『世界変人型録』という本によれば、彼女は金銭に関する第六感のような
  ものを持っていた。銀行の破綻や金融恐慌を巧みにかぎとりながら、稼ぎまくっり、さらに、大富豪
 にしては「常軌を逸した締まり屋」でもあったという。
 ▼20年間、同じ服を着てウォール街を歩き回り、決して車には乗らなかった。食事は安いレストラン
  ですまし、安下宿を転々とし週5ドル以上の家賃は払わなかった。読んだ新聞は息子に売りにいかせ、
  その息子がケガをしたときは、治療代をケチり片足を切断させられた。 
 (字数制限のためカット 2010年10月29日)
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2007年10月29日(月)
2400, こころの旅 ー4         (* ̄0 ̄)ノ 才八∃一 gozaimasu!
*まわり道*
 神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。同じような
事が、立花隆の文章にあった。「青年期の10年は潜伏期間、そこで何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。 
誰もが直線的な人生より、まわり道をする。が、問題はその道で如何に自分を培養するかである。
行ったきりの人生もあるが・・・ 精神喪失(精神病)や自殺は、その極端な例。一つや二つは、迷路の迷い
込み七転八倒した経験は人知れず持つのが人生。お伽噺や神話は、その理想の物語として我々に提示される。
  まわり道こそ、物語なのである。その時は辛く、激しく、情けなく、悲しいが、しかし真実と夢があった! 
逆にまわり道のない人生はそこに何の味わいがないだろう。 中学校の担任が定年の祝いの同級会の二次会で、
「オレの人生はなかった!両親が先生で、今も90歳近いのに矍鑠としている。そして二人のコントロール
にある」という言葉が重く聞こえた。   
   ーp.121ー
・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。「運命」と当面のしごとが要求
することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口があらわれてくることもある。
あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。けなげに目前の仕事に
励んでいる者は長い間、見捨てられているわけではない。いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生の
こころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが
後半生で充分生かされることが少なくない。人間は「ただではころばない」という芸当もできるのである。 
 落伍者のようにみえた青年の中から、のちにどれだけ個性豊かな人生を送る人がうまれたことであろう。
それは彼のこころの道中で、順調に行った人よりも多くの風景にせっし、多くの思いに心が肥沃にされ、深く
たがやされたためであろう。 そのためにやっと「わが道」にたどりついたとき、すらすらと一直線でそこに
来た人よりも独特なふくらみを持った、人のこころにせまる仕事をすることができるだろう。・・・」
ーー
人生60年余生きてきて、無駄なことは無かった!と実感。それも順境の時より、逆境の時の方が有益だった。
 「順境は枝を張れ、逆境は(枝葉を切って)根を張れ」というが。佐藤優の文章が心を打つのは、決して
奇麗事を書いているからではない、留置所の中で差し入れられた本を読み、考え、言葉を練りまわしていた
からである。そこを「勉強の場」として、割り切ったから。まわり道の中でこそ、個性ができるのである。  
                  honnja ヾ(・ω・`)ノバイ