つれづれに

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 日々、寒さが増している。あと一月近く、早朝のミニ・チャリ。
何とか続けるつもりだが… 今では3時半に起床し、『随想日記』を
書上げ、出かける。少し寒いと、日中に切替えるが、まだ大丈夫である。
 寒いほど、帰ってくるとスカッとする。

 昨日は、中古の一世代前のミニのiPadを購入。家内が、ほぼ現在の
iPadを使っているが、私専用の、カメラとメモ用にと… 

 さっそく、使いだしたが、軽くて便利である。新しいのが、クラウドで、
自動的にもう一台のミニiPadに連動するのがよい。実際のところ、その
便利さを知らなかった。




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3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)

 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、
「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから
言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、150あまりのショートストーリー、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、自分が、いま、ここに存在している
ことが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして
先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。そういう難しい話は、この本の本題ではない。
何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。
 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。
   ー かなりショートにまとめてみた。
* 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と
   鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多に
   みれるものでない。「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
* その頃の話、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、幼さの残って
   いるゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、
   その犬も右手、いや右足をあげた。オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。
* 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に
   雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に
   出くわした。 雀には、多くの仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。数分で、見届け
   ないで散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。 
  驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。とすると、初めての体験、経験は
 「嘘のような出会い」になる。
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3497, お金の教養 -3
2010年10月22日(金)
                    ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著
  * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を楽しむ
ことはできない。価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要である。
著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5~10倍の価値は充分にあった心底思っている。
飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。
土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、
それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。昼飯は消費。本は大部分は投資。週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費?
これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーン
は投資。 成るほど! 両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えと
いうこと。関西人は概ねこれに徹している。マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健
にする。金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている
時間や、健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、あれは
良かったと思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると、面白い。
長期的投資と短期投資にも分けられる。 浪費が入った三つが混合するから面白いもの。 浪費と思って
いただけのことが実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたって
みないと分からない。
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3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れている
のではなく、逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。 そこで西欧人は
自分たちの方が優れていると、信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか
隣人愛を言うが、そこから外れた者については、公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱い
されなかった奴隷たちが救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、その神は復讐の神だったからである。
現在、原理主義者が平気でテロを仕掛けるのも、この辺の事情による。
 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P-13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、大航海
 時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきます。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ
 人はますます劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、
 決してふるさとを捨てて遠い外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人は
 ヨーロッパに安住できないいろいろな事情がありました。人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる
 十四世紀半ばのペストの大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く
 世界へと進出したと思っているようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、客観的には、命からがら
 逃げ出した難民でした。 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに文化的
 にも経済的にも上で、豊かな生活をしていたのですね。ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、
 ヨーロッパがいかに遅れていて劣っているかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返す
 というのが、近代ヨーロッパ人の植民地主義を支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、
 劣っていると感じて、それ以後のヨーロッパ人は、われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを
 証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、何かにつけて、ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し
 繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。当時は修道院があちこち
 にでき、実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採
 をやったのです。さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き
 残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたら
 フクロウとか蛇とかがいなくなって野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生した
 もので、大流行を引きおこしていった。
 ~~
現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、一神教が主導してきた文明の行詰まり。
そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。
アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
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2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! 
 その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。
 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。
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 ●≪政府の50年目標も有望≫
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
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2007年10月22日(月)
2393, 恥はかかせろ、いじめはなくすな
 戸塚宏が、「新潮45」6月号に寄稿していた文章が考えさせられた。彼は自分の戸塚ヨットスクールで、
生徒を何人か死なせた責任で6年の実刑を終えて、再びヨットスクールで指導をしている。石原慎太郎も弁護者
で彼を支持している。
 ーまず彼の論の概要をまとめてみるー
  *力は悪か、いや善である。
・6年経って出所して、子供たちは良くなったかといえば、ますますオカシクなっている。
 生気がなくなり、得体の知れない無力感を漂わせ、一方で些細なことで直ぐに自殺する子供が増えている。
・暴れる子供はまだよいが、無気力で何も行動を起こさない子供は直しにくいし、完全に直らない。登校拒否
 とか、引きこもりやニートといった、社会に反発する力のない子供たち。彼らは幸福を感じる能力もないし、
 幸福になろうと行動もしない。人類始まって以来の、最も奇妙な生きものが出来上がってしまった。
・明らかに戦後教育が間違っていた。戦後教育は「力は悪なり」と教え込んでいた。教育者、親も、その信者で
 子供を強くすることは悪だと思い込んでいた。 そして子供たちを弱く弱く育ててきた。しかし、力は善に
 決まっている。弱ければ役に立たない。海で溺れている子供を、腕におぼえのある人が助けて、子供は一命
 を取りとめることができる。力があればこそ助けられるのである。 強いからこそ、行動ができるのである。 
 それをどこで、どう間違ったのか、「悪」としてきたのが、戦後教育なのだ。
・子供を教育するに当たって「褒めて育てる」ということがまかり通っている。「叱るより褒める方が正しい」
 と親も先生も思い込んでいる。だが「褒めるより叱る方が正しい」に決まっている。 
 褒めて褒めて、みんな駄目にしてきたのである。 叱ることを、罰のひとつとしてみよう。罰は世界中にある。
 だから人間の本能である。 本能は種族保存を目的としているから善、当然、罰は善である。
 駄目な奴、失敗した奴を罰しようというのは、善なる目的を持っている。 それは、 相手の進歩でもある。 
 罰は相手のためを思ってやることなのだ。叱ることも同様で、相手を考えて叱ってやるのだ。

(字数制限のためカット 2011年10月22日)
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 2006年10月22日(日) 2028, ネット空間「セカンドライフ」     才八∋ウ_〆(∀`●)
最近のネットには、日々驚かされることばかりである。
 ー朝日新聞の文化欄の記事(10月19日)ー
:現実に溶け込む仮想世界「もうひとつの世界」で起きたメディアの地殻変動:には驚かされてしまった。
「ネット上の仮想世界で建物を作ったり、売ったお金で現実に住居を手にいれた」というような夢のような
話が起きている。
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
           (+●∀●)ノ さいなら! さいなら!
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2005年10月22日(土)
1663, 「人生の実りの言葉」-3
 ー独創?
・この章ー独創?ーの冒頭の「ゲェテとの対話」ーエッケルマンを抜粋してみる。
「世の人はつねに独創(オリジナリテート)の話をするが、どういう意味だろう。
 生まれるとすぐ世界は影響しはじめ、そして死ぬまでつゞく。一体エネルギイと力と意志と以外に自分の
 ものがあるか。若し私が偉大な先駆者や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、残る所は
きはめて僅かだろう。」
・更に、この章の一番のさわりの文を抜粋する 
 (以下、字数の関係でカット2008年10月22日)
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2004年10月22日(金)
 1298, 2000年前のポンペイ -2
 図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」という
グラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、その面白さに繰り返し
見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。もちろん、借りてきて見ているがTVより
さらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山
の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ばからの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見に
なった。それまで、古代ローマの遺跡といえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって支えられていた。 
 (以下、字数の関係でカット2009年10月22日)
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2003年10月22日(水) 
 931, 強みに焦点をあわせよ
「強みに焦点をあわせる」経営学者のドラッカーの一番好きな言葉である。
企業にしても人間にしても当てはまることだ。強者は強みを最大限いかすから強者になり、
弱者は弱みのうえに自己を置くから弱者になるのだ。まずは自分の強みとは何かを探さなくてはならない。
過去の中でうまくいった事、埋もれている潜在的な何かを自分で探すしかない。 企業もしかりである。 
その強みを活かしていくと、それが違いになってくるのだ。 それを個性というが。 強みを探すとき、
「他との違いを探す」方法もある。違いの中に強みがあることが多い。弱点に見える中に、強みがある
場合も多い。一例をあげると、柔道の棟田という重量級にしては、極端に背が低い選手がいる。
彼は外国の背の高い選手に強いのだ。重心の位置が低い利点を活かして、相手を投げ飛ばす。
 強みを活かし続けると、そこに独自性が生まれてくる。強みに焦点を合わすと合わさないとでは、時間の
中で大きな差が生まれてくる。ついつい弱点の矯正に気が回って、いつの間にか重心がそこにいってしまう。
弱点を修正することより、強みを活かすことに全力をあげる事だ。 人を使う場合もそうだ。
ついつい弱点に眼がいってしまう。意識的にその人の強みを探し出して使うことだ。
 私を例にとるとーまた露出だが、
・8人兄姉の末っ子 ・両親とも商家の出で商売大好き人間 
・私の幼児期は敗戦の真っ只中で、転業の創業期  
・末っ子の知恵 ・人を内側から多くみている 
・負けず嫌い  これは強みでもあり、弱点にもなる。
 少なくとも勤め人より、商売系が向いている。それも時代の変化に対しての創業系ー転業を
活かすのに向いている。 弱点は自制がきかないで突っ走ってしまう危険がある。
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557, 基調色-着こなしのコツ -2  2002年10月22日(火)
 ある洋服屋だった社長から聞いた話である
ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も持っていて毎日着替えていた。
よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていた。
チョットした柄の違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。そういう粋な着方が本当のお洒落だとかー
基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。
シンプル、スタンダード、スペシャリテー、セグメントのチェーン理論のドライ主義が全て入っている。 
一番主義と集中主義である。目立たないーシンプル、スタンダードー似た柄で、高価なースペシャリテー、
何枚もーセグメントである。何代も続く家柄という長い時間の中で、体得した知恵なのだろう。
日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。 着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。 
しかし和服ではチャンと着合わせが出来ていた。 色というと7色が基本となる。どうしても私などは単色
と思いがちだ。赤一つとっても数千種類もあるという。理屈からいえば無限のはずだが。 江戸時代は
その色の違いを楽しんでいた。そして自分の好きな赤を決めていたという。本当にイロイロある。
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 至高体験-1 2001/10/22
もう10年前に読んだコリン・ウイルソンの‘至高体験’が面白かった。 フロイトは‘性’で、
ユングは‘聖’で、アドラーは‘権力’の視点で精神分析を深めていった。 しかし彼ら心理学者は
精神症・精神病の患者の医者の立場だ。これに対して‘非常に健康的な人’の持っている性格的特性とか
を調べた。そしてその共通点を探したところ、普通の人に対して‘至高体験’が多いという事だった。
至高体験とはこれ以上ない感激の極み、絶頂の幸福感をいう。インドを旅行した時、ツアーで一緒だった
女性に「20年前にインドに来たとき、ハシシー麻薬を吸ったことがある」と言ったので
「どういう気分になるのか?」聞いた。「とにかく楽しくって、笑いが止まらなくなった」と。
しかし薬物は中毒になる。死ぬときの痛め止めの薬物の楽しみに取っておくとよい。ある姉が嬉しそうな
顔をして、「極致の喜びを味わったことがある?」と数年前か私に聞いた。少し躁鬱の気がある人で、
近くにいた義兄がハッとした。「まさかオルガニズムでも言い出すのでは?」と私もその瞬間思った。
「それでは貴女はあるのか?」と聞いたら、「一度ある」という。もちろん私がそういう系統ー精神分析
とか、心理学が好きということは解らないようだった。そちら(セックス系)の内容でなかったが、
「私は三桁は軽くある」、と答えると全く信じられない反応であった。「そんな事絶対あるわけはない」
という。「それでは長島が昨年(7~8年前)セリーグで10月6日に大逆転優勝をした時に、至高体験
したのでは。長島は三桁は至高経験をしているのでは?」といった時、やっと納得した。私の場合では、
海外旅行で数十回はある。また事業で一仕事終えた時、緊張感の極めの合間の一瞬の弛緩の時、
あるいは会社の忘年会とかに絶対的幸福感になる。 (それだけ盛り上がる)上げれば限がない。
これはある程度の訓練も必要だ。会社で昼休みに30分、アルファー波の発生器に‘聴く麻薬の音楽’
(アルファー系音楽)を繋げて、もう10年以上聞いている。(アルバム日記に写真あり)
それを毎日している為か酒を飲んだ時など、直ぐブロックが外れそれに近い状態になる。少しきわどい
内容になるが、コリー・ウイルソンのその本に、「ロシアンルーレットがその状態になりやすい」と書い
てあったことをおもいだした。ピストルに弾一発を入れ、弾そうを回すやつだ。そして引き金を引く。
6分の1で死ぬやつだ。死の緊張感と助かるのを楽しむ。 そして相手と自分が死ぬまでやるやつだ。
助かった時の幸福感は至高体験に近いらしい。家内が不思議そうな顔をして、何人もの友人が
「自分を不幸と信じているみたい?」という。 少しは勉強すれば?と思う。 
生きているそれだけで素晴らしいのに!