つれづれに

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昨日、今日と、雨のためポタリングできず。

今年の桜は久々に当たりだが、天気は外れ。





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4031,「人生の知恵」ノート ー3
2012年04月08日(日)
 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ? ー
  * 人間的側面見せすぎない
あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、
「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を出せれば尊敬を集めやすい」
という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。
バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。
そのために「余計な関わりは最小に」。
   * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。
溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、
節度が必要。なれなれしくしないことだ。
   * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かさの罰として与えられる。
どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。もっと大きな災いが忍び込んで
くる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に
見ることができ、的確な選択が可能になる。これが知識から知恵への転換に。 
これは独りになりきることで可能になる。
   * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるため
の近道であり、困難からたやすく逃げる道である。「品格は言葉や行動の要。
品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。
 家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブーム
になった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。それが思いもよらず、
殆どクリアーをしていたが、家内は??。自主独立、陰口を控える、趣味を
持つ、信念の確立の有無などで、自己の確立が出来ているかが品性の土台の説。
一般人は表面的にしか捉えない・・ それにしても品性のない人が多い。


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3300, 平山郁夫の教養世界
2010年04月08日(木)

 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。
原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選
した平山郁夫の作品には仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの
果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 
彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に教養の深さを感じ取ることができる。 
 この番組で、彼の逸話が印象に残った。
「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。 
独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。それから宗教、哲学、歴史
など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。 
この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、
尚のこと納得をした。先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中に
ある幽玄な世界に等伯の魂を数百年の時空を超えて感じとれた。 絵の中に彼の独自の精神世界が
全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。
そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という
価値が自然に現れ出ることになる。経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい
己に寒気がする此の頃である。良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養の
ベースができるということか。

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2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 -4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きなが
ら読んでいて、似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、
血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐカタ=カ+タで、型をつくることになる。
  カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖
する精霊を考えるのが自然である。しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃き
から、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。
二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』
『雑記ノート書き散らし法』などをメインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。
次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』の実例を書き出してみる。 
その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが
「神」なんです。書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、
それは「父」です。何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社
八百万の神々の集会所のようなもの。
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2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が
解りやすいから、尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。
その原点が、チャップリンの凝縮されたミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は
参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。明るく、光にみちた世界に一時を過ごす
のである。
 ーーー
ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、
思いきってやってみよう。ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。解)その一歩の勇気、
それが大きく人生を左右する。その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
 ーー
「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行った
ことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
 ーー
実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
 ーー
ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
 ーー
我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ
小さなネズミを思いついた。とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこに
いても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。 特に社会的象徴の
うな重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたり
しなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 ーー
どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な
皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か?
  気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間として
の使命ではないだろうか。
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2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ?2
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記
 ーP57~58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。イギリスの
教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は
家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」 もう一方は「この詩こそ、現代家庭内
の人間関係の疎外感を象徴している」という肯定的なものである。教育界でこのような論争が
起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)に
かけようとする一種の成長願望があり、そこに向かおうとするパッションが、世代間における
微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
 ーー
「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る
手紙を残して階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの
鍵を静かに回してみる 外へ出る とうとう自由だ

 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの

彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
何年も何年も    (さようなら)

金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)
ーーー
解)
これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生を
とって食われてしまうことになる。しかし、親の愛ほど純粋なものはない。特にお腹を痛めた
母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と
同じく、人類の永遠の問題である。私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の(特に父親の)
深い愛情の元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。そういう
ものと信じて疑わなかった。少子化の時代。両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は
大きくなる。 気の毒といえば気の毒である。          ー続く
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2006年04月08日(土)
1831, ブログの話
     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあると
いう。この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日
NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。
エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。それぞれの個性がはっきりしていた。
いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか
見てみたが、ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」
「ガラクタイチ」「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」
「東京テッシュ」「元プロ野球選手のセカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、
これである。このブログの一部をコピーしてみた。
 ~~                              (*^ー^)/C□~~ 
コーヒーいかが?
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」
夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。
夫の浮気の一度や二度や三度・・・見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう
寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ!
夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに
震えてください。=これだけで、もう引き込まれてしまう=
                         ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
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2005年04月08日(金)
 1466, 閑話小題
  ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で
告訴を取り下げることになった。本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。
頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が妥当というところであろう。
損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。
  ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど
街そのものも閑古鳥が鳴く。
  ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよい
ころだが、それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。
読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。
何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できる
ようになった。
他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれたSACD
スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが
出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能
だけでなく、録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした
音楽雑誌の音響広告に、サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も
付いていたものがあった。其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるため。
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2004年04月08日(木)  
 1101, 春がきた
新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、
専門学校生、大学生と街に初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。
自然と春の歌が自然と口に出てくる。「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」
「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしているような気持ちになってしまう。
近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。春は皆にとって、
心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、
春にとっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で
過去を蓄積をして未来を膨らます。
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2003年04月08日(火)
 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・
銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれて図書館
で借りてきた本だ。日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを
見てきているはずである。軽く読むにはなるほど面白い内容だ。 私は高級クラブなど、殆ど
行かない主義。バカバカしいと思うのだが、といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でも
はっきり憶えている。5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。
なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、
「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
 ーーーー
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、
ますい志保」が「銀座」から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る
男と出来ない男の違いを語ってくれます。不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則や
ノウハウもぎっしり! やはり彼女は男を見る眼が違います!
「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/ 人の世の
摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。
濃密な時間が流れる街、「銀座」。巷には、不況や不景気を言い訳にする人は多く、夜ごと、
愚痴や不満を口にしていませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?
能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを実践して
いるのでしょうか? 「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、
ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」
ますい志保?
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。学ぶ姿勢、
不景気の時代の合わせた廉価の追及、好きのことの追及などなどである。一番印象的だったのは、
たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 
嫌われる人のちょっとした違い 」  ◇著者:ます
い志保
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  
 370,なりきる
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば
父親になりきる。そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを
考えたりして景色が見えなかったりする。海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、
その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。学生時代に学生になりきっていなかっ
た自分。必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。実際なりきれないで、失敗を
重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分に
いつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると
云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきって
いるだろうか?