つれづれに

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 祝日とはいえ、私にとって平日と同じ。いや、「サンデー毎日」か。
何もすることなく過ごす日々になれると、これも、また結構である。 
そろそろ、昼下がりのミニ・チャリの試運転だが…







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5484、地球以外に生命は存在するか
2016年03月21日(月)
              ~「立花隆の書棚」より~
  * ハビタブルゾーン ー宇宙の生命の存在可能なゾーン
「今までは、地球以外に生命が存在しているか?だったが、今では地球
こそが生命の辺境』という説すら出ているという。今までは存在したとしても、
出会うにあまりにも可能性が低い、というもの。 最近のアメリカでは、
多く存在しているという説が浮び上がりつつあるとか。 ~P263~
≪ 生命が存在するためには、まず水が必要であることは間違いない。
水がないところには、基本的に生命は存在しえないのだから、水が液体として
存在している必要がある。水はうんと冷たければ固体に、うんと熱ければ気体に
なってしまいます。そうなると太陽系の場合は、太陽からの距離で、液体水の
有無が自ずと決まると同時に、生命の有無も決まってきます。太陽系の惑星の
うち、水星と金星は太陽に近く熱過ぎて生命は存在できない。一方、地球や火星
よりさらに遠い木星土星以降の惑星になると、今度は、水は凍ってしまう。
ですから、水が液体の状態で存在し生命が存在しうるのは、地球と火星だけだと
一般的には考、えられています。それはほとんど正しい。けれども、必ずしも
それだけだと言い切れないのは、実は木星土星のようにサイズが大きい惑星の
場合には、その内部構造を考えなくてはいけないからです。つまり、表面は
凍っていても、中は液体という状態もありうるわけです。おまけに木星土星
にはそれぞれ、地球で言えば月にあたる、その周りを回っている衛星があります。
そのいくつかの地中には、水が液体で存在しているものがあるのです。
その一つが木星の衛星エウロパであり、その二つ目が土星の衛星ラケラドスで、
その二つの衛星についてもう少し詳細な調査を行えたなら、宇宙で地球以外生命
が存在しているという証拠が見つかる可能性がある。これが一つの可能性です。
もう一つの可能性としては、太陽系の外に生命がいるというものです。この宇宙
には太陽系の太陽に相当する恒星は、それこそ無数に存在しています。夜空を
見上げたときに星として見えるものは、あれは全部恒星、すなわち太陽と同じ。
だとしたら、夜空の星の周りには太陽系と同じように、それぞれ惑星がいくつか
広がっているということになります。
その無数の惑星の中には、ハビタブルゾーンと呼ばれる、要するに生命が生命
として存在可能なゾーン、言い換えれば、水が液体で存在できるゾーンに入って
いるものがあることが予想できます。実際に、そのハビタブルゾーン内に入って
いる惑星がいくつあるのかについて、かつては単にコンセプトとして検討する
ことしかできませんでしたが、最近では観測することが可能となりつつあります。
具体的に言うと、数年前からケプラーという人工衛星が上がっています。
ケプラーは、太陽系の外にある恒星の惑星系の中に、ハビタブルゾーソが
どれだけ存在するのかを調ぺるために作られたアメリカの人工衛星です。≫
 ▼ 観測天文学の飛躍的進化で、これまで、想像すらできなかった
  宇宙のことが知られるようになった。 地球のような惑星の存在が、
 無数存在する可能性がいわれているという。10の500乗の他宇宙の存在の
 可能性には驚いてしまった。そうこう考えると、この現実の中で、ああだ、
 こうだと、日常の現象に右往左往している自分が馬鹿馬鹿しくもある。

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4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
  * 野田一夫教授のこと(20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化
していった。専門課程の三年になると卒業後が見えてくる。そこでドラッガー
を日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い-2(随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者。 
忘れられない授業があった。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は
経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。学生時代の自分の中で
色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして
学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの「ベートーベンの生涯」
をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
楽家にとっての難聴は致命的。それを乗り越え、その心を作曲したのが
「運命」である。この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、不幸に
耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉
だから素晴らしいのだ。この本を買って繰り返し読みたまえ!これから諸君は
何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!
真ん中に座りなさい。】 大体がこんな内容であった。
 この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガー
訳者として高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところが
あった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に駆り立てるカリスマが
あった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVで
お目にかかった。更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。
ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャー
 ショックは、あまりに大きな衝撃であった。21年間の小さな固定観念
根こそぎ壊された。欧州文化と文明に直に触れ、また夜は連日、飲み歩き。
毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種
日本人である自分を逆照射はベストだった。自分は、世界の広さも、深さも、
実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、
経験も、富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。
その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。

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3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)

  「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」の中で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
   * 汝自身を知れ      ー P28 ー
 人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえソクラテスが強調
したのは、何よりもおのれの無知に気づき、すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 
そのためにこそ、自己は配慮されなければならない。 無知な状態を脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。 そうしたソクラテスの信念は、
ソクラテスの弁明』のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らかである。 世にもすぐれた人よ、
君はアテーナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い偉大な国都の人で
ありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかって
いて、恥ずかしくはないのか。 評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神を
できるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もしていないというのは。 
金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する方向への
転換を説くソクラテスは、当時嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう
態度を頑固なまでに強調する。
 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいものであると考えた。それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら自己自身をよくするように努めなければならないと考えた。
   * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。「大切にしなければならない
のは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知
の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか「正しく」
と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、
もっぱら自己の心、魂に配慮することであろう。 それは、ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体に
かかわる快楽や飾りで飾るのではなく、節制、正義、真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。 
そうした輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、自分に対して批判的にかかわり、
自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく生きるように努力しなければならない。
その意味で、「汝自身を知れ」というよく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、
無知の状態から抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・・・  
 ――
 ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人はおらず、知って
いないことさえ気づいていないとして、無知の知を問題とした。終盤に人生を振り返り、何と自分は
バカなのかと実感してもおそい。はやいうちに、それに気づき、真っ白な状態で書物や人の話を
聞かないと、何も知っていない自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、
この随想日記を公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。そして
気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
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3282, 哲学者は神について、どのように語ったか -7
 2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか自分の人生というものに
耐えられない。自分で自分の人生を意味あるものにすればよい、と言ったところで、それでは自分
で自分の靴紐を引っ張って飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを
意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。どうしても自分以外の大規模なものから自分の
人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、
そもそも語りかけてくれない。いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、自分が生きている、
あるいは生きていたことの意味や価値を認めてもらいたい。 仮に「歴史上の人物」になれたと
しても、それを認定してくれる人類や国家そのものが頼りない存在である。三葉虫アンモナイト
恐竜でさえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を破壊してきた種族が永遠
に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。
いずれ、そんなものは、類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、
誇大妄想を抱けたか、実現した程度のことと変わりはない。 彼等にとって、池が全宇宙である。 
古池も銀河系も空間としてはスケールの違いがあるだけで、質的に変わるものではない。 
まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、その中で
「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 この限界に不満の者は、個人は
もとより全世界を超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。我われの視野が
身辺の野山に限られている頃は神々が、そして見渡すかぎり砂漠と天しか目に入らないものにとって、
唯一にして永遠の絶対のゴットが、その役に振り当てられた。その存在の有無など、問題ではない。 
なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 
我われは確認したいのではなく、確信をしたいのである。「神がなかったら、神を発明しなければ
ならない」(ヴォルテール)・・・・
 ~~
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかないことが分かる。 
国家もしかりである。小さな池のカエルと何処が違うかというと、共同幻想としての神を持って
いるかどうかである。 それでは、その幻想は人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 
といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。そこで自分の世界を支配して
いるだろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。
 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で六分の一というから尋常では
ないからだ。ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。顧客の目から
みたら非常に好感のもてるような内容だが実感だろう。  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂西友とのサシの
勝負の様相。この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に
存続できるかどうか、それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかに
エネルギーを集中するしかない。久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、
高そうなホテルの「一泊2食付6800円」につられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 
駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、
欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と
捉えることができる。 

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2543, 今年のプロ野球の予測
2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
 毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による
「今年のプロ野球の順位予測」がある。あまり当たらないところが面白いが、秋口には、
その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。
今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、セリーグは、
巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島  パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム
西武、オリックス楽天  の順位になる。 
 この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ
頑張れ! 貧民の広島、大貧民のヤクルト」と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。
これまで32回の順位予測で、延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人
しかいないというから、難問であろう。ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が
一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。毎年のように巨人の過剰な選手層に
対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。あまり娯楽の無かった
時代の、「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制に
する位でないと・・・・  
  

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2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)
 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。この本は、ベストセラーになった
「人生を変える80対20の法則」(TBSブリタニカ)の続編である。前著は、ABC分析や
パレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、非常にインパクトの強い内容で、
特に80に対する見直しをするキッカケになった。この新著は更に深耕された内容といってよい。
ビジネスに特化し、「より少ない労力で富と幸せ」を獲得する方法が書いてある。
(字数制限のためカット 2,010年3月21日)
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2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日
地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
自宅で毎朝見ないと何か不安だけだったのだ。恐らく次は朝日新聞を止める可能性も
出てきた。家内が朝日新聞を気に入っているから、当分は止めないだろうが。しかし私の場合、
会社に来れば全紙見れるし、各紙のWeb上の新聞でも充分にこと足りる。はっきりいって、
サイト上の新聞が便利で面白いのに驚く。
さらにブロードバンドのためか映像の内容が面白いものが目立つようになってきた。
本当に時代が変わったと思う。 先日知人が事務所に来て言っていたが、これからはTV
からのインターネットが主流の時代になるとか。光ファイバーにパソコン経由か何かで、
TVにそのままインターネットが繋がる時代がもう目の前にきている。
 地元紙がこれだけ早く家庭内から消えるとは思ってなかった。週刊誌も月刊誌も
インターネットをやりだしてから読まなくなった。またTVも地方局はほとんど見なくなった。
衛星局かDVDの取りだめかレンタルDVDが中心になってきた。決してオーバーに言っている
のでない。光ファイバーが家庭に本格的に入りだしたら、それに対応してTVやパソコンの
端末もできてくるだろう。 面白い時代になってきた。
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2002年03月21日(木)
 352,西アフリカ旅行記
・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が 引いている地引網。
 一 間隔ぐらいにそれが見える。その道路の反対側にその魚村が見える。
・海には丸太をくり抜いた帆かけ舟の魚船。
・ガーナのエルミナのケープコーストの城塞。 奴隷を一時収監していた牢獄をもつが、
 奴隷倉庫の為か陰惨さは想像していたより少ない。これが世界遺産かと驚く。しかし
 それを取り巻く漁村のトータルとしてみれば納得する。
・感動感激の連続の旅とは程遠い事も事実である。
・ここで始めて知ったのは、白人が奴隷を捕まえて売り払ったのでない事だ。ガーナの
 アシャンテ王国を中心とした国々が、他民族を征服していく過程で捕まえた捕虜が奴隷と
 して売られていったのだ。 ーほとんどがアメリカ大陸に、2500万人が売られていった。
 今でもその民族同士の恨みがあるという。男が25人女が31人に一台の大砲が、相場
 だったというー大きさにより前後するが。男は屈強、女は絶世の美女が条件だった。
 アメリカ大陸の白人が決して悪いわけでない。
 ただそれが売られていただけだ。 当時の自殺よけの口銜えが悲しい!
ーーーーー
同行の人達をみると、過半数以上が一人参加。ほぼ全員が50回以上の海外旅行参加の人達。
アフリカはほぼ行きつくした「アフリカ大好き人間」の集団であった。私の行ってない
ナミビヤ、エチオピアリビア、マダカスカルは、大体の人が旅行経験者だ。これは数年
のうち行くつもりだ。行った場所が温暖の気候の為、アフリカ大陸としては物質的には
比較的恵まれていた?しかし資源が少ない為、世界から取り残されていた。同行の
顔ぶれで変わったところでは、ミュージシャンや商店主などや茶髪の女性の新婚さん
(10歳年上をカバーする為と後でわかった) ・・年齢は30歳前後から70代まで
ーー
総括としてまだ早いという感じ。