つれづれに

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今日のYoutube

 昨日のシネマは『グレイテスト・ショーマン』 を見てきた。評価は90点。
元気が出るミュージカルで、明るく元気が出る内容だった。

今日の午後辺りには金メダルがとれるのだろうが、今のところゼロ。
 昨日までは、国家としてシルバー・コレクターだ。




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2004年02月17日(火)
 1049, お金の教訓
「お金はむき出しの真実である」というが、これだけ本音と建前とかけ離れているのも珍しい。今まで
随想日記に、お金に関して何回か書いてきた。といって、本当に解っているのかというと疑問である。
一番金にシビアな坊主も[布施の分だけ経を読む]とかいう。滑稽といえば滑稽である。
世の中の悩みの大部分が金の悩みという。ということは、殆どの悩みは金で解決可能ということになる。
金に対する[金言」をまとめてみようと何冊かの格言集をみたが、なかなかこれはというのが無いが、
その中から幾つかあげてみる。
・「もしも心がすべてなら、いとしいお金は何なのだ?」  ー都都逸
・「金勘定 しているいる妻は 美しい」 ー川柳集より
・「私は金のためにこの世界に入った、芸はあとでついてきたものさ」ーチャップリ
・「10中89、お金は急場を救ってくれる」 -ジョン・ウェイン
・「お金と知識はあの世にはもっていけないよ」生きているうちに使えと!あればだが。
・「お金があれば、どんな悲しみにもたえられる」
  ー財多ければ、悲しみ少なしー   ー財布軽けりゃ 心が重いーというのもある。
・「小指切れとは当座のことよ、金が泣くなりゃ手まで切る」ー都都逸
・「貧乏は貧乏人を追いかけ、金は金持ちを追いかける」 ユダヤの諺というから恐ろしい。
・「金のない人は、京都の茶屋で遊ぶ資格あらへん」という芸子はシビアである。
 これは昔から欧州の社交界では当たり前だったとか。
・「金と頭とチ○ポはいきているうちに使え」と、本田宗一郎が言ったとか。 
まあ彼が言うからよいのだろう。
  ある統計によると 65歳のアメリカ人100人のうち
・金持ち1人、 ・快適な暮らしを送る人 4人、 ・まだ働く人は5人しか居ない。
・あとの 56人は政府か家族の援助を必要とし、 ・残りの人は亡くなったそうだ。
よく「引退すれば、生活費が減る。だからお金はそんなに必要ない」
という人がいるが、それは間違いだ。生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。
多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。
これから高齢者はお金を持っていれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きるのだ。
本屋のエンドに平積みに[300万で生活する方法」というような本が目立てってきた。最近出た本では、
さらに「200万で生活する法」まで引き下がってた本が出てきた。この大不況の中に他人事ではない。
調べてみると過去に多く、金について書いている。いま読んでみてもシビアで面白いが、では実践で
というと?? 書いている分には面白いが、金に追いかけられだしたら地獄である。

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3250, 新・マネー敗戦 -1
2010年02月17日(水)
 以前、NHKスペシャルで「シリーズ  マネー資本主義」を放送していた。
■第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか~アメリ投資銀行の興亡~ 2009年4月19日(日)午後9時00分~ 
■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? ~カリスマ指導者たちの誤算~ 2009年5月17日(日)午後9時00分~ 
■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか             2009年6月14日(日)午後9時00分~ 
■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか    2009年7月19日(日)午後9時00分~ 
■最終回 危機を繰り返さないために                  2009年7月20日(月)午後7時30分~ 
ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか         2009年12月20日(日)午後9時45分~ 
再放送も含めて食い入るようにみた。紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流するシステム
を追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや解説で解明していた。
それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。その最大の被害者は、もちろん日本。
ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、速読をしてみた。 
大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 
  * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著   
 ー この本の概要といえば ー  《 ネット参照 》
 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず緩やかな没落
の道を辿った。その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。実物資産の裏付けのないマネー
の誕生である。バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大なペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 
自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と
産油国経由の米国への還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更した
イラクに対し戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では米ドル
需要の減退は時間の問題。6000兆円ともいわれる公的債務残高を積み上げた米国ではドルの減価を通じて、米国債の返済
負担を下げ、さらに新しい通貨発行で再びマネーを呼び寄せることを考えている. .ドルが減価しつつあるトレンド
ラインからして、2012年秋口には1ドル=60円になるとの予想。米国はそれに併せて何らかの部分本位制の新通貨を
発行し借金の棒引きを図ることも決して想像できないことではない、と。このような状況の中で、弱肉強食のライオン
アメリカとシマウマの日本。その図式は「米国債を外国に買わせ、その後にドル安にして実質的な借金棒引きにする」こと。 
過去においては日本が被害をうけたが、現在は中国がその流れに乗りつつある。
ーー以上だが、このカラクリを知ると、隷属国家の日本の姿が哀れである。 70年代以降、金に代わって原油との
リンクによって保ってきたドルの価値をなくし、借金を棒引きを図るアメリカ。 そのためには原油の価値を喪失させ、
世界の原油の需要の減退につれてドル需要が減少すれば、ドルの価値も地に落る。で、オバマに変わったと同時に、
電気自動車と原子力、風車、太陽熱へのエネルギー転換キャンペーンである。 行き着くところは、アメリカにとって
都合の良い結果になっている。その腰巾着だったのが、自民党と完了である。 まずは、そこから、次はアメリカとの
距離を置くこと!  ー つづく
・・・・・・
3615, 忘却の整理学 ー1
2011年02月17日(木)
  「忘却の整理学」外山滋比著
 内容= 頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳
を整理し、創造・思考の手助けをするのは忘却なのだから。『思考の整理学』続篇
 * なかなかオシロイ本である。 忘れること・忘却を中心に据えた本は
私が知る限り過ってなかった。呼吸は、まず息を吐き出さないと新しい空気は
吸えないと同じで、忘却によって整理され、きれいに片付いた頭で新しい知識や
情報などを取り入れられるために積極的に忘れろという。一度書いた文章をまず
寝かせたり、気分転換すると思いもよらぬ着想が得られたりするのは、忘却効果。 
忘却が知識を選択的に頭の中で熟成させ、時間の風化作用で別次元の高みに体系化
する働きがある。 忘却はランダムに起こるが、それが個性を形作る。
  ー‘まえがき’の以下の部分が、アラスジにもなっているー
・・どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者間に忘却を考えないと、
説明がつかない。知識をいったんかなりの部分を忘れたあとで、もとの知識から
離れオリジナル思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと知識は途方にくれる。
知識は利用されることを待っているのであって、それだけで、思考、創造をおこす
力をもっていない、 むしろ、そのままでは自由な思考の妨げになるおそれは十分。
そんなことをあれこれ考えていて、忘却論に思い及んだ。記憶と表裏をなす忘却が
あるという考え。ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識
のみが新しい知見を生み出す。大工は生木で家を建てないのと同じ。
忘却のアポロギア、弁明を思い立ったのは数年前のことだが、どうして忘却が
これほど長い間きらわれ、怖れられ、卑しめられてきたのか。忘却を称えた
ことばはないものかとそれとなく心がけてきたが、日本には見当らない。 
おしなべて忘却性悪説である、・・ことにコンピューターが異常なほどの発達を
とげて人間の記憶力の価値を暴落させている。知識人ほどその衝撃を強く受ける。
コンピェーターを念頭において人間の知的活動を考えたならば、創造的思考が
もっとも人間らしい活動であることは明らかになるはずで、その独創の土壌に
なるのが忘却である… そういう考えのもとに、この本に収められた諸エッセイ
は書かれている。忘却論ではなく、忘却をめぐるエ・セイを集めたものである。                  
 ーここに書いた内容は、アップした瞬間、ほぼ完全に忘却の彼方になる。
「いま、ここ」に集中すれば、忘却の後々に残る。それがよい!
・・・・・・
3980, よかまん ー3
2012年02月17日(金)
  * よかまん節を女子芸大生に素裸で踊らせた
 よくぞ引受け踊った女子大生も凄いし、それをビデオで自分の個展で流した
会田誠にも恐れ入る。 ー 前回の続きから ー
≪ 最近非常勤講師として美大に呼ばれた折など、学生に「よかちん」について
 聞いてみると、ほとんどが知らない」と答えるのです。せいぜいが「ああ、
ラグビーの連中がやってるアレですね。見たことはないけど、話だけは聞いた
ことがあります」程度。どうやら絶滅寸前の状態にあるようです。 僕は
「ざまあみろ」と「こりゃいかん」という、まったく相反する感慨を同時に
受けました。・・ 芸大も近年ご多分に漏れずグローバル化の波が押し寄せて
きており、和洋の相克に揺れた先人たちが必要に駆られ作った、ユニークな
ジャパン・オリジナルの枠組みが、次々と使命を終えつつあります。
それは決しておめでたいニュースと感じられない、複雑に屈した自分がいます。
また「よかちん」絶滅の直接的な原因が、近年の美大における女子学生の驚く
べき増加であることも分っています。僕の学生時代は少数派だった女子が、
今ではどこの美大でも完全な多数派に転じています。女性全般に芸術の才能が
ないなんてよもや思いませんが、それでも極端な変化には不安を禁じ得ません。
同時に、少数派となった男子学生の全体的な覇気のなさ、いわゆる「草食」化
も気になるところでした。日本の美大と美術界は今後どうなるんでしょうか。
そんなことを諸々考えた上で、最近「よかまん」という新しい芸を作ってみた。 
といっても「よかちん」の歌詞を少し変えただけなんですが。
 "数え歌"の部分が以下のようになります。 一つ 開けば、二つ 触れれば、
三つ 見せれば、四つ 悦べば、五つ 入れれば、六つ ムズ.ムズすれば、
七つ 舐めさせれば、八つ 破れば、九つ 擦れば。 小道具の一升瓶は小さな
ザルに変更しました。これを現在東京藝大で油絵を学んでいる、知り合いの
女子学生二人にやってもらいました。二人とも肝の据わった「肉食系」なので、
進んで全裸になってくれました。そしてそれを収めたビヂオを自分の個展会場で
流してみました。それで何かが解決するとは思いませんが、問題提起くらいには
ならないかと思って。というか本当はこの「よかまん」が実際に芸大で流行して
定着し、新しい伝統が生まれるのを夢想するんですが…やっぱり無理ですかね。≫
▼ 女と男は違うので、これが定着するとは思えない。あくまで一人の芸術家の
 お遊びだろうが、これに類したのは、芸者遊びの中では多くあるはず、あくまで
男を楽しませるもの。そういえば、以前の会社の忘年会で、メイクさんのツワモノ
が男の人に座布団を女性の何に見立て、自分が箒を男の何にして・・・
という面白い芸があった。ご愛嬌の範囲だが。

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2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉
 2009年02月17日(火)
  「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー
の中で、ポルトガルフロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。
現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。
  ーその部分を要約すると・・・
1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。
フロイスは1581年3月、再び会うが、安土城を自慢したかったようだ。 彼の見た信長は「中ぐらいの
  背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極端に戦いを好み、軍事修練にいそしみ、
  名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、食を節し、人の扱いにはきわめて率直で、
  自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と
  真実性が感じられる」その信長が亡くなった後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。
フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、信長像に比べておおらかではない。
「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」
「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」・・・
生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。秀吉の漁色乱交に、
キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、とうのが彼の解釈だ。
 ーー
この「日本史」では、外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって観察されている。
その点では信長と秀吉を現代人の感覚で観察している目に近いと言えるのである。
更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 それによると、
ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、「手と顔を洗い終えて身体をふいている
信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、
自らの部屋に入り、戸を閉じて、そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、
生きながら焼死したと言った」更に、「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を
戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては
地上に何ら残存しなかったことである」と・・・ー  生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 
・・・・・・・・・
2008年02月17日(日)
 2510, 黒柳徹子
子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばり黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時も
ラジオかTVで見かけてきた。現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。
しかし芸能界の一線で55年も活躍しているのだから、それなりの信条があるのだろう。
どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、学校では劣等生だったという。
ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 その概要といえば、
 --
仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では
私抜きでもドラマは進行した。その時に、二度と病気をしたくない、と思った。
だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、どうすればよいか?」と聞いたら、
先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。
でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」
私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」
「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな~」。
「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。 身体の疲れは、寝れば直る。でも、
嫌だなと思ってする仕事は、少しずつ身体に溜まっていく。 それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。
だから、進んでやる仕事はやっていれば、病気にはならないんだと思うんだ」。私はそうしようと決めた。
だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、自分が進んでする仕事をするように
生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、
やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて
引き受けた仕事だから、と全力でやった。そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。                                                     ーつづく
ーー
なるほど、素晴らしい信条であり、それが彼女を、ここまで一線で活躍させた源泉である。
ここで何度も書いているが、50歳になったときに、はて、どうして生きようか?と考えた。
そして、50代で一生分を前倒しをして生きること。その為には、嫌なこと、嫌いな人とは一線を画する。
それと、社会の価値観を徹底的に疑うこと。好きなこと、したいことを優先することと決めた。
そうすると楽になった。そして日々が非常に楽しくなった。この経験があるから、彼女の言葉が
理解できるのである。いや、元々してきたが、より徹するようになった!ということ。
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2007年02月17日(土)
 駅前専門学校の時代の終焉!
         才八∋ウ_〆(∀`●)サン
十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。
しかし、この破竹の勢いはここまで、逆現象が始まるという。 就職難民が体裁を整えるためとと、
とりあえず資格取得をめざすのが専門学校の存在意義であった。就職難民の一時収容所に近い機能が
実態?だった。
字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2006年02月17日(金)
1781, 他罰の人-2
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
他罰を理解するために、その対比する言葉を調べてみたら
 ー 自己罰(内罰)
 ー 他罰(外罰)
 ー 非罰    があった。        
 電柱にぶつかって怪我をした時、 w(☆o▽)w
・自分の不注意でぶつかってしまった... と思うのが  内罰・自己罰。
・こんな所に電柱があるからいけないんだ! 誰だここに立てたのは!  と思うのが 外罰・他罰。    
・この程度で済んで良かった... と思うのが   非罰。
 この喩は他罰を考える時に解りやすい これから見えてくるのは 他罰は責任転嫁ということである。
 非罰は仏教的な考え方になる。 この全てを考え、後は忘れるのを待つ!のがベストであるが。
  似た事例として  宗教書に「お寺におまいりにいき、石に躓いて怪我をしてしまった時に
・信心があったので、この程度で済んだ!と思うか、
・おまいりに行ったのに何で怪我をしなければならないのか!と思うか、
 仏教はこの程度で済んだと考える宗教である」というのがあった。
他罰は外部に原因を見出そうという見方のため、自己欺瞞の傾向が強くなるになる。
自己欺瞞は積み重ねると自己矛盾が生じ 精神の混乱を引き起こす。
そして自己と外部への怒りの温床になる。そのプロセスでトラブルを彼方此方でおこし、深い鬱になる。
他罰の人の傾向は非常に子供じみたところがあり、心に深い傷を負っている人が多い。
小学校、中学校にいた苛めっ子は両親のトラブルの被害者。その腹いせをクラスの弱者に向ける。 
この傾向は一生ついてまわるから恐ろしい! 家庭内離婚を含めて不和の確率が50㌫というから
社会は歪んでしまうのは当然である。   だから教養が必要なのだ!                 
                               ~~~ヽ(^▽^)))さいなら!
・・・・・・・
2005年02月17日(木)
 1416, 50肩になった
一月ほど前から、左肩と首が痛む。 通勤時にビジネスバッグを肩にかけていたのが原因?
他に考えられるのはパソコンと、TVの見すぎも考えられた。たまたまNHKの
ためしてガッテン」が「40・50肩の特集」をしたのをみて、もしかしたら50肩と気がついた。
字数の関係でカット(2010年02月17日)

・・・・・・・
2003/01/13
お金はむき出しの真実
字数の関係でカット(2009年02月17日)
・・・・・・・
ー以前書いた文章をこぴーしておきます。
お金について -事業百訓より
[112] お金について
字数の関係でカット(2008年02月17日)

・・・・・・・・・
2003年02月17日(月)
 684, まれに見るバカー読書日記ー4
 男・獲物ー獲得法
第2章「バカ本を読む」の中の酒井冬夏「バカ・ゲット」がおもしろい。 
1995年に流行った「バカゲット」とは、「バカ」な男を「ゲット」する、自分に「安らぎ」と「安全」を
与えてくれるバカ男ー獲物を獲得する意味である。この獲得のマニュアル本である。
 目次は「コンセプ」「マーケッングリサーチ」「アポイントメント」「営業」「交渉」「プレゼンテーション」
「接客」「契約」などあって、男と女の関係もビジネスと思わせる仕掛けがある。
・男は「クライアント」であり、
・自分は「会社」であり、
・結婚は「プロジェクト」であるというわけである。
 ところが一転、
・社内で「獲物」を探すのが「近海漁業」であり
・「合コン」は「遠海漁業」
・なんでも手を出すのが「そこ引き網」
・ずっと付き合って結婚するのが「一本釣り」
・同性からの紹介は「おとり漁法」
・シャイなふりをするのは「定置網漁法」
・光りモノでおびきよせるのが「ルアー釣り」女としては「らくして生きる」ために、こういう「バカ」を「ゲット」
 するための手練手管、言葉遣いが、懇切丁寧に手ほどきされている。
 つまり「バカ」男を「ゲット」する「バカ」女の本である。
ー感想ー
こう書いてあると、結婚とは何か基本的に考えてしまう!わたしも「バカおんな」にゲットされた「バカおとこ」だ。
晴れて、バカの夫婦が成立して、子バカが生まれるのだ。まあここまで考えたら結婚はできない。
男などこの本をしっかり読んでおかないと、とんでもないバカ女に一生を棒に振ることになる。
さらにこの本には「正しいバカの選び方」という部分がある。
・・・
間の悪い男のコ。いますよねぇ。男の子ってデリケートな生き物なのです。
要領が悪くって、タイミングが悪くって、不器用で、いつもチャンスを逃してしまう。
・・・・こういう男の子に愛の手をさしのべるのがワタシ達の役目。
こういう男のコがターゲットであります。ワタシタチが求めるのは「安らぎ」と「安全」です。だから、
・結婚生活に向いている男のコ
・よりラクできる相手
・よりコントロールしやすい相手を選んだほうが、勝手に生きられるというモノです。
感想ー30代半ばまで女の職場のこういう中で、ふわふわ浮いて泳いできた!
その辺が一番面白く辛いところだったが。個人は誠実に、集団としては猿として割り切っていればよかったが。
以上のような漁りは、誰にも必要であり、その漁場でいかに仕掛けをつくり、その中から選定しなくてはならない。
その魚が一生の伴侶として当たりかはずれは五分五分ときているから面白い。早ければ新婚旅行で判別できる。
24時間密着するのだから。TVでも当たり外れは五年経たないとわからない、人間は一生経っても気がつかない人もいるが。
バカ本を読んで、ニヤニヤしながらパソコンに打ち込んでいるのが一番バカだ!

・・・・・・・ 
2002年02月17日(日)
 334,私の読書法
やはり速読法が中心だ。それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、
居間の「私の居場所」の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読む。
そして返す時間が詰まってくる、もちろん週10冊は読めない。そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。
本はその状態でないと、読まないことが多い。返す期間が決められていると、要点をみざるを得ない。
これは買うに値すると判断するとすぐ「ネット」で注文をする。買った本は、すぐ折込に入る。
本の端を重要な箇所を折り込んでしまう。目次、各章、終わりに、図と絵、太字のページを折りこむ。
そうすると、その時点で自分だけの本になってしまうそして身近においておく。読んでいて、
いやパラパラと開いていて、ここは重要と思うと左下を折り込む。折込にも情報を入れる。左上は図示と絵。
急ぐ時は、終わりより逆にめくっていく。そうすると、どういう訳かポイントが良くわかるのだ。
それでも時間が無い時は、この本から一つだけ情報を取るという視点で集中する。一つはあるものだ、特に「目次」か
「終わりに」でそれを探す。いま一つ実行していることは、本屋に週2回は寄る。通勤途中の二軒のどちらか一軒だ。
本屋も毎日のように、売れているコナーの本を入れ替えている。定点観測である。立ち読みで要点読みが結構できる。
都会ー東京の羨ましいのは神田も含め大書店が多いことだ。情報格差の一番象徴的なところだ。