つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

今日のYoutube

 


・・・・・・
・・・・・・

3588, 戦略ネット会議システム
2011年01月21日(金)

 先日、30数年来の友人が事務所に訪ねてきた。来社は年に三度位で、酒を飲むのは年に
1~2度。節目ごとに変身していくから、会っていて面白い。地頭が良いというに相応しい人。
先日の彼の話が久々の重厚の内容。
 ー 二時間の談話?を要約する ー (その人をk氏とする)
≪ K氏、最近、二週間に一度、上京、 あるコンサルタント会社の会合に出ている。
 メンバーは全国の異業種の人たち(5~6名)で、現在直面している経営の戦略課題を全員で
知恵を絞り出す。学生時代のゼミで一年間みっちり仕込まれたケース・スタディーに酷似している。
K氏のそれは二日に渡って話しあうが、その後、家に帰った後に、時間を調整して互いにチャットをする。
そして月二回の割で一同に会し、その内容を深めていく。そのメンバーの具体的な職種と、テーマの内容
を聞いたが、戦略のコアそのもの。全国レベル、いや世界レベル?で、それらが、異種業の視点の照射で、
互いに刺激をしあうのだから、そこで戦略のスパークが起きてくるのは当然。≫
 ー 以上だが、会合が月に二回と、それ以外にも互いにチャットをするところが面白い。
それぞれの自己が確立されてないと、マイナスにも働くことになるが、その辺は選ばれ者達、十分認識
しているはず? 現在、我々は時代の断層の狭間にある。今までの勝者は時代の波の中、どんどん敗者に
振り落とされていく。その中で、戦略の練りこみ深さが生死を決める。 地方では地銀が、顧客に対する
サービスとして、顧客の囲いみを含め、例会を開いてきた。それは地元企業の井戸内の知恵の範囲になる。
グローバル化の時代は、逆にマイナスになることもある。 このシステムは「戦略の深化」を本気で
(ネットで)練る効果がある。電脳化で経営戦略の練りこみに活用する事例である。
Aクラスの脳を集め、知恵を搾り出す中で、超Aの脳に互いに持ち上げていく効果は測りしれない! 
カルチャーショックだが、面白い時代である。  このような時代に入ったのである。

・・・・・・・・
3223, メタ認知とは
2010年01月21日(木)
 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
【 メタ認知とは、認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動
そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。 
現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握
することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。
Knowledge Monitoring AbilityKnowing about knowing.(知っているということを知っている)、
Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、Understanding what I understand.
(私は理解しているということを理解している) 現代において、メタ認知能力の育成は、教育、
とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題の一となっている。
 * メタ認知能力を測る9項目  
≪以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる。≫
・自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
・このようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
・問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
・自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
・問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
・問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
・勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
・勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
・考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる 】
 ー以上だが、メタ認知が出来るのは人間だけである。いつも目にはしたが、その意味を見逃してきた。 
自己を冷静に見つめる視点を得ることこそ、人間の人間たる所以。 他のネットの検索によると 
メタ認知のメタとは、「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「-の後ろの」等の意味で、
ギリシャ語。自分の行動や考え方、知識量・特性・欠点などを別次元から眺め認識する能力のことである。
たとえば、・「自分の得意科目は国語で、不得意科目は数学だ」  ・「私は足は遅いけど、力は強い」
     ・「企画力はあるが、営業力はない」と自分で自分のことを認識するのがメタ認知になる。
そして、メタ認知には「認知」と、もうひとつ「活動」のステップがある。「認識」とは、上記で書いた
ように自分をモニターにして把握することで「活動」とは「認知」をもとに修正を加えていくことをいう。≫
 言葉こそ、その作用の元になるのか? この随想日記を書くこと、そして、読み返すことも、それか。
 ・・・・・・・・・
2848, 「ほめる」言葉  -2
2009年01月21日(水)
 どの本でも、前書き、目次、そして後書きに8割の情報の要約が入っている。この本は、章ごとに違う
人が書いているので、それぞれ個性があって面白い。「ほめ言葉」は、奥が深いので、章の目次ごとに、
取り上げてみる。褒めることは心をケアすることになる。「相手の立場に立って理解しようと努めること」
である。誰もが「一日一日を納得して生きている」。 そのことを認めない限り、相手も心を開かない。
まず相手の話をジックリと聞くことである、それから始るが・・・ 
 第一章の 相手の存在を認める「ほめ言葉」 
   ー相手の存在を認めることからすべてがはじまる -精神対話士 Sさんーから
「あなたの気持ちは~ですね」    まず感情を共有する
「○○さん、こんにちは」      挨拶は相手の存在を認めているというサイン
「最近、どう?」           頻繁に声をかけることで親密度が増す
「今日はいい天気だね」       視線やしぐさでアビールする「ほめしぐさ」 P28
「お元気でしたか?」         相手との距離を縮める魯葉  P30
「お会いするたびに、若くなりますね」 できるだけポジティブな表現を使う P32
「OOさん、ありがとう」       人間関係を親しみあるものにする言葉 34
「いつもありがとう」        感謝の言葉はできるだけ頻繁にかける 36
「大変だったろうな」        仕事の苦労を理解していることを示す 38
「本当によくやつてくれた」     仕事の成果を寛と表情でねぎらう   40
「そうか、そんなことがあったのか」 相手の話にじつくりと耳を傾ける 42
「ああ、そうだね」         相手に同調することで波長を合わせる 
「つまり、こういうことだね」    相手を尊重しているという姿勢を見せる 
「私もそうしたでしょう」     「1OO%あなたの昧方である」という態度で接する
 ーー
解)女性には「私は美人が好き、ただそれだけのことだけど!」と思わせぶりをし、 
 「美人は美人というだけで、特別視されてしまい可哀想だよ!」と捻って、取っておきは 
 「美人は美人というだけで、周りを明るくするもんね、特に貴女は!」と、最後は
 「あなたは私のタイプ。でも手が届かないもんね」 で際どく! ほぼ口説きになるか。
 ・褒められるとエネルギーが出てくるもの。それをホメルギー(造語)という。
 ・しかしスーダラ節じゃないけれど「分かっちゃいるけど、褒められない!」のが、褒めること。
 それにしても、営業系の腕の良いのは、本当に褒めが上手い。割り切れば割り切るほど
 言えるのだろう。 枕言葉にするぐらいじゃないと、営業はできないのだろうが・・・  ーつづく
    ・・・・・・・・・・・
2008年01月21日(月)
2483, 四四太郎の霊日記 -18        ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
 さてと、一週間抜けたようだな。
何度も言うが、ワシは宇宙外の存在?なのだから、呼ぶのは御主の心次第。ワシも御主の心底の霊感を
入り口として、吸い寄せられて来るだけ。御主も先日で62歳になったが、もうそろそろ、年齢を意識して
生き方を見つめなおす時期じゃな。御主も、ワシと同じように宇宙外に出なくてはならない時期が迫っている。
一度出たら二度と戻れないのが、また良いのである。ワシの話す「永遠の言葉」は、それ自体が独りごとを
言っていると言い換えることが出来るのじゃ。後で読み返してみるがよい。そこには御主とは違う、永遠の
何かを感じ取るはずじゃ。ところでワシが連れてきたダ・ジーダとの対話が進んでないみたいだな。
前にも言ったが、誰か身近で亡くなった人を呼び出して三者で話すことじゃ。もしな、迷ったことなどを相談
しようとしたら、最適な故人の身近な人と、ダ・ジーダかワシか、三人の対話方式をとればよい。思わない
言葉が、知恵が鋭く出てくるはず。部屋は真っ白な壁に囲まれたイメージを持ってじゃ、後は自然に任せる
のじゃ。宇宙の外に一度出て、再び娑婆に帰ってくると、娑婆の全てが輝いているのが見えるものだ。
ワシの存在など御主の言葉の中しか存在し得ないが。といってワシの言葉は、新しい世界の創造を促進させて
いくんじゃ。娑婆はな、ワシの目から見ても、今年から本格的な動乱に入る。それは日米にとって、惨状に
近い事態になる。明治時代からの今までのバブルが弾けたということ。ロシアも中国も然りで、ロシアも
700年のバブルが弾け混乱が拡大しているだけのこと。その辺は冷静にみれば分ることだ。鳥瞰していると、
娑婆は面白い。 ワシなど偉そうに喋っているが、所詮は500~1000年のスパンの話。現在の変化はな!
これを遥かに越えた段階に踏み込んでしまった。御主は、全く娑婆にまだまだ囚われている。無理は無いのは
分かっているが、娑婆はな!娑婆でしかない。その中に住んでいると見えないのだろう。何時も言っているが、そ
こで娑婆を冷静に見ようとしたら、独りになりきるしかないのじゃ。だから、4つの視点、力、愛、知と、超越
の時間(孤独の時間)のバランスが重要になるのだ。ワシという存在対話をしている、これは超越の時間である。
ワシはな、御主の中の超越の時空を与えていることにもなるんじゃ。ワシの価値=意味はな、御主の中の純正
意識を語ること。それをな、先祖霊としてな偽霊化して語らしめることにある。    またな!    

・・・・・・・
2007年01月21日(日)
 2119, 家族について          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ~
最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・
神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか! 「連れ添いの当たり外れを五分五分に
するのだから!」 そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。子供にとって
親の仲で運命が大きく左右される。その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定されて
いるというのも、肯ける。人の幸福の第一は家庭内の平和である。家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあう
ことの他はない。それがまず人生の基本になくてはならない。色いろあったとしても、恵まれた家庭に生まれ、
また恵まれた家庭をつくることが出来ただけでも、良い人生であった。(自画自賛か)結婚するまで、私には帰る
べき家があった。年越しで家で越せなかったことは就職をした年の唯一度だけであった。それまでは両親と必ず
年越しをしていた。家内も家庭に恵まれた人で、愛情がタップリ注がれた人である。愛情をタップリ注がれた人は、
芯が強く明るい人生をおくる人が多い。家族を辞書で引くと、「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により
結ばれた近親者を含む生活共同体。」という。家族は最後には何らかのカタチで分裂、消滅していくものである。
二人の男女が出会い、結ばれ、子供ができ、育って、巣立ちをしていき、そして二人が次々と亡くなり、
消滅していく。私が好きな「男はつらいよ」の主人公のトラには帰る家があった。
 (字数制限のためカット 2011年1月21日)
 ・・・・・・
2006年01月21日(土)
1754, ライブドア・ショック
          (っ´Ι`)っ { おはよう~
強制捜査の日に東証が全売買停止をしてしまった。これは暴落の歯止めという点では良かったのだろう。          
 (以下、字数の関係でカット09年01月21日)
・・・・・・・・
2005年01月21日(金)
1389, 迷ったときは運命を信じなさいー1        ー読書日記
―すべての願望は自然に叶うー
書店で、何気なく手に取ってみた。店内を一回りをした後、再び本を開いてみたが、やはり一言一言が突き
刺さってきた。すぐに買って読んでみて、なるほど面白い。世界に2千万人の読者がいるというのも肯けた。
癒し系の本であるが、書いてある内容が解りやすくビジュアル的である。 まず第5章の「偶然の一致の役割」
が面白い。 偶然の一致を起こす方法として「偶然日記」を書き連ねる手法が紹介されていた。
日常の出来事の中で、偶然の出来事を記録するという手法である。記録するうちに自分が望む方向、
導かれる方向がわかるというのだ。丹念に記録すれば、自分のプラスの方角がみえてくるのは道理である。
私も過去に自分のシンクロニシィテー(信じられないような偶然ー意味ある偶然の一致)について何回か書い
てきたが、書き連ねるうちに自分の原型に気づいてきた。 書くことで、今ある自分の奇跡に気がつくのだ。
後で振り返った時に解ることが、「書くことで偶然を意識する」ことによって「今この時に覚醒している不思議」
に気がつくのだ。「自分が今ここにある」ことの奇跡を誰も気がついてない。それに気がつけばつくほど、
偶然に対して真摯になる。全てが奇跡、偶然の一致であるのだ。その積み重なりが『今、ここ』である。
この本は、ただ面白い、それも解りやすい。今ここで『おい、面白い本はないか!?』と言われれば、この本を
薦める。但し、「素養と、求めるものがないと無理」である。周辺の雑事に追われていては、尚更無理。仏教で、
この意味ある偶然を『因縁』という言葉で説明している。因は直接原因、縁が間接原因としてこの二つが
重なって出来事が成立すると、教えている。        -つづく
---------------
2004年01月21日(水)
1022, 「眠りについてのお話」-1
「経験を盗め」ー読書日記  ー「眠りについてのお話」                            
糸井重里と二人の専門家との対談集で、18のテーマになっている。新幹線の中で、丁度30分で1テーマを
読めるのがよい。「眠りについてのお話」が面白い。糸井重里×井上昌次郎/矢崎葉子の対談だが、身近な
ことなので非常に興味をもって読んだ。『眠ると意識のレベルが下がり、外界の変化を見たり聞いたり嗅い
だりということがほとんどできなくなる。
   (字数制限のためカット 2011年1月21日)
・・・・・・・・・
2003年01月21日(火)
 657, 四行日記-2
わずか四行を毎日書き続ければ間違いなく自分が変わっていく。このポイントは最後の「宣言」を肯定語で
締めくくる事だ。これは肯定思考の訓練になる。毎日書き続けることで、自分の気持や注意に客観的なれる。
「何とか性格構造を変えたい!」と思っている人には良い習慣になる。また起承転結の訓練にもよい。 
起ー事実、承ー気づき、転ー教訓、結ー宣言 これを書き続けることは、文章作法をそのまま身につけること
にもなる。課題ーテーマ発見、論理性、問題解決、肯定思考を少しずつ身につける訓練そのものになるのだ。 
それも身近な事を一つづつ取り上げて。何気ない事だが、この記号もよい。 
 事実ー■ 気づきー◆ 教訓ー● 宣言ー★
これを決めておけば、目安になって( ..)φメモを楽にかける。話が変わるが、私の考えた「知情意とその他」
の4項目日記も手前勝手だがよい。自分で試みで明日から手帳に書いてみよう。面白そうだが初心者には
向いてないか?  昨日だったら
・知ー送ってきた本に目を通すが面白い。
・情ーー昨日見たDVDの映画が面白かった。タイムマシーンの設定が良いのだろうが、
 その画面のリアルが素晴らしい。
・意ー何か時代の変わり目を感じるが、節の面白さを劇画的に見る自分が可笑しい
) 
でもやはり四行日記の方がわかりやすい!  昨日の四行日記を書くと
■ー四行日記がおもしろい
◆ー身近なことを具体的に考えるのに便利だ
●ー随想日記は少し抽象的過ぎたか?
★ー四行日記を非公開で少し書いてみよう
習慣は第二の天性である。如何によい習慣を多く身につけるかがその人の能力といってよい。
・・・・・・・・・
2002年01月21日(月)
 307,方針ー政策
方針とは、こうしようという積極的枠組みより、これはしないというマイナスの枠組みという。
どこかのセミナーの今でいう、カリスマ的コンサルタントのピーク時点の言葉であったから、
聞いていて「本当か?」と耳を疑った。しかし納得。 解りやすくケースをあげて説明すると
ユニクロは衣料のカジュアルー普段着以外やらない。
ヨーカ堂は、流通以外手を出さない。(ダイエー、西武流通グループは??)
・ある会社は絶対借金しないことを社是にしている。
・住友は浮利を追わずが「社是」で、このバブルを比較的軽傷ですんだ。
静岡銀行もバブルに対し頑なに一切それにのらなかった。 ジャスコヨーカ堂も。
当社も社是で、いくつか規定している。失敗したケースはそれを外れていた場合である。
生き方も、家訓も考えたらそのケースが多い。
ー家訓はー父の教えは、
・請け判は押さず ・人に金を貸さず ・共同事業はやらず ・一つの仕事に縛られない、
 転業はどんどんやれ  ・死に金は使うな  ・名誉職はつくな ・近所の人と親しくなるな
 ーつかず離れず
硬い商人のごく当たり前のことだが、特に保障人の請判だけは繰り返し気をつけるように言っていた。
やはり人生の中で数回きた、同級生の? や親戚がきた。なるほどと思った。あるビル管理の担当が、
「自分は?大を出て大手の会社に勤めていたが、カミサンが社宅のある奥さんに頼まれ、
連帯保証の請け判を押してしまい破産、会社に居れなくなり、こうして掃除をしている」と言っていた。
ハン一つで人生全て失う。父がこれを言っていたと思った。父は自身の生き方は無借金だったが、
借金の諌めを言った事はなかった。無借金の自分の限界を見たためであろう。
・・・・・・
1月21日 1969年
14時に学校に着く。しかし図書館はいっぱいで座る席がない。仕方なく帰ろうとすると、
深井とバッタリ会う。30分位話をしていると石川と宮崎もくる。彼等とその後に話をする。
その後1人で、新宿の紀伊国屋に行くが思った本がない。17時過ぎに帰寮。前から思っていたが、
入社前に1人で卒業旅行をしようと思いつく。それも当てのない阿呆旅行がよいだろう。最後の
学生時代の思い出つくりに良いだろう。そこでじっくり考えるのもよい。行こう、いややめとこうか