つれづれに

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今日のYoutube

 毎日、TV漬けの日々。昨日は大学ラグビーの決勝戦
明治大学帝京大学。20対21の一点差で帝京の9連覇の優勝。
それと女子サッカーもあった。今日も高校のサッカーとラグビー
の決勝戦がある。寝正月もいいところ。




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4682, スマート革命 ー3
2014年01月08日(水)    「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)       
  * エッ 自動運転の車が近未来に販売?             
 スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7~8年内に発売予定の
ニュースには驚いた。以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが
凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実になるとは、誰も予測して
なかった。如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって、
何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー
   <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現>
1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢
がスマート革命により実現されようとしています。人工知能の塊である
ドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手
マイケルとが楽しく会話しながら事件を解決すると言った筋書きでドラマは進む。 
自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、スマートカー
にもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って
来る時代になってます。車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして
提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を
音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように
感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、センスの良いトヨタ
トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。
ドライバーが「プリ君」(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。
「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。
非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には
会話力が付加されるでしょう。
  <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?>
音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代
には、機器が人の友達として立ち現れます。(昔、筆者もIBMのオフィス
コンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありました
が、その時IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。
技術的に説明するとこうなります)擬人化インターフェースの時代は
ナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代
(人が機器を人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が
「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。
そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。
▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると
 更に世の中が一変する。その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種
が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、これが現実の流れになる。
その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差
更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 
 まさかスマートカーが現実に?

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3940、新年にあたり ー4
2012年01月08日(日)
  * 御先祖・四四太郎様の警告  ー?
 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。
子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、この津波は世界にとっても
日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。これは80年前の
1930年代の大恐慌と同じか、それより遥かに大きいから始末が悪い。
以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。しかし情報化社会では、
その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きて
いた16世紀あたりから白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり
支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、
300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国
させたのがアメリカである。その後、日本は日清、日露戦争で勝って調子
づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされ
てきた。そのアメリカが、経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のこと。
 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、
覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を
失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の復讐を恐れたアメリカに
骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。
まあ、お前さんも66歳、今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器を
フルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。
 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明
を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい仕掛けが隠されている
のを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が
優位に立ってしまうことだ。これは、最優位のものが、情報により総取りが
可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。
これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も
同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしているグループが実際に存在していて、
情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界を
どうとでも動かせる。まあ、この辺で話は止めておくが・・ 娑婆は御前さん
の想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは
自分の地頭で考えるしかない。要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、
それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。
度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる
評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。 言葉狩りとかいうらしいが、
目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。
あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、
この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ!


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2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 
2009年01月08日(木)

 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。
何かの夢をみている中で、空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。それを神経を
集中して見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が呼吸が
出来なくなったのである。 ハッとして夢から覚めたが、何分か息をしてなかったようだ。
必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分の悪さに見舞われる。その時、
「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。
そして数分の間、深呼吸をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。
その繰り返しである。そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 恐ろしくて目を
つぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で目を見開いていたが、恐ろしい不気味な時間であった。 
無呼吸症候群ではないのだろうが、高齢現象なのだろうか。

書いていて思い出したが、子供の頃、父がイビキをかいていて急に呼吸が数分止まることがあった。
再び呼吸をしないのではと、耳を済ませたことがあった。
以前NHKの番組で、無呼吸症候群を取り上げていたことがあった。死に至ることもあるという。 

毎晩、耳には耳栓、足の親指にはゲルマニウムのリンク、目にはゲルマニウム入りのアイマスクをすれば、
脳は熟睡した後の深夜にフル回転するのは当然だろう。 夢は想像を絶するエネルギーを使っている。
特に耳は寝ている時に無意識で使っている外部センサーである。
耳栓をすると、9割の音が遮断される。 そのため短い時間で寝入ることが出来る。
その結果として熟睡後に夢を集中してみることになる。我われは深夜でも多くの雑音が入っているのである。 
起きたときに、そのことを殆ど忘れているだけ。 チョットした工夫で不眠症が改善されるのである。

睡眠時無呼吸症候群の定義を調べたら
《「一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこるか、睡眠1時間あたりの
無呼吸数や低呼吸数が5回以上の場合。」とされており重度の症例では呼吸困難で死を招く。》
とあった。これからみたら、無呼吸症候群ではないが、肥満で鼾をかく人に多いようだ。

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2008年01月08日(火)
2470, アメリカをWeb世界に類推する
                          *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ
 「ウェブ時代をゆく」-4  読書日記
 
 現在のWeb世界の現状を、人工国家アメリカの建国と同じ位置づけをして考えているところが面白い。 
また、否定的にみる傾向の強いアメリカをプラスの面から照射しているのも新鮮。弱肉強食とはいえ、
強者であればチャンスが開かれているのもWeb世界と同じである。これから考えると、Web社会は
弱肉強食を強める可能性もある。逆に弱者でも、最低の保障も与えられる?が

ーその一部を抜粋してみるー 
「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではない
でしょうか」 司馬遼太郎は「アメリカ素描」で、老境に入った在日の韓国人の、こんな言葉を引き、
次のように書いた。
「いまもむかしも、むかしも地球上のほとんどの国のひとびとは、文化で自家中毒するほどに重い気圧の
なかで生きている。そういう状況のなかで、大きく風穴をあけたのが、十五世紀末の新大陸発見だった。(中略) 
文明のみであなたOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへ移住はせぬにせよ、
いつでもそこへゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか。この人のみじかいことばは、
そういう意味のようであった」(二〇頁)『アメリヵ素描』はアメリカ論の名著である。私も何度読み返したか
わからない。司馬の在日韓国人の友人は、司馬がアメリカに行くと聞き、冒頭の言葉を発する。
アメリカとまったく関係のない人がこういう言葉を発するのかと司馬は感慨を持ち、アメリカという国を、
「決して、そこへ行かないにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感」を「人類の心」にもたらす存在と
認識するのだった。さまぎまな矛盾を炮えるアメリカのすべてを肯定する気はないが「あなたの国の疲れた者、
貧しき者を、私のもとに寄こすがいい」で始まる「自由の女神」の台座に刻まれたエマ・ラザルスの詩に象徴
される開放性と寛容の理想が私は好きである。二〇〇一年の同日多発テロ以来その内向化や閉鎖性が指摘される
アメリカだが、人工国家アメリカの他国とは全く違った開放性を私は相変わらず日々感じながら暮らしている。

本書でたびたび登場したアンディー・グローブは1956年、二十歳のときにハンガリ動乱に関わり祖国を
脱出して難民輸送船でアメリカにやってきた。アメリカに下り立つと、歯医者.眼鏡、補聴器の費用から、
大学の奨学金・教科書代・生活費の一部まで・支援団体が支払ってくれた。
そのことに彼は感激し・アメリカでの自立に向け猛勉強し「自立の精神」でたくましく成長し、
機会を与えてくれたアメリカへの愛国心を抱く(アンディ・グローブ著一僕の起業は亡命から始まった!
一樫村志保訳、日経BP社)。私はこういう話を聞くとなぜか無性に嬉しくなる。
(字数の関係でカット09年08日)

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2007年01月08日(月)
2106, それがどうした!それでどうした!
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
     
「それがどうした!」 究極の開き直りの言葉である。そして「それでどうする」が、ギリギリのところで
思考から手順への転換点への切り替えの最後の言葉となる。「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一
による小説作品になっている。フランスのミッテラン元大統領が、女性問題について質問した記者に対し、
応えた言葉「Et alors?(それがどうした?)」もコミック的である。

人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。この中傷・誹謗や不安感のために
人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。その時の悩みに対して、「それがどうした!」「それでどうした!」
と開き直ってみると、ほとんどは何ということもない。 そうでもないか?まあ、話を逸らさないために、
そういうことにしておく。「それがどうした!」と開き直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、
思考停止にするか大きな分かれ目になる。その対象の問題の本質の「正一点中心無」に向かって開き直って
掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。掘り下げると、殆んど「そんなもの、何とことない!」
に行き着く。関西で「何ぼのもんじゃい」という言葉もあるが・・・
   
事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うことになる。「それでどうした!」そして、
「それが何だ?」「それでどうする?」とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」となり、
そしてあとは「なるようにしかならない」となる。 その繰り返しの中から手順をみつけていく。

先日、飲みにいったママさんが、あるお客に「御前はこの辺の飲み屋の中で評判が悪い!」と言われた、
と深刻そうな顔をしていた。「ああ、引っ掛け言葉にやられたな!」と。これは定食屋の定番言葉で、
迷っている時ほど、これにやられる。卑しい「世間屋」のあれらの「低俗男」が何も考えないで、二軒で
同じような話を聞いていう、あの引っ掛け言葉である。

「週間ポスト」「週間現代」「週間文春」の低俗記者の記事レベルの売らんかなのタイトルレベル
の引っ掛け話である。その程度の話を一度いった連中は二度と身辺から遠ざけてきたが。 
それでも寄ってくるが・・・
    
長岡のある不動産関係の??の男に「あんた、不動産仲間の中で評判悪いよ!」と言われた事があった。
ムッとして思わず言ってしまった。「私にとって最高の褒め言葉として聞いておく!」と・・・
これが本人にとって大うけをしたらしく、それをその連中に言って回ったと言う。
これだけ侮蔑した言葉は無いだろうがますます、世間屋様に嫌われたか!  それがどうした!

父親の下で「うだつのあがらない二代目」などの小池宇宙の世間屋様の商品に対し、「それがどうした」
「それがなんじゃい!」を自分の脳を守る「超越確実言明」にするしかない。 
石ころが遠くから見れば同じような砂利でしかないが、ただ変形度がおおきいだけ!じゃないかい、
という声が大きく聞こえてくるが。「それがどうした」そして、「うんで~?」と呟いていれば
知恵がてくるから。ゴミ取り言葉!  蝿取り言葉! か? そんなところだ!              
              ウンジャ(o ・д・)ツ 蝿、いやバイ!
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2006年01月08日(日)
1741, 教養とは -1

「教養の意味」を検索で調べてみた。 (/´Д`)/Hei !!!!!
     (;¬_¬)  sonnnamon 今日用がない monn!
    
・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。         
・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる一定レベルの知識や 常識を
  持っていることは当然として、古典文学や芸術などに対する幅広い知識を備えており、かつ、
  それらの知識が品位や人格およびものごとに対する理解力・創造力に結びついている状態を指す。       
 ーギリシア語ではパイディアであり、意味は「子どもが教育係に指導されて身についたもの」のこと。
 ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
 ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。それぞれに教養の捉え方に対する
  文化的な温度差がある。学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。
  伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに相当するものとしても捉えられる。         
  大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。
  社交界や人付き合いの場面において、洗練された会話や身のこなしができる能力。
  --
 以上が検索で調べた内容である。
       
 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた後でも残っている素養」
 という言葉である。「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。
 私など無教養を自認しているのは「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。
 何故必死に本を読むかというと、「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積
 してきた文化を知りたい」からである。「教養は愛の別名」というのがある。 
 「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というとなお納得できる。 
  豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが一般的な意味である。
 
  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく
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2005年01月08日(土)
1376, 日常最上

書店で「日常最上」という言葉に目が吸い寄せられた。日常の何げない生活の中にこそ、実は最上
の時間であるという意味である。それに気がつくのに、何年かかったことか。 この随想日記に
「22・23歳の日記」を書き写してきたが、三十数年ぶりに読み返してみると、当時の「日常の何げない
些細な友人との会話や議論、そして感情の起伏や感動全て」が光り輝いていたことに、初めて気づく。
現在でも日常の些細なことが全てが実は最上ということに気がつけば、毎日が充実した生活を過ごせる。
あの35年前に、そのことに気がついてはいなかった。それを今にあてはめて考えてみればよい。逆に言えば、
日常にドップリつかってる俗世間を否定するのではなく、その俗世間そのものを味あうことがも必要である。

以前読んだ本で、印象的な内容があった。「神様に過去の、ある一日に戻してあげる」と言われた人が、
昔のある日に戻ったという。両親・兄弟がいて幼馴染の友達がいて、何げない全てが光り輝いていた。
何故その時、それに気がつかなかったというと、「どうでもよい事」ばかりに気がいっていた為だった。
日常最上は「生きていること、そのこと」が素晴らしいということである。悩みも、恐怖も、不安も、
怒りも、全てが最上ということに、気がつくことである。「生まれてこなければよかった!」なぞ
言語道断。そう思える人が多いが。他人から見たら、そう思われているのだろうが。

・・・・・・・・・
2004年01月08日(木)
1009, 心を軽くする言葉

何気なく図書館で借りてきた本を読んでいたら,ある項目にこの言葉があった。
そうそう手軽に「心が軽くなる言葉があるのだろうか」と思いつつ読んでみて、
ナルホドと思ってしまった。この随想日記も考えてみたら心を軽くする効用がある!
を軽くする映画シリーズは「男はつらいよ」であるが、少しテーマから外れるか。

私自身にとって「心を軽くする言葉は何だろうか」と考えてみた。
「何とかなるだろう、何とかならなくなったら、何ともならないでよい。
ただ問題の中心点からは眼はそらさないこと、最善を尽くすこと。
何があっても卑しくはならない事、そして人を騙さないこと」ということか。
この本の中で、ある女性には魔法のような呪文があるという。引用の引用になってしまうが。
「どうにもならないことは、どうでもいいことだ」 この一説を目にしたとき、スッと肩の力が抜けたという。
努力のかぎりを尽くしたのに成果が出なかった。といって、誰かを傷つけた訳でなし、死んだわけでもない。
どうしても必要なものなら何とかなったはずだから、どうにもならなかったことは、それだけのものでしか
なかったのだろう。これがその人の解釈だという。本人にとって正しく魔法の呪文だったのだろう。この文章
を書いていて、気がついたが今実行している「ありがとう」という言葉の呪文こそ「心を軽くする」言葉。
ウォーキングをして、1千あたりからスッと気持が軽くなるのが解る。
 この本ではシンプルな例として 
・「時間はすべてを解決する」
・「小さなことは気にしないことだ。そしてすべてのことは小さなことだ」があった。
 ところで、この不景気ほんとうに心が重くなる。心のレッスンと受け止めて、日々過ごしているが。 
   
・・・・・・
2003年01月08日(水)
 640 ,ラスベガス

去年の年末にBSTVでラスベガスのショーを連日放映した。
その華やかさにただただ驚いた。NHKの紅白より豪華で格段の差があった。
センスといい規模といい比べること自体が可笑しいといってよい。アルゼンチンでタンゴの
ショーを見て圧倒されたとき、ラスベガスのショーはこんなものでないのだろうと思った。

先日図書館で借りてきた本に偶然そのラスベガスを書いてあった。 浅田次郎の「絶対幸福主義」である。
彼は仕事の頭の切り替えにラスベガスに年5^6回行っている。そこでこの街をわかりやすく描写している。
ーラスベガスというのは、カジノだけでなくホテルもレストランも、全体が堅気ではない。すべてが遊び場、
夢の世界なのです。だから24時間、私を別の自分にしてくれる。こんな街は世界に二つとないでしょう。
何を求めて年に5回も行くかというとリフレッシュのため。いやリライフー生き返る・蘇生するという
造語を言わせてもらう。

まずホテルからして面白い。私が滞在しているのは「トレイジャーホテル」ですが。
その名のとおり、コンセプトが「宝島」。で、地下のフロアーに行くと海賊がウロウロしているんです。
隣の「ザ・ミラージュ」は、ホテルそのものがジャングルになっている。その隣の「シーザーズ・パレス」
は、古代ローマそのままの内装なんであります。街そのものがワンダーランド。ディズニーランド顔負け
であります。意外と思われる方も多いでしょうが夫婦や家族ずれで来るとさらに楽しいところだ。

どこに行ってもきれいだし、治安がいいし、買い物をするにも世界一というほどショップが揃っている。
洒落たレストランもそこらじゅうにある。この街の健全性に、私は感動してしまいました。
と同時に、いかに日本人が博打を罪悪してるかを再確認しました。
   ・・・・・・・・・
等々、目に浮かぶような描写である。俗っぽく言えば
「如何にお金を持つことが大事であるかと、またそれを使うには能力が必要」ということだ。私の場合は
秘境旅行を、そのままこの文章に当てはめることができる。「こちとらは、ニセモノのジャングルや古代
ローマや宝島じゃないぞ。本物なのだ」というのも金と能力の限られた人間の負け惜しみだ。
一度ラスベガス行ってみたくなった。何時も乗換えで飛行場から遠く街を眺めていたがこんな楽しい街
なら行ってみたい。金をたっぷり持った人種に圧倒されて帰ってくるのが目に見えているが。

 ・・・・・・・・
 2002年01月08日(火)  
 294、正面突破しかないのでは?

今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。
今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、雪達磨式に借金が年収の10倍
以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。今もその範疇より一歩も出れない状態にある。
「こうすれば、よくなるという」 視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。やはりクラッシュ
に向かって正面突破しかない。もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、この
視点から一歩も出ていない状況である。ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。
アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。解っていてもどうにもならないのだ。
この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。
一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。しかし見ていると、まだ腰が引けている。
恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。仕方がない、いや長期的にみたら
よいことだ。大津波がきている、しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。
恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。

・・・・・・・
1月8日  1969年

9時過ぎに起床。 10時半に両親と料理屋の「青木楼」へ行く。11時から実家の店の新年会だ。
70人ほどの会であった。 大広間にこれだけ集まるとさすがに凄い。
終了後店の二人の女性とボーリング場に行く。 その後4人が来る。6人の女性とのボーリングは楽しい。
その後、ゴーゴー喫茶に行く。 一時間で切り上げて一人で帰ってくる。
家に変えると、株屋の田中さんがきて父と話をしている。 22時に就寝。