つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

  今日のYoutube

 台風も、大したほどでなく過ぎ去った。
朝の信濃川土手は、ジャンパーを着ても寒いぐらい。

 三連休も、今さらだが、TVと、録画のドラマを見放題。
これが面白いものばかり。全然、飽きもせず、寝室のベッドで
独り楽しんでいる。歳ということだ。





・・・・・・
・・・・・・

4936,コトの本質 ー6
2014年09月19日(金)

  * 戦後、エリートが育たなかった    『コトの本質』 松井孝典
 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題をいっている。
それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はしてこなかったことになる。
≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人の
ことです。自分の知っている範囲のことをすべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかの
ように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない
ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲ではこうだ―という
いい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、
それを拡大し、人類一般な話としてどうのこうのというような議論までするわけ。
こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。 
 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったという
ことかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味では
ありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸は古今東西の歴史から、
芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に
自分の尺度を持ち、すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆ秀才と
いうのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。
問題がつくれない人はエリートではありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうと
しなかったともいえます。すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立った
ために、教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながらエリートは
育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、
我なんてないのです。しかし、いまの教育では前提として我があるかのように扱う。
それが個人の尊厳だと誤解しているーすべての間違いの元はそこにあると思います。
我とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を
主張しています。我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。
それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。
それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫
 ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは? 「ゆとり教育」は、まともな
両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに大きくぶれるのは周辺を
見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱
から生まれ出るもの? 著者の説によれば、全ての人がアマチュアになる。問題は自分が
マチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育
を押し付けられた結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2~4時間の
独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を持ったのが
40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたいとは思わないが、我とは何か? 
自分の問題とは何か? 等を、考えられる内部モデルを確立することが、まず必要ということ。
・・・・・
4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2
2013年09月19日(木)
ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー 
{2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー}
《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに耐えられないところから
消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に
一度の恐慌が始った。アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて
思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。そして、大きなウネリが
起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違う
のは何年にもわたることである。ところが日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。
これは2001年の9・11事件に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、
まず直撃するのは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。 次は、アメリカの証券会社
二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。
ティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融機関の惨状。
そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、果たして会社はどうなるのだろう?
逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルに
なってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。
国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは中間層が総下層になる。
社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。年末から100円
以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。
第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは
思ってもいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。
そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も違ってくる。
人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、
まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに
始るだろうから・・ ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。 
しかし、体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》
▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロから
 三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、何とか表立った
恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国のGM、クライスラーは国家管理。
EUも、中国も、これから変になっている。 ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に
世界恐慌になるのは間違いない。ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に
東京オリンピック」を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。
それだけ、リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! で、
インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは判断できる。その上に、
オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で酒盛りの用意である。不思議なのは、
地方の金融機関が、そのまま存続していること。時限爆弾の山だろうが・・・ 
最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!
になっているはずなのに、リンゲルを無制限に射っているため??
・・・・・・
4194, 呪いの時代 ー11
2012年09月19日(水)                           
   * 交換経済から贈与経済へ     「呪いの時代」内田樹著  
 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、留めないで次に回せ
ということ。情報に限って考えると納得できる。ブログなどで自分の持っているベストの情報を
公開(贈与)することで、世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という
言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的不況は、一部
勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。
ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー
≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」
 するということです。それだけ。「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、
商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。
自分で食べたり飲んだりして使う限り、保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いました
けれど、ある限界を超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」以外の
ことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないようなお金は「なくてもいい」お金だと
僕は思います。それは周りの貧しい人たちに「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たす
ことに使えばいい。ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに
使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、具体的に手で
触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・・
 ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。贈り物を受け取ったときに、
目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれがパスされるような人のところにしか贈り物は届かない。
そういうものです。贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。
市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを含む相互扶助的な
ネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が「もっぱら持ち出し」役である
ことを愉しむようなマインドをもつ人であること。そういう人のところに選択的にリソースが
集中するシステムが贈与経済システムです。 ≫
▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、日本が一時期そうで
あったように、国民が総中流が理想的である。しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取り
になってしまう。その辺が難しい。
・・・・・・
3829, 閑話小題
2011年09月19日(月)
  * 絶え間ない変化と変身
 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では小さい事象が
次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると色々あったことに驚いている。 
それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0~9歳までを考えても、新生児、幼児、
児童、少年期と変わっていく。10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に
節目がある。20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。そ
の中で絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、
中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 
そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。
何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身のダイナミックがなくなり、
人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調をきたす。こうみると世界も、社会も、自分も
常に時の流れの中で、変身し、最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は
死ぬしかない。「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。
とはいえ、あまり神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ、従うしかない。   
  * iPad 初心者の呟き
 iPadを購入をして三週間をすぎたが、御蔭で数ヶ月も過ぎたような気がする。
これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネットといっている割に、
ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、便利で使い勝手のよいアプリと、
ネット環境が劇的に進歩していたのである。ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、
「自分には縁のないもの」と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。
ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に切り替えられ分類
出来ることで、使いかってが格段に良くなった。ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。
一日一日が面白くて仕方がない。これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を
余儀なくされる。タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。
 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、そして、タブレットPCが情報を、さらに膨大に
世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾がきかないカオスの時代になる。 
これは中高年PC難民を救う。
 ・・・・・・・ 
3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9
2010年09月19日(日)
  * アフリカに魅せられて ー3
 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー
 ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、
その分アフリカ的である。まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、
それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと
地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 
その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。
その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、
タンザニアはフランス領だった。ケニアタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、
国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。サバンナで時おり現地の
鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。
草原に彼方此方にいるのではなく、車で20~30分走って、時に見かける程度。
ヌーとシマウマの群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 
群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。
大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。そのサバンナに
6メートル位の土の道路が何処までも続く。走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけない。
そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に
立って胸から上を外部に出せる。そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走って
いるような錯覚になる。車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。
自分より強いという認識があるという。だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。
しかし、時おり像のボスが襲うことがある。ボツナワのサファリで、その現場を直接見たが、
乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。特に危ないのが、
離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位の
マサイ族が逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、
ラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人が
ライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、群れに
生きたまま食べられる映像を見てしまった。 何でもありである。
 ・・・・・・・・
3089,つれづれに-閑話小題
 2009年09月19日(土)
民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。
100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。  検察と国税と土建の国土省の狡猾な
宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代える ところがミソ。
自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。
 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか?
 そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。
・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。
 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。
 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、
 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような
 発想そのものが出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」
 だと、更に破壊しないと無理。
・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。
 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで
 現場は大変のようだ。身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。
 問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。 しかし、来年になると新潟に
 ある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽原発が当分フル稼働が出来ないので、
 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収した
 と思っていたが、そうでもなさそうだ。いずれにしても大変である。
 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。
・・・・・・
2724、世界恐慌の結果、どうなる?
2008年09月19日(金)
・・・・・・・・・・
2007年09月19日(水)
2360, ギリシャエーゲ海の旅 -6
  ーギリシャ旅行の総括ー (1)
この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、
オーストリア、スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に
積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。
 (字数制限のためカット 2014年9月19日)