つれづれに

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   今日のYoutube

 家内は、年に回の4日間乗り放題で毎日、お上り。
さすがに、最終日の今日は?と迷ったが、天気が良いため、
そそくさと出かけて行った。 ネットサーフィンで普段から新名所
とか、美術館を調べているので、幾らでも目的場所があるらしい。

 


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3820, 哲学人 ー⑪
2011年09月10日(土)

   * 現実と経験と言語は一緒ではない       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ー まずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分から ー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解についてジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。むしろ、私が言おうとしている
のはこういうことです。 何を現実とみなすか ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、
一脚のテープルとしてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルとみなすかー は、
私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なものです。
それだけではありません。世界を経験するとき、私たちは経験そのものを 形成する際に役立つ、言語的な
カテゴリーを通じて世界を経験しているのです。 世界はもとから物体と経験に分かれて存在しているわけでは
ありません。何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界を
どう知覚するかは、その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用することを、いわばみずから
独立自存する物体にラベルをつけることだと想定するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類する
とおりに分類されるのであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。 現実の把握は、言語的な
カテゴリーしだいなのです。≫
 この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする他分野の専門家たちによって、
さらには、一部の社会学者や人類学者たちによって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たち
の表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に影響を受けている」
という点については、私もサールに賛成したいし、誰もが同意しなくてはならないだろうが、私としてはこれを
カント哲学的な意昧に解釈したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、もしくは
第一に言語という性質をもつとする点は認められない。考え方としてはわかる。わからないのは、そしてこれまで
 一度として理解できたためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。というのも、
それは私の直接の経験によって真っ向から否定されるように感じるからである(この点に関して私が特殊である
とは思えない)。】
― 
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にするつもりだが、それが、
 この30年の構成の提示になる。創業10年、中間期10年、最後の10年、そして最後に、どのような
終わり方をしたか?、その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するかである。 
30年、人生の事業生活の大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で終わったということ。
その視点を失うと、総括は不可能になる。 炎上している世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて
変化している。その中で、言語的分類の枠組みを立て直すことが、まず求められる。「3つの震災が何もかも飲み
込んだように見えるが、実は情報化の潮流に飲み込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。
 分類は分析の第一歩。そのプロセスが総括。そこで価値(意味)を自ら下げることもない。今までの価値観の
コペルニクス的転換の時。ここの小テーマが「現実と経験と言語は一緒ではない」である。当然、この小テーマが
問題になる。「言語は、それを構成する」だけ。消滅してしまった事業の総括。ただ、それだけだが・・
あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。意思決定から45年である。
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3455, 渥美俊一氏死去
2010年09月10日(金)
 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。チャーンストア時代の
大きな転換期の目安になる。そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサスを
支えることができるかどうか?  昭和30年半ば、大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが
渥美先生の元に終結、成長・拡大し、そして消えていった。現在でも流通界におけるカリスマ的指導者で、
亡くなる直前まで講義を続けていた。氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。
日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大である。 バブル崩壊後は、ダイエー・マイカル・西武流通
グループの倒産が象徴するように、チェーンストア理論が必ずしも有効に機能しない側面が表面化し、これまで
の勢い失っていった。最近はユニクロのように、ペガサスに創業当初から属さない成長チェーンも出現してきている。 
学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立ち上げ、
ダイエーヨーカ堂などのチェーン店のコンサルタントをしていることを知った。そして「チェーンストアへの道」
という10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を貪り読んだ。
そして、それをベースに卒論「流通革命」を書いた。 それもあってジャスコの創業一期生として入社をした。
そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的
背景にチェーン理論があった。 セミナーだけで、50~60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の
二つの土地転がしで直ぐに元は取れた。 立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を得て、
その理論の正しさを確認した。 しかし20年前にバブルが弾けた瞬間、彼の理論は、時代とはかけ離れた
ものとなってしまった。「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。
それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店
を続けなさい」という理屈である。 またアメリカの流通事例を見せるため店舗見学ツアーを組んで、
2、300人と連れて行くのである。私も二度、参加したことがある。大量生産、大量消費の時代、流通システム
が全く旧態だった日本に、新しいバイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路
の拡大戦略を指導してきたのである。彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩める
ことがなかったのは、やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。ご冥福を! 
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3080,再び死について考えてみる
2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。 地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多くいて難儀をしていると
聞いていた。「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負って
いたようだ。その10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告
にあった。一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業の話を聞きに行った事があった。
暗い顔をした気難しそうな人だった。「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」
と言われ、それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、
子供たちに一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・  ところで、身近な知り合いと、第三者
の中間の立ち位置の「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場
の死から多くのことが見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾
(無になる~無には成りようがない ー無いものに何故なる?)という池田晶子の言葉の通りに、死という
言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にあるのが2・5人称の人。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に
思った、「何で人は周囲の眼を気にして好き放題生きないのだろうか?」と。子供ながら凄い疑問を持ったのである。
そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、次の疑問は父親の死に接した時である。死の瀬戸際から、逆に
「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。死に際で、「あと、せめて三年、生きたい」という生への
渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。その時に「人間は生きているそのことだけでベストである」
ことを肌で感じ取った。そのためか、父親が亡くなってから人生観が変わってしまった。「一日一日を生ききる
こと」が人生から与えられた責務と!。知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教えてくれる。 
生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
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2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
  ーまずは、その箇所である。
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かくとっていかないと、解くべき
問題を設定することすらできない。それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。だから、
時代とともに、より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。それが要素還元論です。
しかも自然と人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしない
わけで、それが二元論でしょう。現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。
「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられないわけです。 ぼくは今、
地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、昔のようにとりあえず現代の
知の体系のすべてを認識しましょうということを主張しています。何か新しい方法論が出てこないと、
「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。そういう過激な認識を持っているわけです。 
とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、「システムと歴史」という見方で、もう一回
すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も全部一緒に論じようとしています。
数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。宇宙の始りは過去のことで我々は経験しえない。 
そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付け
られている。そういう種類の以外のことばを持たない限り語れないでしょう。】
  ~~以上である。
 なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。「帰納法演繹法」発想法として「KJ法」
「テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼ」とか、情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」
「二元法」も、上記の中でしていたことである。この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、何か
恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。それに加えて、松井教授は、「システムと歴史」
という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、人間の歴史、個人の歴史、全てに当てはめて考える
ことができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という視座に入れて考えると、限界を
超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが人間の歴史、個人の歴史に置き
換えて考えてみたら理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。
「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。
  (字数の関係でカット11年09月10日)
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2007年09月10日
べナレスー7
3、 多くの化身を持つヴィシュヌ神
インドには石造りの壮大な寺院から路傍の祠にいたるまで、様々な神様が祀られている。
それらの中で現在最も信仰を集めているのが、ヴィシュヌ神シヴァ神である。
 (字数の関係でカット08年09月10日)
 ーーー
解)ユダヤ教キリスト教の関係と、ヒンドゥー教の関係が似ている。 何でもそうだが、
 必ずその母体があるものである。特に、厳格なものから、弱者の立場に立ったものが・・・
 ーー
4、破壊と再生をもたらすシヴァ紳
ヴイシュヌ神と勢力を二分するシヴァ神は、もともと暴風の神であったものが
民間信仰と融合し、次第に破壊と再生を司どる最高神となつた。
  (字数の関係でカット08年09月10日)
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2006年09月10日(日)
1986, 事業百訓・・・?
  H0901 事業百訓  
480 準備!そこから魔法がはじまる。 準備とは創造する喜びだ!。
  準備とは人生を苦労して前進する事、悩みながら生きていく事。
 ...並はずれたIQを持っているが、準備をするほど賢明ではない人よりも、
 力強い議論の準備をととのえている普通の人になりたい。
準備とはあくまで“心の底”の栄養だ!。(ゲ-リ-・スペンス=議論に負けない法)
     (字数の関係でカット11年09月10日)
 H0903 只今・戦闘中!
母が痴呆症になり丸三年が過ぎた。 安っぽいヒューマニズムや一時的な情愛など
“今の現実・現状の前に吹き飛ばされる!。家庭内は子どもを含めて毎日、毎晩が戦闘である。
週に一度は一晩に十数回起こされる。朝起きると寝る前より疲労している状態である。
親と子といえども正常人と異常人の戦いである。異常と正常が蛍光灯のように混合するから更に
問題が深く複雑になる。母自身も正常なときに“今の私の齢になりこの経験をしてみなくては、
この辛さをわかってもらえない!”というのも身にしみるから歯がゆい。遠くにいる姉達が時々
きて、忠告、助言をしてくれる、それが一面しかとらえてもらえず心臓を貫く位、一言一言が痛い!
でも口先介入だけの甘さが“中途半端な傍観者”として“怒りの嵐の対象になる。
でもこの行き違いは痴呆看護の大部分に生ずるトラブルで、ごく普遍的な事という!
年齢的風景の為か知人、取引先の人にも七人も同体験者がいる。”母を十年介護・見送った。
近親者のトラブルは当然あった。……そして娘が介護士になった。
この苦痛は同居介護した人間でなくては絶対わからない。
“実父を十年介護。自分の中にこんな優しさがあるとは…自分がうれしかった。”
“自分の近くに住む実姉が姑を完璧に看ておくった! 今自分の家庭に来て、看護について口を出す!
 おそらく貴方の場合よりつらいのでは?” 等等、まだまだあるが書けない位すざましい!
こんな事表現していいのか憚るが、心の中である姉に対してナイフを突き刺すイメージを持ったり、
妻に対しても“絶対に亡くなったら離婚してやる?”等・思ってしまう。
それだけ追いつめられてしまうものだ。今まで帰宅拒否症候群というのが私には理解できなかった。
本当はうれしいはずの金曜日の夜、帰宅するのが本当につらい!月曜日は朝、会社に飛び出ていける
のが救いである。妻にはそれがないだけ辛いはずだ!でも、すばらしい事も当然ある!家の中が暖かい!
赤ちゃん、幼児がいる家のそれである。 本人は天使そのものである。家より火が吹き出しているようだ。
それと子供達が何も言わずに私達以上に母の介護をしてくれる!子供に教えられるとはこの事である。
 (ボツにしていた原稿だが母が亡くなり半年、供養も含めてあえてだしてみた)

H0903 図書館の効用
  (字数の関係でカット08年09月10日)
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H0905  事業百訓  
491 人間はすでに「なにものか」(本質)として存在しているのではなく、常に
「なにものかになろう」として自己を世界に投げ出す自由な存在(実存)である。-サルトル
  
H0905  魂が万代橋の上を彷った話
 第2新館の役所の検査の直前の話である。
担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、“今回の検査はパスしない!..”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、
地獄の底へつきおとされた思いであった。“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、
そして私は?、会社は?...”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日
の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。その夜は満室
という事で事務所の長椅子に仮眠した。恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と、
酔いを含めて妙な夢になってしまった。魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋
まで、目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。それも魂が”
という感覚であった。そして目が覚めて!魂が浮いていたのは夢か! でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!”と念じた事を今でもはっきり覚えている。その2~3日後に設計士の
思いこみでしかない事がはっきりしたが、本当に長い氷つくような時間だった。
ーーー
  H0905 私を生かして下さい!  <H8.7.24の日記より>
 今朝、病院に日課どおり母の様子を見にいくと、母が私を担当医と勘違いをしたらしく
“先生、私を生かして下さい!”と両手で拝まれた。本能的な生への執着の言葉である。何とも言えない
気持ちになってしまうと同時に、その言葉の重みに圧倒されてしまった。死の間際にあっても、“生”
への執着のことば、そして死の不安を自覚している事実である。“これでよい、いやこれだ!”
生きる事への執着こそ人生で一番大事の事と思い知らされた。それにしても、担当の若い医師には呆れる。
人間の生き死にを扱っているのに何もわかってない!目の前の病気をなおそうとして母体そのもののことを
考えていない!。 薬は反面、毒である事を!。これが今の医療の大問題の一面なのだろう。
彼等は技術者であって医師・医者ではない。それが若いから許されていいのだろうか?。自分は判った
つもりでいるから始末が悪い!。 これから何年もの経験を重ねるうち今の誤りを気づくのだろうか?
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H0907  養老の瀧1122号店、店長の日々
(字数の関係でカット09年10日) 
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 H0909  ギアナ旅行記
  (字数の関係でカット08年09月10日)