つれづれに

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  今日のYoutube

  昨夜半は大雨で目が覚めた。
 で、今朝のポタリングは中止。
 空は雷の音が鳴り響いている。

 

・・・・・・
・・・・・・

5634,終わった人
2016年08月18日(木)
* 終わった人、ですか!
         <『終わった人内館牧子(著)>
 これは、アマゾンで見つけた本。 リタイアをした身にとって、
終わった人』は、ドッキとし、身にしみる。 団塊の世代が、この数年で
大量に職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わって
ない、端にいる人ほど一歩先に終わった人に、言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
 まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  ~アマゾンの内容説明より~
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  ~アマゾンのビュアーの声より~
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275~6頁)の★「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  ~印象に残った箇所~
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」      (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                   (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」   (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」          (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」★卒婚(292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、実家の関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

・・・・・・
5269,凶器としての狂気    ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月18日(火)
            ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * 凡庸な人生からの離脱 ~凶器としての狂気
 創業には、準備、準備、準備、そして準備が必要である。
新たな絵図面を信じ、ただヒタスラ、日々を過ごしている姿は狂気でもある。
そして、いざ実行段階では、自身が凶器そのものである。それも軟弱な
我が身を知れば知るほど、その刃を鋭くするしかない。それが若さでもある。
「人生、小説とは違う。弱者は悪、強者は善」と、目先の問題解決に立向かう。
 ある哲学入門書、『哲学を自分でつくる』瀧本往人著、の小項目、
「凶器としての狂気」を目のあたりにした時、ピンときた。この年齢まで生き、
人生を達観すれば、競争社会を生きること自体が「凶器としての狂気」の意味が
少なからず実感できる・・ 極限の境は狂わないと越えない! ~その辺りから
≪・精神の三態、つまり駱駝から獅子、幼な子へ、という精神の変化をニーチェ
 は描いていた。 駱駝とはたくさんの荷物を運ぶ存在で、重ければ重いほど
そこに自分の強さを感じとる。ギリシア古典の文献学的研究に勤しんだころの
ニーチェは駱駝だろう。
・しかし駱駝は荷物を運んでいる途中で突然獅子となる。それは、つまり世界
が見通せたことにより明確な探求の対象がくっきり見えたということであろう。
ニーチェの場合は、キリスト教道徳である。獅子はそのもっとも強大な対象と
正面から対峙し克服しようと試みるものの、批判することだけが可能である。
・そこで獅子は幼な子へと変わる。幼な子は何も知らない。何のしがらみもない。
そこで新しい価値が創造される。幼な子は、「ひとつの新しいはじまり」
「ひとつの遊戯」「ひとつの自力で回転する車輪」「ひとつの第一運動」
「ひとつの聖なる肯定」である、と二ーチェは言う。
実際にニーチェは、生を絶対肯定し、「永劫回帰」といった指標を示し、
「超人」としての生き方までも描きだした。それはまだ「駱駝」や「獅子」
を経ていない人には、理解しがたいのかもしれない。
その過程を経ている人にとっても、得体がしれないかもしれない。
私自身、自分がいずれにあてはまるのか、うまく考えられない。
 ~幼な子の超人とは、一体何者であろうか。二つの道筋が想像できる。
 一つは、ニーチェ自身もそうであったが、過去の記憶を忘却し世間のしがらみ
に束縛されないような生き方である。幼な子というよりも老人に近いイメージ。
この場合、「永劫回帰」という考え方も親近性がある。しかし、これは当初の
二ーチェが考えた超人とは少し異なってくる。つまり、自らの「強さ」を有し
新たな価値を創造するような存在ではなく、老成、老熟、高熟、つまり
「人を超えた存在」というよりも「熟した人」である。 
 そこでもう一つのイメージが現出する。自らを狂気にするか、もしくは、
狂気のふりをする、というものである。しかもそれは、本当は狂気に陥って
いるわけではないのにもかかわらず、そのような生き方を選ぶ。
 ・・(中略) 誰にも理解されないで生きることはたやすいことではない。
他者からの承認を媒介にせずに、どうにか生きようと努力すること、人間一般
ではなく、人間を超え出ようとする意欲を持ち、それを実践すること、
それがニーチェの「生きる意志」である。自立とはそういうことではないか。 
 いかがだろうか、「自立」とは、両親と別居し、自分で稼いで、生活をして
いる、ということとは、実は程遠い。それは「自炊」や「自活」にすぎない。 
 自身を追いこみ、他者とのしがらみの中で、孤高に生きること、そこにしか
自立はないとすれば、あなたはそれを望んでいるのだろうか。結局、私たちは
「主」でなく「奴」としてささやかな幸せをもとに生きていれば満足なのでは
ないだろうか。 超人への一歩を踏みこむことは、まだたやすい。しかし、
その渦中で生き続け、死んでゆくのは、敢然たる気概と勇気が必要。
あなたには、それがあるだろうか。 ≫
▼ 準備15年を含めた創業45年の人生は、精神の三態、つまり駱駝から獅子、
 幼な子へ、という精神の変化を経験する。だから、結果がどうであれ、
充実感が残る。別に誰に理解してもらえるかどうかは、問題外である。
問題は、孤高の世界で自立出来ているかである。だから、あれはあれで良い!
 私が最も嫌うのは、何事もなく御堅い地元企業で何事もなく、定年を向かえ、
凡庸を最善と信じ、OBとなっても群れ、比較社会で満足している幸せな方々。
・・・・・・
4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?
2014年08月18日(月)
   * レンタルチャイルド
 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、
9人の乳幼児が保護された件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と
発表、それが日本人のタネかは今だ不明。 これで直ぐに思い出したのが
『レンタルチャイルド』石井光太著である。ーまずは、レビューからー
《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィア
にインタビューまで。目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし
沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の間に挟まれる街の描写がえげつない。
だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。 黄ばんだ砂埃、
どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が
蠢き、虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。
文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜
が痛くなるほどの激臭だろう。インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われ
ている。中にはイモムシみたいに這いつくばって物乞いをしている子供もいる。
憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理障害児にされたのだ。
時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを父と
呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。自らマフィアになり、
子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、その子供が
またレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない
不幸の連鎖。彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。
だから自分より弱者を見つけて奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で
目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや売春婦を買う。売春婦にも相手に
されない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、弱い者は死んでいく。
生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても努力で
這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。
しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から
抜け出せない。しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、
全然わからない。結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》
▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。
 そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵の
ような姿。今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り
出されるか、この事件、表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。
そこには、非情な世界が垣間見れる。欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の
人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネかどうかである。それ以前に、
生きて出てくるかどうか? マフィアにより?世界の深い闇が、表立ってくる。 
今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である! 一部マスコミ
以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。
・・・・・・
4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2
2013年08月18日(日)
   * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億
 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならない
ように条件づくりをしていてくれた。末っ子という不利な立場でも何とか自分の
相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの事業資産を
兄と私と姉と母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。
強引に我田引水をしようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のため。
こっそり父に「お前のためにしたことだ、憶えておけ」と言われた。で、軋轢の
結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、
渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。
耳を疑ったが、母と兄は激怒、『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』と。 
 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、「この程度の案件
など朝飯前!」という思いがあった。そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、
34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。結果として、当時の
物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 
しかし最後はこれ、悪銭?身に付かずである。しかし、後悔は一切ない! 
長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っている。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。
決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。 父の、「長い事業の中では、
何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けた
ビルは、壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。
売りに出したとき、買い手に潰しが効く(スケルトンが可能)構造になるため。 
そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)
・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 
・妻子の連帯保証はなし。
・家内の銀行口座は別。 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで
通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、お金の恐ろしさを
感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される
獰猛な虎は、長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界
は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか認めないかである。
大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
・・・・・・
4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、
 一息ついた時。二つ目のホテルの土地を近くに見つけ、買収交渉に入り
 つつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
 ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月~金曜日はビジネスホテル
 が満室で、土日は学生服の売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。
 この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と裏日本といわれた
 日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。
 バブルで日本中が湧き上がっていた。ホテルも280室になり、利益体質が完成
 していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
 500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、
 戦後の日本経済と命運が全く同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。
 日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。それでも、バブルの予熱が日本を
 覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
 この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、
 夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。人生を俯瞰して「やり残したこと
 を還暦まで圧縮して生きる。30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。
 今から考えてみて、これは正解。バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行
 など無我夢中。個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 
 意味・人生を謳歌していた時期。しかし売上は下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、
 何とか目安がたちホッとしていた。二つのホテルが道路拡張工事で買収が
 近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、
 夢にだに思ってなかった。
・そして現在である。やはり、この10年も激動期。二つの中越地区の大地震
 そしてリーマンショック、東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・
 ショックによる大津波が襲ってくる。そうこう考え自分の人生を振り返えると、
 日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。経済大震災と東北大震災からして、
 やはり去年三月が引き時。
▼ 5~10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的
 視野で決断できない姿が見えてくる。振り返るってみて、人生の折り返しの時節
は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも無我夢中。そして、
人生の後半に入った。11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと
三年続き、その後に中越地震。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、
何とか目安がたってきた2008年9月のリーマン・ショック。この日を境に、
毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。
10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。
「年内に、大津波の本体の一波が押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、
末恐ろしいが。



3431, 我が家に新しいテレビが ー2





2010年08月17日(火)





 * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
 新しいTVを二日にわたり何時間か見たが、まだ地デジが映らないため、その真価は分からない。
恐らく一通り使いこなせるようになってから段々、分かってくるのだろう。
まずは色いろのシーンを見て、その色合いや音声の複合的良さが分かった。
 家内が韓流映画のシリーズをみているので、その違いがよく分かるという。
  二日間の感想といえば、
・とにかく映像が抜群に鮮明で、綺麗である。歌謡ショーや、プロ野球高校野球をみたがTVで、これだけ鮮明な映像を見るのは
 過去に一度もなかった。「映画館の映画とほぼ同じ迫力と鮮明さになった」という実感である。実物より遥かに映像の方が上とは!
・これまでのテレビとは違う「ネット・テレビ」というより、「映像専用の大容量の大型パソコンテレビ」である。
 ユーチューブを見ていて、10分前後としても世界中の数多ある映像から自分が選択した内容をTVで見ていることが不思議な感覚。
 ネットで、これまでなかったアクセスが出きるのも今までなかったこと。また色いろな写真もネットから引き出し見ることも可能。
・現在でもシャープの3Dの方が?という気持ちが残っているが、いざ画面をみると、その疑念がなくなる。
・未来のTVを目の前に突きつけられたというふうで、「東芝からの新しいTVの提案」という感。
 これではテレビ御宅になってしまう。
恐らく数年以内に、数分の一の値段になって、「東芝は、こういうテレビを提案します!」の、最初のモデルだろう。
ところで、実物より遥かに綺麗に見える映像とは何だろう?という、哲学的な問いが出てくる。
そういえば二代前のソニーTVのハイビジョン(ブラウン管)で、スイスの渓谷をみた時の驚きは強烈だった。
TVの画面でも大自然に直感的に感動出来た、そのことに驚いた。 それがキッカケでアルプス巡りをしてきたが。
人間も自然も、光輝かせることが、可能になったということか。    ー 冬篭りか?
 ・・・・・・・・
3056,人生は旅である
 2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。
  ~~
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。 その街での偶然と奇遇などの
 出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。 そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作りあげる。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。
  ~~
 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。
そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。
人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。 
地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が
自分の世界になる。 旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。 
そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、書きながら内省をしている。 
まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。 旅路の果て。 パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら
老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。
あと12年で後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。  
 ・・・・・・・・・
2691, 強者同士相互扶助婚姻 
2008年08月17日(日)
希望格差社会 -2    ー読書日記ー
構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を自己創造していく。 
「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は巧みにリスクヘッジすることができる。
彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。
その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。
これまでの家族社会学の常識では「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。
この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入で
あるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。高度専門職についている「強者」の男女が婚姻し、さらに豪奢な
生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。
不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。
(高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。
だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。
不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」の)確率はそれよりはずっと高い。しかし、リスク社会では、
かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や人脈などの文化資本を要求する。言い換えれば、
男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。
未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」の急増
という事実がある。リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを繰り返し短期的に二極に分化。
その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。
「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。
『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業生は、
多分、年に数万人ずつ、『一生』中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えてゆく。
これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、一生結婚できないフリーター女性は、年20万人ずつ発生していくのである。(…)
いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三十歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。
どうせ正社員に雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをしていた高卒者は、仕事経験や能力が
身に付かないまま、歳だけとり続ける。 よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、
四十過ぎれば見合いの口もかからなくなる。当の若者は、考えると暗くなるから考えない。
若者自身が、不良債権と化すのだ。(…) 結婚や子供を作ることなく、高齢を迎える元フリーターの中年男性、
女性が100万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。」(127-8頁)
 ----
 これを読んでいると、末恐ろしくなる。自由の裏返しが弱肉強食からくる格差の問題であり、それは差別につながる。
我々の年代は、地方では振り分けされない最終の学校が中学校であった。
(都会は、大学の系列の幼稚園・小学校の付属で選り分けされていた)その時は意識しなかったが、振り返って考えてみると、
ハッキリとした格差があった。その時の成績が、そのまま一生に正比例して拡大しているだけ。
そういえば、私自身、「5つの項目・両親のレベル、学歴、容貌、性格、相性という要素を考え、それが70~80?に近い女性で、
バランスの取れている人」を基準にしていた。そして色々あって、ご覧の通りである。「御前自身を考えてみろ!」という声が
聞こえてきそうだ。姉達のレベルからは段差はつけたくなかった。現在振り返ってみると、嫌な奴!だった。(・・今もそうか?)
しかし、5つのバランスは長い人生を連れ添っていくのに、一番重要な気がする。 それが破綻原因のケースを多く見てきた。
それもこれも、我慢、我慢、忍耐、忍耐ができるかどうかである。 「出来ぬ堪忍、するが堪忍である」お互い様だが。 
・・・・・・・・・・
2007年08月17日(金)
 2327, ベナレス -2                 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、
良きにつけ、悪きにつけショックであった。ヒンズー教カースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、
ガンジス川とベナレス、そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。
その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。そしてガンジス川からみた日の出。
ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。
この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てが
リアルにそのまま露出されている。それが日本とは対照的なのである。人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた
老夫婦や、老齢になったことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる前に移り住む人もいる。
この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、深さを増している。
インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体になる。また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も
毎日数千人もいる。なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。ここは死者の為の街であり、
その準備の為の街である。ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。この街が私を呼んだのだ」
と答えて、平然としている。彼らにとって、ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、
その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。  死が喜びとは!素晴らしいではないか!
                     ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年08月17日(木)
1962, 「事業百訓」を読み直してみて
  おはよ~!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ ねむ!
  二十五年前から書いてきた社内報の事業百訓を、明日から十数回のシリーズで振り返ってみる。
  このHPのコーナーにあるものだが、書いた私自身、この数年殆んど読み返してない。
  丁度良い機会なので、纏めつつ回顧しながら読んでみる。必死に書いたのだろうが、まあ真面目なものだ。
  「そのわりには現在の貴様は何じゃい!」と赤面してしまう。読みかえしていると、大きな変化がわかる。
  特に50歳前後が大きな転換期のようだ。母を見送り、下の子供も大学に入学。事業も、目標の500室を新潟駅前で完成。
  さて、これから如何生きようか?と、深く考えていた時である。
  そして、出した結論は、『60歳過ぎの人生を全て(30数年)を、10年間の50代で生きてしまおう!』である。
  実際にそれが出来たかどうか疑問だが、その時に結論を出して、色濃く?生きてきたのは事実である。                             (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
  その時期の文章は、どれも気持ちの入ったものが多い。それまではインプットした内容を列挙したものが多かったが、
  その時期から自分の気持ち・経験等のアウトプットのものが多くなっている。また、外に向かっていたエネルギーが、
  内面に転換したことが、読み返してみると解る。面白いものだ。哲学的になったことと、文章化の面白さに目覚めたようだ。   
  (字数制限のためカット 2010年8月17日)
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2005年08月17日(水)
 1597, ひらがな思考術 -2
ーまずは第一章のほどくの内容の概略をまとめてみた。この本は、読めば読むほど深い。
難しいことばを、簡単な優しいことばに置き換える以前に、ひらがなことばで考える習慣をつけてしまえということか。
 (以下、字数の関係でカット、2009年8月17日)
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2004年08月17日(火)
 1232, 「こころ」の出家 -読書日記
この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、
何らかの大きな転換期に直面してくる。情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。
 (以下、字数の関係でカット、2008年8月17日)
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2003年08月17日(日)
 865, 同級会-2
 昨夜は中学の同級会いや同期会があった。 小学校は一学年の同期が100人足らずのため、5年に一度の同期会になっている。 
中学校の同期会は今回が初めてであった。クラスで親しい男が卒業して以来初めて出席していた。名刺を見たら「日本レコード協会
の専務理事の肩書。ということは、日本の歌の世界の隠れたドンだ。ビクターの取締役になり、その後関連会社の設立に参加。
その後今の仕事をしているという。かなり重い仕事と言っていた。早稲田を卒業後、ビクターに入社。
初めの仕事が、桜田順子など3人娘の教育係だったという。森進一など有名人は殆ど旧知の仲とか。
「自分ほど面白い経験をした人間は少ないのではないか」とシミジミいっていた。
 中学だけをみてみると、その時の成績順で人生が決まってしまっている。ちなみに一番だった男が慶応大学の教授(数年前死亡)、
二番がこの人、三番が自衛隊のえらいさんになっている。後は保険会社の支店長、学校の先生など。成績の悪い人はあまり恵まれた
人生ではないようだ。恐ろしいものだ。「何を持って恵まれた人生か?」という疑問があるが、あくまでも表面的なことだ。
あと二年で60歳、皆その歳を目安に生きてきたようで心境は複雑のようだ。しかし会えば、心は今だ中学生だ。
クラスでは50人中既に7人亡くなっている。そのうち男は5人で2割になる。 最近亡くなった人の殆どが癌だ。
地元に住んでいると、小学校、中学校、高校の同級会に出席する機会が多くなる。30歳すぎから仕事や子育てに余裕が出るためか、
それぞれ頻繁に開かれるようになってくる。私も30歳前後に地元に帰ってきてからは出席をするようにしている。
学生から社会人に脱皮の20代は、学生時代の人間関係から一度離れることが人間形成で必要である。
その為に30代辺りから自然に開かれるのだろう。同級会は40歳が社会的に最前線に立っているときであり、担任の先生の
定年時期も含めて一番良い時である。クラスによって全く開かれないか、頻繁に開いているかどちらかだ。
地元にまとめ役がいるかどうかで決まるようだ。 前も書いたが、私の従姉は地元で中学の同級生13名が3ヶ月に一度も欠かさず
50年近く開いている例もある。こうなると賞賛すべきかどうか迷う。小学校は5年に一度、中学と高校は毎年のように開いている。 
ほとんど出るようにしているが、年齢を重ねるとともに段々子供時代に帰っていく。最近感じてことは、50歳を超えたら間隔を
置くほうがよい。特に学歴が上がっていくにつれて間隔が開けたほうがよい。家庭や会社の変動がおきてくる時期で不安定になるから。
大学の10年に一度の大学主催の同期会がよい。500人ほどが出席。教会でお祈りをした後、
大食堂で立食パーテー。その後に記念写真を撮る。集合時間の2時間前に行き友人と会い近況のなどの情報交換。
2次会はあるグループ、3次会は違うグループとハシゴをする。 それが楽しいのだ。
 ー以前この随想日記で書いたものをコピーしておきます。
まあ真面目に書いたいるものだが、読みなおしてみると、殆ど同じことを書いている。歳をとったという事か。
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同級会 -1
(以下、字数の関係でカット2008年08月17日)
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2002年08月17日(土)
 490, 随想テーマ日記の効用
毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。
何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。 多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。
 しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。
・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、その為に客観化が必要になるからだ。
・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、
 外部化をしていく作業が記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。
・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることになる。
 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分のパーツとしてつかえる。
・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。
・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、
 死んだあとも残る。とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。
 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていることだ。
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2001年08月17日(金)
 [111] 数ヶ月ぶりの古町
数ヶ月ぶりに古町に出る。16日の為か店は半分ほど休んでいて、飲み客も少ない状態であった。
昨年の暮れ行った店で‘安寿’という店で、「人生楽しく!」が本人と店のコンセプト
ということをこの笑い顔を見て今思い出した。このように笑えるのは大きい財産であろう。
「楽しいから笑うのでなく、笑うから楽しい」ということを本人がよく知っているのだ。笑いは訓練でできる能力だ。
古町は少し高いがやはり面白い。私のミニノートにジョークと駄洒落の索引がかいてある。
いつも鞄かポケットにいれてある。 開いたと同時にアルファー波が出てくる。