つれづれに

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    今日のYoutube

 地震や台風や大雨が続く中で、今度は台風。
オゾン層の破壊などが影響しているのだろう。

 7年前の以下の内容が面白い。
以下の内容からすると、私は幸せになるが。
傍から見て、不幸の最たる人間だろうに…

 これを書いた7年前から、「幸福論」の諸説の本を
多く読んだ。「マイナー1に対し、三~六倍のプラスの状態が、
幸福状態で、この状態を作っておけば、プラウがすり寄ってくる」
という幸福論が、説得力があった。で、一日、一週間、一月単位の
生活プログラムをたてて、6年半になる。そして、その逆の人達を
垣間見ると、これが、また、そう思えてくるから面白いもの。



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・・・・・・

3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、
特集をしていた。といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、
許可を得ているのだろうが・・・ メモを持ってなかったので、頭のメモに
書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、
  金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。
* 幸福度は、学歴に正比例する。    
     【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。
     【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】
* 都会は、そうじて幸福である。    
     【これも残念ながら、本当。新潟市長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。 
    【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。
                   【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。
 【そう、一番幸せだったのは、0~9歳、20~29、30~39、50~59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。 【最近、実感している】  
  以上だが、間違いがない。
▽ その他、* タバコを吸う人は不幸になる。
    * 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
   * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 
  * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
  この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 
  幸福論が好きだからだ。ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは
  人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、熱意を
  もって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。男性も女性も
  ほんものの愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなり
  プラスに転じる。」といっている。  

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3046,卒業40年周年か~ -5
2009年08月07日(金)

 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』
を入れたら、その当時の文章が出てきた。これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは
自覚している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
 ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き残しておく重要性を
つくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が
昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、
そのまま書くものはない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き
続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                  
 
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1~2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 
 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを
 必死に話をしていった。 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。
 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。
 4時間ばかりして帰っていった。 もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。
 それと大学最後の時が来ているからだろう。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
 ーー
 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一~二ランク上の男を狙う。
だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない
シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、
その眼もある。一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々。
この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。 
過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。 
死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 
この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。 今は使用後。 という感? 
使用後というには早いか? 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。

・・・・・・・・・
2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 -1
2008年08月07日(木)
      「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著
                               -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」
「世界バブル経済の始まり」を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本は
ショッキングな内容である。金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、
力が入っている。 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から
社会の潮流を見ると違ってくる。   まずはーはじめにー の以下の部分から
   ~~
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つ
しかないのか? けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は
前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。
従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、この恐慌を逆手にとって
ひと財産築いてしまえばいい。そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、
どうだろう。これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」
「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、
まかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。いま、金は、一九八○年の最高値
一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、
金融恐慌が本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。
わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパー
マネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。いまや北米をはじめ、世界の
あちこちで鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって、地下二〇〇〇メートルの鉱山で金を
採掘している。つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。
自らリスクを負った経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。
いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
 ~以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
~次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。

  ・・・・・・・・
2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ~

ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして
面白そうなので取りあげてみる。幼少のときから父親に大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて
行って貰ったこともあり、ラジオの大相撲放送を聞いたり新聞記事をみていた。私がみてきた
50数年間の力士の中で「朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。
他に強いのがいなかったこともあるが、それだけでない、あれは強い!
外国人に大相撲を開放した時に、協会は文化の違いによる騒動は覚悟をしていたはず。
それも一人横綱ということで、朝青龍を協会の親方衆は極限まで我慢をしてきた。しかし白鵬
という二人目の横綱が出来たことで状況は変わった。それまでの彼への我慢が爆発をしたのである。
いや正論を言えるようになったのである。あの気力、瞬発力、抜群の筋肉は日本人とは違う体質。
その上に、ハングリー精神は現在の日本の環境では出来るわけがない。強いのは強いのである。 
それはさておき、入門時に相撲道の精神を徹底的に教えなかった協会に問題がある。
「大相撲は神事」が前提であり、その前提を守らなければ追放すればよい!
今回は追放が当然である。 迷っている方がおかしい。
個人的には、戦後最強の横綱には悪役としてでも残って欲しいし、若手力士の前に立ちはだかって
欲しいが、ここまでの好き放題は「神事としての相撲道にとって百害があって一利なし」である。
北の湖理事長の人間としての未熟さが、そのまま協会としての態度を甘くした。
さらに元朝潮の高砂親方が輪をかけて甘い。いずれにしても、引退は避けられない事態である。
何事もなかったように処理することこそが問題だが・・・日本の部数トップ誌の読売新聞の一面
トップ記事で「引退勧告」と書かれて、誰が土俵に上がることができようか?外国人なら過去の
因縁が無いからありうるか? 横綱審議会とかいう「(大)変な集まり」が、この場面の出番
じゃない?のか。保身で生きてきた各界トップの教養人達は、こういう時は沈黙を保つものだ。
何度も「辞めさせるべき行い」があった時に、殆ど口出しをしなかった。 今回は即刻「理事長と
高砂親方の辞任と、朝青龍の追放を進言した上で、彼ら全員が辞任すべきである。」
それが、当たり前。何のために存在しているか、それすらも考えられないレベル? どうなの?
しかし現在彼が辞めたら、つまらなくなる!
あの相撲にかける気合は、人間離れした稀有な存在であり、相撲にかける情熱は尋常ではない。
辞めるに辞められない、辞めさせるに辞めさせられない、ってのは何処かの首相と同じじゃない?
これも文化・文明の違いによる相克か! おふたりの心の葛藤が直に伝わってくる・・・
一番好いときこそ魔がさすが・・・ 二人の共通点は進言する人物がいないことだ!
帝王学など有ろうはずは無いが、あるなら孤独にならないと!モンゴルに帰りたい??
帰ったら、辞めてから。 いや辞めれば、全てスッキリする。                   
                              ばいばい☆ヾ(=・ω・=)o
・・・・・・・
2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える-21
            ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える -1

さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚
システムが、共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度
の破壊者という顔をして、そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
 ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、
ローマ人は「リストラ」に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった
消極的な改良ではなく、本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に
何度も成功したからこそ、ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた
中でも大きなものだけで、数えて三回あった。
・最初は、王政から共和制への移行です。 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスに
 よって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、以降は一人の王に代わって、
 執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部
 の改革である。貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を
 平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。 カイサルがその設計図を引いて、
 アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス
 兄弟やマリウスやスッラが行った諸改革は、数えればきりがない。 ローマ人にとっての
 政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。  
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、ローマ人はこの種の
「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、
 かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を、彼らは持ち続けた。ある意味で、
 ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる
 欧州で1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として
 学ぶべきである。   -つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年08月07日(日)
1587, NHK 受信料不払い問題

NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞の社説に丁度良い
タイミングで、不払いの深刻な事態についての解説があった。 現時点で900万件の
契約があるというから、今年の契約数3660万からみると2割が受信料を払ってないこと
になる。不払いの理由は、一連の不祥事に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが
変質して、払わなくて済むものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わる
ことがないだろうから、NHKにとって、大問題である。 以前『NHK不払い』について、
この日記に書いたことがあったが、そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、このHPを
覗いていた。大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、不払いをしたいのだが。
30?を越えたら真剣に考えるつもりである。不払いに対する罰則が無い限り、歯止めは難しい。
有料制度にしたら、半分以下になるのは私でも判断できる。いや3分の一か。罰則が無いのに、
今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、これからはそうはいかない!
深刻な存続の危機である。時代は、民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換
が必要だろう。情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。 NHKも、
この情報化の大波で漂流を始めた。恐ろしい時代になった。この問題と郵政を重ね合わせると、
NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している立場になる。国営放送の時代ではない、
完全民営化の変身しかない。 公務員?は現在の十分の一でよい!!

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
2005/01/31 1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
  (字数の関係でカット 09年08月7日)
・・・・・・・・・
1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日

長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも
観覧席が出来はじめたときいていた。それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の
空き地に「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、近畿ツーリストの
シールが貼ってあった」とか。この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって
8月2日は満室だった。それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど
納得をした。バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。
その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。
京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、
花見をして夕方に京都を出発。やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。それで一万円
なのだから、価値は充分にある。その花火版ということだ。サッカーも、最近バス・パックができた。
会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。
趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、
秘境?の地(アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも出始めてきた。                                           
時代は、サービス化である。
・・・・・・・・
2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記

 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者の
知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。 潮流が恐慌状況の為、ベスト
セラーになっていると家内も言っていた。その人から借りようかと思っていたが、最近会う
チャンスがなかった。webのアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、
会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらなければ
ならない事態に陥らないようにすることが、もっとも大事であると思えた。新幹線で読んでいたら、
隣席の人の冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。 20~30年の長期の投資物件
を事業としている為、計画段階で最悪を想定して資金調達をする。
余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして、資金余裕を十分すぎるくらい持つ。それだけ用心
をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化していくためだ。
この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘している。連帯保証人など
青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で判を押してしまう。
連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷な制度はない。
先進国では日本だけだという。 江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用しているためだ。
その連帯保証の断り方まで書いてある。 私は子供の時から両親に数百回も「保証人の請け判
だけはするな!」「手形は切るな」と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」
を口実に使え!と書いてあったのに驚いた。「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。
「父か親戚が請け判をして倒産したのでこれだけはしないことにしている」でもよい。
実際に身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので、まずは断れないような状況をつくる。
次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。詐欺の手口とほぼ同じである。
それも・・・? あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち
出し間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。 いつも姑息の手を使うので有名な人だが。
その支店長もぐるかと疑ってしまった。 金に切羽詰った人間は何でもするものだ。
 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』
という続編の本も出ている。 いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を出すような
愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。

・・・・・・・・・
2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2

人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」
という戒めの言葉もそういえばあった。「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。
「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足をしていた。
ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に多いこと。
これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。親戚に結婚も
しない、仕事もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、2~3年後に実行するつもり」
といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、自身の影におわれているのだ。
もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。
こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。