つれづれに

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  今日のYoutube

 昨日、一昨日の蒸し暑いこと。
 午後辺りには、一雨きそうだが。




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4126, 第一感は叡智である
2012年07月12日(木)
 倫理研究所の「日捲り」にあった言葉。 「第一感を働かせよ、これは叡智。 
気がついたら間髪いれず実行。」と。出来る人は、これを純粋に実行している。
ひと呼吸を入れると必ず迷いが出る。その前に実行すればよいことを出来る人は
知っている。もし迷いが出ても、「迷った時は、可能な限り実行する」という
駄目押しの信念を持てばよい。即実行をしないと人生、後悔をする。
そこで、「倫理研究所」のHPを覗いたら次の内容があった。
  ー 万人幸福の栞17ヶ条ー        ー逆も真なりー
1 今日は最良の一日、今は無二の好機 (今日は最悪の一日、今は無二の危機、
                          と考え一日に挑戦する)
2 苦難は幸福の門                (順境は不幸の門)
3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る       (運命を考えるときは、
                           境遇が悪いときだけ)
4 人は鏡、万象はわが師    (鏡を見すぎると、何が何だか分からなくなる)
5 夫婦は一対の反射鏡             ( 乱反射があるだけ )
6 子は親の心を実演する名優である      (子供は、親の歪み?)
7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 (精神は肉体の象徴? 違うだろう。
               健康は生活の青信号?これも違う!未病もある)
8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母(陰鬱は不健康の父?トラブルは不幸の母? 
                    裏表じゃないか、健康も不幸も?)
9 約束を違えば、己の幸を捨て他人の福を奪う (約束を守るだけでは不足?
                     もう一歩踏み込んだ実行! 無理?)
10 働きは最上の喜び       (方向が正しいなら良いが、間違って
                    いれば、働くほど最悪の悲しみの道)
11 ものはこれを生かす人に集まる   (使い切った後、いかに捨てるか?)
12 得るは捨つるにあり            (得るは拾う人にあり)
13 本を忘れず、末を乱さず (本も、末も叩き壊せ、創造は、そこより始まる)
14 希望は心の太陽である   (絶望から、全てが始まる。空即是色である。
                       希望を目標まで具体化すべき)
15 信ずれば成り、憂えれば崩れる (疑いは、考える第一歩。憂いを乗り
                     越えてこそ厚みのある実現がある)
16 己を尊び人に及ぼす   (人の美点を尊び、その結果、美点を吸収する。
                        それが己を尊ぶことになる)
17 人生は神の演劇、その主役は己自身である(人生は悪魔‘=欲望’のなすが
                    まま、欲望と後悔の織り成す絨毯である)
▲これが裏表を成すのが人生。だからこそ味わいが出てくる。だからこそ、
 明るい視点で人生を日捲りで確認する必要がある。ー逆も真なりーは、
 居間で晩酌をしながら下書きしたもの。酔いで歪みが出てきたためか、
 すらすらと書けたが・・ 正・反・合の、反。

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3760, ユング ー 3
2011年07月12日(火)
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
〈次数の関係でカット2012年7月12日ー ブログに貼り付けてあります!)

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3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?
2010年07月12日(月)
 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の
社長になったのか?非常に興味があった。その話を一昨日に会って聞いたが、
チョットしたドラマ仕立て。撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。
人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。その世界で麻布周辺
で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの
話しが面白くないわけがない。その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで
面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 
大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、実家の貸しビル業に戻ったが、
親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。
そこは百貨店の商品のチラシやパンフレットの写真を扱っていた。そのうち
一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になった
が、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下にプライスを抑えられた。
そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。その結果、ある時点から分社の方
が組織的に大きくなり、稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。
会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、現在に至った
という。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったが
ユニークな人生を生きることになるとは驚き。そこの人間関係は非常な華やかな
世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常とか。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。
面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。このリーマン
ショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。 
最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。

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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)

         「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。
  のちになって理解することになるのだが、香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、
 そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルートだったかもしれない。
 気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・ だから、
 インドに入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
  解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。

 *私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。
  しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、必要最小限の
 単語だけを教えてもらうようになった。
  いくら  何  どこ いつ
  こんにちは ありがとう さようなら
 この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、
 なんと切り抜けることがわかってきたからである。
 もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは最低の清潔が保たれてしたし、
 食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を
提供してくれる。私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
  解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店)
    何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。

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2655, いちゃつき
2008年07月12日(土)

阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。多田道太郎との
対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に行き着く
という。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、
また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすい
という。だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に
帰っていちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人
との親しい関係だが、不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。それが
女の職場の中の男の特権である。 誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、
幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなく
して、自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいに
している状態と、宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、
とことんゲップをしそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと
正直に告白している。セックスになると、相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛
がかかるから、いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。  阪大の総長という立場など、捨ててやって
みれば!といいたいが、そうもいかないか。いちゃつきは、酒の席の二次会では常道で今さら。5~6歳の頃、
実家の商売上、若い綺麗な女性が入ってくると、直ぐに擦り寄っていって、太ももに抱きついた思い出が、
リアルな記憶としてある。 また4人の姉たちの中で育って、オモチャかわりに可愛がられたのも、
いちゃつきの一つだったのだろうか。そういえば姉さんタイプに惹かれたのも、その辺の事情か?
最近、いちゃつくということが、殆ど無くなってしまった! 家内とは?言葉でジャレテイル、それも
いちゃつき?
 ーー
 次ぎの鷲田の言葉がいちゃつきに対して、明確に説明している!
「だから、一人っきりじゃなしに、誰かどなんの目的もなしに引っついて、密着する。
そうやっていちゃついているような幸福のイメージを、僕なんかはポジティヴにとらえたいという
感じがあるんです。なにかと親密な関係にあることの安心感。その相手は、友だちじゃないときは
ぬいぐるみだって、毛布だっていいわけ。部屋にいつばいぬいぐるみを置いておくような、そういう
少女が持ってる気持ちよさ、少女が素直に気持ちいいと思えるような感じって、僕は意外と大事なんじゃ
ないかと思っているんです。  でも、いちゃいちゃってことを考えてみると、子どものときって、
ほとんどいちゃいちゃ生活だったと思うんですね。親にトイレットのトレーニングしてもらう前だって、
おむつの中にウンコが漏れてもけっこう気持ちよかったし、海水浴に行けば、砂遊びしながら指の間から
砂が漏れる感じとか、砂で作ったものが波がきたらバーッとさらわれる感じとか、あるいはドロんこ遊び
にしても粘土細工にしても、モノと自分を切り離すんじゃなく、モノといちゃいちゃしてドロまみれに
なったり汚物まみれになったりしている。それは子どもにとって、とても気持ちのいいことだったはず
なんですね。」
  ー
 男がキャバクラで、アルバイトの女子大生などと遊ぶのも、いちゃつき願望なのかもしれない。
いちゃつきたくなってきた!

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2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 ?3
    。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)

この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を
紹介したが、これは深い意味が含まれている。この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。
精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。辞書でトラウマを調べると、
「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」
とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の
自分を思い出して、イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。
ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの
「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、この随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。
先日の日曜日に近くの図書館のファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。
 諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
   ーー
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー
四月になると、暖かい日が続いたので、早苗は母が買ってくれた半コートを
父のボストンバッグにしまった。父は数日にわたって、風邪で熱を出していた。
早苗は天井を向いている父の横で、算数の計算ドリルをしていた。「なこちゃん」父が目を開けた。
「ン?」早苗が父の顔をのぞきこむと、「死のうか…」と、ポヅリとつぶやいた。
「やだ。まだ、マティー二を飲んでないもん」早苗は首をふった
 (映画館で見た、マティーニを飲むことを夢みていたのだ)
「もう、金がないんだ。明日の朝十時にここを出たら、行く所がないんだよ」
父の言葉が、ショックだった。
 (以下、中間、略 09年07月12日)
 ーーーー                   
 実際の経験だから、人を引きつける。戦争体験は、もっともっと凄い体験をしたのだろう。
地元長岡は空襲を受け焼け野原、両親から色いろ聞いてきたが・・・ それでも国を守るためには
戦わなければならない!それが現実である。戦争放棄だと、この国は!                     
                       ーつづく    ヾ(。´・ェ・`。)Byeヾ
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2006年07月12日(水)
1926, 教養について
            おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に
泊めてもらうことになった。(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま
泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、その子が不登校ということが解った。ところが、
少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、その子に説教を始めた。 
その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。「学校は行かなくてはいけないよ。
学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。さっき自分は
何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。
その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強を
して幅はつくっておかなければ!」その子は、何かハッとするところがあったようだ。 両親は
「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが嘘のように素直に聞いていた。人生を振り返ってみると、
特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!大人になっても同じことがいえる。
教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。歳を重ねると、そのことが
身に沁みて解ってくる。そこで教養について、考えてみる。こういう場合インターネットはよい。
幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味す
  Bildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。しかし、
 概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。
 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、経験
 を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。
 だから娑婆は面白いのだが・・  面白すぎる、人間というのは! もっとも一番、面白いのは自分だが!  
 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、
 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえて
 きそうだが・・  まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。
                           バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
・・・・・・・・
2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 ?13
 ー岐阜?1  1975年 9月末日

初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。
あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、
その後に名古屋廻りで岐阜に入った。今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行
など知る由もない。しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことから
みれば、遊びでしかない。学生時代の合気道の経験が役に立つ。ただ虚心に対象と立ち向かえば、
プロより強いということを信じればよい。とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。
そのためには歩き回るしかない。それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては、
上手くいったようだ。そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。そこで夕飯を軽く
食べた後に、街に出てみる。知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。疲れのせいで、
直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?
一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で飲んでいた二人づれの一人が話しかけてきた。
今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。昔、父にお世話になった
という。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。
私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」発祥の地である。彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。
とにかく疲れたので、早々帰ってきた。緊張した一日であった。反面、面白いのだ。買う立場は売り手
からみたらお客様なのだ。何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。
 明日は大阪に行って、その日のうちに広島。未知な世界は、全てが冒険。我ながら、よくやるよ! 
                                ーつづく
・・・・・・・・・・・
2004年07月12日(月)
1196, 口ぐせ

先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉がいかに大切か
つくづく実感する。中村天風も、繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積
されていて、その毒が我々に大きく影響を与えている。 意識的に除外し続けてないと、その毒に
侵されることになる。それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。
 ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと
 とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
・マイナスの人の近くには寄らないことーマイナスの人は常に他人のうわさ話をネタにして生きる人ー
・あまり過去の話はしないこと。 楽しいこと以外、考えないことにしている
・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない
・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、「ありがとう」という言葉を 繰り返す
 ようになった。 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。
私の過去を振り返ると、実感として・恵まれていた ・ついていた ・面白かった、であるが、
 そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。
 経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。 やはり中村天風の影響が大きかった。
 私の口癖に「おいしい!」というのがある。実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさ
 が倍増する。少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。
 逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。
 最近意識して使っている言葉は
・うれし、たのし、しあわせ   ・ありがとう、だいじょうぶ、ついている
・おいしい、よかった、すばらしい ・おもしろい、めぐまれている、悔いはない
すべて、心の底から思うようにしている。しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用して
いる自分がいるが。
 
・・・・・・・・・
2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
    
   ー26氷河クルーズー
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルド
巡るクルーズがよかった。氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアモレノ氷河などと比べたくなる。
この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 
 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。それと5時間のクルーズの間、どこかしこに
 愛らしいラッコが海に浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。
 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。
特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーオンザロックで飲んでみたが、
何ともいえない数億年の味がしたようだった。 当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、
パタゴニアにはパタゴニアの氷河がある。 対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。
スイス、パキスタンニュージーランドパタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。
20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、
2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!
 アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

・・・・・・・・
2002年07月12日  旅行中
・・・・・・・
2001年07月12日  旅行中