つれづれに

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  今日のYoutube

 もう金曜である。さて、シネマは何をみようか?
 毎週、ここで同じことを書いている。

 イギリスの総選挙の結果は如何に。
 ケッタイな選挙である。




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3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~?
2011年06月09日(木)
         『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備が
あることは、言うまでもない。以下の部分は、この本の中の一番の要の部分。 
よく調べ、勉強し、実践し、準備の上で何事にものぞめば、準備を遊びになる
まで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は
当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できる
ような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明
できればいいのだが・・ 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して
前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を
生きることである。モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねたら、
おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、彼の呼吸が、
彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを
費やした周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど
賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えている普通の人になりたい。
準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、単に何かに向けられた
エネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、
私は労働をしていない。この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。
準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。
子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と同じように、夢中になり、
大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール
酋長が言ったように、「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは
夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだ
ろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。
暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。それなら、よく調ぺ、
勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。
自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から飛び
出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならない
ことが何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物ーつまり、あなに
ついて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですかと聞かれる。以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで
被告側のリーダー的な人から訴えられた。私は裁判所からこの計略に加わる
よう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席が
 あるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。あれは、セントラルキッチン
で、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。
スーパーより、ある意味で合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の
仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りが
してあるから強いのである。 人間も同じ。


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3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3
2010年06月09日(水)
  * アメリカの公共事業は、戦争!
 ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまではイラクとアフガンで、
これからはイランか北朝鮮か、それとも中国あたり? 兵器の在庫処分が必要になるからである。
軍事産業という公共事業は、常に戦争をしておかないと世界各国の需要が喚起出来ない。
 第二次世界大戦時の日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。
彼等にとって、願ったり叶ったりである。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。
度重なる東京大空襲、広島・長崎の原子爆弾による殺りく。その大部分が一般人を狙った非道の
攻撃である。そして朝鮮戦争に、ベトナム戦争、冷戦による軍事力の強化等の需要。 その間に、
アフガン、イラク戦争とつづき、今度ねらうは、北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に
満ちている。まずは北朝鮮で仕掛けてくる可能性が充分にある。
これまでは世界はアメリカよりの情報にコントロールされていたが、情報化で色いろな情報が
入手可能になってしまった。 アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺り
から、金融を戦争の武器にすることに気づいた。武器から金融へ戦争の手段をかえたのである。
冷戦終了後、中国、ロシア、東欧は、ドルで準備高を持たない限り、世界の貿易が不可能と知って、
その紙切れを蓄積せざるを得なくなった。その分、アメリカはタダで資産が増えていった。
冷戦の勝者であるアメリカは、そのネズミ溝の中に、新たに旧共産圏を組み込むことに成功した
のである。その増加分だけ、ただで、相手国の商品を入手できることが可能になったのである。
そこでアメリカ国内の低所得者に眼をつけ、住宅を売りつけローンを組ませたのがプライムローン。
それを格付け機関と組んで、虚偽格付けをして債権を世界中にばら蒔いた。その焦げ付きが、
金融恐慌を招いたのである。 アメリカは武力も、金融もおさえてある上に、ネズミ溝の親、
この金融恐慌でも、他国ほどの深手にはならない。札を刷りまくり、過剰になれば借財が実質的
に目減りするのである。それと、欧州のユーロに対しても壊滅的な打撃を与えた。
 その一番の属国が日本。何度、借金をチャラにしても、何も抵抗できないよう政治家と
官僚を長年かけて手なずけてある。

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2987,縁は異なもの ー4
 2009年06月09日(火)
 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。「魂というものが本当にある
ものなら、陶器に外形の形の上に現われずにはおかない」とは、これは美術全般に言えること
。いや、商売にしても、演劇にしても何事にもいえること。
さらに、「精神は認めたが、精神的なものは認めない」とは、グサリと来る言葉である。
 ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、没個性的客観と同様に
「何物も生みはしないのである」。主観と客観、現実と虚妄などと、一般に区別されるものの
皮膜の間に、確かな「存在」がある。それを私は「たましい」と呼んでいる。私は「美」とは
無縁と言っていいほどの生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの
真実に触れる体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、
白洲さんの作品のなかの「美」への理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 
たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような印象的な言葉がある。
青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。その青山ニ郎について白洲さんは
「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の
真髄、いわば形の中にある魂を求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、
たしかに魂は見えないところにかくれているが、もし本当に存在するものならば、それは外側
の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 
これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった。意味も、
精神も、すべて形に現われる。現われなければそんなものは空な言葉に過ぎないと信じていた
からだ。」という烈しい言葉が語られる。『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い
隠してしまうのである。 我われ心理学者はなどといわれる人間は、「心理的」や「心」
そのものを見えなくしているのではないか、と反省させられる。】
~~以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。作家の魂が直に伝わって
くるからである。直近では、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、
立ちすくんでしまった。絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接
伝わってくるのである。だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。
「お宝鑑定団」で、陶器の鑑定で映像を通しても本物と偽者は一目で大体わかる。(そっくり
真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で数限りの陶器を見てきたから。 
色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。
・・・・・・・・・
2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
 2008年06月09日(月)      ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー『12の口癖』」?を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー
* 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」『とりあえず、後で」
* 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」
* 第3の口癖 「神経症だから」
* 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」
* 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」
* 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」
* 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かっただけ」
* 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」「何で自分ばかり良いことがないのだろう」
* 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」
* 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」
* 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」
* 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」
 他には、      
「べつに」「ビミョー」「どっちでもいい」 「もうダメ」「これで努力が無になった」
「だって、それは‥‥」「でも、それは‥‥」「何をしてよいのか 自分でも解らない」
後ろ向きで、出てくる言葉は他人や会社の悪口、そして愚痴である。
  (字数制限のためカット 2010年6月9日)
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2007年06月09日(土)
2258, 今日、ホームレスになった -1  o(*'▽'*)/☆゜’ おはよ????♪                        
                      ー読書日記
「今日、ホームレスになった」増田明利著 新風舎
自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、13人のホームレス
の過去と現状が綴られている。路上で暮らす「かつての企業戦士たち」のルポルタージュ
といってよい。実際のところ、フナ板一枚下は地獄であるのが誰も置かれた状態である。
彼らのホームレスに至るプロセスを克明に生生しく追っている。この本で何人かが
「まさか自分がホームレスになるとは!」と述べているが、他人ごとに思えない迫力がある。
(字数の関係でカット2009年6月9日)
 ーーー
 2006年06月09日(金)
1893, 不良のための読書術ー1   おはよ?!(*^ワ^*)i      
       ちくま文庫 永江朗著    ー 読書日記ー
「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、あまりの面白さのためネットで
買うことにした。ところが送料無料の1500円には少し足りない。そこで、同じ読者が書いた
「不良のための読書術」を買うことにした。既に文庫本になっているので半額である。
「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」と思っていたが、正にその通りのもの。
ゴダール式読書法と言い替えていた。 ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。
三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。原作を読んでいれば、それで充分
なのだろう。著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。それでも
面白いのである。若い人向けの本だが、基本中の基本が書いてある。老練の詐欺師が
「女は見た目だよ!」と、ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず?である。
数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。本は見てくれではない!
と思うのが常識である。しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして売ろう
とはしないのも事実である。見てくれだけを良くして売ろうとするのは、若い娘か、薄っぺら
の教養のない男である。本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。
銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。 
若いときに、姉に女性の見分け方を教えてもらった。「服装と化粧のセンスは頭の良しあし
と比例している。 センスが良いとはバランス感覚が良いということ。決して良いものを
着ているからバランスが取れてるとは限らない。バランス感覚が頭の良しあしといってよい」と。
なるほど、その後四十数年みてきて、そうであった?80p%は当たっていた。     
出版社がマトモで、金をかけた表装をしてあれば内容も良い確率は高い。図書館で写真集
などのコーナーが大きくとってある。盗まれないように(読書コーナーに行こうとするとき)
チェックをされる。それが嫌で、この数年は行かなくなった。しかし、数千~数万もする
写真集が図書館全体の4分の1のスペースを占めていて、あまり人が入っていない。
見た目からいって見た目は徳上のものばかりである。そうである、あのコーナーにもっと
行かなくては! アチラをジックリまわってみる必要がある。単純な、しかし解りやすい
理屈である!
ー 次回は、さらにユニークな面白いところを拾ってみる。
            ヾ(^ω^*) バイ! 
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2005年06月09日(木)
 1528, 生きて死んでいく重み
最近、中島義道哲学書をよく読んでいる。そして、この日記にも何度か取り上げてきた。
同年齢ということもあって身近に感じられ、似た考え方だから次々と図書館で借りてくる
ことになる。特に還暦を八ヶ月後に控えていることもあり、「人生とは何だったのか?」
という人生の総括が頭をよぎる。その時、中島がストレートに著書の中で答えてくれる。 
大体は本を借りてくると、まずは目次と最後の10ページの中の要所を探す。そして遇った、
彼が真剣にいっている箇所が。
 ー抜粋してみるー
オリンピックで金メダルをとっても、どんなに災害撲滅を見出しても、せいぜい二番目に
重要なことだと思います。では、一番目に重要なことは何かというと「生きている」こと
でしょう。 生きて死んでいくことでしょう。 この絶対的な重みは、忘れてはならないと
思います。有名人が死ぬと、その人が何をしたということばかりが報じられますけれど、
そのすべては、ハッキリいいまして幻想です。何故かというと、全体を見ていないからです。
100億年もすれば全部なくなるわけです。 そうすると、多分一回きりだと思いますけど、
自分の人生を、見ないようにして、仕事に逃れていくというのは、もったいないのでは
ないかと思うのです。つまり、自分の持っている不適正、欠点をしっかり見ていくことです。
私は理不尽に人生を与えられしまった、その中でよいことをしようということでなくて、
それをごまかさないで見よう、そういうことです。つまり、世間的には何も貢献しない、
場合によってはマイナスのことをしてきたかもしれない。でも、その人の生きてきた重みは、
立派な建設をしたとか、トンネルを掘ったり、という全てをもっても代えられないものだ、
と実感するんです。 私にとっては、生きる仕事以上の仕事はないわけですから、
どんなに世間的に立派な仕事でも、そんなに感動しないわけです。 働いて生きがいを
感じ生き生きと生きる人生を、私は批判しませんし、そういう人を批判しません。
働くことが嫌でしようがない、あるいは働いても働いても報われないということを、
ごまかさないで徹底的にみてみると、そこから新しい視点が出てくるのではないかと思います。
ーーー
以上だが、これは私にとって考え直さなくてはならない見方・視点である。自分の中で、
見ないふりをしていた自分の欠点や、自分を鼓舞するために否定してきた考え方を含めて、
「もう一度人生観を見直してみる必要のある問いかけ」をしている。
身近な人の死を経験した時、まず実感するのは「人生は生きているうちが花!金持ちとか、
肩書きとかいう社会的属性などは二次的なもの!生きていることが、生きてきたことが、
最も大事。この人は(亡くなった人)好きなことをどれだけしてきたのか? その総量こそ
が人生!人生は生きているうちである。そして最後はたった独りで死んでいくのだ!
人生などはかない。 常に死を思え!そして生きていること、生きてきたことを味わえ!」。
中途半端に生きてきた人や、他人の批判だけが特性の人を徹底的に嫌い、傍によらないよう
にしてきた。しかし身近な人の死で実感することは生きること、生きていることが人生の
第一の仕事ということだ。「長く生きればよいということではない!」ではない。
「生きて死んでいくことそのことが、人生である!」 人の人生を勝手に判断すべきではない。 
当たり前のことだが、それぞれの人生があるのだ。誰もが光の中を生きてきたのである。
そして、光の元に戻るのである。社会的属性や、行蔵も二の次でしかない。しかし、小学生
や中学生が、こんなことを親から学んで老成していたら、おかしいんじゃないか? 
気の小さい優等生哲学者の戯言でしかない? それとも、哲学病者の戯言じゃないか? 
とも思うが、その疑問自体が彼に哲学を誘導されていることになる。
今朝の新聞の週刊誌広告の見出しに亡くなった二子山と二人の息子の確執が出ていた。
彼が何をしたかというより、家庭の揉め事も含めて全てが生きてきたことである。
揉め事結構! 部屋を繁栄させたことも結構! それが生きてきたことであり、
亡くなった時にその重みの一端が顕れただけである。一人一人を見れば、誰もが人生の
荷物を抱えている。そして、それを抱えてこの世から消えていく。
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2004年06月09日(水)
1163, JRー駅なか商店街
(字数の関係でカット2008年6月9日)
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2003年06月09日(月)
796, 至高体験ー読書日記ー2
歓喜 ー>  理智 ー> 意志 ー> 気  ー>肉体」
至高体験歓喜の体験、それを知った理智、そして意志にかわる、それが気になり、
肉体に反応する。たとえると野球で9回の裏逆転のホームランを打った。そして歓喜する、
その体験が理智になる、さらなるよい選手・バッターになる意志を固める、それが気
(気合)に変わり、練習をして積み重ねるようになり一流選手なっていく。
 他には薬草や苔類を使う場合と、アルコールを使う場合や、禅などの修業で到達する場合
などがある。教祖様やシャーマンは、この歓喜体験を通して自己より解脱をして理智を得る。
好きなことを見つけ一生かけて続けるプロセスで、この歓喜体験をするケースがある。
女性の千人切りも好きな人には、歓喜体験ー至高体験を多くする事になるのだろう。
 音楽会の会場が歓喜に包まれ、アンコールの嵐をTVなどで見かけるが、
至高体験をしている。この瞬間を味あう以前と以後位に感動するのだろう。
そういえば初めてロッキーに行った時も、旅行に行く以前と以後位に感動をした。
ー昨日とは別のホームページよりコピーしてみた。    
至高体験  
(以下字数の関係でカット2008年6月9日)
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2002年06月09日(日)
432, スイス旅行
   スイス旅行日程 ー7月3日(水)?12日(金) 
             新日本トラベル
  http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
  http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html
1日目、 日本航空チューリッヒへ。  ?チューリッヒ
2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
 「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトでミニハイキングを楽しんだ後、
  サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。?サンモリッツ
 http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急とディアボレッツァ
  登頂観光の旅。夕食はマス料理。 http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html?
                                 サンモリッツ
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急
 ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。     ?ツェルマット泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
 ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキング)。
 下山後モンブラン山麓シャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    ?シャモニー
6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。
  昼食はサヴォア料理。 午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  ?モントルー
7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われてエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         ?グリンデルワルド泊
8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
 (希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。夕食はゲシュネッツェルテス。 
                          ールッツェルン泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm
9日目、チューリッヒへ。 チューリッヒ日本航空で帰国の途へ。  ?機内泊
10日目 成田到着
・・・・・・・・・・
2001年06月09日(土)
 [47] シンクロ二シテ-
これは普通では考えられない遇然の一致を言う。 意味ある遇然の一致と心理学で言う
  ー特にユングが深く研究ー 私も非常に多い経験してきた。
  人間個人を考えれば、今生きている事こそ奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。
・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の重なり
・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事!
・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!
・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、学生時代の親友だった男が
 目の前を歩いていた。
・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4~5日経ってから送られてきて、底をみたら家内と同じ銘で恵子と彫ってあったこと。
 ーその時全身鳥肌が立った!  等々書けばきりがない。
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、その地を訪ねた折ホテルの
 エレベーターでぶつかった相手がその作家だった。葬式とか、自分が行きずっまって
 ヒステリック状態の時とか、気持ちが異常に近いときに 考えてみるとおき易い。