つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

  今日のYoutube

 数日前からの寒さで、鼻かぜをひいたようだ。
  風邪は万病の元というが… 

 

・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト -10
2012年6月6日(水)
         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
  * 老いを受け入れる     
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、
未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者
意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、
異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
 竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。 
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキー
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
 何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 

・・・・・・
3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  ~①
2011年06月06日(月)
      『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。軽そうな題名だが、内容は重厚で味がある。
 全米?鷂1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより、人生の勝ち方のセオリー」の本。
アメリカ的プラグマチズムとして割り切って読めばよい。しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた
人生のセオリーの凄みも見逃せない。とにかく、面白い本である。 4~5年に一度の割りに
三十数年来の友人が、人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。 
私の場合、自分のこととなると何?だが、ひと様の事となると、冷静な答えを出すことが出来る?
と自負をしている。 
学生時代の武澤ゼミの特訓と、百数十回以上のセミナーの蓄積もある。 数年前も
「実は現在、属している会社が吸収合併した会社のことで裁判沙汰になる。自分は現在、
その専任になっているが、どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。 
「2~3千万レベルか、数億レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、その買収後に派生した問題」
とのこと。これ以上は書けないが、直ぐに、この本を思い出し紹介をした。内容は、ほぼ忘れていたが、
残っていた記憶で「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。 それも戦いの構えを時間を
かけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一にして、問題の中心点に全エネルギーを
そそぐこと。それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が書いてある等、自然にスラスラと言葉
が出てきた。 その意味では、この本を消化していたことになる。 考えてみると、この本、孫子
兵法そのもの。「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理である。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な考えの枝葉の一例と
みると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた弁護士の自信に満ちた論理が見えてくる。
 
・・・・・・・
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれるラテン系を中心にした
国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態に
なっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)
と、(万年金融破の)金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、「財政赤字
GDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。そこにゴールドマン・サックスが
「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ
政府はその誘いにのってしまった(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。
現首相パパンドレウは当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の収益と将来の宝くじ
などの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時の
ギリシャの外国からの借入金利が13~4パーセントから、3~4パーセントに引き下げることが
可能になる。加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も受けていない。 
その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。ゴールドマン・サックスはこのような誘い
を他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が
非常に低い。それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべルの
ゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。ドイツからみれば、
「単独であれば1~2パーセントの金利で済むものを、まともに働かないギリシャと同じ金利
払う必要があるのか?」と、不満が出るのは当然のこと。ドイツ、フランスにとって、アメリカの
対抗上、欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、イタリア、
スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、御前らの様な怠け者のために
しなければならないのか、まっぴらだ!」となる。ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ
共産主義の計画経済ボケをした東欧諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と
今さらいわれても!という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、その破壊であるから、
20年は最低でもかかってしまう。
 ・・・・・・・・・
2984、閑話小題
2009年06月06日(土)
 * 資産家夫婦の惨殺事件
少し前の話になるが、資産家夫婦の惨殺事件があった。 月の小遣いが300万という。
ポケットに百万単位の金を入れていて、飲み屋で他のお客に驕っていたという。世の中には、
まだ、こういう人もいるのである。その辺のヤクザ者に狙われるのは当然。銀行を信用
しないで家にお金を置いておいたというし、周囲の人もそのことを知っていたようだ。
起こるべくして起きた事件である。 
 * インフルエンザの第二波、第三波は?
この10月から新インフルエンザの第二波、三波が始る。
その時の第二波は毒性が強くなり猛威をふるう可能性が大という。実際に毒性の強いのが
発生した時にはどうなるのか? 自分や家族のことだけでなく、日本中の経済が大打撃にもなる。
特に客商売をしているところは、凍りつくことになる。考えただけでも恐ろしい。新インフル
エンザ用のワクチンが年内の2千万人分を製造するという新聞が報じていた。
6人に1人に行き当たるようだから、何とかいけそうだが。
 * 昨夜は長岡で飲み会
昨夜は、恒例の長岡で飲み会。新潟駅前は不景気風が吹いていて居酒屋が少ない客の取り合い
をしている。二時間で三千円で飲み放題は当たり前で、そこに値打ち感を持たせるかが大きな
ポイントになっているようだ。ところで長岡は、そこそこ人は出ていたようだ。そういえば、
去年の今日、車に撥ねられた日だった。(コピー)それを思い出しのだ、早々帰ってきた。 
 * 先が思いやられる、この一週間の不入り
6月の第一週は、毎年のように青ざめるほどホテルが不入りになる。 恒例としてもあまりに悪い。
駅前で居酒屋の店員が割引のチラシを持って客引きをしているのは当たり前の景色。
客の方も週に一度は三千円?で飲み放題の店で仲間同士で憂さ晴らしをしないと、
鬱憤が晴れないのだろう。
 ・・・・・・・・
2008年06月06日(金)
2620, あわや大事故!
まったく、この男、よく変な事件を起こすよ!というのが、起きざまの実感! 
昨夜、長岡で飲み会。普通は第一金曜日だが、上さんの都合で一日早めた。長岡の飲食街、
道路には人っ子一人も居ない。それだけでない、タクシーも一台も並んでいない。平日
のためだろう。 丁度0時頃、タクシーを拾うとして旧八号線にいっても車自体走ってない。
そこで信号を超えて川沿いの道を歩いていたら、左折をしてきた乗用車と出会いがしら撥ねられる。
ガソリンスタンドの角で見通しがよい筈。 かなりの衝撃であった。 ところが、左に担いで
いた革鞄が振り向きざまで身体を防御してくれた。右腕と左足の脛の右を痛打しただけで済んだ。
運転手は若い男で、青い顔をして平謝り。大きい衝撃の為、かなりの人身事故と勘違いをしたようだ。
車に乗って病院に向かったが、触ってみたがそれほどではない。しかし、後遺症が出る可能性がある。
事故届けに長岡駅前交番に進路を変える。 しかし、交番は電気が消えて誰も居ない。そこで、
電話をして本署からか来てもらう。そして現場で事故の詳しい聴取。それも運転手のみ。駅で
パトカーが来るまで、「私は、問題を大きくするつもりはない、ただ、事実を正直に言ってください。
下手に自分の都合のよいことを言うと、貴方は不利になりますよ。私は後遺症の時に、保険の問題
などで公にしておきたいだけです。」と言い含めていた。そのためか、処理は20分ほどで済んだ。
やはり、これを書いている現在、足の脛が痛み出した。 しかし病院にいくほどではないようだ。
全く何が起きるか分からないものだ! 九死に一生とは。 それが突然に自分にとは!やはり人生、
したいことをして、悔いのないように生きなければ、それにしても警察沙汰が二度も続けて起きるとは! 
(二ヶ月前に呼び込みに強引に店に連れ込まれそうになり、大騒動になった。)
これまで、個人として警察沙汰は一度もなかったが・・(普通なら当たり前だが)
 その運転手に、「こんな時間に、何してるの?」と聞いたら、 「スナックをしています!」
という。  生きているうち、健康のうち、元気なうち、そして若いうち! 人生は!
・・・・・・・・・・
2007年06月06日(水)
2255, まあ、いいか!
            ヽ(★>з<)。o○ オ?ハヨ 
この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。そこで、検索に
「まあ、いいか」と入れたら、その題名の本が数冊も出版されていた。自分を慰める言葉で、
私の常用語「あ?あ!」の言葉の裏に含まれている。
「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。それを延ばしたのが
「あ?あ」か、これは屁理屈。
「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。 
「まあ、いいか!」の前後の言葉として、「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」
が出てくる。イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて
「まあ、いいか! それがどうした」と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。「あ?あ」
「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しのの三言である。  
♪? ヽ(´π`)ノ まあ、どうでもいいや! しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分には
よいが、最初から、この言葉が先に立つのも問題である。「中途半端な、あの人」になってしまう。
金沢に「まあ、いいや男」というアダナがいた。バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。 
何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。
  (字数制限のためカット 2010年6月6日)
・・・・・・・・
2006年06月06日(火)
1890, 村上ファンド崩壊の衝撃
                   おはよ?!(*^ワ^*)i
ライブドアの堀江の逮捕時に「最終ターゲットは村上」とスポーツ紙が報じていた。
当時はまさか村上ファンドが、そんなドジを踏むわけがないと思った。 日本的株式市場という
イケスに「食肉魚」を入れ活性化することも、株主の立場を軽くみてきた日本市場には必要だった。
積極的出資者といわれるオリックスの宮内社長、どのように言い逃れをするか見ものである。
高利貸しは高利貸しでしかないが・・時代の寵児だった堀江と村上が小菅の住人になるとは、
半年前までは誰も思ってはいなかったはずである。広告料を貰っている大新聞やTVや月刊誌などは、
大手銀行や証券会社の不正を積極的に書けない関係にある。そこで少し危なげな?スポーツ新聞に
隠された情報が流れやすい。
 (字数制限のためカット 2010年6月6日)
・・・・・・・
2005年06月06日(月)
1525, わたしの酒中日記ー4
  金沢編ー2      1972年2月某日
武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。 その中間点にある繁華街の香林坊
で降りて、老舗風の飲み屋を探す。今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に
飛込みで入る。人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店。 
隣の客が話しかけてくる。「言葉が違うようだが、観光客か?」「いや、勤めの関係で、一年います」
地元の人からすると微妙な立場のよう。とにかく、金沢の人は人なつこいのが特徴だ。それと金沢べん
の言葉が心を優しくする。言葉の最後に(?じ)をつける。「?だよね~」という意味である。 それと
「?しまっし」という言葉もよい。 「~しなさい」という意味である。そのアクセントが何ともよい。
特に女性がいうと「あ~金沢」になる。それとおいしい店が多い。ここの土手焼きが美味い。
それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。おでん屋のおいしい店を彼方此方で食べたが、
この店はまた格別である。立て込んできたので、その店を出る。このまま帰るのは、惜しいので
大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。安そうなスナックに入って、カウンターに座る。まだ8時なので、
お客は誰もいない。素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。まだ金沢に来て2ヶ月で、
1~2年いたら、何処かに流れていくとか。若いうちに、彼方此方にいって転々としたいという。
こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、
「期待を持たせること」とか。 まさか「何の期待?」とも聞けないし。「それじゃ?、何か期待して
よいか?」と聞くと、「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、「今度ね!」と、空約束を
して?店を出る。バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。浅野川の橋を渡って、20分ぐらいは
かかったが酔いを冷ますのに丁度よい。まあ、一人で飲むのも悪くはないが、それにしても金沢には
美人が多い。それと金沢の文化と風情がよい。金沢には、3年間が目安だ。能登半島や、金沢の街を
貪欲に知っておかなくては。 もっと一人旅をしなくては。加賀100万石の城下町の歴史が観光だけで
はなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。ここは地元の人には厳しいコントロールがある。 
反面、部外者には優しいのだ。この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!
ーー
また偶然の一致か、去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。
・・・・・・・・
2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」ー2
いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。現在の日本は、
第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい大転換期にある。
(字数制限のためカット 2011年6月6日)
・・・・・・・・
2003年06月06日(金)
793, 起業についてー2
 起業について実感のキーワードは「発狂」である。精神の爆発といってもよい。
よし!やろうと決めた瞬間から、もう全てはプロジェクトの完遂をイメージして突き進むだけ。
よほどの粘りと信念がないと突き抜けることはできない。当然の事だが、簡単には事業を興して
軌道に乗せることは不可能。可能にするのは「的」が間違ってない事と、周到な準備と、信念だけ。
いまの事業を興した時は500?の成功確率という確信があった。失敗は許されないし、初めの一歩の
重要さを知っていたため、考えられるだけのことは考え抜いていた。それと、それまでの成功体験の
裏付けがあった。何事にもいえるが一番大事なことは、成功体験である。それが実績ということだ。 
それと育ってきた家庭環境が大事ではなかろうか。10歳位までに,両親の立ち上げをみた経験が
なければ、計画も準備も甘くなっていた。また20歳で起業をするという決心をし準備していた事もある。
その瞬間から女性に対しては、気を許さなくなった?どちらを取るかといえば、迷いない事業の立ち
上げであった。若い時の最大の難関はまずは女性である、創業以外の事を割り切ることであった。
つまらない男になっていた!それが陰になっていた?ようだ。
 事業を始めるとき、まずは自分の心の問うたことがある。「経営資源として金を含めた資産を全て
『博打の札ー事業』に変えるが、全てを失っても後悔しないと自分に誓えるか? そして事業を
本当にしたいのか???したい!!」 一人の誓いである!今更だが、それだけ勇気と覚悟が必要だった。
おそらく大小にかかわらず誰もが、その位の自問自答はしているのだろう。いろいろな危機があったが、
最後はいつもこの言葉を繰り返していた。結局は事業経営は博打でしかない!当たり続ける事はない。
最後は裸になる覚悟は出来ている?のが強みである。
 しかし、まだ憶えているが、事業の準備をしていたときのことである。何か一人でTVを見ているとき、
急に不安になり「屋上の手すりの上に立っているような末恐ろしい感覚」になったのを憶えている。
確か借金を初めてしたときである。この意識下に隠れた不安が意外と経営の原動力になっているのだろう。
立ち上げで判断を迫られるとき、夜半の2時35分が一番冷静な思考になっている。しかしこの大津波
大不況に対して、まだそこまで意識がいってないのは、どういうことだろう?!これからか?
・・・・・・・・
2002年06月06日(木)
429,両親の死
両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。 そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」
を学んだ。死ぬとは如何に大変な事を知った。今ひとつ、死の視点から生を見るということを。
世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、両親の死から、それがいかに幻想である事を
学んだからだ。結局,残るのは「子供と愛情」だけ。それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」
それだけだ。意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか? 死を自覚した瞬間の人間の
「生に対する渇望」のすざましさに、身震いした。その瞬間?死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に
立たされる残酷さ’を直感した。‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」と考えれば逆に解かる?
何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、両親が死と直面した時に「主体」と「イメージ」
が湧き出てくる事実を見たからだ。それは死の恐怖感からくるものである?特に「主体」が凄い。
人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。それに満足できるか、できないかだ。死ぬ事はそう簡単の
ことではない。昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。 今夜通夜、明日葬式に出る予定!
・・・・・・・・・・
2001年06月06日(水)
[44] 何の為のホームページ
何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
 まずはこの疑問
1・わざわざ写真を撮って入れたり、           
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり  
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない
 でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。むしろさらす事により、
リンクの可能性が大きくなる。インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと
相互関係になる。その事をホームページ持ったことで実感できた。もしホームページを持つまでもないと
考えるなら、‘お気に入り’の集積と、その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。  巨大情報空間にさ迷い出た子羊というところか。