つれづれに

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 6年前のリタイア後から、生の刺激という面で、極端に平々凡々の日々になった。
それはそれでスケジュールそれぞれに価値があるので、充実しているが、あまりに
同じことの繰り返しなのため、ロボットのようでもある。ただ退屈をすることは全くない。
これも、毎日、一文章の書き上げを続けていることもある。
 

・・・・・・
4076, 老いの見本帳ーダークサイド ー1
2012年05月23日(水)
             「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 面白い本を図書館で見つけた。一日一日、老いていく日々だが、どうも心は歳を取そこねている。
実感がわかないのである。この本は老いの見本帳、それも老醜の見本帳である。
わざわざ自虐的な、マゾ的な、げんなりするような事が書いてある。
<・・人生など呻き声をあげたくなるようなことの連続ではないか。まして老いたら、それは
それで独自の当惑や「釦の掛け違い」、恥や失望や悔しさが待ち受けているに決まっている。
ならばそのようなものを、まずは他人事として味わってみるのも一興ではないか。
・・気負った言い方をすれば、種々様々な悲しみや煩悶や屈託を見知ってこそ我々は豊かになれる。
その上で若づくりする初老期を笑うのも結構だし、共感するのも結構ということになる。> と。 
 これまで両親、親戚、近所の老人を見てきた。それが何時の間にか、その仲間入りである。
しかし歳を取りそこねているようだ。知的好奇心や、やりたいことがあまりに多い。
気持ちが枯れてきた実感など、どう考えてもない。しかし鏡を見ると歳相応で、ますます
怒りっぽくなっている!
   まずは ーアマゾンの内容紹介よりー
 老いることは、むずかしい……「若さという神話」への無自覚で強迫的な執着は虚しい。 
ならば、望ましい「年寄り」の適切なモデルはあるのか? 歳をうまく取れないために生じる恥、
勘違い、いかがわしい振る舞い。老人の不安に向き合ってきた精神科医が、臨床現場での知見と
数多くの文学作品の読解をもとに、老人の心に迫る。 哀しくもおかしな老いの見本帳
   = 序章 初老期と不安 =
≪ 人間の心を安定させ安寧を保つ装置のひとつとして、惰性というものが挙げられる。
我々は基本的にマンネリに則って生きている。退屈で変化に乏しく、うんざりする。だが
この十年一日のトーンこそが我々に安心感を与えてくる。とりあえずこのマンネリにしがみ
ついている限りは、大きな聞違いや不幸は(たぶん)生じない。 自分の存在意義も生きている
意味も現実の確実性も、みんな惰性の中に埋め込まれている。 過去を振り返ってノスタル
ジックだとか懐かしいと感じられる事柄の大部分は、リアルタイムにおいて惰性やマンネリに
彩られていた事物なのである。 日々の惰性がストップしたとき、そこに出現するのは異形の
現実である。精神的にショックを受けたとき、生活の根幹を揺るがせる事態に直面したとき、
世界は親しみやすさを失う。当たり前の世の中が、よそよそしく違和感に満ちたものとして
迫ってくる。我々は孤独感と不安とに襲われる。それこそ実存的な風景とでも称すべきか。
おそらく死とはこのような感覚の究極としてあるのではないかと予感したくなるような風景
に向き合うことになるだろう。我々は日々の惰性を憎みつつも、それによって安心感を得ている。
そしてときに訪れるささやかな絶望や悲しみを介して、惰性が、マンネリが失われる恐ろしさを
薄々理解している。≫
▼ 「初老期の不安は、それまでの人生の惰性を失うのではないか?」という見方は
確かに心当たりがある。老いとは、一日一日、死にむかって歩いている時期にある。
そして、それまでの人生の返り矢が次々と返ってきて弱者への道を歩むことになる。
  老いるのは、まず肉体からだが、それに従って確実に心も老いていく。
それに気づかないのが老醜。如何に包み隠すしかない。
・・・・・・
3710, 自己を見つめる  ー番外
2011年05月23日(月)
   * つれづれに、早朝に・・
 あの日々から二ヶ月近く過ぎ、少し気持ちが落ち着いてきた。しかし、いくら平気な
顔をしていても、やはり一大事である。数日前に、自宅に一本の電話がかかってきた。 
家内が買い物に行っていたので私が受けた。 「日テレの番キシャの記者ですが、震災の
影響で廃業されたホテルの件の取材の電話です!」で・・・、拒否反応の感情が先に立ち、
「そういうことは、一切お断りをしています!」と、直ぐに切ってしまった。当然といえば
当然。 番組では当方は取り上げてなかったが、「震災倒産」がタイトルで、東北から
離れた地域の北海道とかの遠方でも、倒産が出始めてきたという趣旨の内容であった。 
 ところで、東京も含め関東甲信越以北のホテルは壊滅状態。東京の4月のホテルの平均
稼働率が80パー以上だったのが、半分以下まで落下したとの新聞報道があった。 
それを見越して見切ったが、読みどおりホテルは壊滅状態。実際のところ、前倒しを決断
できる状態だったから、見切りが出来た。 が、月末の資金繰りに困るようだったら
前倒しは無理。 当方は10年前の9・11ショックで、売り上げが4年かけて3割以上
も激減した上、二年半前のリーマンショックで、更に半減。三分の一まで落ちていた。 
それでも、借入返済の減額や、人件費などの政府補助で何とか遣り繰りしていた矢先の、
この震災。シュミレーションをすると、半年後には丸裸。今なら銀行債権以外は清算可能。 
それならばと見切り廃業を決断した。結果からみて、「少し早めの見極めは打撃は半減、
少し遅めは打撃が倍増?、その差は4倍」と、実感している。兄と姉の倒産劇を身近で
相談に乗っていたから、断末魔の苦しみを肌で感じてはいた。「金がないのは首がない
のと同じくらい苦しい」が生前の父の口癖であった。それは「日々の資金繰りに追われる
ことだけは避けろ」という教え。 それだけは避けたいと思っていたが、こういう結果で
終わっても、資金枯渇の苦しみは殆ど経験しないで済んだのは救いである。 どっちに
しても人生は甘いものではない。生きてきたままが、返りや矢として自分に戻ってくる。
プラスにもマイナスにも。 「これが、生きるということだったのか。それならば、
もう一度」という二ーチェの言葉は、なかなか言えないが、人生全体から搾り出しても
言わなければ・・
 9・11、9・15、3・11と歴史的経済震災と自然震災に続け直撃をされると、
運、不運とかいう以前の諦念の問題になる。学生時代に合気道の経験があるが、そこで
学んだ一番の教えは危機の際の「引き」である。 危機に出会うことを避けるのが
真の極意だが。来年に入ったら、謹慎期間が(私にとって)終わるので、倒産劇の悲喜
こもごものミニ講演を受け付けます。ここに書けないことが、けっこうある。 
個人的には、何時でも・・・臨場感があって、面白い材料がタップリ味付けもして?
 ・・・・・・・
3345, 閑話小題 ―つれづれに
 2010年05月23日(日)
  * トヨタのレクサス
 先日、車検に出していた車を引き取りに行ったところ、30分ほど待ってくれという
ので隣にあるトヨタの中古車センターで車を見ていたところ営業マンがよってきた。
そこで時間つぶしの事情を話したが、ついつい「高級車か、スポーツ車で面白そうな
車があるか?」といったところと、マークとレグサスを見せてくれた。私は先代の車を
いれて22年間、ソアラに乗っている。現在の車は18年も乗っているが今でも
エンジンの衰えが全くない。で、外からはレグサスを見てはいたが、運転席に初めて
座ってみた。何か違うのである。選ばれし者といって気分になるのである。 自動車も
18年もたてば車も格段に進化しているのである。二年前の車で、600万が367万円。 
個人として買えないことはないが、リーマンショック後の恐慌の世。
この暗い世相で無ければ、おそらく買っていただろうが。もっとも、最近は遠出は年一
もないし、乗るのは市内のみ。良く稼ぎ、良く遊ぶためにも、景気回復が待ち遠しいが、
当分は無理。  TVでも買え換えるか。
  * ペット大嫌いな人と、インコ
 去年の10月に、メキシコ・コガネインコを飼ってから7ヶ月になる。家内がペット
大嫌いで、買った当初は居間のベランダに鳥篭があることもあり、一月ほど居間に用が
ある時以外は、立ち寄らなかったほどの拒否反応。ところが現在は、休日など見て
いると一日数回は、籠前に置いてある簡易イスに座ってインコと戯れている。
インコが人に時々必死に呼びかけてくるのを聞くうちに情が移ったようだ。あれだけ、
嫌っていたのに。小桜インコを5代(匹)飼っていた十数年は、全く感心を寄せなかった
のに。犬と同じ位の感覚で人の気持ちを察知する。そして、自分をかまってもらいたい
のである。今まで鳥を多く飼ってきたが、自分の糞が好物というのは始めてである。
ウサギが、そうだと聞いたことがあったが・・・
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2970住まうこととさまようこと ー2
2009年05月23日(土)
  * まずは「住まうこと」とは
 住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は
逆に内側が光の世界に逆転する。外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、
部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、垣をめぐらしている。
それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。また住まいは上下
の構造になっている。ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の
「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、次のように述べている。
「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。この両極性の特徴は、
大変深くおよんでいるために、非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。
屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、
見ることができる。そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室は
どうであろうか。きっと、そこは役立つものと考えるだろう。便利さの合理性を幾つか
あげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、
殺人のための道具や、死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、
屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、光が満ちて、別世界への入り口になっている。 
屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。私が4~10歳まで育った商家
では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。1Fが店、2Fが事務所と倉庫、
3Fが台所兼食堂、家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説の
ような生々しい物語の連続であった。住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし
戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断
(機能別の空間)があった。
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2606, 脳内会話
 2008年05月23日(金)
昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、
何処にもない。そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本
を見つけた。しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど
目新しい内容でなかった。もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の
3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
 ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫
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2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ー2
         o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯
電話を買え替えた。前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
 ーまずは面白そうな部分からー
*インターネットの本質  ーP・29
 インターネットとは何か?「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を
乗り入れ可能にするために、同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち
技術的約束事である。同じ技術的約束事を持っている同士であれば、アメリカでも
日本でも、どこからでも、必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノート
パソコン、さらには片手で扱える携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的
約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、携帯トリプル?がこれから世界を席巻
するということになる。 携帯トリプル?とは、いわゆる携帯電話のことだが、
それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、  ・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、      ・GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に
携帯トリプル?と呼ぶことにする。この携帯トリプル?はマイクロソフトインテル
牙城ではない。国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、携帯トリプル?
をどうすればよいか国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。
インターネットは所詮、携帯トリプル?のバックテクノロジーに過ぎないことが、
だんだんわかってくるだろう。人々の生活を激変させるのは、インターネットでは
なく、携帯トリプル?である。インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.?は、ハードやコンテンツではなく、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー
 *携帯トリプルーが、パソコンの未来 ーP・30
実際、携帯T・?はパソコンの問題を多く解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル?は、パソコンの未来なわけだ。
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル?
でも出きるということである。現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなり
そうもない。投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプの
モニターなども具現化しているが、まだまだ使いづらい。したがって、人間の手
の先にあるキーボードという入力端末と、液晶モニターという出力端末のサイズは
そのままで、その間に携帯T・?が挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)
ということになる。iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、
次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。
   ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫
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2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?          おはよ?!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。「10年後に後悔しそうな
ことをリストアップして、それを潰していく生きかたをする」である。 
(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)私が十年前に考えたことは、
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。それがこの程度の
変化でしかなかったのか?。 という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、
先まわしをして良かったと思っている。 
  ≪字数制限のためカット2010年5月23日≫
・・・・・・・
2005年05月23日(月)
 1511, 子供や若者が変!
若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、
言いたくはなかった。同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の
遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。しかし最近になって、
じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい」と思う
ようになった。
 (以下、字数の関係上カット 12年05月23日)
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2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条
{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が
含まれている。耳の痛いことばかり。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。
1.むかう所を明瞭に示せ。             2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。   6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、
 言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。
  (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩
  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!        
  落ちこぼれ       茨城のり子
       (字数の関係でカット2,008年05月23日)
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 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。一年書き続けて、毎日
それなりにチャンとテーマが出てくる。10日に一度くらいが、まったく思いつかない
状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。書き続けることが大事。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。しかし毎日
一項目書き続けることは不可能でない。その習慣をつければ、何とか千項目書けるのでは
ないか。後二年近くかかるが。それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせてそれを組み替えればよい。
書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
 ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫