つれづれに

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  今日のYoutube

年中、同じようなスケジュールのためか、面白いように淡々と日が過ぎていく。
何事もないことが、いかに素晴らしいかと思えるのは年齢のためだろう。

 昨日のシネマは、『スプリット』をみてきた。 評価:85点。

 明日より、大相撲が始まる。何か新しいウェーブが表立ってきている。
「学生上がり】の力士の台頭である。現在もモンゴル相撲に日本の大相撲が
乗っ取られ好き放題の図式は変わってない。今場所から、モンゴルの強そうな
力士が新弟子で入ってきる。
 新潟市出身の「小柳」が『豊山』の四股名にかえて幕内にデビューする。
これに、「正代」「御嶽海」「北勝富士」「遠藤」などの新ウェーブとして加わる。


・・・・・・・
3700, ジャズについて -1
2011年05月13日(金)

 ジャズ1000曲がパソコンに入ったため、常にBGMとしてジャズを聴こえてくる。
これに慣れると、もう無しにはいられないから不思議。 そこで、ジャズとは、そもそも
何?と知りたくなって本棚をみると、三枝成彰著「音楽の本」があった。そこに丁度、
私が知りたいことが、そのまま書いてあった。 面白いものである。
【「黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合し、その結果、黒人を中心とした
ブラスバンドから生まれたポピュラーミュージック」
 「遅れて拍子を打つ黒人独特のバック・ビート(四拍子の一拍目、三拍目におくアクセント
を二拍目・四拍子目にずらして演奏する)をリズムに持ち、即興演奏を生命とする音楽」 
 ジャズという音楽を簡単に説明すれば、こういうことになるであろう。さて、そのジャズ
 は二十世紀の初頭、アメリカ南部の港町ニューオリンズで生まれるのだが、ここは十九世紀
 はじめにアメリカが購入するまで、スペインとフランスが交互に統治していた地域だ。
 そこには、フランスやスペインの白人と、西アフリカをルーツとする奴隷として連れて
  こられた黒人、そして、その混血である「クレオール」が生活していた。 
 クレオールはおしなべて教育水準が高く、ヨーロッパに留学をしたり、ビジネスで成功
 するなど、ニューオリンズではエリート層に入っていた。ところが南北戦争を受けて
 奴隷を解放せざるを得なくなった南部白人層の不満は、黒人ばかりかクレオ一ルへも
 向けられ、クレオールも人種差別の対象となる。
  一方、ニューオリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた。
 南北戦争に敗れた南軍軍楽隊の楽器を古道具屋で安く手に入れた彼らは、祝祭パレード
 や葬儀の行進などで演奏するブラスバンドとして活躍。とりわけ、葬儀の際のブラスバンド
 行進は、ニューオリンズ名物として伝説化されている。埋葬へ向かうときには悲しげな曲を、
 墓地から戻るときには死者の魂が天国に迎えられるように明るい曲を。ジャズ史上最も
 有名な曲の一つである「聖者の行進」は、そんな時代に生まれた曲だ。
  こうしたブラスバンドには、どのグループにも何人かのクレオールがいた。
 白人社会から締め出された彼らは、同じ被差別層である黒人たちと一緒に仕事を始めた
 のである。 クラシック音楽の素養があるクレオールは、楽譜の読めない黒人に西洋音楽
 の技法の手ほどきをする。 黒人はアフリカの祖先から脈々と受け継がれている生来の
 リズム感覚を持っていた。それが融合し、ジャズの生まれる下地ができあがったのである。
 「ニューオリンズ(ディキシーランド)->スウィングー>ビパップー>クールー>
 ハード・バップー>フリー」 これがクラシックの歴史を振り返ると「バロックー>古典
 ー>ロマンー>近・現代」といった流れで見るように、誕生から百年を経過した
 ジャズのスタイルの変遷も、こうした流れで見るのは一般だ。 】
 ▼「ニューオリオンズ」という地域と「黒人」、そして「クレオール」という人種
  に行き着くのである。20世紀の初めの頃、怪しげな下町の酒場で、即興として、
  古道具屋から安く手にいれた黒人たちがバック・ビートのリズムで始った。  
  あのアルカポネの時代に全米に、それが瞬く間に広がっていった。
  やはり、その背景を知っているといないとでは・・
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3335, 閑話小題 ーつれづれなるままに
 2010年05月13日(木)
  * ゴールデンウィークの異変と、連休明けの異変
 このゴールデンウィーク、道路も街も賑っていたが、この5~6年で様変わりをした。
10年前までは車の旅行客が夕方になると殺到していたのが、ピーク3日間でギリギリ満室か
9割がやっと。それも高校の剣道大会とかバスケットの大会がベースで一棟埋まっていた上で、
これである。不景気もあり消費者が合理的になったのである。その行動パターンのケースとして
・連休の間に日帰りを二回するとか、一泊で四国まで行って来たとか、高速道路の料金千円
 をフルに利用するもの。
・東京まで早朝のバス代2500円×往復で5000円で行って来たとか、周辺ではいかに安く
 済ましたかが話題の中心。それがブログやツイッターで話題になれば、直ぐに伝わる。 
 これも恐慌と情報化の影響である。
ところで毎年の恒例で、連休明けに一時的だが宿泊が減る。さらに6月に入ると二段目の
落ち込みになる。覚悟をしていたが、今回も予測どおりの落ち込みである。 数年前の、
このブログにも落ち込みの現象を書いているが、それが、ますます大きくなっている。 
年末年始明けと同じような数字だから恐ろしい限りである。
  * 民主党のおぞましさ
 思わず現政権の官僚の言葉に耳を疑った。一国のトップが外国と約束をした
「5月末までの決着」を、ここにきて「延期」と言い出したからだ。 国際間で、それが
通ると思っている無知・幼稚さに、ただただ呆れる。これからみても政権末期である。
これまた、一年も政権維持が出来ないことになる。これで4人連続である。鳩山首相も、
血筋も知性?も一級だが、やはり政治は阿修羅の世界で一寸先は闇の世界である。 
長年かけたアメリカの実質日本占領下で出来てしまった体質の中では、思い切った
ことが出来ない事情もあるが。
  * 「Youtubeが面白い」のに気づく
 息子に「Youtubeが面白いよ」と言われてから一年以上経つが、みることがなかった。
ところがデジタルビデオを購入しアップをキッカケにして時々見るようになったが、
これが面白い。それより、自分が現実にアップして初めて注目をするのだから、頭が固く
なってしまったということ。特にペットとか、動物の世界の思わぬ出来事の遭遇の映像
には驚いてしまう。これまではTVで、月に一度位でみた衝撃映像が、ここでは幾ら
でも出てくる。 情報格差も大きくなるわけだ。
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2960,藤を見るかい
2009年05月13日(水)
「藤を見るかい」の招待を受けて、昨日の17時過ぎに長岡郊外の友人の
別荘に行ってきた。 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
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2596, 金融鎖国
2008年05月13日(火)
            ー読書日記ー   (朝´∀`){♪Good Morning♪}
「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7?8割は当たっていた。
数年前に本屋で手を取ってみたが、気になってはいた本であった。読めば読むほど、
先行きに対して不安になってくる。やはり、その2008年になったのである。石油が120ドル
という、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。物は売れない、
原価は止めの無い高騰。企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。
資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 現時点では、
金融閉鎖は無いにしても、アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態
もありうるというのも肯ける。悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
「金融鎖国」ー日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)
     (字数の関係でカット 09年05月13日)
この本が発刊されてのが2002年の9月である。6年近く前になるから、読んでいて
恐ろしくなってきた。既にアメリカの大不況に突入を予測しているが、巨大な双子の
赤字から見て何時か来る道、と言ってしまえばそれまでだが。 テンポが遅いだけで、
方向としてはこうなるしかない。金融封鎖に近い状態に一刻一刻近づいているという
のも現実味が出てきている。それで困るほど大金も無いから、恐れることも無いが、
一つ間違えば丸裸にされてしまうことも事実である。
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2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか      (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
  ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。こういう
女性論は探せば幾らでも在りそうだが、比較的少ない本である。彼の論によると
「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに理解していて、
理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通して
いることのほうが多いが、極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。
雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、割り切れないから面白い
ドラマがあるのだろう。
ー概略をまとめてみるとー
女性の思考法の特徴を
1自分の快・不快でものごとの善悪を決める
        ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば
 社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている、
 それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍?数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。
・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。
 その感情も小さくできており、大きな感情を理解できない。大きな感情を持って
 いる人は、小さな感情は理解でたとしても、小さな感情の人は大きな感情の人を
 理解できない。だから始末の悪いことがある。
・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
・女性の善悪は自分がキモチイイ=善で、自分がキモチワルイ=悪となる 。
 逆にいえば割り切ってしまえば、簡単である。
・女性は過去の感情は記憶するが、客観的事実や結果は記憶しない。
・真の愛を貰った女性は天使となるが、真の愛を貰えなかった女性は悪魔となる。
これらから考えられるのは、女性は自分を客観視できない傾向が強い。その事例と
 して女性の運転を上げている。1姫、2トラ、3ダンプと恐ろしい女性ドライバー
 をあげている。怒れる女性は、欲望のままに行動するからである。
基本的に女性は、男性に騙されない。 女性は自分に騙されているのです。
男に騙されたのではなく、自分を騙した結果として男に騙されるのである。 
結婚詐欺師は、それを見抜いている。
 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
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2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ         おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の
記事が載っていた。売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。
自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 当たり前か? 
良かったのか悪かったのか? 外食の味も良いのだろうが!
ー記事の概略というと・・   
迫るW杯を控えたドイツでは、顧客の増加を見込んだ売春業界が本格化して
いるという。売春といえば、先進国では当然禁止と思っていたが、2002年に
ドイツでは合法化された。犯罪組織が地下に潜るのを防ぐことが狙いだで、
ドラッグなど何種類の麻薬も合法化した? こうした女性の数は少なくみても
17万5千人も存在、税金も払い、社会保障を受けるほか、労組も作っている。
(字数の関係でカット2008年5月13日(* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
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2005年05月13日(金)
 151, 人生の敗北者とはどんな人か ー3
人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。敗北とは、自分が
決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。しかし、「‘プライドと、
それに対応した被害妄想’のために、自分の壁になる対象を否定。それ故に
一生を棒にふるってしまっている人」を見ると、敗北者と観るのも当然である。 
もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。ー彼ら(自分)の心の呟きとは
「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。それと実際、そう
思ってストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」「敗北者には、
互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。
我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃を
しやすいし、攻撃することで我われのプライドは満たされている。
敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、この苦しみ、この惨めさは、
勝者には解ろうはずがない」「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?
決して敗北ではない! 立場が違うのだ! 大体が人が嫌いなのである、
アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。
何を一生懸命生きる必要があるのか? 何を学ぶ必要があるのか?悪い奴ら
を疑い、憎悪するのは当然のこと、叩かれれば叩き返せばよい。目には目を
というではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声。
だから、スラスラ書けるのだ)言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処
しようとするのが共通点にある。対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。
心の中は、この二人の会話の部分がある。だから複雑になってしまう。 
でも敗者の方がいつも勝ってしまう。心は否定の方が勝つ構造になっている。
だから知識が必要。この年齢になって教養の必要性が今更のように解ってくる。
・・・・・・・・
2004年05月13日(木)
 1136, 「世界がもし100人の村だったら?(2)」
以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、?(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられる
ものであった。これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々に
とって、大きくかかわってくる。ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに
世界の富を独占しているか、そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然
と解る本ともいえる。イラクアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら
考えると不気味な感がする。
 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を抜粋してみると 
<世界には63億人の人がいますが、もしもそれを 100人の村に縮める
 とどうなるのでしょう。>
  ー100人のうち
 52人が女性です 48人が男性です 30人が子どもで 70人が大人 
 そのうち7人がお年寄りです
 90人が異性愛者で 10人が同性愛者 70人が有色人種で 30人が白人
 61人がアジア人です 13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ人 
 12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です 33人がキリスト教  
 19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
 5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
 24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません
 17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語ウルドゥー語を 
 6人はスペイン語を 6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります 
  これでようやく、村人の半分です
 あとの半分はベンガル語ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、
 フランス語などをしゃべります
  いろいろな人がいるこの村では あなたとは違う人を理解すること 
 相手をあるがままに受け入れること
 そしてなにより そういうことを知ることが とても大切です
 また、こんなふうにも考えてみてください 村に住む人びとの100人のうち
  20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人
  は太り過ぎです
 すべての富のうち 6人が59%をもっていて みんなアメリカ合衆国の人です
 74人が39%を 20人が、たったの2%を 分けあっています
 すべてのエネルギーのうち 20人が80%を使い 80人が20%を分けあい
 75人は食べ物の蓄えがあり 雨露をしのぐところがあります でも、あとの
 25人は そうではありません
     (字数制限のためカット 2010年5月13日)
 『世界がもし100人の村だったら』池田香代子 
・・・・・・・・・・
2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記
 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手に
とってしまった。立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビュー
を試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。その為この本に登場してくる
人たちの話が自分との比較になってしまう。どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、
試行錯誤しながら生きていた。このころといえば人生の前途に対して大きな不安と
希望が混在していた時期だった。個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。
それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。その時代背景が、
その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。こんど「私が20歳の頃」
を、このコーナーで書いてみようと思う。 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーまえがきと目次と書評ー                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
・・・・・・
2002年05月13日(月)
 405, 新潟駅前界隈     ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、そして
ファッションメーカーミニ工場が目に付いた。それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション 大型のビジネスホテルが
眼につくようになってきた。若者の比重がどんどん増えている。飲食店がどういう
わけか殆ど、増えていないし減りもしてない。殆どスナックは行ってないが、
感じでは4割がたは減った? 夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。
新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。駅に隣接して、
APAの百数十室のマンションができ、更に再開発ビルが完成しようとしている。
これが完成すると、感じが変わってくるだろう。更にJRの高架の工事が始まる為、
当分はー20年近くは辺はエネルギーが溜まる話しは少しそれるが、新潟は住みやすい
街である。仙台と長野が好いというが、新潟もそれに匹敵してよいだろう。
都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。また結構自然に恵まれている。 
若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。何処も住めば都か?
・・・・・・・・・
2001年05月13日(日)
 図書館通い
毎週土日に一?2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの
本は読んでしまった。ただ好みが偏っているのが良くわかる。自分の空間の1部
になってしまっている。1回に10冊かりる事ができるのが良い。その内1^2冊
あたればよい。その当たった本の中で買えばよいのだ。図書館も慣れてくると
なかなか良い空間である。
 (字数制限のためカット 2011年5月13日)