つれづれに

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  今日のYoutube

 今日明日は、スポーツジムの臨時休館日。
ある意味で、私にとっての日にち単位の社会への窓。
金曜の定休日に代替日として開館するというから、金曜予定の
シネマに行くか? それとパンク修理に自転車屋に行かないと。



・・・・・・
2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)

ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 ~~~~~~~~~
 【爪もみのやり方】
�爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。
�一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
�以上を一日に二から三度行います。
�少し痛いくらいの強さで刺激する。
�薬指だけを揉むことは避ける。
(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう)
  以上は福田稔医師が考案した療法の簡単バージョン。
 爪もみ療法が効果を発揮するのは、すべての病気で、効果があるようだ。
 ーー
他のブログには、
{ 親指・人差し指・小指の手指の爪の生え際と第一関節の間くらいにあるツボを、
順に反対の親指と人差し指の腹で20~30秒ほど「いた気持ちいい」くらいの強さで押しながら
指全体をねじるようにして刺激します。ツボだけを押す爪もみよりも、経絡全体に刺激を与えられるので、
肩こり解消の効果が高いそうです。薬指の肩を通る経絡(気の通る経路)の肺経・大腸経・心経・小腸経
それぞれに様々なツボがありますが、れらの中で比較的簡単に押せるのが爪の生え際と
第1関節の間くらいに位置するツボです。1日に爪もみをする時間を決めて毎日行うのがよいです。
個人差がありますので、爪もみ効果がでにくい場合は、爪もみの時間をながくすると良い。
足の指を通る経路の中に肩を通る経路もあるので、爪もみは手だけでなく足の指でも効果がある。
おすすめは小指です。 }とあった。

  下記は福田稔医師が考案した本格的療法である。
  ー
{ 爪もみは、注射針やレーザーを使って爪の生えぎわを含む全身の治療点を刺激していく、
「自律神経免疫療法(医師や歯科医師が行う)」を応用した家庭療法で、
自律神経を整える効果があるという。
自律神経のバランスを整えれば免疫力が高まり病気を遠ざけることになる
「白血球の自律神経支配の法則(福田-安保理論)」に基づく治療法。
爪の生えぎわは神経繊維が密集する非常に感受性の高い場所なのでここを押しもみして刺激すと
刺激が瞬時に自律神経に伝わり交感神経に傾いた自律神経の働きを副交感神経優位に導いて、
白血球の中のリンパ球を増やし免疫力を回復させることができる。 }

 ~~~~~~~~
以上だが、簡単バージョンなら通勤途上で、気楽に出来るので実行するするつもりである。
最近亡くなった作家兼ロシア語通訳の米原万理が紹介していたものだが、
本人は本格的な、この療法を専門医に受けたがあまり効果がなかったようだ。
しかし簡単バージョンなら、病気予防でも健康法にでも、やり続ける価値がありそうである。
20年位前に、一時足もみ療法が流行った。理屈からみても万遍なく足をもみ続けて悪いわけがない。
それ以来、入浴時に5分間は足の指の間に反対側の手の指を挟んで、もみ続けている。
もんだ後には首筋と、目が楽になるのがわかる。

・・・・・・・・・
2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ
    オッ(*^○^*)ハ~ヨウ!

ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
 まずは、その内容から
 ーー
あるところに二匹のやまあらしがいた。
冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは
自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。

   そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。
   そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、また互いに相手を傷つけてしまう。
   このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、ようやく「最適の距離」を見いだした。
 ーー
この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか
「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。
青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。
その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。
 青年期は、傷つきやすい時期でもある。

    その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
    癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。
    そのこと気づかないのが若さからくる無知である。
    孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、
    傷口がどんどん広がり、化膿していく。 

夫婦関係にも言えることである。
トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、
痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。
青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。
あれが、自我だったのだ。  今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。
   しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
                     ホンジャ、バアアイ 
                   ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
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2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさい-5
        ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
               -読書日記
  ーアーティスト・デートー

   「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
    今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
    そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
    その才能にアクセスする方法がある」という。

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。

    机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が
    12週間という具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。
    本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。
    そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。
    先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。

ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。

    「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
     行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
     つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
     恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ -どんな肩書きの人もお断りだ…
   ーー
 以上だが、要約すると
「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」
ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。

   ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
   《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
    怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
    怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。
    また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・・
    怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》

     《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
     アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
     そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
    「みえるでしょう?」と語りかける。
     あるものを見たくないと思っている人たちは、
     それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
     《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を
     送り込み癒しをもたらす。》
     ーー

  ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい!
   ということか。
              ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」-NHKスペシャル

一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。
ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、
そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、「翌日の、報道番組に取り上げたい」。
キーワードで検索をして、知ったようだ。
「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。

しかし、10年程前には誰も知っていた話である。
年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。

ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」
 ー西武鉄道土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。
 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」
この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。

インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。
最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。
それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。
その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。

不景気の直撃がレジャー産業に直撃。更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。
レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。
日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状である。

ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。
全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
--
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。
あぶないところは、かなり書き換えてあるが。

ーーーー
2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
(以下、字数の関係上カット2008年04月05日)

・・・・・・・
2004年04月05日(月)  1098, 拾い物

拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。
10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で行った時のこと。
腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回も
そういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。

早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。
警備の受付のところに直接持っていけという。
電話をして呼べばよいのに、本人はタダタダ面倒でイヤだという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)
言われたところに行っても、その事務所がない。
乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。

本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。
これも新潟の駅前の交番に届け出たが、彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろと
いわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。

そう考えると拾い物は殆どないということだ。
そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。
考えること自体が卑しいことだ。

・・・・・・・・・
2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」

「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、
それに対する議論をした事を思い出した。

ー要旨は
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。
これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの縦社会を
つくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。
「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 
「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の
根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。

 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのが
その縦社会という視点そのものが、はたして正しいのだろうかという提示であった。
「何々それってどういうことなんだ??」
私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。
根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。

 逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と同じように説得力があるのだ。
士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく横社会とも
いえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。
そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。
インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。

この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を初めて知った。
常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。

・・・・・・・・・
2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。
「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。
 空間の溝を取り払ってしまった。
それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、
一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。

現在でもそのサイトが多くある。
これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。
昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、
情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。
これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。

・・・・・・・・

ースナックジョーク
(ママかホステスをからかうジョーク)ひとつ
  
森に一匹のメス鹿が迷い込んだ。 向こうからきた狼に森の出口を聞いた。
狼「ひとつヤラセテクレタラ教ええあげる」
もちろん断り、向こうからきたトラに聞いた
虎「ひとつヤラセタラ教えてあげる」もちろん断った。
熊も狐も同じ答えだった。 それでも何とか森から出ることができた。

そこでママ(かホステス)に
「どうして出ることができたか知ってる?」
ママ「・・・・・・・・???」
「ひとつヤラセテクレタラ教えてあげる」