つれづれに

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  今日のYoutube
 大相撲、WBC野球、プロ野球のオープン戦も始まり、気候も春めいてきた。
一年で一番よい時節である。71歳、身辺の整理に入る時節だが、一番大きな
会社の整理が、6年前に終わり、心の整理も、終えつつある。 終わってしまえば、
こんなものか人生はだが、ここまできて、過去の自分と真正面に向き合うのは
簡単ではない。目的は手段を正当化をして生きてきたのが、やはり皺になっている。


・・・・・・
2537, パリ高級娼婦館女主人の告白 -1
2008年03月15日(土)
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
  ニューヨーク州スピッツァー知事による買春疑惑が表面化したと昨日のTVで放送していた。
  疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織摘発の中で浮かび上がったもので、
  先月中旬、訪問先のワシントンのホテルにニューヨークから高級売春婦を呼んだ際に、
  売春組織への電話が当局に盗聴され、同知事と特定された、という。
  疑惑を受け「家族を裏切った。家族と州民に謝罪する」と事実上、疑惑を認め辞任の意向。
  2期8年間の州司法長官を経て、2006年、民主党から知事選に出馬し当選。
  07年1月、州知事に就任した。州司法長官時代には、売春組織の摘発にも積極的に取り組み、
  高い評価を得ていた。

  そこで思い浮かぶのが、
  マダム・クロード著 「愛の法則―パリ高級娼婦館女主人の告白 」である。
 ーこの本の紹介文と著者の履歴からして面白い。

1960年代から’70年代、パリで最高級売春宿を経営していたマダム・クロード。
フランス通の訳者が、その数奇な人生、知られざるフランスの裏面を紹介。
彼女の洗練の秘密は?女性の本当の幸せとは?「パリの粋」が見えてくる一冊。
 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」)
 グリュデ,クロード
1923年、フランスに生まれる。
’62年、友人ナディーヌから売春宿を受け継ぎ、「マダム・クロード」となる。
以後、70年代初めまで、各国の王や大統領、政治家を顧客とし、営業を続ける。
’74年、ある政治家との関係を巡り、クロードの館は閉館へ。
’77年、税金問題から逃れるため、アメリカに渡るが、’85年フランスに帰国したところを逮捕され、
以後4カ月刑務所に収監される。
出所後、2番目のネットワーク作りを開始するが、このことにより、再度刑務所に収監される。
’86年より、PR業、結婚相談所、美容アドバイザーなど様々な仕事に就く。
’94年、自叙伝『madam』(ミシェル・ラフォン社)を出版
ーー
ここの館の顧客名簿には、アラブの王族や欧州の貴族、ケネディー大統領はじめ各国の政治家、
大金持ちが名をつらねていた。ここを足場にフランスを代表する映画女優、皇太子妃や
伯爵夫人にのし上がった娼婦が数多いという。
マダム・クロードは、自身が少女時代に修道院で尼さんから受けた躾を、
街の売春婦に変身プログラムをつくり、整形手術、肌の手入れ、性の技巧、ダイエット、
ファッション、ハンドバックの中味に至るまで微にいり、細にいり指導していったという。
まあ、下手な子女よりもズット品良く仕上げたのだろう。
これを切っ掛けに、この本は見直されるだろう、恐らく!
                          つづく

・・・・・・・・・・
2007年03月15日(木) 2172, 獄中記
    (~Q~;)  おはよう~~ファ~   -読書日記
        佐藤優著  岩波書店

    新幹線の通勤の車中に毎日50ページを、延べ10日間かけて読破した。
    読んでいるうちに自分が牢獄に入っているような錯覚をする本である。著者の逞しいのは、
    直ぐに頭を切り替えて読書・勉強の場と、割り切ってしまうところである。
    そして、人間としての尊厳を保って哲学的問いに取り組んで、
    62冊の獄中ノートを書いたエネルギーには、驚ろかされた。

この本で国策捜査の恐ろしさの一端を見せつけられた思いである。
冷静に振り返ってみると、鈴木宗男佐藤優は何をしたというのだろか。
「外務省を二人で牛耳って北方領土の二島返還を独断交渉を進めたことが、
国家利益を損ねた」というが、それが犯罪といえるのだろうか?
国家権力の闇の深さ思い知らされた内容である。
戦前の特高と、現在の検察と何が違うというのだろうか。
もっとも、鈴木宗男も出すぎていたことも確かだが。

印象に残っている部分を幾つか抜粋してみる。
    ーー
    拘置所内での生活は、中世の修道院のようです。
    中世の修道院や大学では、書籍は一冊しか所持することが認められず、
    それを完全に習得するか、書き写した後に次の本が与えられるシステム
    だったそうです。 拘置所もそれにかなり近いところがあります。
    私本については三冊しか房内所持が認められていません。・・・・
    案外、現在の環境で少数の本を深く読む生活も気に入っています。・・・・
    禁固刑ならば、書籍の差し入れと筆記具の使用が認められるとの条件の下で、
    何年でも耐えられるような気がします。  (p40)

拘置所生活も自分でリズムを作ってしまうと、それなりに楽しいです。
過去数年間、否、十年以上にわたって、腰を据えてしたかったけれども、
時間に追われ、できなかった勉強をするよい機会です。・・・・
外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房に
そっくりの小部屋を作り、思索と集中学習用の特別室にしたいと考えています。
それくらい現在の生活が気に入っているということです。   (p63-64)

    おそらく、「拘置所は学習と鍛錬の場」と自分で決めてしまったからでしょう。
    食事もおいしく、集中して勉強できる現在の生活を私は心底楽しんでいます。
    保釈の必要ありませんし、接見禁止が続いていたほうが会いたくもない
    面会希望者との会見を断り、気まずい関係になるよりもずっとよいです。(p69)

この制約をどのようにして利点に転換するかをよく考える。
恐らく、記憶力、構想力の強化ということになると思うが・・・。
しかし中世、近世と較べれば、文明の恩恵に浴している。
紙もほぼ無制限に使えるし、図書も十分に入手できる。
ボールペンという文明の利器もあり、夜は電灯の下で勉強できる。
概ね、戦前の学者よりも恵まれた環境にあると見てよい(特にボールペンの点で)(p82)

    ある意味で、拘置所内での生活は、夏目漱石の「それから」における代助、
   「こころ」における先生のような「高等遊民」の世界に似ていると思います。(p112)

私が学術書を精読するときは、同じ本を3回、
それも少し時間をおいて読むことにしています。
第1回目、ノートやメモをとらず、ときどき鉛筆で軽くチェックだけして読む。
第2回目、抜粋を作る。そして、そのとき、内容を再構成した読書ノートを作る。
第3回目、理解が不十分な箇所、あいまいな箇所についてチェックする。
このような読み方をすると、10年経っても内容を忘れることはまずありません。(p.165)

    私も外にいるときには速読で1日1500-2000頁は書物を読むようにしていました。
    私の場合、速読とはペラペラと頁をめくりながらキーワードを焼き付けていく手法。
    目次と結論部分だけを少しゆっくり読みます。
    対象となるテーマが馴染みのものならば、500頁程度の学術書ならば30分、
    一般書ならば15分あれば読めます。
    そして、ワープロで、読書メモ(これは20分くらいかかる)を作ります。
    こうすると1日で1500‐2000頁くらいの書物を読むのもそう難しくありません。
    ただし、対象についての知識のない本については不可能です。
    どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法がないと思います。
    まずは背景となる知識(「教養」)がどの程度あるかが問題になります。
    この「教養」をつけるという作業が本当にたいへんです。  (p.171)
    ーーー
    これだけの能力を見せつけられると、自分能力が惨めに思える。
    内容は、やはりリアルである。
    変な惨めさが無いのは、やはり知識の裏付けがあるためだろう。
    彼の著書は特異の経験という意味で、十年、二十年後まで残るだろう。
    そして、あの女代議士と、小泉も。
   
   後記)後で気がついたことだが、三年前の今日、「獄」というテーマ
    で、この随想日記を書いていた。 面白い偶然の一致である。
                  (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・・・
2006年03月15日(水)
1807, 新書と文庫について
                おっ w(゜Д゜)w ハァョ~
「いまどきの新書」永江朗著ーを読んでいたら、新書と文庫について書いてあった。
新書が大きく変容しているのを実感していたので、その内容に注目をした。
そこで、それをベースに「新書と文庫について」纏めてみた。

 ーー
書店には新書と文庫のコーナーがあるが、新書と文庫は少し前までは、地味な存在であった。
デザインは、書店ごとに統一されていて似たようなもの。
テーマも[学術・教養もの]と呼ばれていた。

    新書・文庫という形態は、岩波書店岩波新書・文庫が始めたもの。
    岩波新書は現代的教養を、岩波文庫は古典的教養を集めた。
    相手は、主に学生で、学校の先生を次のターゲットにした。 
    ところが、最近になり新書が大変身をしてしまった。
    多くの出版社が新書を作るようになり、岩波新書中公新書
    現代新書の御三家に割ってはいってきた。
                       
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?                       
値段が安いことがうけ、古典的教養書という意味あいは薄れ、
軽いエッセイや対談や、趣味的な旅行本、写真集や、
はてはマンガ本的なものまで新書として出版されだした。

不景気や印刷技術の向上や物流の合理化を背景として、
何処でも読みやすい小型本としての手軽さが受けてきた。
またデジ・カメや印刷の高度化で安価に写真などが新書に、
掲載できるようになったこともある。

    本屋も、文庫本のコーナーを拡充して、文庫本を平置きして買いやすくしている。
    学生時代買った新書本が今でも自宅の書棚に多く残っている。
    小型で場所をとらないので残しておけたこともある。
    中公新書加藤秀俊『整理学』、川喜多二郎の『発想法』
    講談社の現代新書の立花隆『知のソフトウエア』
    岩波新書梅棹忠夫『知的生産の技術』
    など、懐かしい本が2百冊位が捨てられることなく並んでいる。

 かっては古典の代名詞だった文庫が、
 単行本の普及版、小型版、かつ価格破壊版になってしまった、
 ということだ。
              ホンジャ o(▽^*)ノ~~マタ~
・・・・・・・
2005年03月15日(火)
1442, ホテル・レストランショー

店舗ショーに続いて、毎年のこの時期に有明ビッグサイト
4日間にわたって開かれる。 先週、日帰りで見学してきた。

店舗ショーと同じく、癒し系のラジウム石を使ったサウナや、
化粧水を使ったエステなどが目立った。日本人は疲れているのだろうか?
それとも女性の立場が強くなり、そういう出費には目がないのだろうか?
これも一過性であろうが、時代が変わったのもあろう。
合理的な考えが進む一方、体や心の癒しには平気で大金をつかう。

私自身も大型薄型TVやDVD,そしてソフト関係にはお金を使う。
その反面、外食や飲み代や日用品や衣料には非常にシビアになった。
出店していた音響メーカーの「ボーズ」の、30万近いオーデオを買ってしまった。
こういう世界も、技術革新がドンドン進んでいるようだ。

ベーカリーの世界も日進月歩のようで、冷凍パンを、そのままレンジで
焼き上げてしまう技術が開発され、パートでもクロワッサンやデニッシュを
焼き上げることが可能になった。
街のレストランなどが、焼きたてのパンを70~100万円の器械で、
気楽に出せるようになった。

ホテルが一般的に不況で、新たなサービスを付加して客を取り込もうと
している。ベッドもシングルベッドの下に、もう一つのベッドが
収納してあって、家族ずれのお客にも即応できるものなどが、目についた。
また、防犯カメラなども多く展示されていた。

・・・・・・・
2004年03月15日(月)  
1076, 《獄》

昨日、何げなく朝日新聞の社会欄を開いたら、<獄>が大きく載っていた。
内容は山本譲二元代議士の獄中の体験談であった。
刑務所の服役の体験談を読んだことがあったが、直視できない異常な世界である。
体験談の文章によると、収監された晩は一晩中誰もが泣き過ごすという。

政治とは清濁併せ呑む世界であり、奇麗事の世界とは違う。。
犯罪になるかどうかは、「洗浄を幾つか通して政治資金を集める体制があるか、
無いかの差でしかない」のも事実である。
全ての政治家は、一歩間違えると監獄が待っているといえる。

この文章を読むと、刑務所だけは入りたくないと思う。
別世界のことではない。ある日思わず、交通事故をおこして動転して轢き逃げを
しないとも限らない。それとも酒を飲んでいて、隣の客と喧嘩をしてとか・・・・

asahi.comを検索したら、この文があったので貼り付けておきます。


-以下は朝日新聞に載っていた内容である。
■《獄》「詫び状」が扉を開けた

看守に促され、栃木県の黒羽(くろばね)刑務所の分厚い鉄扉を抜けると、
妻真由美さん(39)の姿が目に飛び込んできた。
 02年8月1