つれづれに

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  今日のYoutube

 昨年暮れになった、鼻風邪が再び再炎して数日今日は取あえず
スポーツジムは不参加。 それでも早朝は、寒い仏間で、随想日記の仕上げ。
 そして、録りだめの映画を見るが、これが面白い。






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3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)

 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の広告記事を
たて続けに出している。そこで会員登録をして、HPのソフトを使って驚いた。アップした
画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換してくれる。それが思いのほかに良い。
デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に転換できる。それがプロが書き換えたと
思えるほどの出来栄えで、ここまで来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。
これではプロがカタナシである。この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも
通わなければならない。それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。
デジカメで撮った過去の写真を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。 
まだ、その機能が入ったデジカメを手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 
タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。他のHPにも
自由に使えるソフトが幾つもある。そこには美人、線画、版画、漫画、スケッチなど
100位の写真加工転換ソフトが使える。 私にとって、これは夢のようなソフトになる。 
これまで、多くの写真がCDカードやアルバムに眠っている。この中で、気に入ったものを
画像転換すれば、私にとって素晴らしいアートが出来上がる。おそらく、セザンヌ
ゴッホピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。 それだけでない、
彼らの絵画を自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った作品が出来る。
それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。実際にゴッホの「ひまわり」を
加工してみたが、水彩画などに転換したものは、何とも味がある。カシオは、これに
膨大の開発費を投入したと思われるが、それをフリーソフトで公開し、出来上がった
作品をパネルや、装飾品に印刷、販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、
「この写真が、こんな風に転換してしまうのか!」の、驚きの連続である。 
iPadの次世代機種にカメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもり
である。観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描きソフト
で書き加えることが可能になる。いや、書き加える必要もないほど最良に近いソフトが、
それを許さないか?   これは、凄いソフトである。

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3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。直ぐに
「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然のようにあった。
そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の桜の写真を載せてみた。なるほど、
これなら雪桜を知らない人でもわかる。そのサイトには世界各地の人のTwitpicの
写真が羅列してあった。「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、
数言の英語なら状況から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉
なら分からなくても 写真なら世界中の人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。
それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、普通の女性?
二人が胸を露出した写真だったり、黒人の男のヌードもあった。構えてないところが良い。 
当然、Twitbideoというのもある。 写真もビデオも、パソコンでもモバイル端末で、
何時でも何処でも見ることができる。ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。
TVのニュースでも、かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。情報化の事例の
一つである。数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 
グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。これも手軽に何処からでも
ビデオを配信できるからよい。Twitterも、三年で既に九百億円の値がついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’をつけると、
それがネットでグループ化される。「藤の花」を知らせたい場合、‘♯藤の花’と
入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる、等々、
幾らでも発進できる。全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」とか、
直ぐの反応があるはず。初めキーワードをコンピューターが選定すると思ったが、
実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の「つぶやき」が繋がる。 
もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、この銀行の怒りを持った者
同士が、怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、
かつ鋭敏になるのである。更に、情報を送りたい相手のサイトの前に@をつけると、
自動的に送信される。これが携帯で飛び交うから驚くのである。ブログがマイクロ化し、
互いにキーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、
無限に開くばかりになる。

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2843, 雲屯庵 -3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。 外見は茫洋としているが、この男がなかなかの
博識で、俗にいう玉。最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の養子に
なったか?、名前だけ継いだのか? この人が語った「異世界」の話しが面白い。 
もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。そこで僧侶の感覚で、
朝6時に出社。他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も
前に来て働いているのだから、上司に直ぐに認められ、一~二年もしないうちに、
工場のトップクラスに登りつめてしまった。 別に、必死に働いたのではない、
ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、
激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、ショックであった。何時の間にか、周り
の勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのようであった。
 また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。
その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと
「何?の方の世界」はシステム(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、
隠れ旦那の風習があり、通婚のシステムがある。(もちろん地域的なものもあろう。
そういえば「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と
 能力が十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。
この歳になっても、少し綺麗な女性が身辺に来ると 「直ぐに手をつける?」等々、
なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。 更には、預金通帳には?千万
(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 今でも??は度々、
訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、この位にしておくが、
 40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して変わらない。
 名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの存在なのだろう。
  ーー
 ー9月01日 1969年
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私
はダンマリ。ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう? 禅師に
昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 
何だろう、何だろう、何だろう!実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な
自分がいる。実際のところ濁流の中で、もう水を飲んでアップアップしているだけの自分が、
神戸で一人呆然としているだけだ。どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることも
ないが。
  2005年 ー1月14日記ー
 ーこの時のショックは計り知れないものがあった。身近で、これだけの知的水準の高い、
同年代のハーバード大学の人と接したのは初めて。 会話さえついていけないのだ。一言一言の
言葉が宇宙語のよう。その逆の環境の真っ只中にいたから、その段差がなおのことあったのだ。
「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
司法試験受験をしていた高橋さんが三条市で弁護士になっていると、聞いたことがある。
まだ会ってはないが、実直な無口な人であった。懐かしい日々であった。
  ー2009年1月16日記ー  
 それはそうだろう、中学校を出て全く無垢の僧侶が、京大哲学科の老僧の直接の指導で10年
近く学んでいるのだから、当時の私など足元にも及ばないのは、当然のことである。ハーバード
も、恐らくかなりのレベルの人だから本人と対等に話せたのだろう。今から考えてみても、
その若い坊様が逸物なのである。 近くの名寺の住職が、以前、私が開いていた会に度々来て
いたが、その人物に良い印象を持ってなかった。「何処かで酒を飲んで大虎になり、俺は雲頓庵
の??だぞ~」と喚いていたとか云々。この坊様が、また面白いが、省く。それと人物かどうか
は、別のことだ。(酒癖については、身に覚えがあるので寛大か??)そういうショックと、
卒業真近かの興奮もあって、学校や寮の人たちとも色いろあって、グチャグチャになって
卒業した、そして、卒業後は、一日2~3時間は本を読む習慣をつけて、現在も続けている。
 そして、この程度である。「学生時代は、徹底的にグチャグチャになると良い」と、何かの
本の中で誰かが言っていた。それが新たな創造の前の破壊ということだ。 それにしても、
小さくまとまってしまった。大小もないか・・・。砂利は砂利ということだ。 
その砂利も「思い」でしかない! 最後は禅問答で終わりか!

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2008年01月16日(水)
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -1    b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の -記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が
刺激的である。サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、「恐慌」
が現実化をしてきた。機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ 還流していた資金が
原油と金、そして穀物にも向かっている。 またアメリカ一極から、資源大国ロシア、
中国、中東諸国へと、「多元的世界経済」へ変化を始めた。 その移動過程で、一番
影響を受けるのがアメリカと日本であるのは自明。 年末年始にかけてサブプライム
社会的格差の実態をNHKが ゴールデンタイムに放送した。 それだけ事態は深刻と
いうことである。 
  =まずは、その記事である=
東証一時765円安」「大発会で最大の下げ」「原油高で大波乱」。
1月4日付主要各紙の夕刊1面の見出しである。普段ならご祝儀相場となる
ことが多い年頭の株取引・大発会が「波乱の幕開け」になったことを伝えている。
  (字数の関係でカット09年01月16日)
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アメリカのドル基軸は、サブプライム問題で瓦解したのだろうか?その結論を出すのは
早いかもしれないが、今までとは違ってきたのは間違いない。 アメリカの衰退は
日本の衰退を意味する。   ヾ(=・ω・=)o☆バイバイ

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2007年01月16日(火)
2114, セレブ殺人事件ーロスト・ジェネレーション   
現在を象徴する事件として多くの意味が含まれている事件である。
(字数の関係でカット09年01月16日)
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2006年01月16日(月)
1749, 心のままに生きてごらん-3            
鳥はよけいなものを背おわない。 だから、とべるんだよね。   -87
過去は記憶のなかにしかない。 記憶はあくまであたまのはたらきで、
あたまはきりかえがきくから、過去も自分でかえられる。     -91
ほんのすこし時間をさくだけで、よろこんでくれるひとがどれだけいることか。
それなら、それをいとわないこと。  -96 
(字数の関係でカット09年01月16日)    

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2005年01月16日(日)
1384, 生きる2004~森山良子コンサート
 昨夜、何げなくTVの番組表を見ると「生きる2004~森山良子コンサート」があった。
森山良子のコンサートを学生時代に見たこともあり、ジックリ見た。加山雄三さだまさし
平原綾香の4人がそれぞれの時間を受け持つもので、彼女のワンマンショーではなかった。
誕生日に心に残る何かがないかと思っていたが、良いメルクマールになった。
かわいいものだが。何げなく皇后の来賓席の姿を映し出していた。そのためか全員の歌に熱が
入っていたようだ。加山雄三と森山良子は、学生時代の思い出の歌手である。さだまさし
心の歌をジックリ聞かせてくれる。自分の誕生日の贈り物と勝手に思って聴いたが、部屋の
電気を消して真っ暗の中で聴いていると、実際の会場にいるようであった。
特に、森山良子の歌の全てが心に響く。「今日の日はさようなら」は学生時代、また加山雄三
の歌も当時を思い出させてくれる。昭和40年代は経済の高度成長期のよい時代だったということ。
歌は時代背景を、そのまま反映する。まあ誕生日に丁度よい番組みに当たったということだが、
小市民そのものだ。

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2004年01月16日(金)
 1017, 足の話-2
 前にも少し書いたが、野球のスカウトがまず注目するのは足である。リトルリーグから
大学を経て社会人になるまで観察し続けることもある。まず足が速いこと、それによって
体のバネや筋肉や関節の柔らかさが分る。野球はランニングに始まり、ランニングで終わる。
大リーガーのスカウトは、特に足にうるさいという。イチローや、二人の松井も脚力は並外れて
いる。大相撲でも、入門をすると徹底的に下半身ー脚を鍛え上げる。股割りから始まり、すり足、
四股を教えていく。 そして、足指で土を掴まえるようになるまで足を鍛える。本場所の相撲を
見ていて、足に目があるのではないかと思うくらい微妙なところで俵の上で残ったりする。 
そこまで鍛え上げているからだろう。足を辞書でひくと、「体を支え移動させる機能。たとえば、
動物の下肢、立ちまたは歩行の用をなすもの、タコなどでは遊泳の用をなすもの」等が書いてある。 
足といえば、「足が付く」「足が出る」「足を洗う」「足を引っ張る」「勇み足」等々、
慣用句にもなっているほどだ。お金のことを「お足」とさえ言っている。これは、走るように
去っていくという意味がある。いずれにしても、自分の体を移動させる重要な機能である。 
ところで、足の代用として何が考えられるだろうか。移動手段として見ると、まずは車である。
免許が無いのは、現代イザリとさえ言われている。飛行機、船、列車が考えられる。
このような移動手段の発達が人類の進歩に大きな役割を果たしている。 海から生物が陸に
上がってきて進化する過程で、移動手段としての足は重要な機能となった。鳥のように前足を
羽に進化させて、空を飛ぶということで移動する生物もある。
また蛇のように一切足を持たない生物もある。逆に百足のようなものもある、
 ところで、今の乗り物の多くは生物の機能の真似から出来てきた。車は馬、飛行機は鳥、
潜水艦は魚等。しかし船だけは見あたらないというが。それと自転車やオートバイなどの
二輪車は何だろうか?

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2003年01月16日(木)
 648, 流通業界を考える
実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。一般小売店
地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。そごう百貨店の倒産、西武流通
グループの解体と西武百貨店の再生法。東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。これからは
高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。
問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。
 (字数制限のためカット 2011年1月16日)
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2002年01月16日(水)
 302、事前の一策は事後の百策に勝る
生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。これは準備の大事さ、計画の大事さを
いっている。ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」
ということが出てきても、その修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでも
ないと仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。これ以上もう考えられない
ところまで、考え尽くす。それをどこまでやれたかが、10年~20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して建物を造るという。数百年後の
宮大工を意識して仕事をする。以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。
事前の一策を練る事といえる。一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術
でカバーしているプロセスを踏んでいる」ケースが多い。本人はその意識もないレベルだが。
他人事でないか?!事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。それでは
「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。十分な情報収集とその分析に、
時間とエネルギーをかけることである。過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く!
準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、とことん突き詰める事だ。
計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、必要だったらやるべきだ。やる前なら
どうとでも修正できる。結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。
数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!
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1月16日  1969年
9時起床。10時前に大学にいって卒論提出。万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけで
しかない。そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。甘さといい加減さが、この内容
が物語っている。以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。
そういえば今日試験があったのを知らなかった。これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。一つ大きな心配が増えた。
ゼミの河村と石川と外山と4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。その後、寮に帰り
TVをつけると、東大の校舎で反代々木系全学連安田講堂にたてこもって8千人の警察官と
攻防を繰りひろげていた。まるで戦場である。 講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプター
が三機もいてサイリュウガスを撒いている。驚くばかりである。駒村の部屋に行く。
彼とは大きな距離を感じる。その後風呂に行く。その後部屋に帰ってくると、先輩の永田さんくる。
先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。先日よりズット落ち込んでいた。
あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、
鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。 午前一時過ぎに帰って、就寝。