つれづれに

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今日のシネマは中止? 積雪は30センチを超えたようだ。
この一週間は、降り続くようだ。 雪国なら当然といえば当然のこと。



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3205, 古町の衰退
2010年01月13日(水)

 大和百貨店の撤退、書店の北光社の閉店と、新潟のダウンタウン古町の衰退が問題に
なっており、その連載が地元紙・新潟日報一面で「古町 揺れる灯」として連載をされている。
ダウンタウン地盤沈下を今さらの問題だが。 郊外には大型SCが多くでき、互いに凌ぎを削る。
更に、駅には駅中専門店街が次から次へとオープンしている。 その中での衰退は当然である。
 私事になるが、年に4~5回行っていた古町には、去年は一度も行かなかった。
タクシーの往き帰りが勿体ないのと、不況の中、飲む回数も減っている。
日報の記事は10回シリーズだが、何か哀愁に満ちた内容。 スナックが酷いとは聞いていたが、
15~6年前に450軒あった飲食店が、現在は250軒になって日ごと客数が減っているという
スナックのママさんの悲鳴がインタビューであったが、この数ヶ月でも多くの店の閉店するはず。
 私の住居のある長岡でも行きつけの店は何処もかしこも深刻で、かなりの危機感。
齢もあろうが、レンタルショップや、ブルーデイに録画をした映画、音楽、ドキュメントを
自宅で酒を飲みながら見ていた方が、ずっと価値がある。 これも情報化の一現象か。
「酒場放浪記」という、居酒屋の店内に自分があたかも居るような錯覚をしてしまう番組もある。
それと、以前のように場を盛り上げるプロのママやホステスが少なくなってしまった。
恐慌の中で、まず弱いところからマイナーの現象が表面化してきた、ということか。
その中で、駅中の商店街だけは活況をしているのは、如何いうことか。

・・・・・・・・
2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ天地人」で、若き直江兼継が修行した「雲頓庵」が舞台になる。
雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページと
して残っている。特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
 以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、
 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在していた。度々なので自然と
禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に生意気な質問をした私に、
 いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい思い出になっている。京都大学哲学科卒で、
気持ちは若い。女性で何度か失敗して、その世界では登りつめることが出来なかったと、
両親から聞いたことがある。
  まだ鮮明に憶えている対話とは、
 (私)  -禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) -字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。 ー 示単
   社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の
禅師との対話。
 (私)  -世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
 (禅師) -あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。
  世間も理屈もあるものか!(厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。
  後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感だった。 
  頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
  社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
  ー1968年 雲頓庵    9月10日
 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の明治大学の1年
の田村君と話す。3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」
について話す。 午前様「一という数字はあるが、一という実体はない。それを一といえば
一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」
「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。
それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日
 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで
座禅に挑戦!計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。
感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。ここの2週間近くは、
充実したものだった。明日からは娑婆である、楽しみだ。これから高橋さんと根本君と送別会だ。
 ーー
 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方だろう。書き残すことは痕跡を残すことである。  
ーつづく
・・・・・・・・・
2008年01月13日(日)
 2475, 年頭の新聞の記事の総評 -2
                       才ノヽ∋ ー ヾ(´∀`o)+。…
産経新聞の30人の論説委員の「論説委員がもの申す」、見開きの二面全ページの寸評だが、
的を得ているものばかりである。年頭の特集では一番、わかりやすく、今年はどのような年
になるかを考えるには、これを読み返せば、ほぼ網羅しているといってよい。この中で、
ある論説委員が取上げていた阿久悠の遺言のラストメッセージ、ー日本の社会が「湿り」と
「暗がり」を失ってしまったーは、面白い見方だ。世の中が乾いてしまい、ギンギラに


なってしまったというのも肯ける。情報化が影と湿りを失わしめたのだろうが、
光と潤を与えたことも事実。その交差の混乱が現在の日本の置かれた事態でもある。
 *そのうちの幾つかをコピーしてみた。
  ーー
「節目」「激動」平成20年  論説委員がもの申す(2-1)
 平成になって20年目を迎えた。北京五輪の年でもある。20年といえば、大きな節目の年
といえる。内外とも激動の時代に入っている。なかなか先が読めない不透明感が漂う。
米国では今秋、大統領選挙が行われる。 すでに英国やフランスでは指導者が交代し、
隣国の韓国も新大統領が誕生するなど世界の顔はがらりと変わった。北朝鮮の動向も
気になる。本紙「主張」を担当する総勢30人の論説委員が、一言ずつ書き留めた。
 *「平成20年に思う」
 ■五十嵐徹
 地方の商店街は判で押したようにシャッター通り地域格差は深刻度を増すばかりです。
 地方が元気にならねば日本経済の本格浮揚は望めません。
 そのための地方分権論議ですが、ねじれ国会で国政の停滞が気になります。
 子年の子は終わりの了と始まりの一の組み合わせ。輪廻(りんね)の中枢を意味する
文字だとか。 大山鳴動ネズミ一匹とならぬよう願いたいものです。
 ■乾 正人
 竹下内閣末期に首相番記者となって20年。平成の永田町を見つめ続けてきた、
 といえば格好はいいが、紅顔の美少年?がメタボおやじになっただけ。
 政治の世界も進歩がない。平成の御代(みよ)に首相を務めた政治家は13人を数え、
 政権の平均寿命は1年半にも満たない。焦点は14人目が誕生するかどうかだが、
 勝負は秋にもつれ込みそう。永田町も「どげんかせんといかん」。
 ■岩崎慶市
 小泉純一郎氏が首相再登板。現実味のない初夢みたいだが、ポスト小泉の混乱する
政策決定過程にそんなことを思う。欧米の改革ははるか先を行き、なお手を緩めない。 
背中には中国の手がかかり、そのうち抜かれる。なのに改革は止まったまま。
ねじれ国会で身動きもとれぬ。未来を開くべき政治がその道を閉ざす。
矛盾超克する宰相いでよ。
 ■河合雅司
(字数制限のためカット、2010・01月13日)
  
ーーーーーーー
 2007年01月13日(土)
  2111, セレブ殺人事件ー普通の人が一番恐い!  才八∋ウ_〆(∀`●)
世の中どうなってるのだろうか?毎日のように凄惨な殺人事件が続いている。
バラバラ事件のセレブ妻が逮捕される前の電話のやり取りをTVで生々しく放映していたが・・。
電話のやり取りは70分もわたっていたというが・・犯人の奥様が新潟中央高校の裕福な出身で、
お嬢様学校の白ゆり学園卒のセレブというから興味が倍増する。「何処の誰か」が知れわたるから、
針の筵だろう。苗字が旦那名だろうからよいが、地方は狭い社会である。
ところで年末に借りたDVDが「400万ドルを拾った三人が狂っていく物語」で、なかなか面白い
内容だったが、その最後のセリフが言いえて妙だった。「普通の人が一番恐ろしい!」この事件も、
まさに普通の人である。夫婦間のことは二人しか知りえぬことがあるが、二人とも愛人がいたという。
新宿の歌舞伎町近くに、これ見よがしにバラバラの胴体を置くとは、余程の憎しみがあったのだろう。
この文章を書いている現在、TVで3人の暴力団に殴られた普段大人しい男が逆上して、
その3人を刺し殺してしまった事件を報じている。書いている内容そのもの「素人こそ恐ろしい」である。
暴力団のチンピラが殺したならわかるが、ド素人に殺されるのだからカタナシだ。    
暴力団もオフレを出さないと、「素人衆には気をつけろ!」と・・・笑うに笑えない娑婆である。    
「普通の人」といえば、嬰児の殺人事件が地元の長岡で発覚した。初めの調べでは37歳の母親が
「多くの子供がいるので育てられない」という動機だったが、その後の調べでは、その子供でない
のが発覚するのが恐ろしいので殺した」という。複雑な家庭環境があったのか、それとも援助交際
何かの・・か? 15年位前の話になるが、知人の会社に勤めていた人が離婚した。本人はそのため
会社を辞めていったが・・・「赤ちゃんが病気になり、血液検査で父親が違っていたのが判明した」
のが原因という。身近に「異次元の世界があるもの!」と驚いてしまった。
今回の事件に話を戻すが、セレブのお嬢様?がバラバラにするなど、想像すら出来ない事件である。
DVDやTVの映画などで、バラバラ殺人の映画など見慣れていて、追い詰められて殺してしまい、
「既視感」からバラバラにしてしまうのだろう。玄人なら、こんな猟奇的なことをしないが?
死体の一部が発見された時、初めは暴力団系の見せしめと思ったが、それは警察に対する挑戦にもなる。
そんな無駄な事はしないだろう。仲間内でも警察に垂れ込まれる可能性もあるから、やるわけがない。
わざわざ歌舞伎町近くに「解体」した身体の一部を捨てた心理が、まだ理解できない。
コンクリート・ジャングルの住人の中の、ゾンビ化した団塊ジュニアの、爆発現象の一端を垣間見た。    
              さようならm(__)m ごきげんよう
 ・・・・・・
2006年01月13日(金)
1746,心のままに生きてごらん- 2   
    才ノヽ──d(∀`d*) ─(*b´∀)b──ヨ     ー読書日記
外見がかわれば なかみも かわるわけでもないけれど・・ なかみがかわれば 外見もかわる-34
苦労は彫刻家のノミのようなもの。えたいのしれない かたまりを けずり、なかにかくれていた傑作を 
うきぼりにする                                 -36    
なにもかも、いや、愛のほかはなにもかも、みな、かりものにすぎない、       -37                        
(字数の関係でカット09年1月13日)
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2005年01月13日(木)
 1381, 現在、世界で何が起こっているのか? -2
ー自然環境的側面ー
中越地震も含めてインドネシア地震など私にとっても生まれて初めての事件が続く。学生時代、
TVで、『環境破壊がこのまま続けば、30年後、50年後にはオゾン層の破壊や地球温暖化で、
地球上は破滅状態になる』という番組をみた、鮮明な記億がある。 その時、『何故解っているのに、
誰も政治的に手を打たないのだろうか?』と、素朴な疑問を持ったことがあった。
自分の生きている時代のことしか考えないのが、人間の本質なのだろう。この様が「地球環境の破壊」
からくる、事態である。一人の人間として、『地球環境の破壊』のことより、自分のことに全てを
考えてしまう、オゾマシイ存在が人間である。この地球環境は更に、早かれ遅かれ徹底的に破壊される。
ならば、いま起こっていることを当たり前のことでしかない? これが「現在、大気圏で起こっている
自然現象」である。これに中国の13億の民や、インド、旧ソ連の民が目覚め石油などをドンドン使い
だしはじめた。更に絶望的な事態である。地球上の生物にとって人間は癌細胞そのものと言うのも肯ける。
・・・・・・
2004年01月13日(火)
 1014, 足の話-1
 図書館の健康のコーナーを見ていたら「足」に関する本が多いのに驚いた。手にとって読んで