つれづれに

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 昨日は、駅前で息子二人と家内と4人で新年会。
二時間ほどで終わり、そのまま帰ってくる。 
二人とも元気だが… …




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3194, 句読点とは妖精のようなもの! ー1
2010年01月02日(土)

毎日、文章を書き続けていると、文章作法で色いろの問題にぶつかる。といって、誰も
教えてくれない。小説(の書き方)などには、作法の習得は、多くの本を読んでの我流という。
「文章の書き方」とか、「小説の書き方」とかいう講座もあり、経験則を教えているようだが、
突きつめると独学しかないようだ。 とにかく量をこなすしかない。 まずはテーマと構想をたて、
とにかく書いていく。そして起承転結の体裁を整えて、その後に、添削するしかない。 
そのプロセスで更に考えるのである。そこで一番の問題は、「 、」と「。」である。 
後者は、とにかく三段論法で「。」で締めればよい。しかし、「、」となると、難しい。
 何かの本で、「ね」と入れて、ゴロが合えばよいとあった。
 「片耳の話」秋山駿著、の中に【句読点とは妖精のようなもの】という小項目があった。
ここで「泰西の画家が、裸婦のオヘソを、しかるべき位置に遅疑なく描くには、30年
かかったというが、句読点の置き方にも、それに比されるところがある。」と、あった。  
句読点の打ち方に何か法則があるか調べたが、それは、本人の息のつき方と同じで、
決まりないという。 それが読むものにとって、奇異であれば問題である、等等で、エイヤッ
と、これまで書いてきた。 量をこなしているうちに、自然と収まるようになってきた。 
裸婦のヘソの位置と同じで「量を書くしかない」ということ。 この文章でも、句読点の位置
には違和感がないはず?。この随想日記を書き始める前の文章の句読点は、ところどころ変な
ところで、うってある。 秋山駿は、そこで「句読点は、文章の流れの裡に内在し、言葉の連
続の間に出没する、何か妖精のようなものだ。自分勝手にならないし、私の要請を聞かない。
あちらが戯れに出現したり消えたりするーその音調に耳を澄ますしかない。」
いうが、なるほど納得する。 句読点とは、そういうものか。
毎日、句読点と闘っているからこそ、その辺は納得できるのである。   -つづく

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2829, 新年に、つれづれなるまま!
2009年01月02日(金)
  *年金でも貰うか
1月15日の誕生日で厚生年金が満額貰える年齢(63歳)になる。65歳かどうか迷ったが、
貰うことにした。といって、月あたり20万円の厚生年金と、家内の給料と、年金が満額
まで貰えるまで減額した?万円の私の給料の総額では、一割ほど手取りが少なくなるが、
よしとした。これで会社の役員賞与を350万もカットできる。
今年は更なる経費のカットが必要である。 中小企業は辛いが、スリルとサスペンスが面白い!
早く貰わないと、今後日本の年金そのものがどうなるか分からない。
「60歳までに、したいことを全てやってきた」という満足感があるので、金銭欲も、少ない。
うことだ。
 ーー
*年始のTV番組
年始の一週間分のTV番組を見ると、どの局も地味なものばかりである。
大不況のためスポンサーが節約したのだろう。 あまり声高に言わないが、
2009年は大恐慌突入の年になり、大荒れになるのは周知の事実。 といって、
どうすることも出来ない。 大荒れの中で身を委ねるしかない。
 ーー
 *新幹線がガラガラ
年末の29日・30日の新潟行きの9時前後の新幹線は、例年は座れないほどである。
それを覚悟をしたが指定席も、自由席も三分の一も乗っていない。 今
までなかったことである。恐らく、高速バスとか、夜行列車とかに分散したのだろう。
 ーー
 *イスラエルが変
イスラエルの政情が変になってきた。
イラン攻撃への一つの動きなのだろうか? そのためか原油が少し値上がりに転じた。
これも計算の上なのだろう。もちろん、攻撃を事前に知った資本が原油先物を買い
増しているはず。こういう時期は戦争に目を向けさせて、思い切った政策を採るのが
常套手段である。
  ーー
 *昨夜は殿町で・・
昨夜は、長男と次男夫妻と私たちの5人で殿町の「あかちょうちん」で食事会。
珍しくタクシーで行き帰りで使ったが、運転手さんに「景気はどうですか?」と聞くと、
「最悪」という。しかし去年も元旦に同じ店を同じ時間に居たが、客は殆ど居なかった。
しかし今年は客で満席に近い状態である。 その後、隣のビルのカラオケに行ったが、
そこは、2~3組しか客が入ってなかった。年末の30日に次男が学校時代の友人と、
この店と駅周辺の居酒屋チェーンに行ったが、何処も満席で入れなかったという。
そこで駅裏まで行って、やっとは入れたという。これも面白い現象である。

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2008年01月02日(水)
2464, ロールモデル
                d・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
          「ウェブ時代をゆく」-3  読書日記
 著者が見出したという「ロールモデル」という言葉が面白い。
人間は、自然と色いろな付き合いの中で、何人かの「ロールモデル」をさがし、
無意識で真似をしているうちに自分の個性を作り上げているものだ。技術や文化に
関する知識だけではなく、人間の行動パターンでも、巨人の肩の上に立つことが可能で
あるという考え方である。企業では、ベンチマーキングという手法でモデルとなる会社
の優位点を真似るが、何故か人間の行動パターンについてはマネをする手法を敢えて取上げない。
  子供には、偉人の伝記を勧めるが、大人になると見向きもしなくなる。「ウェブ時代をいゆく」
で、「ロール・モデル」という言葉で上手く手法として提示している。 学生時代に
「ロール・プレーイング」という役割演繹をゼミで一年にわたってしたことがあったが・・・
  それは、問題が起こった当事者として解決方法を実例を元にするものだが。
ーP-119・ 120
 著者の梅田望夫の 『ロールモデル思考法』とは、その答えを外界に求める。 直感を信じる
ところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。
たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、『ある人の生き方のある部分』
『ある仕事に流れるこんな時間』『誰かの時間の使い方』『誰かの生活の場面』など人生のありと
あらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出る何かが具体的に見えなくとも、「ある対象に惚れた」という直感にこだわり、
その対象をロールもでるとして外部に設定する。そしてなぜ自分が惹かれたかを考え続ける。それを
繰り返していると、たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を見つけることなのだと
だんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの総体として、
外部の世界からはっきりとした形で顕れてくる。そのときどきのゴールとなり「けものみち
における灯台になるのだ。
ーー
この思考法は『大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。
 それが人生で一番大切なようだ。・・自分が何にむいているのか、何がすきなのか、
見つけるのはやさしくない。それでも何とか見つけ出さなければいけない。』小柴昌俊の言葉から
それを見つける方法とは何か?を著者は考えた末に外界の偉人のモデルをみつけ、その行動、
考え方を真似ることを提案した。面白いといえば面白い。無意識で誰もがしてきたことだが・・・
また偶然に、去年の同日に彼の前著の「ウェブ人間論」の読書日記を書いていた。
無意識が呼ぶのだろう?
                        ( ^_^)/バイ
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2007年01月02日(火)
2100, ウェブ人間論  -1
           (~Q~;) おはよう~~   ファ~
この本は確かに面白いが「ウェブ進化論」ほどの衝撃度はない。
しかし二人の対談からウェブの世界の中で人間がどのように変化していくのか、多くの示唆がある
内容であり、「ウェブ進化論」のフォローという面では、ベストと言える。面白そうなところの
抜粋と意見は次回にするとして、まずはー紹介文ーを直接読んだ方が解りやすい。
    ーー
ウェブ人間論 」(新潮新書) 梅田 望夫・平野 啓一郎著
 ー内容説明ー
「ウェブ進化」によって、世の中はどう変わりつつあるのか、そして人間そのものはどう変容
していくのか。ビジネスとテクノロジーの世界に住む梅田望夫と、文学の世界に生きる平野啓一郎
が、その変化の本質と未来を徹底討論!
   ーー
 まず 梅田望夫平野啓一郎という二人が対談したという事実が興味深い。シリコンバレーでITを
主体とした実業家と京都で中世欧州を舞台とした「日蝕」を書いた芥川賞作家の間の「距離」は
いままでの常識で考えると 果てしないものがあるはずだ。 つまり 出会うはずの無かったセグメント
に属したお二人が 出会ってしまい、かように刺激的な対談を行うようになったという点で
時代の変化を強く感じた。
 (字数の関係でカット2009年1月2日)
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2006年01月02日(月)
1735, 内福について
         オハヨウゴザイマス  o┐ペコ
先年の暮れ、東京のある会で新潟の県民性について話した。「新潟県は一見貧しそうだが、
実情は内福な家が多いのですよ。特に中越地震の被災地区の辺りは、裕福なのですよ。間接的に
雪の融け水が豊かな農産物や鯉・畜産にプラスになっている」といったところ、居合わせた
4人がぽか~ん、として「『内福』という言葉も、字も知らない。如何いう意味ですか?」という。
子供の時から両親が「あの家は地味だが内福だ」が日常用語であったので、知らないということ
に驚いてしまった。そして、その場の‘主の立場’の人が、「貴方のいう内福は豊かとは違う!」
と発言。 それに対して「ヨーロッパのイタリアとかフランス人も、実際の生活は実収入よ
り豊かな生活をしているというが、彼らは豊かではないと言うのですか?」というと、
「豊かとは思わない」という。そこで「私は家内と、この十数年で三十数回地球の秘境旅行を
しているが、これは豊かといわないのですか?」と訊ねると、「それは豊かといえる。
しかし、地味な生活に甘んじて遊びも控えているのは豊かとはいえない」との答え。
それも一理ある。私の従兄弟に一億以上の貯金がある?という噂がある60代半ばの独身男がいる。
  見たところ地道な生活をしており、殆どお金を使っていない。この人は間違っても豊かとは
いえないし、内福とは言わない。内福という言葉を知らないことが驚きであった。
越後長岡の典型的な方言だろうかと 「検索」で調べたら、小説の一節に「以前は内福で
あったが、現在はそうでもないらしい」というのがあった。
 それからみると方言ではなくて、死語になってしまったようだ。
内福は、「収入内でヤリクリしてそれなりに豊か?な生活をしている状態」である。
 これからの日本の生き方のヒントが『内福』の生き方にあるのではないか。
  書店で『300万で豊かに暮らせる方法』みたいな本がならんでいるが。
                      ヾ(●´∀)ノ" また~♪
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2005年01月02日(日)
1370, 酒についてー3
           ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーイ
正月早々、また酒についてを書く。
 前回書いた「作家の酒についての名言」の続きである。
  感想も含めて考えてみる。
  --
・酒に限らず言えることですが、人間のつくり出した
 『楽しむためのもの』を、不必要に恐がらずに、みくびらず、使いこなして、
 『楽しむ』ことを覚えれば、それだけ豊かな時間を過ごせるわけでです。
   ー豊かな人生、豊かな青春が。     -吉原幸子 
   my感想ーその反対も多く過ごしてきた。 みくびったためだろうが。
・酒は、その土地の文化の結晶なのである。       -田村隆一
   my感想ーその土地土地の酒は、景色、人間に劣らず個性がある。
    新潟の酒、沖縄の泡盛、世界各地の葡萄酒、ビール、そして中国の紹興酒などなど。
     そこの肴を一緒に飲む酒は、何よりも絶品である。
・深まってくる秋とともに飲みたくなるのはやはり日本の酒である。
   一人で部屋で仕事から解放されたあと、魚のひらきなどを焼いて飲む。
   この時のものさびしさは、やはり捨てがたい。        -三木卓
   my感想ーそれで二日酔いをしたら馬鹿?
・女を口説くときは酒はあったほうがいいものだが。が、酒を飲むときは、
   女は要らないサカナである。-荻昌弘
   my感想ー?   ?!    クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)"
(字数の関係でカット2009年1月2日)
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2004年01月02日(金)
1003, 「2004年日本経済」ー読書日記
  ー円高デフレの恐怖が襲来する。
この人の本はバブル発生時から一貫して「日本経済悲観論者」である。
 中長期的に振り返ってみると、この人のいうとおりになっている。
  ー印象に残った順に列記してみる。
・2005年のペイオフが一つの鍵になる。金融再々編成によって残る大手銀行は二行になる
 可能性も。メガバンク国有化は、日本経済の信用を損なう、そうなる前に再編成をさせる。
・いまのデフレとは、銀行の信用デフレが発端である。 銀行がその役割を終えてしまった。
・さらにリストラ、倒産はつづく。日本経済は根幹から音を立てて崩れはじめている。
 給料はまだまだ下がり続ける。
アメリカは内部崩壊をはじめてきた。この円高ードル安は、日本では更にデフレ圧力になる。
・EUも深刻なデフレに向かっている。 ドイツ経済が日本化をしていく。
 元東ドイツの住民が社会主義的な政策政党に票を入れ始めた。 その為ドイツ経済は
 競争力を無くし始めた。日本の生産地が中国に移動したのと同じ現象がドイツと元東欧諸国
 と同じになってきた。
円高は100円を割る可能性を含んでいる。79円も割る可能性も十分考えられる。
 この水準を割り込めば日本経済は完全に息の根を止められる。この大不況の中、何とか
 持ちこたえられたのは輸出のおかげである。 円高はドル安になるといくことである。
 この輸出が円高で激減する可能性がある。またアメリカの国債を持たされた日本は実質の
 回収が落ちることになる。等々である。実際に事業現場に立っていると、この内容は
 決してオーバーに思えない。新潟駅前の夜は、火が消えてしまった
 ように静まり返っている。 何処の会社も経費節減の為に2時間以内は日帰り圏にしてしまった。
 この数年間でビジネス客は3分の1に減ったという統計も出ている。「2003年日本経済」では
 副題はー世界恐慌の年になる!であった。実際のところは恐慌にはならなかった。
 だから「今年は、この人のいう通りにはならない」と考えるのはおかしい。
 この本では人口の問題には触れてない。 数年先から、本格的な人口の減少が続く。
 他には若い人の質の低下の問題がある。まだ何とか持っているのは、団塊の世代が踏ん張って
 いるからである。 こと日本に関しては悲観的材料が多すぎる。 生存対策をまずは第一に
 しなくてはならない時代である。この情報化社会は世の中を激変させている。
 健康食品も本も、インターネットで注文するようになった。近く「ユニクロ」があっても、
 インターネットで注文をする。電化製品も必ず「価格ドットコム」で最低値段を調べて、
 近く大販店で値段交渉をするようになった。まさかこんな時代をみることになるとは思って
 もいなかった。大不況になっているのではなく、違う時代への過渡期の整理過程と見るべき。
 整理されないよう自分を変えていくしかない。 会社も自分も社会もである。    
ーーーーーー
 2003年01月02日(木)
 629, 英国人はまず道具を揃える
   今回-パタゴニアの添乗の人がイギリスに詳しい人で色々のことを教わった。その一つに
 「イギリスではゴルフやハイキングをする時は思い切った良いものをまず揃える」
 「まずは形から入る!」 この言葉がいやに説得力があった。長い歴史の中からの知恵を感じ入った。
 しっかりした道具を買ってしまえば簡単には止めることができない。 覚悟ができると言う事だろう。
 目的を見定めて手段のしっかりしたものをそろえるという事だ。道具だけ揃えて持つことを趣味に
 する人がいるが、それはそれで趣味なら良い。チャーチルが持ち物は若い時から超一流のもの
 しか持たないことにしていたという逸話を思い出したが、今回の内容と関係ないか?!
 機能優先であまり物に拘らない生き方をしてきた事が果たして良かったのか?
  少し疑問があった矢先に聞いたので印象に残ったのだろう。
 ブランドものは値段の価値のあるものが多い。といって、それだけを追いかけている人を
 見ると疑問を感じる。ブランド=価値と勘違いをしてしまうからだろう。 しっかりした道具を
 揃えることとは意味が全く違うが。道具はすぐ揃えるが、三日坊主の人があまりに多い。
 私の場合三日坊主の経験は少ない、学生時代の英会話があったが。
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 2002年01月02日(水)
 288、捨てる技術
  捨てる技術という本が数年前、ベストセラーになった。それに対し、立花隆が全く正反対の立場であった。
 その本を読み数年前、思い切って本を八割かた捨ててしまった。そして後で後悔した、といってさっぱりした
ことも事実だ。矛盾が残った。先日図書館で野口悠紀雄の「超」整理法3を借りて読み、感じるところがあった。 
パソコンの「ゴミ箱」の考え方である。-とりあえず捨てるのである。 後で拾いなおすことができる。
「バッファー」という概念である。ショックを吸収するための緩衝器である。「廃棄バッファー」が重要。
ベストセラーの「捨てる技術」と立花隆の反論の中間の?方法である。 具体てきにいうと「多分必要でない
書類を」収容する封筒をまず作ること、次にこれを収容する箱を作ることである。要するに「保存ごみ」である。
保存することによって捨てることができる。捨ててしまった中に宝があったのに?といつも疑念が残っている。
分ければ、資源になるのに?とかも。「到知」という雑誌を捨てようかどうかかどうか迷っていたが、そうだ
自宅の倉庫に整理しておいて置けばいい!とか、新しい考えが出てきた。 新聞の切り抜きもしかり、
「随想日記の保存分類ごとに封筒を作り」に放り込んでおけばいい。ホームページを立ち上げ、運営して
きづいたことは、ホームページの本質は、ストックでなくフローであるということだ。
それがそのままストックになっていく楽しみだ。 捨てる技術がそのままシステムでできることだ。
 ーーーー
1月2日 1969年
 朝8時にたたき起こされる。9時過ぎに店に出発。新年の初売りの手伝いである。初めは支店で一時間位働く。
 雪のためか人の出は少ない。その後本店で17時過ぎまで手伝う。18時に帰宅をする。 食後団欒。
 22時過ぎのNHKの「出会い」という番組がよかった。 最後の出た新婚の話がよい。
 その愛が美しく、人の気持の神秘的な美しさがよく出ていた。
 その前に出ていた40歳位の女性の20年前に話もよかった。
 よい正月の話として記憶に残るだろう。年賀はがきが友人から届いている