つれづれに

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  今日のYoutube

 あと数日で今年も終わるが、何か年末の空気がしない。
リタイアをしたためか。現実の世界から一歩ずつ離れていくような気がする。

  もう10日以上も経つ鼻かぜも、そろそろ治りつつあるが、それでも外気に触れると
クシャミが止まらない。昨日も出かけようとしたが、玄関を一歩出ると、寒気がして、
急遽、外出をやめた。




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3188, 3D映画の初体験の感想とは?
2009年12月27日(日)

 昨日の朝9時から、シネマで「アバター」を観てきた。
「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。
メガネに上に重ねたこともあり、初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい
異空間に引き込まれいた。「映画の画面と、自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、
未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。映画そのものが、画面から映像が飛び出して
見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に入りこんでしまった感覚になり、
緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する画面が次から
次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、
自分が、どっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。 21世紀のバーチャルもここまで
きたかと感じいった。所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。
私がみたのは字幕版だったが、3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。 
これをみても何とも感じない人もいるだろう。戦後、何も無いところから時系列で時代の変化を
みてきたので、こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。 21世紀に
生きているのである。9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、
アメリカの黒人大統領の誕生、中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いも
よらない現象が起きている。この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に
「断絶の時代」がやってくる言っていた。ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなど
の情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 
この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 
私とは受けとめ方が違う。私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの
30分の違和感に引きずられたからだろう。

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2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債
住宅ローンやサブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 まずは、その記事である。 
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 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。
 9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間で
ほぼ半減する見通し。年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、
市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった新興国の急落ぶりが激しい。 年間の
下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナスと
なるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに
71.30%、インドが67.98%、中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。
高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が資金を一斉に引き
揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・ドイツは5~60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の
下落という。 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷して
いた分、新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
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 これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、
米国は一年前から下落していた。その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃
を受けることになる。これから5年間は倒産の嵐になるのは必然。 まずは、失業率が数年後に
10~20%になる。これは数軒に一軒の家庭に失業者が出ることになる。目先はカンフル剤的
な資金投入で平穏を保つが、一時的なこと。 かなり厳しい管理体制になるだろう。
 ・アメリカから離れ、中国と組んでアジアのブロック圏をつくるか、
 ・これまで通りアメリカの隷属国家として、太平洋経済圏で生きるか、、
 ・アメリカも中国からも等しい距離をとり、真の独立国家を目指すか、である。 この場合、
憲法を変えて原爆保持を宣言する。現在の日本は、?の選択しか能力は無いだろうが・・・

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2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団
             ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。中越十日町市
元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺
の話を聞いていた)当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。
それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
学生時代に国士舘の応援団の虐めを山手線で目撃した友人の話が聞いたことがある。
蝉と先輩らしき男がいうと、下級生が手すりに掴まりミーンミーンと鳴いたとか、荷物置き場に
上がり鶯の真似をさせられたとか、公衆の面前で暴力団まがいだったといいう。先年に亡く
なった新潟の『夕陽コンサート』を立ち上げた男も応援団だったが・・・
応援団といえば、いつも校庭で屯していて別世界に閉じこもっているグループという印象が残っている。
また、その男はそうだった。地元の長岡高校に入ったとき、数ヶ月間、新入生は放課後、校歌の
練習でしごかれる。
大声と丸めた新聞紙で殴りつけ恫喝をしながら、校歌を幾かつ憶えさせられたが、今でも恐怖と
嫌悪感が残っている。プライドと伝統を植えつけるのに必要か?と、半分肯定、半分否定ではあるが・・・
大学では体育会系で一番ガラが悪く、暴力団紛いというのが応援団の印象であり、今回の問題は
起こるべくして起きた問題。下半身に熱湯をかけるなどがビデオに残されていたというから、解散
は当然である。それでも大相撲部屋から見れば甘いだろうが・・彼方此方のスポーツなど行事に
一番前で見る機会が多いから上級生になれば、良いだろうが、馬鹿製造集団でもある。
馬鹿になることも必要だが、小馬鹿はこまる。ーマイナーな話なので、可愛い話を一つ加えよう。
近くの土手を散歩をしていたところ、小学校の運動会をしていた。例年になく元気の良い紅白の
応援団の声が聞える。よくみたら、先輩と思しき中学生の応援団が数名ずつ、紅白に分かれ、
指揮をとっていた。さすがに低学年は別グループだったが、気合を中学生に入れられた
小学生の姿が何とも初々しい。((´_`○)ノ ノヾィ♪ 
        
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2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い -3
      (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
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この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。
ここでは何度も取りあげてきたが、「タクシーの運転手の悲鳴」である。飲み会の帰りに
数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、
ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで8万位稼いで、
子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくる
からね~」である。ホテルの前にタクシーが並んでいるので、その時々の景気状況や彼らの
身近の話が入ってくる。全国的に「固定給のベースが廃止され、完全歩合給制」が全国的に
普及始めてきたという。新潟市も来年四月から完全歩合制になるという。4年前に規制緩和
を受けて、タクシー業界に多くの新規参入があった。そのため業者間競争が激しくなり、
各社一斉に増車をして収益確保に入り、各社には成果主義が導入された。その一環が
完全歩合給である。平均年収が300万弱と、全産業のそれより150万円も低い現状にある
上に、今度は最低賃金も保証されないのだという。運転手もお客という獲物を他の車より
先に捉えるセンスが要求される。そのセンスのあるとなしでは、収入が全く違ってくる。
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(字数の関係でカット、08年12月27日)
              ーつづく   ホンジャ(*^ワ^*)i
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2005年12月27日(火)
1729, 流通再編成
               (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
 これで国内でイオンと二大流通グループを構成することになる。アメリカのセブンイレブン
 本社も買収しているから、世界の流通として質からみても遜色ない流通グループになる。   
 イオン・グループはホームセンターやドラッグストアー、SMのマックスバリューや、
 デベロッパーのイオンモールなど郊外型の小売業業態を多く持っており、セブン&アイにない
 一般消費者に向けて低価格を目指している。反面、駅前型GMS型の店舗のおおいセブン&アイは、
 その業態変更に大きなエネルギーを裂かなくてはならないハンデがある。果して、この統合が
 プラスかマイナスかは評価は違ってくる。 私の評価は、イオン有利と判断するが、西武百貨店
 の購入金額が2000億は安い買物?ではある。百貨店では、まともな商品戦略を持っている
 のは「伊勢丹」だけというから、ヨーカ堂のシステムが入れば勝ち組に入る可能性もある。
 見ている分には面白いが、当事者は血みどろだろう。
                        (。・ω・)ノ ジャ! 
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2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、
隣のベッドの人の話もM資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して
持っている」とか。以前、潰れかかったミニゼネコンの社長から「M資金のルートがあるが、
興味があるか?」と、聞かれたことがあった。 のっけから相手にしてなかったので、相手は
直ぐ諦めたが。「検索」でM資金で検索して調べてみたら、面白い内容が次々と出てきた。
往年の二枚目俳優の田宮二郎も、騙され自殺をしていたことを初めて知った。
「M資金」は第二次大戦後に、日本に占領行政を行ったGHQ(連合国軍総司令部)の経済
科学局長だったマッカートの秘密資金と言われ、その頭文字からM資金といわれている。
戦後の巨額詐欺事件で何度も登場している戦後50年以上に渡って現在も進行中の古典的詐欺。
「ある秘密資金があり、それを将来有望な貴社に低金利で融資したい。しかしその資金を運用
する為には様々な事前工作の必要があるので、その工作資金を支払っていただけないか?」
といった類の詐欺話である。50年以上にわたって被害が後を絶たないのは何故なのか?
それは「ホントにM資金ってのがあるらしい・・・」
(字数の関係でカット、09年12月27日
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2003年12月27日(土)
 997,「 私の死亡記事」-2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。あからさまな自分を、突き放して見つめることは
辛いことである。宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、そして
自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
 ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期
の為、いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備
を始めていたと彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。
実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で
初めて客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。一階に学生服を兼業して
奇妙なホテルとして注目を浴びる。その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が
書いてあった。本人の目標の1000に、あと三日であった。享年57歳。 
葬儀、告別式は本人の希望でなし。
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2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、
当の本人執筆という点である」そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。まず自分の死亡
時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。生前の業績に対しては意外と
自己正当化しているのが可笑しい。 -私も書き始めたが侘しくなってきた。
 死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。
明るくクッキリしているのが良い。画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い
感がする。会社のパソコンの入れ替えを利用して2年に一度変えている。年々パソコンが
飛躍的に良くなっているのが良くわかる。今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。当たりであった。画面が明るい
こととクッキリしているのが本当によい。まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。
今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも遠からじという感じがする。
あと二年経ったらもっと凄い内容になっているのは間違いがないだろう。恐らく動画と電話の
画面が主体になるだろう。不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。
話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信できるのが売り出されるという。
5~6分のものを3本まで可能といっていた。 面白い時代だ!
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがない
のも気になる。そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。
ー商工会議所の名簿に出ていた。それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい
気分でないだろう。初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、
それはおかしいと思い止めた。その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインター
ネットの検索に入れてくれ」とのこと。それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、
ラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくりしていた。 堀井は遡ると平家の
武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が
非常に多い。第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。
鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。
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ある時間の断片
12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと
渡辺文雄さんがくる。飲んでいるうちに、現実社会は厳しいとかの愚痴が始まる。
自分の思っている範囲が手に取るようにわかる。彼らに理想などあるものだろうか。
この溝はもう埋められない。
-2004年12月27日ー記
これを読んで気がついたが、二人が後年に「県会議員」になったという。
何じゃ、こりゃ!こんなものだろう。両方とも、国会議員の秘書だった。国会議員なら、
もっと程度が??
・・・・・・・
ーある時間の断片
12月26日  1968年
 11時起床。 午後から卒論のまとめ。ジャスコオカダヤから「販売革新」という月刊誌が
贈ってくる。その文面によると、2月21日から出社のようだ。これを見て焦りがでる。
気持の整理がまだできてないせいだろう。あと55日しかないのだ。いかに気持を整理していくかだ。
少し自分の気持を整理をしてみよう。学生時代に自分の能力ー特徴を見つけ出した。行くべき方向も
見つけた。自分の長所も欠点も把握した。そして自信もついた。これからはジャスコという会社に
入り、先ずはその中で組織にチャレンジをすることになる。そこで自分に対する課題を一つずつ
処理をしていかなくてはならないのに、ここで躊躇しているのは何故だろう。両親を見てみるがよい。
戦前戦後を通して生き抜いてきた姿が実例である。私もここで社会に旅たつときが来たのだ。
自分の柵を乗り越えなくてはならない時期に来た、自分の足で一歩一歩。その為には逆に自分の中
に生きなくてはならない。武沢教授にしても、高木にしても、あの奥知れない能力を見るがよい。
私の中のそれを探し出していかなくてはならない。石川にしても、外山にしても、河村にしても、
それぞれが外から見ると大きな宝石が見て取れる。もちろん自分にもそれに負けないものがある
はずである。最近、「何故何故」という問いかけが、自分の中に生じてきた。これは哲学的になって
きたということだろう。何故はたらくのか、何故生きていくのか、何故お互いに傷つけあうのか。
 纏めるつもりがいつの間にか混乱をしてしまった。  少し考えすぎだ。