つれづれに

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  今日のYoutube

昨日今日と二日間、年賀はがき書きをする。
3時間ほど合計5時間かかった。 最近、直接紙に書くのは、
日記帳だけで、文字は滅茶苦茶。 一人、赤面している。

 4年前の年賀葉書の束を見ていたら、4人続けて亡くなった人からの
年賀葉書があった。 業者の元営業担当もあるが、何か、自分も、他人から
数年後に言われるかもしれない。 人生は生きているうち、元気なうちである。



・・・・・・
・・・・・・
2820, ドバイは今 -�
2008年12月24日(水)

ドバイが、この金融恐慌でバブルが崩壊、解雇の波と一昨日の読売新聞の一面トップで特集
をしていた。ドバイブル破裂というところだ。 このまま廃墟化すれば、歴史に残る光景になる。
「悪銭、身につかず」ということか。
 ーまずは、その新聞記事ー
《ドバイにも金融危機の影 … 止まったクレーン・解雇の波》
 世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を次々に登場させ、
 21世紀に入って猛烈な勢いで発展を続けてきたドバイ。中東の物流・金融センターとして、
 200に及ぶ国籍の労働者や投資家を引きつけてきた。このペルシャ湾岸の小さな首長国にも、
 金融危機の影は忍び寄っていた。その現場を歩いた。
 --
 ドバイ北東部にあるアラブ首長国連邦(UAE)労働省。「カスタマーサービス局」待合室に、
 沈んだ表情の外国人労働者が目立つようになった。解雇通知を受け、苦情を申し立てに来た人々だ。
 ドバイの中堅建設会社で工事現場監督を務めてきたインド人のV・ヒレマタさんは今月12日、
 1枚の紙を手渡された。「あなたが提供するサービスは必要なくなりました。滞在許可も1か月後
 に失効します」 クレーンを操縦していた同郷のスンニル・Bさん(40)も解雇された。
 ドバイには世界のクレーンの3割が集まっていると言われてきたが、「今は多くが止まっている。
 再び職を得るチャンスはまずない」と、帰国の覚悟を決めたようだった。 ドバイ居住者の8割を
 占める外国人労働者の滞在許可証は、仕事や労働許可証と不可分に結びついている。
 職を失えば、雇用主が労働局への解雇届け出を遅らせるなど特別な措置を講じない限り、
 1か月以内に出国しなければならない。「ドバイには失業者がいない」と言われるゆえんだ。
 ドバイの海岸には、上空から3本のヤシの木に見える群島が沖合に延びる。埋め立てでつくった
 リゾート・居住用地だ。 100万人の住空間ができあがると言われる最大の木「パーム・デイラ」
 では、クレーンの多くが動きを止めていた。 ドバイを代表する政府系デベロッパーで、
「3本のヤシ」のプロジェクトを推進する「ナヒール」社は11月30日、総従業員の15%に
 あたる500人を削減する方針を明らかにした。 同社で工期やコストを管理する仕事を担当して
 きたスリランカ人のSさんはこの日、上司に1月31日付での解雇を言い渡された。
 資金繰り悪化によるプロジェクト停止が理由と説明された。「オフプラン(設計図段階)の事業
 の大半が停止された」とSさん。「年明けには、さらに人員削減されるのは間違いない」
 民間最大のデベロッパー「DAMAC」も11月、200人の解雇を発表、解雇の波は確実に
 広がっている。  (ドバイで 宮明敬、加藤賢治)(2008年12月21日23時52分 読売新聞)
  --
  一年ほど前にみたドバイの石油成金の奥さんが高級SCのブランドショップで、
「もう高級品の買い物は飽きた!」と、つまらなそうな顔をしていた映像が象徴的だった。 
 この場面は御宝として残るのだろう。1500、2000Mの高さのビルを競ってつくるのは、イタリア
 の都市で中世の金持ちが家の高さを競ったのと同じ。
 近い将来、スンニ派を中心とした欧米よりの湾岸諸国は、革命に曝されるだろう。                                                                 ーつづく
 ・・・・・・・・・・
2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996~2006) -2
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の写真を見かけるが、
 この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。
 数回ニアミスをして凄まれそうになったことはあったが。それよりも危ない世界と、
 危なくない世界の人間の臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
 数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対にそういう客は当方に
 泊めないのが方針。今更というが性格なら仕方がない。新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れ
 になるが。歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
 先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
 明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が待機していた。
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 P-62
以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは 3、4店舗しかないといわれていた。
(以下字数の関係で、中間カット2008年12月24日)
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長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、
その数に驚くと言う。それも、合法というから・・・・
                ゜・。*バイバイヾ(´∀`o)+。
 ーーーーー
2006年12月24日(日)
2091, 下流喰い -1
      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
                  ー 読書日記                 
銀行に勤めている親戚の人から、「サラ金から金を借りている人の多いのに驚くばかり!」と、聞いて
から10年近く経つ。本屋で、この本を何度か立ち読みしていたが、<直ぐに図書館に並ぶだろう>
と思いとどまり買わなかった。 ところが会社の‘Oさん’から、「面白いから読んだら」と、
この本を手渡され読んでみたら、この中味が凄い!やはり立ち読みとは違う。
さっそくインターネットの検索に「多重債務」と入れたら、「2000万人、200万人、20万人、1万人」
の数字が解りやすい!と、金融筋の人から聞いた話として、あるHPの中に紹介していた。
サラ金からの借金をしている人が2000万人、そのうち多重債務に陥っている人が200万人、
(この本では350万)
自己破産者が20万人、 借金苦による自殺者が1万人、だという。
8000万人の勤労者の中2000万人がサラ金を利用しているというと勤労者の1/4になる。
 ーまずは「下流喰い」の概要をまとめてみるー
・小泉構造改革が最終盤にかかった05年後半あたりから、「地域格差」に加えて、「格差社会」という
 キーワードも話題にのぼるようになった。その分岐点が1980年代にあった、バブルの発生である。
 それが借金=悪という日本人の常識が、借金を如何にして土地などに投機した方が得という風潮に
 変わってしまった。消費行動も買ってからローンで支払うという感覚に変わってしまった。
 クレジットが推奨されはじめた時期である。この背景をもってバブルが弾けてしまった。
・日本の全産業の平均年収が500万円を下回ったとされ、
・貯蓄ゼロが24�と4分の1になり、
生活保護が100万世帯を超え、
・全体の4分の1の世帯の高額所得が、その他の4分の3に匹敵する事態、
・その他の4分の3の平均の半分に満たない人の数が、この数年で15.3�に跳ね上がった
・いまや多重債務者は、数年で二倍の350万人以上になり、
・大都市の大阪や東京の公立小中学校の就学援助者を受ける人数は、04年までの4年間で40�も増え、
 4人に1人。足立区では2人に1人が受給する事態である。
・2003年の「消費者信用産業」の市場規模は「73兆円」というから、この年のGDP中に占める民間
 最終消費支出 「282兆7000億円」の4分の1になる。この数値が意味するものは、すでに日本が、
 階級社会の色濃く残っている欧州を凌いで、アメリカに次ぐ第二位の格差を実現させていることになる。                           
  消費者金融の想定する理想的な優良顧客像とは、
  ・年齢は40代後半、
  ・年収は300万円程度で
  ・子供が二人おり、
  ・家計的には住宅ローンの返済の他に養育費、教育費のやりくりが最優先され、一家の
   主人は完全に後回し。
  ・定収と呼べるサラリーがあるものの、恒常的な金欠状態ゆえ長いお付き合いが望め、
   とりあえず返済意欲もあれば、家族もいる。世間体だって考える人たち・・・以上が、
   だいたいの平均イメージ。タクシーの運転手のこの年代が象徴している。(;´Д`)  
   ところが最近では、その顧客増が急激に変化し、
  ・新規顧客の71%が男性、
  ・30歳未満が44%、30歳以上40歳未満が23%で、年収も新規顧客の81%が500万円未満、その中でも
   年収300万円未満が42%、200万円未満が16%と、「低収入の若年男性」が主たる顧客層に変わって
   きているという。 (▼▼!) y-
    彼らは利息制限法を上回るグレーゾーン金利の下で月々の利子を払い続けるだけで手一杯、
   ベタ貸し状態が維持されていく。消費者金融業界の本音は、元利金等できちんと払い込んで
   くれる客よりも、月々の金利だけを払い続ける客の方が「上客」。サラ金ビジネスからいうと、
   顧客として「持続性」がある方がよい。サラ金のビジネスモデルが「悪魔的ビジネスモデル」
   として、弱者を食い物にする 闇金融の「下流喰い」の実例が、生々しくレポートされている。
   多重債務に陥った利用者は、ヤミ金に全てを奪われた挙句、深い闇に沈められる内容はまさに
   生き地獄である。                (▼ー▼メ(-"-;)
    ーー
  以上をマトメながら、ある程度は解っていたつもりだったが、ここまでのリアルな格差社会
  下流社会の実態に驚かされる!この流れは、ますます強くなる。現在の4分の1が、5分の1、
  そして10分の1と、10分の9の所得が同じになる傾向になる。まったく嫌な社会に
  なったものだ。 ビジネス系ホテルをやっていて、シビアの娑婆と接していても、この本に
  驚くのだから!いや世の中の変化に!                                          - つづく -
 ー 「下流喰い」 須田慎一郎著 ちくま新書  ¥(*^_^*)\ バイバイ
・・・・・・・・
2005年12月24日(土)
1726, つれづれに
          (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
ー東京は明らかにバブルの様相ー

 久々に東京に行って、知人と終日都内の要所を回ってみて驚いた!高層ビルが彼方此方に建っている。
 〔知ってはいたが、実際みた感覚は違うということ〕建築中のものが多く、明らかにバブルの様相が
 見てとれる。この反動で2010年あたりが危ないというのも、解るような気がする。
 それと、新宿近くの大通りに韓国通りとか中国街ができていた。何か日本もここにきて、大きな回り
 角にきているのか! 世界の首都でスラム街が無いのは、日本だけと聞いていたが。 ○=(≧Σ≦) 
ー新潟の大停電ー
  近年、新潟は次々と大きなニュースが起きるものだ。
 (真紀子のパフォーマンス、拉致、小学生の長期監禁、水害、地震等々)
  たまたま、停電のおこる一時間前に東京に出かけ一泊していたが。
  昨日、帰ってきて家内から話を聞いて驚いて会社に電話をしたら、大ごとだったという。 
  家内も諸用で新潟に来ていて、大風と停電に遭遇してやっとのことで長岡に帰ってきたという。
  新幹線が不通になり、ホテルの方も50人のキャンセルが出たが、
  150人の東北電力の宿泊があり差引100室プラスになり、不幸中の幸いであったという。
                  チャノメ!(・∀)つ且~~ ⊂(´∀` )アリガト         
ー中野ブロードウエイー
 明日のネタになるが、知人に案内された中野ブロードウエイには驚いた。
 お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールだが、秋葉原と同じぐらい全国レベル、
 いや世界レベルに知れていて観光ゾーンにもなっているという。  Σ(゚Д゚ノ)ノ おおぉぉぉぉ~
   以前のアメ横イカガワシサがプンプンとしていた。                 
                 (^_^)/~~ バイ~
・・・・・・・・
2004年12月24日(金)
1361, ルーブルの一日
  ー夢の美術館
 昨日は、NHK・BSHIの「夢の美術館」で「ルーブル美術館」の6時間生番組を見た。
10時から17時(昼一時間休憩)までのロングランであった。私にとって、「ルーブルの一日」
であった。NHKの存在に対して疑問を持っている一人であるが、こういう番組みを見ると、その存在
も必要かと思ってしまう。学生時代の旅行でのルーブル美術館とベルサイユ宮殿はカルチャーショック
の最たるものであった。ミロのビーナスモナリザ、ニケの像、ボナバルドの戴冠式などの絵を見た
時の感動は今も鮮明に憶えている。数日をかけてじっくり見てみたいと思っていたので、丁度よい
タイミングであった。 昼の一時間は息抜きで、ウォーキングをして効率的に時間を使った。
 実際に見始めたら非常に内容が濃い。800年の時間の中で、それぞれの時代に翻弄されながら、
皇帝や市民に愛されたプロセス(歴史)を克明に追っていた。この番組みでは、それぞれの絵などの
背景や歴史を克明に追っていた。その時代時代の皇帝や、その愛人、そして市民の、ルーブル
対する思い入れを、作品の背景を通して追っていた。
フランソワ1世、ルイ13世ルイ14世、ナポレオンの役割をあげることができる。
 それぞれが思い入れて収集をしてきた作品群が残っている。これだけ美術に対して思い入れて
あるのも、フランスという国柄である。国民が会員になって基金を毎年積み立てて、作品の収集を
続けているという。まだ、「自然・文明から文化に戻ってくる」には5年は早いと思っているが。
それでも、チャンスがあれば何でも見て知っておかなくてはならない。それにしても、ハイビジョンは
作品を鮮明にリアルに映し出すものだ。 人生は、前倒しにしておかないと。いや、してきたか?!

 ・・・・・・・
 2003年12月24日(水)
 994, 戦死者と犠牲者と殉職者ー1

 「戦死者と犠牲者」は図書館で立ち読みをした「文芸春秋」の塩野七生の寄稿文の「題名」である。
イタリアでは、イラクのテロで亡くなった兵士を「戦死者」で統一したという。
「戦死者」は言葉の通り、戦争で死んだ兵士をいう。現在の日本は、もし死者が出たところで「戦闘」
に参加したことにならない。首相官邸でさえ「犠牲者」扱いにせぜるをえないのだ。
イタリアでは、戦死者として国葬並みの扱いをした。アメリカ大統領が終戦宣言をした後で、
参加したにかかわらずである。ところが日本ではあくまでも「犠牲者」になってしまうのだ。
憲法を変えずに軍隊をつくり、このイラクにも「戦闘でない後方支援」と言葉を濁して、問題を先送りを
しようしている。 矛盾が出ることは必定だ。「隣にスターリン主義国家があり、その脅威に曝されて
いる現実を直視しようとしないで、平和主義を唱えていれば済む問題ではない。堂々と主権国家
国民を100人以上も拉致をしている現実がある。 旧社会党自民党の一部は、それに間接的に加担
しているのである。それにも拘らず、まだ寝ぼけている平和国家日本。その虚構が脆くも崩壊しようと
している。すでに国家の体を生さなくなっていると言わざるをえない。ここまできても、自民党
利権屋に牛耳られているのだから、小泉のパフォーマンスに目先を誤魔化されているだけである。

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2002年12月24日(火)
620, パタゴニア旅行記ー7 
 -話しまくる人ー

今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。
常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。アメリ経営学者のドラッガーの本にも
こういう人のことが書いてあった。500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。
タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。聞いているほうはたまらない。
一種の自閉症に似ている。閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。三人の
グループであったが、その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。私など人のことをいえた義理でない、
他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。 
人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族ではという自分の世界に置き
換えてしまう。そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話し
まくっているようなもの??  人間その要素を誰もが持っている。

・・・・・・
2001年12月24日(月)
279、飲み助考ー隙間風

男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、 
「飲み助の気持ちの本質は隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。それだけでないが。
こういう時代だからこそ、隙間客という言葉がでてきたと思う。隙間ーこれはどういうことか?
ハンドルの遊びか?竹の節か? 「漠然とした心に満たされない何か」というところか。
それを埋めについつい行ってしまう。特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやって
いけないだろ。学生時代に金がないので寮で月に一回ぐらい酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。
サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、それにスルメ。酒の美味さを知った最初といっていい。
何ともいえない楽しみであった。知恵で深夜から飲むのだ。そのほうが酔えるからだ。
夏4時ぐらいに陽が昇ってくるくるあたりは陶酔の絶頂になる。若いから出来たのだろう。
人は酒を飲んで大笑いしている時が、一番の幸福の状態だという。それに知的会話があると、非常に
お互いプラスになる。他人の悪口になると、暗い狐になってしまう。 サラリーマン同士のそれは
仕方ないか?組織内の軋轢は厳しいからだ。私の金沢時代(25-6才)ある意味で一番つらい時期で
あったが、片町や香林坊や武蔵ヶ辻の一杯飲み屋の酒は最高であった。酒の美味しさとストレスは
反比例するのだろう。数百年の歴史のある街、一杯飲み屋にも何ともいえない深みがあった。

・・・・・・・ 
ある時間の断片
12月24日 火曜日 1968年

9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを
届けるように頼まれる。16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。 その足で独りで銀座に行ってみる。
銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。人の数は思ったより少ないようであった。市川さんの
部屋ですき焼きパーテーをしていた。相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男。
少し休んで、面白くないので新宿に出る。23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。自分のお客に案内するのに丁度よいという。
明日の飲み代は全て自分が持つという。何か毎日、他人に振り回されている。