つれづれに

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  今日のYoutube

 一線から退いて、5年8ヵ月、懐かしいというより、何をしていたのだろうか
奇妙に思うことしばしば。 止め時だったことは確かである。 確かに刻々
と時代が変わっている。 自動運転車など、5年前など考えられなかった
ものが、近未来の実現するという。これが可能なら、そのプロセスから、
多くの技術が発生するため、労働の多くが、ロボットに置き換えることが
可能になる。 毎日の新聞折込に、スーパーのレジや、メーカーなどの単純
作業の募集がある。 レジを自分で清算するのも、人手不足のための合理化。 
 それに呼応してか、家庭の主婦の連合いの合算の103万円の壁が、引き
上げられようとしている。 家内が通っているジムの仲間が71歳。年末まで
パートに出るので、当分、休むといっていたという。 71歳の女性が働くなど、
一時では考えられないことが、今では日常の話題。 腰痛の私など、現在、
働くなど、想像もできやしない。 
 


・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! -2
2008年11月23日(日)

  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
 この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが
 人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の
長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。
そのためには、常に楽しい明日をイメージして、その実現の準備を地道にすることだ。
耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。目は、大自然の風景や、美術館で
良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 
鼻や口は、季節季節の新鮮なものを食べればよい。誰でも、身の回りに楽しめることは、幾ら
でも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、
「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。
 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に
語りかける冷静さこそゲーム化で身に付けることで可能になる。 
人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。

そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。
ウィキペディアによると、
【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された
「The Checkered Game of Life」。 日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー
から発売された。 タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は1000万個を超える。 
ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって
 「人生の筋道」が決まり、その後の人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく
「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】
 面白そうなので、一度してみたいものだ。
・・・・・・・・・
2007年11月23日(金)
2424, 四四太郎の日記 -9
            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o)
一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 
先日、バードウォッチのコーナーに久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、
新しいブログに切り替えようと思いたった。そこで多くのブログを実際に立ち上げて
みた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、ブログ名を
「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。
全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。
読後感として、それほど幼稚でもなく400年前からみた現代の現象が書いてあり、
本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。
{「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。
「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、週に一度、曜日でも決めて、
御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えて
いたが、四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合う
のも面白い。何か神がかりになりそうだが、恐らく面白い出会いと、意外な対話に
なるだろう。書くということは、 不思議なことである。
 ーー
ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
                         *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。
せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
亡くなった縁者と出会えたのに、何で無視をしようというのか?
お前のように400年前の先祖の霊ブログをつくろうというヤツはいない。
せっかく面白い視点を与えてやろうとしたのに。
少なくとも週に一度ワシの魂を使って現代を透してみるのも面白かったではなかったか。
まあ、再び、このブログを再開しようというのも何かの縁じゃ。
魂というのは、言葉じゃ、それもワシのような霊の言の葉は、その中核じゃろう。
魂の入った古典も、歴史家を通した偉人の言葉も残るのじゃ。
決して何も不思議なことではない。その人が生きたそのまま、全てが刻印されるのじゃ。
そして、生きているときに思ったこと、考えたこと、そして経験は魂として
何時までも、「ある」のじゃ。だから私を借りて語ることは、お主が一人で語ることと、
全く意味が違ってくるのである。 それと、お前は一年前にワシが連れてきた父親と
あまり深く話そうとしなかっただろう。父親は多くを語りたかったのをお主は知らな
かったのだ。お主は、父親が亡くなった時に父の魂が夢を通してお主の魂に入っただろう。
それを父親は、言いたかったのだ。もっともっと世界を見ろ!知れ!何でもやってみろ!
ということだ。今度は、金曜日の午後と土曜日の朝にワシを呼び出すのじゃ。 
わかったか! 11月23日  5時45分
                
・・・・・・・
2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり -14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ~
            
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で         
        
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
ーーーーーーーーーーーー
死は観念である。 人が、自分の死をいう観念を、現実のものと思い込むに至る経過に
ついて考えてみたい。
死ぬことを知らない人は死なない。レトリックではない。「意識そのもの」とは、
「存在すること」に他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識
そのものには存在しない。「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、
人には、死ぬということはないのである。言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的
に考えてみたい。生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。
自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。
おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」           
                       ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」
であって、「死」そのものではない。「存在しないこと」であるところの死が、
目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。
しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと
思うのである。当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見
つかるわけがない。こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた
「存在しない」。そもそも存在しない死に対し「死」と名づけたことにより、死は
存在していることになったというのが真相なのである。死とは言葉以外の何ものでも
ないのである。死が存在すると信じ、死への恐怖に追われて生きてきた我われにとって、
こんな、その意味で馬鹿げた事態は納得できないかもしれない。 しかし、「無」を
言語化した刹那、あたかもそれでは、無が存在するかのようになるではないか!
我われの日常は、事の初めから、存在と言語の共犯的奸計に巻き込まれて進行。
ふとそのことに気づき、存在と言語の外へ出る道はないことも悟った時、逆に人は
それを自覚的に生きようと構えを変えるはずである。わかりきったと思い込んでいた
生と死の日常が、いかに摩訶不思議なものであったか。
その意味でそれは新たな誕生、生の再生になるのではなかろうか。
               (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
 ・・・・・・・・
2005年11月23日(水)
1695, 辺境へ -1   ー 読書日記

 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワード
にして、この十数年近くアフリカ、南米、シルクロードなどを家内と共に行ってきた。
図書館にあった、「辺境へ」-大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。
そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。
写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、心に直に迫ってくる。    
この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを
除いた5ヶ所を訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、
何回読んでも飽きることはない。        
    *1wワオッ!!
 ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸ギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 
西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸のグレート・リフト・バレー/北極圏の
グリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。
 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。
 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・
星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。           
   ∥┓  (( 
  (_)  匚P 
   ━┻    
ー彼のこの本に対するコメントも良いー
「地球上にこういう素晴らしい所がある事を知ってもらいたいし、そういう場所が
冒されつつあるということは人類にとっては非常に危機的状況であると思うんです。
 そしてこういう本を書くと改めて日本の事を思うんですね。比較というんですかね。

 (以下、字数の関係でカット09年11月23日)       
・・・・・・・
2004年11月23日(火)
1330, ワインの話

昨夜は、兄夫婦に誘われて、ボジョレー・ヌーボを家内共々飲みにいった。
兄の友人が金欠病でドロップ・アウトの代理に誘われたのだ。盆と正月以外、
あまり飲む機会がないので丁度よい機会であった。しかし空きっ腹のためか、
かなり泥酔をした、いつものことだが。ワインといえば、海外旅行の機内で
無料の極上のワインが飲み放題。そのためワインにはうるさい? 
月に3~4回、自宅の至近距離のイタ飯チェーン店の『サエゼリア』のワインを
飲んでいる。これが安い割りは美味しい。さらに2Lのワインのパックを今年に
なってから冷蔵庫に入れてある、月に一本の割合だが。
世界各国のワインを飲んでみたが、ワインといえばオーストリアである。
十一月十日は、ウィーンで最も“古い酒”を飲む日である。ボジョレー・ヌーボは
新酒だが、ウィーンは古酒だ。その古酒とは、前年の秋に収穫されたブドウで造った
ワインをいう。翌日の十一日からは新たに収穫されたブドウで造ったワインが出回る。
この新酒のことを「ホイリゲ」といい、こうしたワインを出す居酒屋も同じ名で
『ホイレゲ』と呼んでいる。「ホイリゲ」の歴史は結構古い。一七八四年、
皇帝ヨーゼフ二世がウィーンのワイン農家に「年間三百日を限度として、
自家製ワインを売ってもよろしい」というお触れを出したのが始まりとされる。
毎年、十一月十一日の聖マルティン祭の日に樽(たる)を開封し、向こう一年間、
その年のホイリゲとして飲む習慣だ。ベートーベンが長く住み、交響曲「田園」
などを書いたウィーン郊外に、ホイリゲは点在する。 店で「ホイリゲ」を注文
すると、たいていビールジョッキを小さくしたようなコップに入った白ワインが出る。
味は酸味が強く、こくはない。しかし、サラミやハム、ウィーン風カツレツなどを
つまみに飲むとうまい。炭酸水で割る飲み方もあるようだが、これはあまり美味くない。 
八割以上のホイリゲが家族だけで経営している。すべて自家製ワインだから、各店
とも独自の味を持っている。店ごとの、ワインの味比べもホイリゲの楽しみの一つ。
そこで弾き語りの歌を聞きながらワインを飲むのだ。そういえば学生時代に友人数人と
『ホイレゲ』に行ったことを思い出した。それまで、ワインといえば「ポートワイン」
しか飲んだ経験が無かったため、その美味しさに、グラスで7~8杯も飲んで
全員腰が立たなくなり、タクシーに這うようにして乗って帰ってきた。さらに、
部屋で買ってきたボトルを飲んで目茶苦茶。今考えてみると酒癖が悪くなった原点が、
そこにあったようだ。この8月末にも行ったが、当時と殆ど変ってなかった。 
弾き語りが何ともいえない雰囲気をかもしだしていた。話は変わるが、ブランデーの
できた由来が面白い。輸出用に一度水分を抜いて、濃度を高めて輸出していた。
ところが、それをそのまま飲むのが流行ってブランデーという飲み物ができたという。
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2003年11月23日(日) 963, 「コーリング」ー映画日記
字数の関係でカット(2007年11月23日)
・・・・・・・・
589, 癒しについて
- 2002年11月23日(土)
癒しはヒーリングの訳語だ。ヒーリングの意味は
「本来備わっている自然治癒を引き出す事」をいう。そうすると癒しの意味は
それを妨げているものを取り除く事になる。
人間の中の元々ある力を導きだす事だ。気安く癒しを求める事がおかしい。
安易に傷を治したいというからだ。甘い生き方を更に甘さで埋めようということだ。
垂直に自分を突きつめないでー軽く傷を治そうというのがみえみえだ。
更にゴッドマザーやゴッドファザーが出てきて治そうとするから傷が深くなるのだ。
このHPに癒しのコーナーがあるのはいかなる事か?笑って時間をやり過ごす為だー
傷ついた時や疲れたときの居酒屋の自分のコーナーのつもりだ。生きていれば
傷つくのは仕方がないことだ。消毒をしっかりしてバイキンよけの薬を塗って
時間を待つしかない。感謝が足りないのが傷口を大きくしている。
縦の自分の関係が浅くなっているから、横の関係に惑わされるのだ。
垂直に自分を掘り下げるチャンスにすればよい。深いところで変わらなくては、
傷が治るわけがない。
・・・・・・・・・
ある時間の断片
 1968年 11月23日(土曜日)
10時起床。洗面後、OB会に行く準備をする。 駒村のところに「多恵ちゃん」と、
飯野さんが来ている。佐藤のことだが、何か割りきりがつかない。先日の件で陰険な
抵抗にあっているようだ。飯野さんは別に約束を破った私が悪いが、まあいいか。
佐藤とはこれで完全に気持が離れてしまったようだ。ゼミのOB会の出席のため、
高輪ホテルにいく。14時半に始まる。17時半に終了。空腹に油系を食べたためか、
気分が悪くなる。先輩は組織人という感じで、魅力のある個性的な人はいない、
仕方がないが。その後、高輪プリンスに行き、コーヒを飲んでくつろぐ。そこで、
ゼミの同期で親しかった石川がしつこくからんでくる。最近無視をしていることに
対する怒りだろう。いま石川と妥協したら、お互いマイナスだ。腹を立てないことだ。
その後、高木と三年生の三人と5人で、武蔵小山の「なつめ」というスナックに飲みに行く。
そのママさんが面白い。 千田敏さんという名のホステスもなかなか面白い。
非常に面白い時間を過ごす。ホステスどうしの争いの大変に見えた。
0時過ぎに店を出る。1時に帰寮、2時に就寝。いろいろあった一日であった。

*1:  
    匚P 
 まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。  
ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。
 ブータンギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、
その取材は、全世界の秘境と言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己
夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏らその旅の思い出と
ともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な
写真を多数掲載した写文集。
  ー  この本の7ヶ所とは、   w((´ω`