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昨日のシネマは、トムクルーズの、 『ジャック・リーチャー』をみた。
いつものドンパチものだが、気分がスカッとする。 評価85点。
テレビが二台とも7年近く経過。 両方とも当たり。
iPadも、購入から5年余り、これも使いかっても含めて大当たりだが、そろそろ、
もう一台の購入時期に入った。タブレットをみると、かなり、この5年で進化したような。
~内容とは~
《 己の正義を貫くジャック・リーチャー(トム・クルーズ)が、
『アウトロー』待望の続編『ジャック・リーチャー NEVER GO BACK』で帰って来る。
ターナー少佐(コビー・スマルダーズ)は、リーチャーがかつて所属していた陸軍
内部調査部の軍人。彼女は、身に覚えのない国家への反逆行為の罪で逮捕される。
リーチャーは、ターナーを脱獄させ、巨大な政府の陰謀の裏に隠された真実を暴き、
彼女の身の潔白を証明しなければならない。彼らは逃亡犯として捜査網をすり抜け、
重大な秘密を知ることになる。リー・チャイルド原作による全世界で1億部を
売り上げたベストセラー、「ジャック・リーチャー」シリーズの18作目を映画化。≫
・・・・・・・
・・・・・・・
2778, 世界は一冊の本
2008年11月12日(水)
次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。」 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、
世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
そして感動し、考えるのである。 生きるとは感動し、そして考えることなのだ。
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「世界は一冊の本」 -長田弘
本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。
本でないものはない。 世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、地図のうえの一点でしかない遥かな国々の遥かな街々も、本だ。
そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。 夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
シカゴの先物市場の数字も、本だ。ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
人生という本を、人は胸に抱いている。一個の人間は一冊の本なのだ。記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。 権威をもたない尊厳が、すべてだ。
200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。生きるとは、考えることができるということだ。
本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
ーーーー
ローガウの「格言詩」の中に
「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。
これを人生という視点で置き換えると
「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。
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2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて -2
オハヨウ (▼皿▼#) !
この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が解り
やすく象徴的である。「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」
にすぎない。正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやった後始末をするだけだ。
それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。
ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
こうした特捜部の経済事件捜査を何年か続けているうちに、検事の仕事に対する考えが変わってきた。
着任したところはそれまで扱ってきた事件とはかなり違う部署であった。切った張ったや衝動殺人の
ような激情事犯は動機や心情が単純で、どこか人間臭く、純粋な部分を感じることさえあった。
が、経済事件は違う。被疑者はすべて計画的。いかに相手を騙すか、いかに自分だけが得をするか、
そのためにいかに相手を裏切るか、というのがパターンだ。
人間のズルさが全面的に発露された犯罪だともいえる。金が絡んだときの人間の汚い部分である。
最も人間を狂わせるのは金、そういうことなのだろう。
人間社会には、汚い世界がある。必然的にドブを生む。犯罪者は、そうしたドブのエキスを吸いながら、
罪を犯すのである。検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。
正義を振り立て、人をリードする職業などではない。 人間のやったことの後始末をするだけだ。
それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。犯罪者にペナルティを科し、ドブを多少なりとも
掃除するのが検事の仕事。検事や弁護士のバッジを光らせて傲慢な顔で闊歩するほどの仕事ではない。
いつしか、そう思うようになっていった。 プールのきれいな水でしか泳げないエリートには、
ドブの世界がどんなものかわからない。しかし、俺は生まれてこのかたドブばかりを泳いできた。
だから、犯罪とはどんなものか、その本質がわかる、という勝手な自負もあった。
*ウキィペディアで彼を検索してみた。
ー以下ジスの関係上カット2008年11月12日)
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2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり -5
オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)
{「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここでの著者の
「私」についての、解釈も面白い。「私」については、知れば知るほど面白い。
ソクラテスの「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。
複数の汝によって、「私」は社会の存在者として表出する。
� 生きているとはどういうことか -�
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。
しかし自分は肉体であるとは、どういうことなのか。 それを極言すれば、自分とは
脳であると、現代人は9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、
心とかいったことも含めるんでしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、
「私」は果して脳なのでしょうか。脳には触れることができるとしても、考えそのもの
には触れることはできません。 感情だって、同じである。
「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。なんだこれは。
考えている「これ」です。「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。
彼はそこで失敗したのは、それに「私」という名を持ってきてしまったことだ。
そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。
問いとしてあべこべになってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を
当てたに過ぎないのであって、「私」というものが予めてあるのではない。
何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に過ぎないということに気がつきます。
この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。 最近「自分探し」という
のが巷で流行っているそうですが、これは方向としてあべこべで「私」という何かが
何処かに在ると思っている。たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということ
なんでしょうが。 それは正しい問い方ではない。「私なんてものは、無いんですから。
無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。
「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質では
ないらしい。非物質。それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。
死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に
流れているという誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここに
すべて存在する、ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、
死後にも生きているということではない。なぜだか、全ては今ここに存在すると知って
いるこの何者かは誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。
このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。しかし魂という言葉は
つかい方が非常に難しくなる。何か実体があるような、そういうものが生まれかわりする
ようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」
「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込み。
ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に
流れているという誤った表象に基づきます。ーここがポイントではないか?「死があると
信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。
「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、 深く結びついているのである。
「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・
死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから (*^ワ^*)i
・・・・・・・・・
2005年11月12日(土)
1684, ザ・マインドマップ-2
いままで読んできたブザンの本を開くと、どの本も「絶対肯定の部屋」のドアが開き、
アルファー波が飛び出てくるような、世界が光り輝いているような開放感になる。
絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の
世界への世界を直感させる。この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連
をすばやく明確に理解しやすくなる。頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階
としての役割を果たしてくれる。考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決する。
ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、
その詳細をまとめることができなくなる。学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、
この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。
ー要点をまとめてみたー
マインドマップの目的といえば
1、思考を発展させる新しいコンセプトを知るー放射思考
2、これで人生のあらゆる場面で最大限に利用するために革新的ツールをしる-マインドマップ
3、思考プロセスの仕組みや発展はコントロールできること、
創造思考能力は理論的に無限であることを知り、脳の能力を大きく開放する。
4、放射思考を体験して、知的技術や知性の水準を向上させる。
5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。
マインドマップの特徴として、
A,中心イメージを描くことによって、関心の対象を明確にする。
B,中心イメージから主要テーマを枝のように放射状に広げる。
C,枝には関連する重要なイメージや言葉をつなげる。
D,あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で加える。
枝は、節をつなぐ形で伸ばす。
これに、色、絵、記号、立体化などを加えることで、面白さや美しさや個性などが出てくる。
このプロセスで「連想」が出てくる。この連想が多くの無限の力を引き出してくる。
天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。
マインドマップは、言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに威力を発揮する。
言葉とイメージを結びつけることによって、脳の力を倍増させていく。
ー つづく
^^^^^
以上の文章を マインドマップ的に、『島』にしてみた。
^^^^^(^_^)/
いままで読んできたブザンの本を開くと、「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が
飛び出てくるような、世界が光り輝いているような開放感になる。絶対的な可能性が簡単に
手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。( ̄~ ̄)ξ
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界
への世界を直感させる。(`´)ゞ
この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。
頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。考えている
ことを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまう。
(;´Д`)
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。
学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは
10分の一済んだろうに。
━─━─━─━─━─━
ー要点をまとめてみた
” マインドマップの目的といえば”
1、思考を 発展させる新しい コンセプトを知る
ー放射思考
2、これで人生のあらゆる場面で 最大限に利用するために 革新的ツールをしる
-マインドマップ
3、思考プロセスの仕組みや 発展はコントロールできること、
創造思考能力は理論的に無限であることを知り、脳の能力を大きく開放する。
4、放射思考を体験して、知的技術や知性の水準を向上させる。
5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。
φ(._. )カキカキ
”マインドマップの特徴として”
A,中心イメージを描くことによって、関心の対象を明確にする。
B,中心イメージから 主要テーマを枝のように 放射状に広げる。
C,枝には関連する重要なイメージや 言葉をつなげる。
D,あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で加える。
枝は、節をつなぐ形で伸ばす。
これに、色、絵、記号、立体化 などを加えることで、面白さや美しさや個性などが出てくる。
"φ(・ェ・o)~メモメモ ー☆⌒Y⌒Y☆-
このプロセスで「連想」が出てくる。この連想が多くの無限の力を引き出してくる。
天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。
マインドマップは、言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに威力を発揮する。
言葉とイメージを結びつけることによって、脳の力を倍増させていく。
ー つづく
・・・・・・
2003年11月12日(水)
952, 「殴られ屋」ー読書日記
http://www.rosetta.jp/hareruya/back.html
サロンのコーナーに貼り付けてある。
世の中には、想像を絶した生き方があるものだ。 「殴られ屋」の存在は「ホームレス作家」
を読んだ時に、そのレフリーのアルバイトをした内容が詳細に書いてあったので知っていた。
その本を図書館で偶然見つけた。しかし借りてきて暫くの間は、手に取ることができなかった。
気の毒で正視できない思いが先立ったからだ。しかし、読んでみてサッパリした体育会系の生の
必死さが伝わってきて好感の持てる内容であった。人間死んだ気になれば、何でもできるもの。
そして、その凄みが周囲の人に感動を与えていく様は素晴らしい。それはものごとから逃げない
という信念が直に伝わってくるからである。 ヤクザにショバ代を要求された時、殴られることで
支払おうとした。 それを親分が見にきて「馬鹿野郎、殴られて商売をする奴から金を取れるか!」
と子分を叱ったというのが、よい。 お客は素人と思っていたが、プロの挌闘家が多いという。
まさに命がけである。 本は買う必要が無いが、是非ホームページを見てください。
破産せずに、毎日、殴られ屋をやって「借金の全額返済」を目指している姿を、いまの政治家や
役人に是非見てほしいと思う。いや自分のことか!ほんと。 今の時代これがジョークでなく
なるから恐ろしい。
・・・・・・
『殴られ屋』 晴留屋明著、古川書房
ー以下は字数の関係でカット(11月11日)ー
・・・・・・・・
578, 読書について
- 2002年11月12日(火)
以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、瞬時に出た言葉が
「読みたいところを探して読む」であった。小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべて
の本にはいえないが。「一冊の本からその真髄を一つを掴め!多くのものを得ようとするな!」
そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は知識の宝庫に変わる。
立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。勿論(^^ゞしいー自嘲の話しだが,今まで本を
読んで一つでも本当にモノにしてきただろうかというと疑問だ。
「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」 「読み終わった後に、この本は
こういう事がポイントだった」とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。
読書の一番の要諦はこれしかないのに。 多くのものを得ようとして何も得る事ができなかった
のでは? また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは? このことを考えてみても、
内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んでいるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、
作家や記者などの物書きの凄さが解ってきた。
文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。本屋や図書館は
エネルギーのルツボである事も。そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、
人間の脳の中枢を刺激されるからだ。