つれづれなるままに

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   今日のYoutube

朝のポタリングは、もう肌寒いほど。
季節は晩夏から初秋になりつつある。 
来週の11日から大相撲も秋場所に入る。

 県知事、現職の知事があっさりと知事選から降りた。
4期は、やはり良くない。長岡の市長が、県知事にほぼ決まった。
まだ、篠田市長が立候補の可能性がないでもないが、遅いか。
 泉田は、政府にチョッカイをつけすぎて、謀略で立ち行きいかなく
なったということか。政治は一寸先は闇である。まあ、知事としては
真面な部類だったのだろう。



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3811, 閑話小題 ー老いと病について -1
2011年09月01日(木)

   ▼ 血圧について
 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。
年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の入り口にある。
出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、
「毎日の運動を意識的にして続けているので大丈夫」と、判断していた。
最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いて
あるので自然に、毎日のように検査をしている。だいたい145~155である。
そこでネットで調べてみたころ140からが高血圧の三段階の初段階とあった。
医者にいわれ続けてきた通り。 両親とも高血圧体質で数値をいつも気にして
いたので、年齢プラス80~90が高血圧の境目、という記憶がある。 
65歳として、やはり145~155が境目になる。ということは年齢から
して、少しは考えなければならない。晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 
食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ
口にしない。また塩分も最小にと心がけてきた。 運動も30年近く、早朝に
散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように運動ジムに
通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコール
の缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。死ぬならガンと思っていたので、
血圧に対して少し認識が甘かったようだ。昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、
高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ
血圧対策をしなくてはならない時期にきたようだ。 今さら遅いか? 
まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、
健康で長生きをしたい欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。
やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 
ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。
「若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、
いみじくも言ったが、その通り。「チョットチョット、あの老人、現実に溺れ
すぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。血圧と何の
脈絡がある? かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きて
こなかったことに、後悔する」からからだ。チロリ・チロリ・チンチロリか~
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 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
 2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。
当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。それより、自分が食べたい
だけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、
超ミニスカートで、街を闊歩している。その美しさが街並みにマッチして
いるのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのない
バッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、シルクハットをかぶって
歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの
雰囲気も異次元の世界へタイムスリップをしたような感覚であった。 
そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。
こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入って
しまったのである。これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ
気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。
元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5~60人が、
年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで
仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメが
きかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門
エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。
そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。
歩行者の、ほぼ全員が白人。その中で、東洋人の自分に違和感を初めて
覚えたということ。

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3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
 各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
 ーまずは印象に残った箇所から
麻生首相保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作って
きた自民党は「腐ってもタイ」でなく、「腐ったタイ」としか見られなく
なった。(毎日新聞
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括
ができない自民党が国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」
の巻き添えにされるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて
手なずけたのと、似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、
高速道路の原則無料化。サーカスは、政権交代という危機のスリル。(産経新聞
  以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
    (次数制限のためカット 2011年9月1日)
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2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という
大きな分岐点に立っている。著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間
スケールでも、特記すべきことと見ている。4億年前に、生命が初めて海から陸に
進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければならない時代に
なってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能
がついている。我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
 ー以下、要点を抜粋したー
「地球システムの崩壊」 松井孝典著      -読書日記 -2
  *現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面に
その足跡を印した。人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング
船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、次のように述べている。
「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次の
ように残している。「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。
それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 
地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、宇宙から地球を見る視点を獲得
することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎない
ことを、一般の人にも、画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、
地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。
 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作用
あるいは生物圏の存在を示唆し、地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素
間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。
専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、
あるいは文明が存在することを、灯台からのシグナルのように宇宙に向かって
発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」
といっていいだろう。それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデル
を構築するーそれが認識ということだが、その認識の時空を拡大することで、
ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた時代
といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点を
もつということと同じである。その結果、「我々は初めて、我々とは何か、
どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から向き合うことが
できる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的
な認識を確認しておかなくてはならない。
~~
何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が
最重要になる。月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは
知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めてみた時に地球システムの中に、
自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。
それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも出来ない事態に入って
しまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。
正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
・・・・・・・・・
2007年09月01日(土)
2342, 「ある」ことと「あった」こと          お|* ̄O ̄|は
 『狂人三歩手前』 ー中島義道
ー「ある」ことと「あった」ことー
理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるからあるから「ある」のである。
「あった」があるから、その想起で現在が「ある」。「私」も現在から過去を振り
返ったとき、「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。
かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直って
いく男の物語の映画をみたことがある。これこそ自己喪失である。そこに記憶も
生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。それは「あった」があるから「ある」と
いう説明に、解りやすい物語であった。その映画を見て、人生は「ある」という
ことと、「あった」ということで成り立っており、その両者を大事にしなくては
ならない!と実感をした。過去は消せないのである。
   ー以下は『狂人三歩手前』から・・・
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心について
でもいい、われわれは現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」
とみなしがちである。  (以下、字数の関係でカット09年9月1日)
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つ
ことである。遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、
私が世界を生きている! これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は
何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。
            バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。
以前はケニア旅行といえば珍しい存在であった・・ また首都のナイロビから
マサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では
対向車が絶えることなく走っていた。 話は変わる。マサイマラでの出来事。
サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車
が二台が交互に、そのライオンの鼻先に車を突進、寝ているライオンを飛び
跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。
初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、
ただ驚いてしまった。後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、それをみて
突然泣き出してしまった。 彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・
考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど野良猫のようなもの。
もし抗議したとしたら「観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き
散らして、奇麗事を言うんじゃない!」というのが本音だろう。
ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーはお互いに危害を加えない暗
黙の了解を作ってきた。その意味でやはり問題だろう。今回の旅行でアフリカ
が遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あ