つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

  今日のYoutube

昨日は、柏崎の家内の実家の墓参り。市の霊園だが、何か郊外の
高級住宅地のようで、墓の世界にも、郊外化が進んでいるようだ。
 新しい霊園のため、全ての墓が、真新しく、現代的である。


・・・・・・・
3429, 電子書籍の衝撃
2010年08月15日(日)
      「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著
「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細。
書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」「本を買う」「本を書く」という
行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? 
を、探り出す内容。  まずー著者後書きよりー
【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字
中毒者。そして同時に、年に四~五冊も本を出している書き手でもあります。
その意味でキンドルiPadのような電子ブックリーダーが出てくることによって、
本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえます。
本文中で何度も書いていますが、間違えてはならないのは、「電子ブックの出現
は、出版文化の破壊ではない」ということです。何千年も同じような活字形式で
人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。 そこがたかだか
数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから数十年しか経っていない
テレビとは違うところ。でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と
読まれ方が劇的に変わったように、電子ブックも本の流通と読まれ方を大きく
変えるでしょう 】
 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく
平準化し、よりセルフパブリッシングが拡大する。音楽の世界がデジタル化で
起こったことが、ほぼ同じように書籍の世界でも起こるのである。その結果、
既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。
キンドルiPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた
・そこには優れたプラットフォームがあり、
電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する
・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。
本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社iTunesやアマゾンの淘汰されて
いく運命にあるということ。kindle・iPadが、iPhoneiPodと同じように、
それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。

・・・・・・
3054,渡辺淳一の不良講座
 2009年08月15日(土)
 渡辺淳一著『反常識講座』 
 ー第六章 軽率になって恋をしよう
渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。
恋愛感とテクニックは、著名な作家は品位を疑われる?とかで正面きって
書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねない
こともある。渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることはー
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を
 絞らないで、二人、三人を同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が
同時に上手くいく確率が遥かに高い。(字数制限のためカット2012年8月15日)
 
・・・・・・
2689, 他山の石のことながら
2008年08月15日(金)
ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした

他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けている
だろうと思っていたが、案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。
(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97�の株式を握る投資会社二社
による解任である。07年12月期に二年連続赤字、130億の赤字というから大変なことだ。
投資会社は「すかいらーく」をMBOする際に融資を受けた銀行団に一定以上に赤字に
なった場合に、株式を銀行団に渡す約束をしていることから、大損失を被るという
焦りが社長解任にあったという。

すかいらーく、といえば総店舗数が4500店舗もある日本最大のファミレスで、
すかいらーく、ガスト、夢庵、バーミアンを中心に、多くのグループを傘下に持つ。
これを改革するには本体の「すかいらーく」の半数の閉鎖が必要といわれ、
数百億の目先の資金が必要となり、そう簡単にいかない。
横川四兄弟の成功物語は有名である。スーパーを始めたが、既に大手が先行して
いるので、レストランのチェーン化を目指し、成功をした話しはダイエーの中内
に匹敵するほど知られていた。

業績の悪化は、ロイヤルホストも08年12月期が前期に対して8割の減益の見込み。
ケンタッキーフライドチキンは、08年05月期中間期の連結決算が半減。
デニーズも今後二年間で店舗の2割に当たる130店舗を閉鎖の予定という。
さらに、ここにきてのガソリンの値上げと、物価の値上がりからくる家計の
圧迫で、大幅な悪化が見込まれる。 想像を絶するほどの環境の変化にある。。

これは、ファミレスだけでなく、居酒屋チェーンや、ガソリンスタンドなど
他業種全てにいえることである。首都圏のマンションがサブプライムの問題で
外資の投資先が一斉に資金を引き上げたために売れ残りが多く出て瀕死の状態で
既に数社の倒産が出ている。その煽りで建設に関わった地元業者の数社が不渡り
手形で瀕死の状態に陥っている。ガソリン高は、バブルなので一年以内には
100円を割るだろうが、元の値段には戻らない。アメリカ大統領選挙と日本の衆院
選挙の行われる11月から来年初頭辺りから、経済危機が表面化する可能性がある。
問題が世界規模で、かつ過って経験したことの無いほど大規模のため、だた
見守るしかない。
 
感覚が麻痺しているが、大丸が松坂屋を、伊勢丹三越を、ヨーカ堂
西武百貨店を吸収合併する時代である。この3~5年が、日本にとっても世界に
とっても土壇場になる。第一弾がサブプライム原油高・穀物高だった。
来年の今頃は、どうなっているのだろうか? 他人事ではない、この津波は!

・・・・・
2007年08月15日(水)
2325, ベナレス -1                
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真
と文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
          ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
   ---
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレス
のレポートである。その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで
荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。全国から車やトラクターで運ばれて
きた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム
・サティヤ・ヘー」(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどであろうか。
焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで十数体の遺体が
いちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、この
マニカルニカー・ガートである。運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中
ほどにあるガンジス河へとつながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。
そして組み上げられた薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。
茶毘は伝統的な方法で行われる。亡くなった人にもっとも近い親族の男性が
喪主を務め、基本的に女性は火葬場に立ち入ることはできない。
喪主は、マニカルニカー・ガートにある床屋で髪の毛やひげをそり、
白い装束を身に付け身を清めた後、自分の父親や母親の亡骸に最初の火を
自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。聞こえてくるのは薪が
はぜる音、人びとのささやかな声、そして、遺体がまた運び込まれたことを
告げる「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。ヒンドゥー教では、人生は「生老病死
といった苦しみに満ちていると考えられ、そして生まれ変わるたびに、
その苦しみを味わわなければならないとされている。この考え方は、仏教
にも影響を与えた「輪廻」という思想である。この「輪廻」の輪から抜け
出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。 こうした考えを信じる人びと
にとって、ベナレスは生きることの苦しみから抜け出させてくれる救いの場所
なのである。遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。しかし、読んで
いても暗さがない。いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
本の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、
何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                       つづく
・・・・・・
2006年08月15日(火)
1960, 人生を物語るとは? -2
            
「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。
意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。
意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って
生きることが意味ある人生であり、価値実現のプロセスが物語になる。

 大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も
変わらないが、これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。
子供の方は、何を言えば目前の大人が喜ぶかを、瞬時判断して答える。
従って、その質問自体が洗脳作業になっている。
ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、
一人物語っていることになる。
 ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する
反対語か? 堕落物語は? 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか?
      
 それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、如何
でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、
それらのことは些細なことでしかない! お盆で里帰りをしている祖先の霊が
一番いいたいことは、そのことである。『そうでしょう? ご先祖様!』
     
 ーご先祖様ー
『全くそのとおりじゃ!死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は!
日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。
しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。
その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると
言ったほうが解りやすいか。
生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は!
此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』
                                
・・・・・・・・
2005年08月15日(月)
1595, 自民郵政解散の攻防-5

今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。
この流れは余程のことがないと変わらないだろう。

自民党の郵政改革の是非を問う二者択一が国民の立場からみたら解りやすい。
これだけハッキリした選択を問うという選挙も珍しい。民主と旧守派の利権
擁護は誰の目にもハッキリしている。ゴマカソウと詭弁を弄していて