つれづれに


  今日のYoutube

 昨日は、花火、気が進まず、家でTVをみていた。
去年は家内が言うに、二日間とも、行かなかったそうな。


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3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
  * 今年の長岡花火
 今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が
降りそうな雲模様。それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 
夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。ところが信濃川の土手に着く
少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)
と共に雨が降ってきて、せっかくの花火も興ざめになってしまった。それでも
天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。二日目の昨日は、前日と
うって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
  * 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%
と発表されたが、助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると
単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。欧州が9・4%、
アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、
5・5%だから、僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということ。 
日米欧の失業者が3300万人となり、昨年の3月から15月で1200万人も
増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5~10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。事業が景気に敏感な商売なので、
その深刻さが直に伝わってくる。 
  * 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、
真ん中に線を一本引く。右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の
言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、それはコレコレ」と
プラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損で
それはコレコレ」とマイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、
利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、みんな重宝した。
これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。

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2678, 長岡の花火 -2
2008年08月04日(月)

 -三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。
そこで三大花火で調べると、色々地域によって違うようだ。
大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。
花火は、それぞれの川辺の情緒を背景に見るから良いので、本来比べるものではない。
川辺で各家庭が、空を見上げて団欒するのも花火見学と桜見物ぐらいである。

長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の2005年から加わり、
段違いによくなった。正三尺玉が、ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、
フェニックスが無ければベスト10からも除外されても仕方がなかった。
最近は同色の花火を同じ場所に重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。
二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、フェニックスが加わってからは、
二日とも行くようになった。

この数年、大曲の花火を部屋の電気を消してTVでみている。
これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。
ところで昨夜も二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、
止めておこうか迷ったが・・・・
それでも〔 天地人花火 「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに
因んで特別に打ち上げられるというので、もしかしたらと行くことにした。
 やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も初日に比べ劣っていた。
仕方が無いだろうが。 桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で四季
折々に楽しめることが幾らでもある。少しパソコンとTVから離れることも必要である。 
 でもWowowやレンタルDVDで映画を観るのも面白い!
後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、
改めて読むのも奇妙な気持。

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007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日

            (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしい
ことはないだろう。ある人がインタビューで話していた言葉である。この意味を
考えれば考えるほど深い。「一日、一生」「今、ここ」「一期一会」にも通じていく言葉。
これを自分の「人生の言葉」にして、常に意識をしていたら、「ありがとうございました」
という言葉に匹敵する。幸せの選択基準がハッキリと見えてくるからだ。

一日を疎かにできないし、何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。
「今日一日は、人生で一番大事な日であるし、幸せな日である」ことは、紛れもない事実。 
気がつかないのは日常に慣れてしまった自分。その視線で周囲を見れば素晴らしいことが
多くあることに気づくはず。心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、過去の
一番幸せだった日々を常に意識し、その気持ちが蘇ることになる。 
その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。

そうは言っていても、それは暗示でしかないじゃないか? と思うようならば、
「今日が人生で一番幸せな日に‘なりますように!’」という‘願い’にすればよい。
願えば叶うからである。 もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。
「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」と思えればよい。

「もしも身内や親しい人が亡くなって『今日が人生で一番不幸の日』の場合は?
そうは思えないだろう? 如何なものか?」
そういう時は、そういうことを考えないの!ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。
今日が人生で一番幸せ!と思える日がきっと来る!と、思えたら思えばよい。
『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。
日々の中の何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが含まれているということだ。
そして、それが開花しているのが「いま・ここ」であり、「今日」である。
       というところで、幸せに! ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪

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2006年08月04日(金)
1949, 長岡の花火         
*第一日目(8月2日)  おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・