つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

今日のYoutube

https://www.youtube.com/watch?v=Hne1y_3nWU4
 もう、金曜日。シネマ観賞の日で、「64 ロクヨン」を観る予定だが。
少し暗いが、まあいいだろう。話題作は観ておくにこしたことはない。

 

・・・・・・
2013年05月20日(月)
4447, 早朝座禅 -
          「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
  *「死生観」から「生老病死観」へ
 信長の時代から終戦までは人生50年の時代であった。それから僅か50,60年
もしないうちに人生80年の時代になってしまったが、それまでの死生観では、
30年も多く生きる時代に対処できなくなってきた。それが異常な自殺者の増加
というカタチで出ている。そこで問題になるのは老いと病に対する対処の仕方
である。ここで著者は「死生観」から「生老病死観」への対応が必要という。
ガンになれば、以前なら老人病で助からない自然死に近い扱いであったが、
治療で乗り越えるケースが多くなる。しかし、治療で生き延びた方が幸せかと
老と病に対する問題が出てくる。そして、それが自殺の増加につながってくる。
  ー まずは、その辺りから、抜粋してみるー 
≪ 人類は「人生五〇年」の時代を長く続けてきた。日本の場合、一九四七年の
平均寿命は男性が五〇歳、女性が五四歳だったが、その二〇年前や三〇年前は
織田信長が、桶狭間で、「人生四〇年」だったかというと、そんなことはない。
あの織田信長が、桶狭間の戦げてんゆめまぼろしごといの前夜に「人間五十年、
下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり」という冒頭の一節で知られる幸若舞
「敦盛」を舞ったのは、一五六〇年のことである。その時代からほんの数十年前
まで、四世紀から五世紀もの長きにわたって、人間の寿命は五〇年だったわけ。
 現代人は、平均寿命が徐々に延びるのが当たり前だと思っている。だが、
それはごく最近になって生まれた「常識」にすぎない。何百年にもわたって、
「人間の寿命はおよそ五〇年」というのが世の中のスタンダードだった。
 したがって「人生八○年」というのは、人間社会にとって「常識破り」の
大変化だといっていいだろう。人の一生がいきなり従来の一・五倍以上に膨張
したのだから、その急激な変化が人間の心理に影響を与えないはずがない。
当然、何らかの不適応が起きるだろう。現代人のうつは、その不適応のひとつ
なのではないだろうか。 というのも、「人生五〇年」と「八○年」では、
人間のライフサイクルがまるで違う。人生五〇年の時代は、働きづめに働いて、
気がついたときには死が目前まで迫っていた。だから「人生観」のことを
「死生観」とも呼んでいたわけだ。だが、人生八○年になるとそういうわけには
いかない。さんざん働いて定年を迎えても、死を迎えるまで二〇年、三〇年もの
時間が残されている。ゆっくりと老い、衰えや病気とつき合いながら、徐々に死に
近づいていくわけだ。そのライフサイクルは、「生か死か」というシンプルな
ものではない。「生」と「死」のあいだにある「老」や「病」を受け入れざるを
得ないのが「人生80年」の時代である。その場合、人生観は「死生観」だけでは
足りない。「生老病死観」とでも呼べるような、新たな人生観、もしくは人間観
のようなものが求められるわけだ。 ≫
▼ 両親の最期に、二人を看取ったこともあり、生老病死を近くで見たが、
 いざ自分が、その時期に近づくと、一人称と二人称の、あまりの開きに驚く。
身体はあちこち痛むし、心は暗くなる。世の中は、決して老人に優しくない。
それと身近が次々と亡くなっていく中、死の不安の問題が出てくる。所詮は、
全てが死んでしまうのが分かっていてもである。考えようによって、以前は僅か
だったが、現在は殆どが、長生長者。生老病死をじっくり味わうことができる。
どう味わうかは「生老病死観」になってくる。その中で、やはり自分一人の世界を
持ち、味わうことが求められる。現在は情報化の時代、その気になれば幾らでも
味わう対象が手に入る。そうなると、それまでの準備があるか?
 群れから自分から離れ、「ひとり」になれるかどうか。
手っ取り早いのが、早朝の座禅、瞑想になる。長生きは辛く面白い!

・・・・・・
4073, 哲学で自分をつくる ー2
2012年05月20日(日)
     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)  
 以下の人たちの哲学を一通り理解し、ダイジェスト的に説明出来れば一応、
哲学の歴史の一端を理解出来たことになる。対象が哲学の初心者に向けられて
いるので、門前の小僧にとってシンプルで分かりやすい。ーはじめにーより
≪  本書に登場する哲学者と、哲学史上の位置づけは、以下のとおりである。
 ?哲学は、ソクラテスからはじまる。
?近代西洋社会を支えたのは、デカルト、カント、へーゲルの哲学である。
?根本的な近代批判を展開したのは、マルクスフロイト、二ーチェである。
?二〇世紀の哲学を構築し直したのは、フッサールベルクソン
 ウィトゲンシュタインである。
?二〇世紀の哲学を反転させたのは、スピノザハイデガーメルローポンティ。
 ※スピノザは一七世紀の人間であるが、影響という意味でここに配置。
?二〇世紀哲学は、実存主義構造主義の対立、つまりサルトルと、
 ソシュール、レヴィストロースの対立に代表される。
?二一世紀の哲学は、フーコーデリダドゥルーズからはじまる。
 一般的な哲学入門書と似たような構成をとっているが、確固たる哲学の教義
 体系に必ずしも沿ってはおらず、「近代」以前の哲学や西洋以外の哲学に
ついてもあまり言及していない。また、哲学の知識や技術を伝授するような目的
で書かれたものでもない。ここで言う「哲学」とは、今生きている私たちの
「常識」的な考えの「見直し」。「常識」を「否定」「非難」しているわけでない。
 あくまでも「見直し」は、哲学で言うところの「批判」である。その結果、
あなたがこれまでの「常識」と違った考え方を持てるようになったならば、
本書の目的は達成されたことになる。もちろん、「常識」も大事である。
 鵜呑みにするのがよくないだけである。いろいろと考えた末に、「常識」
的な考えに立ち戻ってもかまわない。「常識」以外にも別の視座を持ち、
力強く二一世紀を生き抜けるよう、願ってやまない。  ≫
▼ この近代哲学の区分けも分かりやすい。著者は、常識的考えの「見直し」
 という点を強調しているが、哲学は本来そういうこと。 共通するのは、
あくまで入門書のため。現在ギリシャが経済を含め破綻しているが、欧米の
行き詰まりの象徴であるギリシャ哲学の行き着いた果て。人間の心の奥には
不安、悩みが常に沸きあがっている。目先の安易の解決を図ろうとせず、
一度、世間的常識から手を切ることだ。勝手なエゴイズムにならない
ようにしながら、考え抜いて肯定的に生きるべきである。

・・・・・・
3707, ジャズについて -5
2011年05月20日(金)
  ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ジャズといえば、日本人の私にとって、「アルカポネがいた20世紀初めの
大都会の下町の酒場で、マフィアとか、チンピラの屯している中で、数人の
演奏者が奏でている曲」というイメージがある。実際に、ジャズの歴史に残る
巨人たちは、そこから名をなすことになる。以下の三人も、ジャズに興味が
薄い私でも知っている名前である。
 * "不良の巣窟"に生れのホーキンス、レスター・ヤングカウント・ベイシー
【 p・189ー アメリカ中西部のミズーリ州カンザス・シティ、まさに
‘不良の巣窟’だった街に目を移してみよう。アメリカでは二〇年から三三年
までは禁酒法の時代だった。禁酒法はかえってアル・カポネに代表される
ギャングを生む土壌をつくった。カンザス・シティは、こうしたギャングたち
が経営する密造酒場やダンスホールが栄えた街で、ジャズもまたそうした
場所を賑わせることになる。カンザス.シティのジャズを代表するのが、
コールマン・ホーキンス(一九〇四~一九六九)とレスター・ヤング
(一九〇九~一九五九)という、スタイルがまったく対照的だったテナーサックス
奏者の二大元祖だろう。ホーキゾスは、アップテンポの曲では豪快に荒々しく、
バラードでは甘く柔らかく、低音域から高音域まで緩急自在なトーン・
コントロールで、サックスを単なる伴奏楽器からソロをとれる楽器へ押し上げた。 
三〇~四〇年代のニューヨークでは、たいていのテナー奏者がホーキンスを手本
とした。 一方、レスター・ヤングは、同時代人としてホーキンスの色に
染まらなかったところに、その独自性がある。彼はニューオリンズ、メンフィス、
ミネアポリスと渡り歩いて、カンザスシティカウント・ベイシー楽団で頭角を
現わす。そのテナーサックスは、ホーキンスのリズミカルな力強さよりも、
まろやかでメロディアスなフレージングを特徴とした。二人ともスウィング・
ジャズ時代に全盛期を迎えたが、のちのビバップ時代のアーティストとも共演。
ホーキンスのテナーは、スウィングの衰退後しばらく鳴りをひそめていたものの、
五〇年代後半、ジャズの復古ブームとともに蘇り、力強い豪快なトーンの健在
ぶりを示してビバップ派を驚かせた。しかし晩年は深酒に溺れ、栄養失調による
餓死同然の状態で最期を迎える。レスター・ヤングはシンガーのビリー・ホリデイ
(一九一五~一九五九)との共演でも知られ・ビバップ時代以降は、スタン・ゲッツ
をはじめとするクール派の白人アーティストの間に熱狂的な信奉者を生んだ。
彼は軍隊生活で人種差別にあったことなどからその神経を病み、やはり酒と
ドラッグの助けを借りることが多くなって、晩年のセッションはしばしば
深い憂馨をたたえたものになる。、 カンザス・シティのジャズといえば、
なんといっても、カウント.ベイシー(一九〇四~一九八四年)と彼の楽団を
抜きにして語れない。カンザス・シティ。そのカンザス・シティを拠点に活躍
していたカウント.ベイシーも、のちに楽団を率いてこユーヨークに進出する。
エリントンとベイシー。期せずしてビッグ・バンドの両雄がニューヨークで
相対し、人気を二分する。いや、三十年代に入って禁酒法が廃止されると、
カンザス。シティの歓楽街の灯も消え、そこを拠点にしていた他の腕こき
ジャズメンも相次いで、この街をさり、ニューヨークへと向かうことになる。
以後、ジャズの中心地はニューヨークになっていく。 】
▼ 当時の黒人はスポーツかジャズマン位しか名をなす機会がない世界。
 そこで名をなすのは至難の技の筈。その曲に魂が入っていて当然。
 
・・・・・・
3342, 医師と看護婦の危ない関係
 2010年05月20日(木)
 いまさらの話だが、医師と看護婦の危ない関係が表面化してしまった。
下世話の話だが、何処かの同級会で「あの何某、医師になって順調に出世
しているが、彼の話だと看護婦は、○○放題?だと!」。酒席で酔っ払って
いるので、言っている方も、聞いている方も、ほぼデマ?として本当とは思って
ないが、「そういうこともあるんだ?」と、半信半疑で聞いたことがある。
看護婦の立場からみれば、医師にみそめられるのが理想系だが、医師の立場
からすれば、同じ医師か、その世界の娘と結婚をするか、医師のネーム
バリュー?で自分より格上の家の娘を対象にする。
(字数制限のためカット 2012年5月20日)