つれづれに

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   今日のYoutube

 市内に住む従兄弟が数日前に亡くなった。享年76歳。
脳溢血というから、苦しまないだけ良かったかどうか。
最近、こういう死に方が羨ましくも思うが、遺族にとっては、
失礼になる。 寝たきりや、ガンで七転八倒の末亡くなった
話を聞くたび、コロリの死が羨ましい。

 


 ・・・・・・・
3289, 「離婚確率」が30% !
2010年03月28日(日)
「離婚確率」が30%になったと新聞で報じていた。 40年前の4・5倍。
  まずは、ー先日の新聞記事によるとー
≪ 結婚した人が離婚する確率が約3割に上ることが25日、厚生労働省の統計
 で分かった。最低だった40年前と比べ約4・5倍に増えている。離婚件数は
平成14年をピークに6年連続で減少傾向にあるが、離婚する確率は上昇し続け
ている。・・平成17年に結婚した人と離婚した人の割合は1対0・3だった。
この割合が今後も変わらないと仮定すると、結婚した人の約30%が離婚する
ことになる。同様の計算を過去にさかのぼると、昭和40年に離婚した人の割合
は約7%で、以降、上昇が続いている。≫とある。
 7~8年前に、25パーから30パーセントになったと聞いた気がするが・・
離婚経験者が何気なくいう本音に、心の傷を感じるとることがある。「自分には、
勿体ないほどの人だった」と、同時期に二人から聞いたことがある。 新たに
若い連れ添いができ、幸せそうな人の何気ない言葉に心の闇が覗く。
家庭内離婚も含めると、半数以上は破綻しているというが・・ 我慢・我慢、
そして我慢か、それとも三割?女性の方も、その傷は浅くはない。女性の場合は
世間知らずで、亭主がバカに見えて、愛想を尽かすのだろうが、それでは己は
というと、自分がまるで見えてない。母子家庭の半数以上が、年収200万
以下の貧困層という現実が待っている。亭主をバカにするのが世間一般のよう
だが、生理的に相性が悪いのは致し方ない。「結婚生活は煩しいが、さりとて、
独りでは殺伐すぎる」というところだが、相性の悪いのは如何にもならない。
5年ほど前にTVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映、
ここでも取り上げた。一方的に出て行った嫁さんが理想的な転進をした内容だが、
あれは罪作りである。殆どが究極の苦しみを味あう。昼間笑って布団で泣いて?
いや、反対もあるか? 他の相手を見つけておいたり、準備金をつくったり、
憎しみは何をしでかすか分からない。 それが夫婦というものか? 
オカメと般若は紙一重
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2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る
2009年03月28日(土)
 来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。
H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、駅裏広場と、前期の道路
整備、H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。
(字数の関係でカット2012年03月28日

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2550, 閑話小題
2008年03月28日(金)

 * 盃の中に蛇がいる!
何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。
「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、その蛇に
噛み付かれたものである。酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の
蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。
「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、
黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか?
 ーー

 *偏見のかたまり*

「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」
              (ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)
これは地域の問題だけでなく、自分の職業、固定観念、学問から一歩も
出てない人に対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく
感じることがある。人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。
だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。それと、
あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入込んでしまう。
 ーー

 *世逃げのすすめ(ひろさちや著)*
 
 -この本の紹介を検索したら以下の説明があった。
 普段は算数のテストで30点ぐらいしか取れない子が、あるとき
 70点を取りました。 お母さんは喜んで、「じゃあ、あなたの好きなカレーライス
 を作ってあげるね」と、台所に入ります。ですが、途中でわが子に質問します。
「それはそうと、きょうのテスト、平均点は何点だった?」
「お母さん、きょうはみんな点数が良かったのよ。平均点は84点だった」
 それを聞いたとたんに、お母さんはカレーライスを作りたくなくなります。
 おかしいですよね。 子どもの取った70点という点数は宝物です。
 それを、お母さんの〈平均点以上を取ってほしい〉と思う欲望が化け物
 に変えてしまうのです。 ですから、かりに100点を取ってもだめなんです。
「100点で良かったわね。それで、きょうは100点が何人いたの?」と
 お母さんは質問します。 そして100点が六人だったと聞けば、
「あら、あなたのほかに100点が五人もいたの……。
 それじゃあ、この100点は値打ちはないわね」となってしまうのです。
 100点が宝物でなくなり、化け物になってしまう。 じつは、これが世間の
 価値判断の基準です。世間はおかしな物差しで価値を測ります。
 あるいは歪んだ物差し、狂った物差しと言うべきでしょうか。
 でも、それを非難したって、意味はありません。世間はその物差しで運営
 されているのですから。世間に、そんな歪んだ物差し、狂った物差しを捨てよ! 
 と命じても、世間はそれを捨てられない。捨ててしまえば、世間はいっさいの
 価値判断ができなくなります。たとえば、新入社員と古参社員の給料を同じにする。
 あるいは、社長の給料よりも新入社員の給料を高くします。 それをやれば、
 会社は潰れてしまいます。だから、世間は世間のその物差しを捨てられません。
 だとすれば、わたしたちが世間から逃げ出すよりほかありません。
 逃げてどこへ行くのか……? それは、あとから考えましょう。 まずは、
 なにはともあれ、われわれがすたこらさっさと世間から逃げ出しましょう。
 つまり、「世逃げ」のすすめです。

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2007年03月28日(水)
2185, 政令指定都市とは?
       おはよう!♪~ ヽ(´π`)ノ

 新潟市が4月1日より浜松市政令指定都市に指定される。
といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、
政令指定都市について調べてみた。
ーー
政令指定都市とは、“○○区” などの行政区が置かれたり、県に代わって
道路の管理をしたり、県を通さずに国に対して予算の陳情が出来るなど
都道府県と同格」の扱いを受ける都市である。名前は市でも実態は県に
近いものである。地方自治体には大きく「都道府県」と「市町村」と二種類
があり、市町村は水道やゴミ、住民票の手続きなど主に日々の生活に密着した
行政を担い、都道府県は都市計画づくりや警察など、より広い行政を担当。

法律上は人口は「50万」が指定の要件だが、運用上は「100万(または現在
80万以上で、将来100万になる見込み)」を基準として指定が行われてきた。
現在は政府の市町村合併支援の一環として、合併を経ることを条件にこの人口
基準が「70万」に引き下げられている。静岡市堺市はこの優遇措置による指定。

政令指定都市は1956年に5市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)で始まり、
歴史があるだけに、一種のブランドになっている。そもそもこの制度は、
通常の市に大都市の特例を重ねたものにすぎず、大都市制度としてキチンと
設計されたものではない。市町村の合併促進の材料に使われたことも否めない。

県の仕事の都市計画つくりを、市としての視点で計画が作れる利点が
出てくるので、市としての独自性や一体感のある都市づくりもできる。
仕事と共に財政も移行するので、お互いの駆け引きなどいらない責任の押し
付け合いはなくなる。その象徴として、新潟駅高架再開発事業は 県から
市へ移行された。

ーー    
政令指定都市というブランドにしては、新潟のブランド・イメージは
あまりに低い。角栄と真紀子、それと拉致事件の現場が浮かぶ位である。
この一年あまり、新潟を活性化するには如何したらよいのか?
脳を絞って考えてみた。 そして出た結論は、「日本海拠点都市を目指す
べき!」が結論であった。それも20年前から地道に、それをすべきであった。
    
東京駅周辺が日本の芯である。そこから日本海に突き抜けることが、
ポイント。新潟駅から飛行場までの間にエネルギーを集中投資すべきであった。
新幹線の何たるかが解っていないのである。角栄におんぶに抱っこだった。
もう遅い!拠点都市は金沢に間違いなくなっていく。これから新潟駅立体
交差の駅をつくる? 何をやっているのか、今さら!

何処かの誰かが「飛行場まで新幹線をひくと、新潟駅が通過駅になってしまう」
と、のたまっていたというが、こんな程度である。
政治家と役人は、票と金にならないのでやらないだろうし!
             
               ヽ(゜∀Å) バイバイ!
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 2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
 (字数の関係でカット2008年03月28日)
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2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ

私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。
こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。時代の変化に
対してあらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくては
ならない。以前にも書いたが、私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。
中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。

少し先走ったが、24年前に光ファイバー用の配管が各客室に入っている。
新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。 
驚きであった。

なら在庫オーバーのビジネス客室をそれに転用すればよい。
二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。建設業界には元々「ニコイチ」
という言葉があったのだ。マンションの住人が隣が売りに出た時に買い
取って改築をしたりする時や、手狭になった市営アパートを一つにして
しまう場合の用語だという。「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。

現在、多くの建設業者は、不況の煽りで苦境に立っている。
その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。
古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として面白い分野になるだろう。
大変だろうが。それにしても、転用を前提にして創っていて助かった!
のが実感である。この数年は、この改築?が仕事になりそうだ! 
事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。長期的視点、
鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。

・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式

 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す
時期でもある。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の
記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。

幼稚園ーその日に多くの玩具を貰ったのが印象深い。
    何か絵本や、その付録のようなものがあった。
    その日のことはいやにリアルに憶えている。
    あまり悲しいとかというの記憶はない。
    その時の同級生数人と今でも会うことがある。
小学校ー何かふてくされていたような気がする。
    壇上に卒業生が全員上がり、呼ばれたら大声で答えたのを憶えている。
    拍手で送られてたのが少し記憶に残っている。
中学校ーこれも校門を拍手で送られたことが記憶に残っている。
    まとまりのあるクラスで、全員がいやに親しみ感じていた。
    「よいクラスの仲間たち」という感じだ。
    数年前まで20年以上クラス会を開いていた。
高校ー校内問題があって、変わった荒んだ卒業式だったようだ。
   この最後の3年のクラスもイヤに変なまとまりがあった。 
   このクラス会も20年近く毎年開かれていた。
大学ー卒業式としては、一番感激した卒業式であった。
   チャペルでお祈りの後の卒業式が印象的だった。
   一人一人が壇上で総長?から卒業証書を貰った。
   その後、学食で卒業パーテーが開かれ、全員がビールで乾杯の後、
   全員でコップを一斉に床に叩きつけ割ったのがよかった。
   学生時代との決別という意味だったのだろう。
   その後、父やゼミの武澤先生と同期の連中と写真を撮った。
   その時に何かこの学校がますます好きになったのを憶えている。
   「もう二度と会わないのでは!」という互いの感慨があったために
   最後の別れという気持ちが強かった。