つれづれに

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   今日のYoutube

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kohyoungki/20160215-00054409/
https://www.youtube.com/watch?v=tq4Cfg9aIWs
 北朝鮮が、またナンバー3の参謀総長を粛清したとの報道。
参謀総長は二人目の粛清というか。まあ、激しい権力闘争があるのだろう。
そう遠くない未来で、劇的シナリオがあるのだろうが・・ これだけは神のみぞ知る。
一番、恐れているのは、当人自身のため、身近から殺し続けなければならない。で、これ。

 


・・・・・・
2873, 成長モデルから 脱成長モデルへ  -1
2009年02月15日(日)
「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思  
 中央公論 08年12月号が、なかなか説得力のある内容であった。   
  ーまずは、そのいくつかを抜粋してみる。                    
「今回の経済危機の原因は長期的に見ると、20世紀を通じて続けてきた
アメリカ型資本主義による経済発展の行き詰まりである。 資本主義の本質は、
物的生産力を無限に拡張していくことにある。だが先進国では70~80年代
に社会が成熟段階に達してしまい、人々がさほどモノを欲しがらなくなった。
その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場
に集めてバブルを常に起こすことで、経済発展をしてきた。人々が高いお金を
払ってまでも手に入れたいと思う『モノ』がもはや亡くなりつつある、という
ことであろう。だからそ、製造業は、過酷なまでの価格競争によって、価格を
下げるほか無いのである。・・
今日、『経済活動の過剰』という問題に真正面から取り組むべきではなかろうか。
確かに、今日、資源はますます希少となり、食糧も希少化しつつある。
食糧の奪い合いが始まろうとしているし、アメリカ人は借金をしてまで
貪欲にモノを買い続けている。人間の欲望は無限であり、モノは有限である。」
  ーー
グローバル化の第2の波である帝国主義の真相を、英国の経済学者である
ボブソンは恒久的な消費の低下にあると見ていた。・・ケインズこそ、現代
資本主義の最大の問題を消費の低迷に見ていたのである。かくも豊かな社会が
到来すれば、人々はもはやその関心を『モノ』には向けなくなるであろう。
その結果、消費は低迷し、それが資本主義の長期的停滞をもたらすだろう、
というのがケインズの予想であった。『豊かさの中の停滞』である。
豊かさのまっただ中でこそ資本主義は深刻な問題を生み出す、というのである。」
  ーー
「『貧困への恐怖』と『豊さへの渇望』がもはや経済活力の源とならない。
・・もしそうだとすれば、規制緩和や市場競争促進政策は、いっそうの生産能力
過剰をもたらすだけのことであり、それに伴う有効な需要の伸長がないとすれば、
よほど無理なコスト競争、価格競争をしなければ企業は存続できないであろう。
(以下字数の関係でカット 12年02月15日)
・・・・・・・
2008年02月15日(金)
2508, 世界をだました男
 「世界をだました男」 (新潮文庫)    ー読書日記
         フランク アバネイル (著), スタン レディング (著),
以前にビデオレンタルで借りてみたが、あまり印象に残っていない。
先日たまたま図書館で借りてきた後に、アマゾンの中古本を買って読んだが、
なるほど面白い!殆どが実話というが、さかりのついた男のあの手この手の
必死さが面白い。色いろな示唆のある内容で満ちている。この内容の概略を
まとめるだけの価値はある。生粋の詐欺師の話として割り切って読むと面白い。
政治家は、この手の詐欺師まがいが多いのは見ているとわかる!
ーー
6歳から21歳までアメリカやヨーロッパで詐欺を繰り返して二百五十万ドルを
荒稼ぎだした。連邦刑務所で服役後、数々の職業を経て、その手法を逆手
にとって詐欺対策コンサルタントに。(以下字数の関係でカット09年02月15日)
2144, 「狂い」のすすめ -1 

2007年02月15日(木)

       (~Q~;)  おはよう~~ファ~  サム!
 閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・・一期は夢 ただ狂え」
 を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
 まさに何時も、ここで書いていることである。
 私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、団塊の世代
 マニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。
 人生に意味など無い、生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。
   あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー       
               ー読書日記
      著者:ひろさちや :集英社

    世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。
    狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
    人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
    自分を楽しく生きようと呼びかける。
     ー表紙裏の内容紹介ー
    今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
   世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
   そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
   当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
   狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
   そうすれば、かえってまともになれるからです。
   人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。
   「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。
 
-面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、
  エコノミック・アニマル、すなわち畜生の生き方をしています。
  日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、
  裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?
  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。
  だから楽なんです。ところがわれわれ農耕民族の末裔である日本人は、
  敵か味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、
 《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
*『わたしたちは、人間を商品価値、機能価値で測ってはいけません。
  機能価値は相対的に変化します。
  勤勉な人間の方が怠け者より機能価値が高いようにおもわれますが、
  その機能価値は他者との縁によって一時的に付加されているものであって
  絶対的なものではありません。
  従って、人間の価値は、「存在価値」で論じられるべきであって、
  その存在価値を測る物差しは、「仏の物差し」「神の物差し」
  でなければなりません。それは目盛のない物差し「測らない物差し」
  なのです。』
    
= 要約をすると=
    ー大多数である弱者が世間(=強者)の奴隷とならないためには、
     世間(強者)が『常識』としている(それはしばしば強者の都合で変わる)
     ことがらを信用しないことである。
     だがまともに闘おうとしても勝てっこないので、むしろ世間(強者)から
    『狂っている』とみなされるようにすれば、世間(強者)も遠慮してくれるで
     あろう(いつ噛み付かれるか恐れるからだ)。
     今の世間(強者)の方が狂っているのだから、その常識の中で
    『狂っている』ということは逆にまともといえる。ーということだ。  
  ーーー
少し強者でなければ実際は難しいがね!
 -今回はこの本の大筋の面白そうなところを書いたが、
  次回は、狂ってみせる対象の世間様からのアップスケールについて、
  主観を込めて書いてみる。世間はバカが多いからね!
  なら、もっとバカになっていればよいだけじゃないかい?
  そのままがバカだから、バカになることもないか!
              つづく ¥(*^_^*)\ バイバイ
・・・・・・・・
2006年02月15日(水)
1779, こころの羅針盤(コンパス) -2
      (*´_⊃`)ノ゜*。・・+。゜*゜【gOOd morning】
                ー 読書日記
この本の印象に残った章を抜粋してみた。
それぞれの心の心象風景がよい!
ー最初の質問ー  ー長田弘
        
今日、あなたは空を見上げましたか?
空は遠かったですか?近かったですか?
    雲はどんなかたちをしていましたか?
    風はどんな匂いがしましたか?
あなたにとって、いい一日とはどんな日ですか?
「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか?
    窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか?
    道の向こうに、何が見えますか?
雨の雫をいっぱい溜めた蜘蛛の巣をみたことがありますか?
樫の木下で、立ち止まったことがありますか?
    街路樹の木の名前を知っていますか?
    樹木を友達だと考えたことがありますか?

あなたにとって「わたしたち」というのは、誰ですか?
何歳のときのじぶんが好きですか?
    世界という言葉で、まずおもいえがく風景はどんな風景ですか?
    沈黙はどんな音がしますか?
いちばんしたいことは何ですか?
人生の材料は何だと思いますか?
…あなたは言葉を信じていますか?

 (評)何気ない日々の中で見落としがちな光景を改めて問いかけている。
  学生時代の日記を読んでみると、日々の光景を見落としていることが解る。

・・・・     (*^ー^)/C□~~ コーヒ ~~旦_(-ω-`。) ドモドモ    ー人生の経験値ー  (穂村弘)
自分は、人間の一生において普通に人が経験することの多くを
未経験のまま年をとっているのではないか。
そう思いついて、試みに「人生における経験値リスト」を作ってみた。
内容の大小を問わず、思いつくままに挙げた項目に対して、
実際に経験したものに○を、未経験のものに×をつけてみる。

|独り暮らし
|結婚|離婚
|子供を持つ
|親の死
|家を買う
|就職
|転職
|海外旅行
ソープランド 
献血                   
評)私の場合は
  ソープランドと離婚経験以外、全てが○であるが、
  普通の生活をしていれば、ほぼ○になるのではないか?
  私が経験したことは  
 ・ 焼き鳥屋を立ち上げたことがありますか?
 ・ 焼きたてのパン屋を立ち上げたことがありますか?
 ・ 大手のスーパーの創業に立ちあったことがありますか?
 ・ 事業を立ち上げたことがありますか?
 ・ 100メートルのバンジージャンプをしたことがありますか?
 ・ パラセーリングをしたことがありますか?
 この程度にしておいたほうがよいか?!
 普通に経験することではないから、愚問であるが。 
 誰もが自分しか出来ないことをやってきたはずだ。
 それが、その人の人生である。
 なら自分しか出来ないことを、自分で探し出して
 ドンドンすべきである。
 ところがね~、馬鹿の壁が立ちふさがっていて??   
 どうにもならん!       (#`ε´#ゞ
 のが人間ときているから・・・ 
                ε(´',_c')зβyё☆
 ・・・・・・・ 
2005年02月15日(火)
1414, スローフード

欧州でまず驚くのは
スローフードスローライフの生活パターンである。
最近、日本でもスローライフスローフードが流行りだした。

アメリカ発の便利・効率を優先するファーストフードに対して、
スローフードを見直す運動である。
  イタリアのブラという街で生まれた運動で、
 日本スローフード協会によると、次の三つを指標にかかげている。
1、消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、
  質のよい食品、ワインなどの酒を守る。
2、質のよい素材を提供する小生産者を守る。
3、子供達を含め、消費者に味の教育を進める。
アメリカのコンビニエンスという考え方が、食べることにも及んで,
画一化が進みすぎて、ものごとを「味わう」ことが少なくなってしまっている。
その反省に立って、食事そのものを見直す運動である。

これは、人生にもいえることで、「スローライフ」の見直しも出てきた。
人生を画一的な面だけでとらえず、ジックリと味あう生き方である。
「それぞれのライフワークで、自分という素材を生かすことを優先していこう」
という考え方である。

先日見た映画の中で、船長と妙齢な婦人3人と母娘のディナーでの会話が素晴らしい。
それぞれが初対面で、違う国の出身。
一人一人が多くの過去を持っている。
それを何気なく自己紹介で言うのだが、何の嫌味もなく洒落を言いながら
食事をしながら話すセンスが素晴らしい。  スローフードの典型であろう。

欧州人は、ともに食事をすることを最も大事にしている。
生き方と食事に大きなつながりがあることを、長い歴史の上で体験的に知っている。
時間と手間隙をかけた心のこもった食事を、心を込めてとることこそが、
今の時代に求められているのだろう。

特にスペインは、一日の時間の組み立て方が、欧州の他の国と全く違っている。
朝は、他の欧米と同じ9時頃に始めるが、午後1時か2時から4時ぐらいまで
昼休みを取る。その間、一度家に帰ってシェスタという昼寝をする。
(セックスも、その時にすませる人が多いという。)
そして8時過ぎまで働く。

その後街に出て、バールと呼ばれる居酒屋でアンチョビなどのツマミで
いっぱい引っ掛けて、顔見知りや家族と楽しむ。
街中あちこちにバールがあり、その時間どこも満席である。
その後、家に帰って食事をする。  とにかくバールの値段が安い。
彼らにとって、スローフードスローライフは数百年続いている文化でしかない。

スローフードなどが流行りだすのは
イタリアやスペインなどと同じく国が衰退を始めたということだ。
これも事実だから仕方がない。
新潟でも全国チェーンの湯葉料理の「梅の花」が出店した。
昼飯を二時間以上かけて主婦などのグループがとる。
五頭山の麓にある、釜飯の店など、その走りなのだろう。

金持ちの外食スタイルのカジュアル版ということか!

・・・・・・・・・
2004年02月15日(日)
1047、「22歳の日記」の終わりに

今日で学生時代の日記が終わっていた。
何時から何時までという日付の無いフリーの日記帳なのだが、
丁度よいタイミングで最後のページで、最終日の今日だけレポート用紙が
貼り付けてあった。いま一冊の日記帳にあと半年位は書いていたと思うが、
ハッキリした記憶が無い。

この日記を書き移していて「恵まれていた環境にいた」とつくづく思う。
「寮生活に、一ヶ月の欧州旅行、ゼミ、クラブ、教授、両親、友人」
と多彩な環境が重なっていたことに驚いた。
そこには地方出身の、土がタップリついた、純朴な姿がそのままあった。
この時期に培ったものが一生ついてまわることを、振り返って実感する。
それと真面目な姿も、今も昔も一緒である?

大学の専門分野の授業が結構面白かったことと、
全く知らない分野を、色いろ知ったのが最大の収穫であった。
また知識や情報や人脈の重要さをつくづく実感をした。
知的好奇心がこの時期にやっと芽生えたのだから、かなりの遅咲きであった。

大学の知識などは、実社会に出てからの経験や読書などの蓄積からみたら、
微々でしかない。 「大学を出てないから駄目だ」
という自分の思い込みという石をつくらないで済んだのも収穫であった。

当時の学生時代の背景が、昭和40年代前半だったというのも恵まれていた。
特別恵まれていたのではなく求めるものがあったから、見返りに対象が
反応した部分もあった。
この時代のポップスは黄金時代といわれている。
高度成長期の波に乗って、素晴らしい歌が次々出ていた。

恵まれた時代にあたった世代は、最後の最後まで恵まれるようだ。
年金も、丁度よいようになっている。
同世代の人をみていると、仕事などでハッピーエンドの人が多い。

学生時代に真面目に過ごした人は、その後の人生で順調のようだ。
マージャンや女性狂いをしていた人は、あまり恵まれた人生ではない。
知識や生活の基盤をつくっていなかったためだ。 その一人が自分でもあるが。
寮にクラブにアルバイトに酒にと、全て中途半端であった。
しかし、それに気づいて産能大に入りなおして基盤直しをした?が、
それでも取り返しがつかなかった。
それほど甘いものではない。
基盤はそう簡単には造り替える事はできない。

この日記から、温みを感じ取れるのも確かである。
私の人生を振り返って「恵まれていた、ついていた、面白かった、ありがとう」
がキーワードにある。
この日記を見る限り学生時代も全く同じである。

この日記を、つまらないという人と、リアルで面白いという人が二分していた
ようだが、少なくとも私にとっては、リアルで面白い内容であった。
自分の地偕の、あるフロアーに迷い込んだようなものだからだ。
この日記の最後にも感想を書いてある。
 もう、こんな赤裸々な日記は書けない!
・・・・・・・
2003年02月15日(土)
まれに見るバカ  -読書日記 -2
ー印象的なところを抜粋するとー

人はバカに生まれるのでない。バカになるのである。
親子という縦の系列によってバカになり、友人・社会という
横のつながりによってもバカになる。・・・
なぜ容易くバカになるのか。理由ははっきりしている。
人間は楽な事を選ぶ生き物だからだ。できることなら責任なんか
負いたくない。他人の心配などまっぴらである。
難しいことより易しいこと、苦しいことより楽しいこと。
不自由より自由。貧乏より裕福。まどろこしい事よりすぐ成果が見えること、
に流される。努力するのも金輪際イヤである。
 
これらの諸条件を満たすのは必然的にバカになる。自分中心主義で、
物知らずに、自分の頭で考えることができない。考える努力もしない。
だから人に頼りたくなり、人の責任にしたくなる。
このようにして人はいとも簡単にバカを志向する。
だから親がバカだと子供はつらい。「バカ」を刷り込まれるからだ。

バカになるのに訓練や努力はまったく必要でない。
欲望と感情だけがあればよい。そしてどんな人間でも欲望と感情だけは
もっているのである。・・・
もしバカになったら、それはどこまでも自分の責任である。
責任がなくとも、自分で負わなくてはならない。
  ・・・・
バカがひとりで死ぬまで山の中で生きているのならどんな罪もない。
しかしそのときは「バカ」であることじたいが無意味であろう。
ひとりだけならバカも賢いもないのである。  バカの罪状以下のごとし。
ーつづく
・・・・・・・・・
2002年02月15日(金)
331、自分を愛すること

我々は「自分を愛することを罪悪」と知らないうちに,
教え込まれてこなかったか。
人間のいや生物の「遺伝子にはエゴイズムが書きこめれている」という。
まず自分のエゴイズムをハッキリと認めよう。
そしてそのコントロールをすべきだ。

自己への愛が自己陶酔やエゴイズムと混同され、否定されている。
私たちの大部分が、実は愛を経験していなかったのではないか?
経験してきたのは、実は[報酬]であった。

どこかの「チンドンヤ」のように第三者の容認を目指しているのを、
本当の愛といえるだろうか?
三者の影を探し続けている「子狐」的偽愛・偏愛を愛と勘違いしていた。
まず自分自身を愛し、魂を育てることが「愛」の第一歩である。
その前に人を愛そうとしたり、人に愛されることを求める。
それはオカシイと考えもしない、世界の大部分がそういう人で満ちている。
別にエゴイズムを勧めているのではない。
他人に対する愛の希求を、まず自分に向けよ!
自分の魂に慈愛を与えよ!である。
自分のやりたい事を見つけやることが、魂に慈愛を与えることになる。

それを第三者に求めることを「愛」と勘違いしている。
真にやりたいことを、第三者に求めていないか?
三者にそれがある訳が無いことを解ってない。
新約聖書に「汝を愛するように、隣人を愛せ」という最も象徴的な
真理がある。汝を愛せない人間が隣人を愛することができるのだろうか。
聖書もまず隣人を愛せとか、自分への愛を否定はしていない。
宗教的な文章になってきた。

それを知っている人間は他人のそれも解る。
自己欺瞞が世界に満ちている。
解ってない人間が奇麗事を言う。
他人のアラを探す、無能だからそれしかないのだ。 
こういう一生を「無能松の一生」という。
私の知人に典型的な奴がいる。
もっとも、悲しいことに一番に自分に似ている!
・・・・・・・
2月15日 1969年

昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。
いい加減な自分に嫌悪感を感じる。
あとは、思い残すことなく社会に出よう。
学生時代は終わったのだ。
ーこれからの予定として
2月17日に先生のところに最後の挨拶
2月19日にゼミの工場見学
  11時~18時
その後、2日間長岡に帰る。
2月26日にジャスコ入社式のため四日市に出発
     3月2日まで、入社前教育
 ーーーー
以上で半年続いた日記が終わっている。

その続きを書いていたかどうかは記憶がない。
書いていたかどうかは五分五分である。
この一年後、カード型の分類日記を一年間書いた記憶がある。
その一年後、全てを捨ててしまった。
本当は捨てなければよかった。

この日記よりもっと激しいことが書いたあったようだ。
それだけ、その後の一年は激しい一年であった。
心身ともボロボロになっていた。
大學を出て、十数年は誰もがそうだろうが、一生分の問題を吐き出し解決してきた。
三十代半ばからは楽だったのは、それまで精一杯生きたからだ。

それにしても、凄い?20代~30代を過ごしてきたものだ。
他の人のことは解らないが、私は限界ギリギリのところだった。
読んでいて気づいていると思うが、やはり背景は恵まれていたのだ。
時代に、両親に、そして先生に、友人に。

月並みの言い方になるが「ありがとうございます」という言葉の重みを
つくづく感じる。今も、当時も一番足りない気持である。
「ありがとう」という言葉は、言い尽きないのが人生と振り返って実感する。

この時代の人達に「ありがとうございます」と手を合わせて、この青春日記を終了する。 
少なくとも書き写している間は当時にタイムスリップをしていた。
毎日続いた一時のタイムスリップも、今日で終わってしまった!
あまり過去に住むのは良くない。

今年の9月からの同月同日の日記として、再び貼り付けるかどうかは、
その時考えるが「もう見たくはない」のが現在の気持ちだ。
半年も経てば気持ちが変わる可能性があるが。
当時のこの男の頭をなぜてやりたい。
そして「35年前よ、さようなら!」と、
腕がちぎれるほど何時までも手を振りたい気持ちである。
 当時と同じように少し感傷的になってしまった!
「あたらしき 明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に うそは無けれど~  啄木」
  
この日記帳の表紙にデザインとして書いてあった詩である。
日記帳の下欄には、啄木の詩や日記や書簡集が印刷をしてあった。
しかし詩心は芽生えなかった!
  ーーー 
 明日からは、換わりに、次のシリーズとして、
 このホームページの「お笑いのコーナー」の、
 ジョークと小話を貼り付ける。
 少し品のないところもあるが!
 100話以上ある。
 5月まで続く予定である。