つれづれに

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  今日のYoutube

外は、雪が降っている。 久々に、回転寿司を食べ、
シネマ館で『オデッセイ』をみて。 その後、歯医者の予定。 
あまりなかったことだが、夜半、何か不安が頭をよぎる。
 


・・・・・・
2008年02月05日(火)
2498, 無くてはならぬもの -6
 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー
P-196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、
とかけがいのない自分という存在ということを、もういちど、しっかり見出して
ほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかも
それは二度と繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当に
わかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、考えていくことができない。
p-199  たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、
そういう人生の目的を見出してほしい。そうして二度と戻ってこない一日一日を、
そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。天才とは、努力を
する人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を
通して何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。
あなたは社会的に成功しなくてもよい。自分がやりたい事を一度かぎりの人生に
打ち込んで努力してみたらよいでは。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。
その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題に
しない。どんな小さなことでも、これが自分がしたいことを生涯を通して行えば、
世界のために何か貢献することができる。それで途中で倒れることがあっても、
一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのはないか。
P-202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセー
を思い出す。「偶然再興」の中に収められた文章だが、「・・・ある時、砂に
食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも
違っていたのである。楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べ地下の根は。
戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、枝から枝と分かれて、
乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を
無数にもって、いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを
知っていた。しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に
打たれぬわけには行かなかった。
ーーー
「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この
「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。個性とは、自分が人生をかけ
打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。
38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」
の一冊。実は読み返して今、気づいた。それでは他の二冊は何か? 
近々に取り上げてみようか。大本教出口王仁三郎の本と、新約聖書である。

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2007年02月05日(月)
2134, 時間についての一考察 -1
    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。
その中で「いま、ここ」-現在ーの意味が深い。考えてみても解ったような
解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?
には非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして
心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、人を殺してやりたい位に
憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、
ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく
「その時点での今・現在」に経験したことである。
(字数制限のためカット 2010年2月5日)

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1769, 閑話小題
2006年02月05日(日)

ー エ!まさか

先月の末の話になるが、
長岡のある料理屋が閉鎖をしたと朝日新聞の新潟版に
別枠で大きく取り扱われていた。
店主が店の2Fで心不全で亡くなっていたのが翌日になって発見されたとか。

     戦前(この言葉も古いが)から七十数年も続いた店で、
     両親に何度か連れられていった記憶が鮮明に残っている。
     タンシチュウや、エビフライなど独特の味付けだった。
     
     昨年の暮れ、家内とその店の向かったが途中で吹雪いたため、
     駅前の居酒屋に入ってしまった。

一昨夜、長岡で飲んだおり居酒屋とスナックでその話をしたところ、
自?という。4~5軒まわった店では全員がそのことをしっていた。
いま殿町では、その話でモチッキリという。
どの店も不景気で他人事でないだけに身に沁みるという。

     有名な飲食店が数年前に店主が病死をして閉店をしたのも、
     実は自?だったとか、あの店も、その店の誰かも、
     実をいうと??で・・・、そのほとんどが借金苦だったという。
     これだけ災害が続けばお客の足が遠のくのもわかるが。


ライブドア症候群
 
2006年01月26日
朝日新聞 株価欄ー経済気象台
の内容が鋭い。
まずは、その内容である。

     ライブドアショックが日本を揺るがしている。
     株価の下落は、22万人に上るライブドア株主だけでなく、
     多くの機関投資家個人投資家の資産価値を毀損(きそん)させた。
     証券取引所のシステム整備の遅れや法制度・監督体制の不備も明らかになった。
     しかし、ライブドアショックが提起した本質的な問題は別のところにある。

・第一は、投資家が企業や事業そのものを客観的に判断せず、
株価や時価総額の成長だけに目を奪われていたことである。
ライブドアの高成長を支えたのは、マネーゲームによる利益であり、
本業であるIT事業ではなかった。
それなのに、ライブドアはIT企業の旗手ともてはやされた。

     90年代末のアメリカで生じたネットバブルでも、全く同じことが起きた。
     事業の実体がないにもかかわらず成長期待だけでネット企業の株価が
     急騰を続けた。しかしやがて過大評価だったことが明らかとなり、
     不正経理による利益水増しも表面化して、バブルは終わった。
     その教訓が日本では生かされていなかったのである。

・第二は、高成長が改革の成果だと信じ込まされていたことである。
急成長中のIT企業、若い経営者、古い秩序の破壊者といったイメージを持つ
ライブドア構造改革の象徴として申し分なかった。
しかし、その高成長は構造改革の成果でもなんでもなかったし、
景気回復を支えてきたのは、実はオールドエコノミー企業の復活だった。

     今回のライブドアショックは、なにやら理解しがたい企業の急成長に、
     理由もわからず拍手喝采を送っていた人々へのカウンターパンチだった
     のではないか。これを契機に、経済成長の真の担い手は誰なのかが
     改めて確認されることになれば、日本経済にとってマイナスではない。
     そして、これまでの構造改革がわれわれに何をもたらしてきたのかも、
     併せて問われるべきではないかと思う。(山人)
  ー
まさか、IT関連に投資して甘い汁を吸っていた連中に
向かって「ざまあ~みろ]]ともいえないし!

ーー

ー11人のハーレムとは

11人の愛人を持った57歳男が逮捕された。
生活費は、その11人がパートなどで稼いでいたという。
よくぞコントロールしたものだ。
    それよりその精力には!驚きだ。
    彼女達は共同体を求めていたのか?
    画面からは精力絶倫のオットセイにメスが群れている
    にしかみえないが、私の知らない何か?があるのだろう。
    
その夢に出てきた呪文とやらは、何なのだろうかと
誰もが興味を持って当然だ。
『その呪文を唱えると、女性に持てる!』
という言葉そのものが呪文ではないか?


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2005年02月05日(土)
1404, 立花隆の旅について

この人の本を読むと、その博学と行動力の凄さに驚きざるを得ない。
深い人間洞察を何気なく言ってのける。
長年かけた知識構築の結果といえば、それまでだが。
人間洞察を旅を通して語っているから尚のこと解りやすい。
人生は旅であるからだ。


今回借りてきた、「思索紀行」-ぼくはこんな旅をしてきた
の序論のなかの「旅と人間について」の次の文章でもいえる。


ーすべての人の現在は、結局、その人の過去の経験の集大成としてある。
その人が過去に読んだり、見たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、
誰かと交わして印象深い会話のすべて、心のなかで自問自答したことのすべてが、
その人の最も本質的な現存在を構成する。

考えた末に、あるいは深い考えなしにしたすべての行動、
その行動から得られた結末に対して反省や省察を加えたすべて、
あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンを作っていく。
人間存在をこのようなものと捉えるとき、その人のすべての形成要因として
旅の持つ意味の大きさがわかるだろう。

日常に支配された、パターン化された行動の繰り返しからは、
新しいものは何も生まれては来ない。
知性も感性も眠り込むだけだろう。意欲行動も生まれては来ない。
人間の脳は、知情意のすべてにわたって、ルーチン化されたものは
いっさい意識の上にのぼらせないで処理できるようになっている。
そして、そのように処理されたものは、記憶にもされないようになっている。
意識の上にのぼり記憶されるのは、新奇さの要素があるものだけなのだ。

旅は日常性からの脱却そのものだから、その過程で得られたすべてが
新奇の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意の
システムにユニークな刻印を刻んでいく。
旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。
その人を作りかえていく。
旅の前と後では、その人は同じ人であり得ない。

旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積と
とらえるなら、人は無数の旅の、あるいは「大きな旅の無数な構成要素」が
もたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在と
いってよい。
 ーー
以上であるが、
人間と旅の本質をズバリ言い当てている。
旅行に行って帰ってくると、それまでの自分とは別人になったような感覚になる。
行った先の自然や文明文化から受けた感動によるものだ。
旅行で感動した幾つかが、自分の人生の魂の奥に沈んで、
人生の大きな骨格になっている。

そして、一回行った旅行は、それぞれが今も現実的に続いている。
TVや書物で、その後も多くの疑似体験ができるからだ。
何処かしら週に2~3回は情報媒体を通して、その続きの経験をしている。

この随想日記も、過去の出来事、考えたこと、経験の集積ぶつを拾い上げ
書き出している。汲んでも汲んでも尽きることなく出てくる。

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2004年02月05日(木)
1037, 「わたしは悪い不動産屋」
 
 読書日記-1

本屋で何回も立ち読みをしていたが、ついに買ってしまった。
知り尽くしている私が読んでも、面白いのだから素人は是非読むことを勧めます。

こと不動産業界に関しては、一般の素人は非常に用心すべき世界である。
最近よく目にするマンションでAP?とかいうマンションがあるが、
知る人ぞ知る危ない典型の??である。
建設業界やマンション業界すべてを、素人なら危ない世界と認識しておくべきだ。

内装の一枚内側の設備などは、どうなっているか解らない。
会社は何処も火の車、何時潰れたもおかしくないのが内情である。
彼等はどこで手を抜くか、目に見えない配管とかの隠れたところしかない。
その結果は、買って10年~20年経ってから欠陥として出てくるから始末が悪い。

間違いなく10年~15年で五分の一以下に確実になるのに、20~30年ローンで
買わされている。無知そのものが罪だというが、露骨に自分に帰ってくる世界である。
マンションを10年前に買った人のいまの相場を聞いてみればよい。
殆どが5分の1以下である。

ファッションの服やバックは、一年経てば五分の一である。
コストからみると、買った瞬間2分の1である。
本人もそれでよいと納得した買っているので、それはそれでよい。
それと同じ感覚でマンションや住宅を買ってしまうことが問題なのである。

新興のマンションメーカーはファッションマンションとして割り切って
お客の無知を狙っているのだ。それが消費者の意向ならそれでよいと。

酷いといえば酷いが、飛びつく無知も無知である。

以下はホームページから調べた概要である。
                 ー つづく
 ーーーーーーー
 のっけから意表をつくタイトルだが、実際にはない土地を売るなどの
いわゆる地面師みたいな本当に悪い不動産屋なら、捕まって免許剥奪、
不動産屋も解雇である。
従って、この本で扱うのは、あくまで合法の範囲で、どのように不動産屋が
インチキ臭いことをするのかといった話である。

 やはり多いのは、買い換え住み替えにまつわるはなしで、買いを先行して
買い契約をしたはいいが、売りが思うようにいかず、結局、二束三文でしか
現在の住居が売れないため、ローンをささえきれず、両方の家を手放さざるを
得なかったという悲惨な話である。
これは不動産屋が「おたくなら××万で売れますよ」と無責任なことを吹き
込んだことが悪いのだが、もちろん合法的な営業活動の範囲と言えるだろう。

 あとは、やはり、その物件の悪いことは不動産屋は自分から進んで
言わないということだろうか。雨の日は道が冠水するとか、古屋のある土地の
水道管が錆びているとか、ひどいのは、土地の一部が公道になっていたことが
建て替えるときになってわかったというものもある。

 当たり前といえば、当たり前かも知れない。
要は疑ってかかれと言うことだろうか。これらは、チェックすれば買い主が
自分でわかる話なので、悪い不動産屋を語るということは、不動産の本質を
論じることにもなっている。あと、不動産屋の暮らしぶりというのもわかり、
不動産屋になるのも悪くないかななどと思わせ、好著であると思う。

 結局のところ、この作者は、気の弱い客に対してたまに強引に契約を
迫ることがある程度で、本当のワルではない(らしい(笑))。
不動産屋というあこぎな職業に日々良心を痛めながらお客のために仕事に
励むいい人である(かのように描かれている)。
これから不動産をと言う人は読んでも悪くない。
ーーーー
レビュー
Amazon.co.jp
現役の不動産関係者が、不動産業界の裏事情と、悪徳セールスパーソンの
さまざまな手口を明らかにした衝撃の1冊。詐欺まがいの悪質な手口から、
合法ではあるが、買い手がだまされそうな不動産業界の「ジョーシキ」までが、
当事者の声で生々しく紹介されている。
本書によると、不動産業界では、安く不動産を買い取るために、
サクラを使って「こんなに高いの?」と言わせてみたり、他の不動産屋に
頼んで安い価格で声をかけさせてみたり、といったことがまかり通っている
というのだから開いた口がふさがらない。それでいて買い手に対しては、
「一生に一度、二度あるかないかという大きな買い物なのに、不動産屋の
いうことを鵜呑みにして、自分たちはまったく勉強しない『バカさ加減』
を思いしらせてやることも、不動産というものをよく理解するには重要な
ことだと思う」などと言い放つ。
不動産業者のしたたかさが伝わってくるようである。

もちろん、不動産業者の悪質な手口を紹介して終わり、というわけではない。
客に対する警鐘を鳴らした後は、不動産売買の際に知っておきたいさまざまな
基礎知識やアドバイスも提供してくれる。新築と中古物件の違いや、
買い替えの際の注意点、不動産の資産価値の測り方、契約に関する基礎知識、
悪徳業者の見極め方などは、ぜひとも押さえておきたいところだ。
また、契約ごとに印鑑登録を破棄する老人の話をはじめ、適宜興味深い
トピックをはさんでいるので、楽しく読み進めることができるだろう。
人生における最大の買い物を成功させるためにも、ぜひ読んでおきたい。
(土井英司)

大倉辰吾 (2000/12/16)
王様文庫 三笠書房

目次

1章 '不況'時に生き残る不動産屋の手口
2章 不動産屋がつけ込む顧客の'無知'と'無理'
3章 顧客が知らない不動産屋の常識
4章 悪い客たちの危ない綱渡り
5章 '賃貸'で生き抜く街場不動産屋のたくましさ
6章 不動産屋の本音のホンネ


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・・・・・・・

 2003年02月05日(水)
672,嘆きの部屋

・高校同級の土田氏が入院でわずか3週間で亡くなった。
 食道がんで肺に転移もう末期だったという。
 一瞬で地獄の底に突き落とされた恐怖は言語に絶するものだったろう。
 「病院には嘆きの部屋」があるとモッケイクラブを事務所の部屋で開い
 ていた時に、看護学校の末期医療専門の女の先生が来て話してくれた
 ことがあった。

・絶望のその気持ちや混乱を大声で喚くことで静める防音の部屋が
 どこの病院にもあるという。
 もう他人事ではない年齢だ。
 本人しか解らない死の恐怖!
 死を自覚してから死ぬまでの時間、それまで生きてきた全ての人生を圧縮
 した時間が流れるという。
 キュ-プラー・ロスという「死ぬ瞬間」という本を出している死の見取りを
 専門にしてきた人が、その本で究極の死を受け入れの心理過程を書いている。
 確かまずは拒否、怒り、取引ー自分との、受容。

・父が死ぬまでの一年間、しっかりとその時間の中でそのプロセスをみた。
 生への渇望ーその砂漠の真ん中に一人取り残された生への渇きの極限状態だ。
 その時父に「昔の哲学者がー本人にとって死はない!という話をした。
 死んだ瞬間それは自分でないから、生きている限り自分の死は存在しない。
 存在するのは他人の死だけだーエピクロス」と。
 父がその時ホッとした顔で「死について初めて解ったような気がした」
 と答えた対話が鮮明に残っている。
 それまでの父の口癖は「死んでしまえばそれまでよ!」であった。

・死ぬのは仕方がないことである。ただ後悔をして死にたくない!
 いや、後悔したっていいじゃないか、死んでしまえば全て無なのだから。
 生まれる時も独り、死ぬ時も独り。
 生きている時も独りだ。ただ忘れているだけでしかない。
 考えてみれば、生まれる前の状態に戻るだけ。
 誰もが生まれる前の状態と、死んだ後の状態が生きている時でも
 取り囲んでいる。寝ている状態はその際に戻っているのだろう!

 以上、死のおさらいでした!
 
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 
 2002年02月05日(火)
 322、一人旅 ー「北海道」編

 「 北海道一周、九州一周、紀伊半島能登半島
 けっこう経験しているが、世界一周の一人旅の経験はしてない。

人見知りするためか、どちらかというと「一人旅」は苦手だ!
といって振り返ってみると、結構経験をしていた。
若い時の一番人見知りの時期ほど旅をしているのは、若さのエネルギーか?
そのいくつかを書いてみよう。

今回は北海道である。
大学の4年の時である。今でいうと自己逃避か、はやまた気取りか。
いやそうしなくてはならない「自身の何か?」であった。
かっこよく言えば行き詰った自己打開ということだったのか?
といって、それほど無理した旅行でなかった!

殆ど記憶に残ってないが、確か列車の乗り継いで青森へ!
そして連絡船で函館?そして札幌、釧路、根室、知床、網走と汽車を乗り継いだ。
書いていていて、多くのことを思い出してきた!

印象的なことが結構ある。
やはり青春の一番の思い出の一つである。
自分ながらよく行ったものである。
世界への一人旅へ出なかったのが悔やまれる?
いや当時はまだ無理だったのか?

あの時何故日記を書かなかったのか?書いておけばよかった!
何か何処かの山の上によじ登り、尾根を歩いたのを思い出した!
一人に対して何の寂しさとか、不安は何もなかった?
いやあったが忘れてしまったのか?

函館の函館山から見た夜景を鮮明に思い出した。
屈斜路湖摩周湖、層雲峡と・・・・
一応振り返ってみると、やるべき時にやるべき事はやっていたようだ。
30数年たって、この旅行を初めて振り返ってみた。
行方不明のアルバムに写真が残っている筈だが。

青春時代はいつも大きい壁があった。その為フラストレーションが
マグマのように溜まっていた。
それがエネルギーになっていたのだろう。

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・・・・・・・・

2月5日 1969年

11時に「価格理論」の試験であった。
あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。
帰りは、川崎と一緒だった。

帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。
いや、昨日のこともあるか。

産関論の試験勉強をする。
あまり熱が入らない。
しかし途中から集中ができた。
その中でヤマをかけたが、どうなるか分からない。

気持ちは刹那的である。