つれづれに

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 もう、今週も木曜日。 明日が機軸日の金曜日。
ほんの数日前に、シネマに行ったばかりなのに・・・
まあ、良いことなのだろう。 

 昨日、初雪?が降ってきた。 初雪としたら、例年に比べて、
かなり遅い。この降りかたは、積雪になる雪だが、どうなることか。



・・・・・・
2813, ビッグスリーの救済は正しいことか?
2008年12月17日(水)

 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を
始めたというが、 中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。
 そこまで賃金を下げるべきという議会の案に、組合が反対という。
 従業員の数も、全米で GM25万人に対して、トヨタが7万人。
 その結果、利益はGMの一台あたりマイナス11万に対して、
トヨタは6万円の黒字。売り上げ台数が両者、同数。役員の年俸が、
トヨタ1億に対して、GMが何と13億という。
・車種もビッグスリー合計で、15ブランド130種類に対して、
日本の三社合計で7ブランド59種類で、二倍以上。 販売店がビッグ
の14000店に対して、日本三社で4000店で三倍以上。
これをみただけでも、子供でも何が問題か一目瞭然である。
その上に、アメリカ車の工場は、大型車の生産向けに造られていて、
簡単に時流となっている小型車、エコ車への反転攻撃は難しいから、
如何にもならない事態である。しかし、明らかなことは、一度倒産
させて再生のプロセスを踏まない限り赤字を垂れ流すしかない。 
 誰が、こんな会社の車を買うものか!である。といって、倒産
させれば数百万の失業者で溢れかえることも事実。
 日本や欧州の自動車メーカーにとっても、下請けが倒産すれば、
部品の一部が入荷しなくなることもあり、痛し痒しである。
ところで、これは先進国といわれる国家の縮小版でしかないのでは?
 そうすると、この世界恐慌?は、100年、いや500年単位の世界
システムの自然崩壊でもある。中国、ロシア、インドが近代化に本腰を
入れたと同時に、地球が持たなくなったのである。そうこう考えると、
この一連の金融危機は世界を一度、根こそぎ破壊するエネルギーを
持つことになる!
 
・・・・・・・・・
2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!
                  ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。
見たのは最後の10分位だったが、「コムトラックス」というシステム
を紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。

ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、
遠隔での効率的な車両管理やきめ細かなサポートサービスを提供する。
建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集
して自動的に送信するシステム。365日24時間、本社へコムトラックス
から絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、顧客の
誰にとっても「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開
してお互いに有益に使うのがミソである。一種のWeb2.0型企業とも
いえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラー
追い越し、今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。

TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の稼動している
ブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの
情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、機械の自己診断の記録、運転
状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。
それらの記録を販売会社、顧客が交互に使用できるという。運転手の
サボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得を
させられてしまった。顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身
が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、自動的
に発信するマシーンといえる。
これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果
できることである。ただただ、驚いてしまった。せめて人間もブログは
持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、
身近に感じ取れるのは個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。
                  バイバイヽ(*´∀`)ノ
・・・・・・・
2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活  
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ~ ヨウ
        『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、
その元祖といえるソローが再び注目され始められている。1817年生まれの
ソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外のウォールデン湖
のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活
を記したのが、『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。
ソローは、この森の生活の中で、人間が生きるために必要なものは、
「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。
ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は東洋的である。
自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活に
なった反面、混沌として複雑化する世の中にあって、単純化した生活の
あり方を提示している。

森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。
しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、そういう連中ではない!
まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。都会生活につかれ田舎の
生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、
人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったから
であり、死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するように
なりたくなかった。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 
生きるということはそんなにもたいせつなのだから。深く生きて生の精髄を
吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさ
を世の人々に伝えよう。それがつまらないものであったら、それを身を
もって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、
そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」
(上巻172-176頁)
  「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、
『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」(上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。「もし人が、
みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を
生きようとつとめるならば、ふだんは予想もしなかったほどの成功を
収めることができる、ということだ。そのひとは、あるものは捨ててかえり
みなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりと
うち立てられるだろう。・・ 生活を単純にするにしたがって、宇宙の
法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまとも
にぶつかり、それを行きよ。それを避けたり、けなしたりするな。
それは君自身ほど悪くは無い。それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱
に見える。あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも、
君の生活を愛したまえ。賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。
古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。
我われが変わるのである。君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」 
 (下巻276頁)
ーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめる
ことでもあり、人生の探究は、遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」
の世界で「自己」を実現させることにある。彼の「実在」は、現在の生活
そのものの中にある。森での生活は彼の、それまでの日常生活の狭い限界を
乗り越え出て、「自己」を解放させ、楽しみながらの労働によって生計を
立てる営みが、心からの喜びに充たされる生き方であるかどうかの実験であった、
と言えよう。彼にとって「生きること」は、「哲学すること」である。
自分の、一度しかない人生を真剣に考え、その考えに自信を持って従い、
幻想から抜け出し、いかなる現実をも直視し、ありのままに生きることが、
彼自身の人生をより良く生きるあり方であり、森での生活を通して、さらに
確信を得た生き方の方法であった。
  
「ところで、インディアンが、この文章を見たら何と思うだろうか?
日本の地方に住んでいる人でもよい。東洋には、老荘思想があるじゃないか。
二年余りのお遊び?でしかなかったともいえないかい。しかし、これが理想
なのだから、それでよい!都会という束縛する反自然があればこそである。」
みる人、立場、視点で、同じことでも全く違ってくる。しかし、そうわかって
いても彼の言葉は時代を超えて、に突き刺さってくるのはどういうことだろうか? 
次の言葉がよい!
--
 私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全であるということを知っている。
最良の人とでもいっしょにいるとやがてうんざりしてくる。
私はひとりでいるのが好きだ。私は孤独ほど気の合う道ずれを持ったことがない。
たいていは部屋にいるときよりも外の人々の間にいるときのほうが孤独である。
考えごとをしている人間、仕事をしている人間は、どこにいようが孤独である。
一度、畑で草取りをしているとき、ちょっとの間、私の肩に雀がとまったこと
がある。私はそのことによって私のおびることのできるどの勲章・肩書き
よりも素晴らしい名誉を与えられたような気がした。リストはすっかり馴染み
になり、時おり、それが一番近道のときは私の靴の上を踏んで歩いていった。
 ーー
 この本は一読も二読もする必要がある、特に都会の人間関係で疲れている
人ほど!それぞれが自分の行き方をみつけ、自分自身になることこそ必要で
あると、彼が魂を込めて伝えたかったことである。人まねでなく、自分自身
と対話することが、自然の教えであるということを!!
               (*^○^*)ホンジャ、マタ!
ーーーー
2005年12月17日(土)
1719, 熟年離婚
          おはよう!v(=∩_∩=)v
TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。
そのうちの二~三回しか観ていないが、考えさせられる問題であった。
作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
男の立場からみると、渡哲也役の亭主が気の毒すぎるように思えた。
停年の日に家族の前で突然離婚を申し立てるのはドラマとはいえ不自然である。
 しかし、最終回(12月8日放送)の視聴率が21・%と、同ドラマ9回中で
最高を記録、平均視聴率も19・%と、木曜ドラマ枠では過去最高だったという。   
                       ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ…   
テレ朝が調査会社に依頼したアンケートでも、2年後に定年を迎える団塊世代
(1都3県、男女各100人)で「離婚を考えたことがある」と回答した女性は
38%(男性23%)だったとか。 周囲でも熟年離婚の話をよく聞く。 
あと二年すると団塊の世代が定年をむかえ、それまでの離婚待機組(退職金と
年金待ち)が多く控えている。知人で離婚をした人をみると、女性の自立は
困難を極めている。 一人、老後を生き抜くのは並大抵ではない。
                               (--;) (-o-;)
  インターネットで調べてみたら、
 同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、ここ10年で2倍以上に増え、同居期間
30年以上に限ってみると3倍近くになる。この増え方は、離婚全体の増加率の2倍
にもなり、しかも、そのほとんどが妻からの申し立てによるものという。
何か解るような気がする。相手の話をよく聴こうとしない人種があまりにも多い。

 以下はスポニチのネット記事のコピーである。
 ーーー
熟年離婚」共感呼んで20%超
 テレビ朝日のドラマ「熟年離婚」(木曜後9・00)の平均視聴率が、
10日放送の第5話で20・3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を
記録し、番組開始以来初めて20%の大台を超えた。
 
  ・・・・・・・
 2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物

「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。
これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、
その先々で買ってきた小さな置物人形と、その都度社内報と随想日記に
書いてきた旅行記である。 底は浅いが。旅行だけは私として、金と
エネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかと
いえば旅行経験である。そうすると旅行経験と、それにともなう写真と
人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37~8年のスパンの、わずかなライフワークである。
現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、初めてで
最期の手紙を両親に書いていた。転勤で通帳からお金が引き出せないで、
手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、お金の無心をしていた。
母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。
「子供の思う心と親心の差」を、その時おもい知った。両親にとっての
宝物?だったのだ。現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。
何せ一日3時間近くのエネルギーが、この文章に時間を入っている。
1350×3時間=4千時間の圧縮である。それと秘境の旅行先で
買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋
から買ってきた置物だ。会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。
地震で全て壊れても、おそらく惜しくは思わない代物である。
しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。

・・・・・・・・・・
2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画

先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。
といって、半年から一年だろう。自社のホテルの4棟のうち2棟が、
この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に
変っている。2~3年前に「駅前周辺整備計画」説明会があった時に、
むしろ当社にとってプラスであると感じた。丁度設備の老朽化の建て替え
時期になっていることと、分散をしている棟を一ヶ所に集めることができる。
恐らく新潟駅の現在の線路の何処かの代換地になるだろう。
その時は私は引退しているが、10年20年先の事業のデザインを考え
て判断をしなくてはならない。大手ゼネコンの営業部長の話によると
「駅周辺の再開発の買収」は、焼け太りになるのが過去の通例だという。
具体的な内容が出てくるのは着工後の数年後の話だが、少なくとも地価の
下げ止まりになる。そのためか駅周辺の買いの話が多くなってきている。
最近知ったことだが、買収は手付金がミソという。これが確実な買収の
裏付けの内容になるからだ。実際に工事が始まれば、雰囲気が一変をする
ことは間違いはない。そして具体的な話が飛び交うだろう。
その意味で一日でも早く着工をしてもらいたい。新潟も他県同様に景気は
最悪である。今ふうに言えば‘寒ぶー’である。いま新潟で残されている
プロジェクトは、この再開発だけであるといってよい。その駅周辺で事業
をしているだけで恵まれているのだが? いずれにしても面白くなってきた。

・・・・・・・・・
2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、
その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。

・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営
セミナーで聴いた。「藍より青く」を創ったエピソードである。
朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。
「醤油と魚」である。醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。それから
「藍より青」ができた。 その子女、子息の恋愛に対して、困難という山を
次々と置き、それを主役が解決していく過程をドラマとして筋を付けていく。
「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。 
主役とは「問題解決人」だ。水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。
人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。そして一山二山越えていく事だ。 
自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。自作自演の
舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。
どうにもならない運命という奴である。それを神という存在で解決しよう
というのが宗教。いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り
切ってしまえばいい!「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」
と思えば諦めがつく! その時私のおまじないは以前も書いたように
「正中心一点無」だ。問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。
それが出来ないのが人間だが。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月17日 1968年

 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の
寮立ち入りについて相談される。私に対して軽んじている風がありありで
あった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と面と言われた。
生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。
 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。 17時に着く。
押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。22時から
よく2時まで卒論に集中できた