つれづれに

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今日は比較的穏やかな天候で、腰の調子が良い。
寒さは、腰にとって一番のマイナス要素ということか。




・・・・・・
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて -2
2007年11月12日(月)
                     オハヨウ (▼皿▼#) !
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、
次の言葉が解りやすく象徴的である。。
「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」
にすぎない。正義を振り立て、人をリードする職業などではない。
人間のやった後始末をするだけだ。それも人間のいちばん汚い部分の
後始末である。」それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。

ー前回の続きの部分をコピーしてみるー

こうした特捜部の経済事件捜査を何年か続けているうちに、
検事の仕事に対する考えが変わってきた。
着任したところはそれまで扱ってきた事件とはかなり違う部署であった。
切った張ったや衝動殺人のような激情事犯は動機や心情が単純で、どこか
人間臭く、純粋な部分を感じることさえあった。 が、経済事件は違う。
被疑者はすべて計画的。いかに相手を騙すか、いかに自分だけが得をするか、
そのためにいかに相手を裏切るか、というのがパターンだ。
人間のズルさが全面的に発露された犯罪だともいえる。
金が絡んだときの人間の汚い部分である。
最も人間を狂わせるのは金、そういうことなのだろう。

人間社会には、汚い世界がある。必然的にドブを生む。
犯罪者は、そうしたドブのエキスを吸いながら、罪を犯すのである。
検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」
にすぎない。正義を振り立て、人をリードする職業などではない。
人間のやったことの後始末をするだけだ。それも人間のいちばん汚い部分
の後始末である。犯罪者にペナルティを科し、ドブを多少なりとも掃除
するのが検事の仕事。検事や弁護士のバッジを光らせて傲慢な顔で闊歩する
ほどの仕事ではない。いつしか、そう思うようになっていった。
プールのきれいな水でしか泳げないエリートには、ドブの世界がどんな
ものかわからない。しかし、俺は生まれてこのかたドブばかりを泳いできた。
だから、犯罪とはどんなものか、その本質がわかる、という勝手な自負もあった。

*ウキィペディアで彼を検索してみた。 (。-`ω´-)
  ーー
検察時代は、エリート検事の集まる東京地検特捜部に所属して数々の汚職事件
などを担当。その後弁護士へ転身。いわゆるヤメ検弁護士の一人である。
暴力団幹部や仕手筋など、いわゆる裏社会の人間の顧問弁護士を多く務め、
「闇社会の守護神」「闇社会の代理人」などと呼ばれている。
  --
1987年12月 検事退官、弁護士となる。
その後、山口組若頭宅見勝、アイチ森下安道、イトマン元常務伊藤寿永光、
コスモポリタン池田保次などの顧問弁護士を務めた。
許永中とも懇意だった(ただし、許永中の顧問弁護士に就任したことはない)。
2000年3月 石橋産業手形詐欺事件で逮捕される。
2006年1月31日に石橋産業手形詐欺事件で懲役3年の実刑判決を受け、
最高裁判所へ上告。
 ーー
 
 所詮、この男はヤクザ・犯罪集団の悪徳弁護士でしかない。
この生き方から、「人間いかに生きなければならないか?」を学ぶことが出来る。
悪徳は悪徳でしかない。 犯罪者専用の弁護士は彼らと何ら変わらない。
検察の世界でドブさらいをしているうちに、何かが狂ってしまったのである。
裏から見た表社会は、表裏一体としてみると同じく感じるのだろう。
その辺から、狂いが生じたのである。
「一期は夢、ただ狂え!」というが、ヤクザの専用のヤメ検の弁護士は、
何もいっても弁解の余地はないが、
ドブを曝してくれたという面では面白い本である。
                   "o(▼皿▼メそれじゃ、バイバイ!
ーーーーーーー
2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり -5
          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
{「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、
ここでの著者の「私」についての、解釈も面白い。
「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテス
「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。
複数の汝によって、「私」は社会の存在者として表出する。                                                     
 ? 生きているとはどういうことか -?

科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。
しかし自分は肉体であるとは、どういうことなのか。
それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は9割がたの人が疑ってない。
「私」という言葉で、精神、感情、心とかいったことも含めるんでしょうが、
精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私]]は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。
感情だって、同じである。

 「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学の
デカルトである。なんだこれは。考えている「これ」です。
「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。
彼はそこで失敗したのは、それに「私」という名を持ってきてしまったことだ。
そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。
問いとしてあべこべになってしまう。つまり考えている「これ」に「私」
という名前を当てたに過ぎないのであって、「私」というものが予めてあるの
ではない。何かにあてられた一人称代名詞。
これも名前に過ぎないということに気がつきます。
この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。

最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、
これは方向としてあべこべで「私」という何かが何処かに在ると思っている。
たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということなんでしょうが。
それは正しい問い方ではない。「私なんてものは、無いんですから。
無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。

「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。
どうも「私」は物質ではないらしい。非物質。それと「私」は死なない。 
死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか無いかという問いの
間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れているという
誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここに
すべて存在する、ということに必ず気がつきます。「私」が死なない
という意味であって、死後にも生きているということではない。
なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは
誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。

このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。
しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。
何か実体があるような、そういうものが生まれかわりするようなイメージに
なりがちです。実体的イメージ。しかし、すべてが今ここに存在している
のだから、前世来世を問うのはナンセンスです。だからと言ってそういう
ものが無いというものでもない。

とはいっても、「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。    
    ーーー
 
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が
 前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。ー
 ここがポイントではないか?
 「死があると信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが
 少なくとも私は死なないのである。「すべては、今ここに存在する」と、
 「死は無い」とが、 深く結びついているのである。
 「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・
                        
 死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから(*^ワ^*)i  
                       ホンジャ バイバイ
・・・・・・・・・
2005年11月12日(土)
1684, ザ・マインドマップ-2

いままで読んできたブザンの本を開くと、どの本も
「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、
世界が光り輝いているような開放感になる。
絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。
思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で
三次元、多次元の世界への世界を直感させる。

この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく
明確に理解しやすくなる。頭に中にある「!」を、言葉にするための中間
段階としての役割を果たしてくれる。考えていることを、書くことへの
移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。
学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたら
エネルギーは10分の一済んだろうに。

ー要点をまとめてみたー

  マインドマップの目的といえば
1、思考を発展させる新しいコンセプトを知るー放射思考
2、これで人生のあらゆる場面で最大限に利用するために革新的ツールをしる 
                     -マインドマップ
3、思考プロセスの仕組みや発展はコントロールできること、
  創造思考能力は理論的に無限であることを知り、脳の能力を大きく開放する。
4、放射思考を体験して、知的技術や知性の水準を向上させる。
5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。

マインドマップの特徴として、
A,中心イメージを描くことによって、関心の対象を明確にする。
B,中心イメージから主要テーマを枝のように放射状に広げる。
C,枝には関連する重要なイメージや言葉をつなげる。
D,あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で
  加える。枝は、節をつなぐ形で伸ばす。
これに、色、絵、記号、立体化などを加えることで、
 面白さや美しさや個性などが出てくる。

このプロセスで「連想」が出てくる。この連想が多くの無限の力を引き出してくる。
天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。

マインドマップは、言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに
威力を発揮する。言葉とイメージを結びつけることによって、
脳の力を倍増させていく。
                      つづく
^^^^^
以上の文章を
 マインドマップ的に、
  『島』にしてみた。
    ^^^^^(^_^)/

いままで読んできたブザンの本を開くと、
 「絶対肯定の部屋」のドアが開き、
   アルファー波が飛び出てくるような、
    世界が光り輝いているような開放感になる。
     絶対的な可能性が簡単に手に入るような
      気持ちにさせてくれるからだ。
( ̄~ ̄)ξ
思考を直線的一次元から、
  平面的二次元、
   そして放射的な拡大で
     三次元、多次元の世界への世界を直感させる。
(`´)ゞ
この効果として、要点をまとめやすくなり、
それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。頭に中にある
「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。
考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。
ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。
(;´Д`)
多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることが
できなくなる。学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、
この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。
*1wワオッ!!
━─━─━─━─━─━
ー要点をまとめてみた

 ” マインドマップの目的といえば”
1、思考を
  発展させる新しい
   コンセプトを知る
    ー放射思考
   2、これで人生のあらゆる場面で
     最大限に利用するために
       革新的ツールをしる 
          -マインドマップ
     3、思考プロセスの仕組みや
       発展はコントロールできること、
        創造思考能力は理論的に無限であることを知り、
          脳の能力を大きく開放する。
   4、放射思考を体験して、
      知的技術や知性の水準を向上させる。
 5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。

φ(._. )カキカキ
マインドマップの特徴として”

 A,中心イメージを描くことによって、
       関心の対象を明確にする。
 B,中心イメージから
      主要テーマを枝のように
          放射状に広げる。
 C,枝には関連する重要なイメージや
             言葉をつなげる。
 D,あまり重要でないイメージや言葉も、
         より重要なものに付随する形で加える。
            枝は、節をつなぐ形で伸ばす。
これに、
色、
 絵、
  記号、
   立体化
 などを加えることで、
  面白さや美しさや個性などが出てくる。
"φ(・ェ・o)~メモメモ

ー☆⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒☆-

このプロセスで「連想」が出てくる。
  この連想が多くの無限の力を引き出してくる。
     天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。
マインドマップは、
   言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに威力を発揮する。
     言葉とイメージを結びつけることによって、脳の力を倍増させていく。
  (^_^)/~~
           ー つづく
 ・・・・・・・・
 2004年11月12日(金)
1319, スリッパの原則

新聞広告の欄を見ていたら、新刊本で『スリッパの法則』という文字が
目に入ってきた。事務所でスリッパを履き替えさせる会社は要注意という。
以前から、このことは言われていたことだが、本の題名になるのは初めてである。
当社もメンテを考えて、移転する前の事務所からスリッパに履き替えていた。
たまたま一週間前から、来客は土足にしたばかりだった。

数年前に若い銀行マンがはじめて来て、何か万引きを見つけたような顔をしていた
のが印象的であった。その時、真剣に土足にしようか考えたが・・・。
早速、本屋で立ち読みをしてきたが、買うほどの本ではない。
そこでインターネットのパソコンで検索をした内容とは。

ー2、600億円を運用したとかで「カリスマ・ファンドマネージャー
と呼ばれた著者が、延べ3、000社を超える企業を訪問し、調査をした過程で、
良い会社かどうかの以下の一定の法則性を帯びていることに気づいた。

「人の話を聞かない社長のいる会社」
「社長室の豪華さとその会社の成長性は反比例する」
「スリッパに履きかえる会社に投資しても儲からない」
「極端に美人の受付嬢がいる会社には問題がある」
「相談役のいる会社は成長性が少ない」
「ラジオ体操を強要している」
などを上げていた。
これでほぼ全てを言い尽くしているだけで、後はなんの内容もない。
そういえば、むかし仕入れで関西や広島の問屋やメーカーをまわっていた時、
玄関で靴を履き替える問屋・メーカーは旧態以前で、社員の平均年齢も高かった。

当たらすとも遠からず、ということだ。

・・・・・・
2003年11月12日(水)
952, 「殴られ屋」ー読書日記

http://www.rosetta.jp/hareruya/back.html
サロンのコーナーに貼り付けてある。

 世の中には、想像を絶した生き方があるものだ。「殴られ屋」の存在は
ホームレス作家」を読んだ時に、そのレフリーのアルバイトをした内容
が詳細に書いてあったので知っていた。 その本を図書館で偶然見つけた
 
 しかし借りてきて暫くの間は、手に取ることができなかった。
気の毒で正視できない思いが先立ったからだ。
しかし、読んでみてサッパリした体育会系の生の必死さが伝わってきて
好感の持てる内容であった。
 
 人間死んだ気になれば、何でもできるものである。
そして、その凄みが周囲の人に感動を与えていく様は素晴らしい。
それはものごとから逃げないという信念が直に伝わってくるからである。

 ヤクザにショバ代を要求された時、殴られることで支払おうとした。
それを親分が見にきて「馬鹿野郎、殴られて商売をする奴から金を取れるか!」
と子分を叱ったというのが、よい。

 お客は素人と思っていたが、プロの挌闘家が多いという。
まさに命がけである。

 本は買う必要が無いが、是非ホームページを見てください。
破産せずに、毎日、殴られ屋をやって「借金の全額返済」を目指している
姿を、いまの政治家や役人に是非見てほしいと思う。
いや自分のことか!ほんと。 今の時代これがジョークでなくなるから恐ろしい。

・・・・・・・・・・
『殴られ屋』 晴留屋明著、古川書房

■借金1億5千万の男

殴られ屋をご存知だろうか?奴はいつも歌舞伎町に立っている。
ボクシング・グローブ、ぼろぼろのヘッドギア、スウェットの上下という
出で立ちで、夜になると商売を始める。
「さあ、だれか私を殴ってください!」
殴られ屋は一分間千円で、客に好きなだけ殴らせる。
蹴りや投げなどは無く、拳による攻撃だけだ。しかし、殴られるだけでは
たまったもんじゃないからパンチを避けるわけだが、これが見事なまでに
当たらない。たまに一二発当たってもクリーンヒットはほとんど無い
(もちろん反撃はしない)。
モハメド・アリのようにヒラヒラと攻撃をかわすさまは、自らが
『世界一のディフェンス技術』とうそぶく程だか、あながち嘘とも言いがたい。
その男の名は晴留屋明という。
彼は借金1億5千万を返すために、今日も歌舞伎町に立ち続ける。

■いい人なんだなぁ~
■あと3日で止めろ。さもなきゃ死ぬぞ!

以下は字数の関係でカット(11月11日)

・・・・・・・・
578, 読書について
- 2002年11月12日(火)

 以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、
瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。
小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。
「一冊の本からその真髄を一つを掴め!多くのものを得ようとするな!」
そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は
知識の宝庫に変わる。立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。

 勿論(^^ゞしいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当に
モノにしてきただろうかというと疑問だ。
「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」
「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」
とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。
読書の一番の要諦はこれしかないのに。

 多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは?
また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは?
このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んで
いるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、作家や記者などの
物書きの凄さが解ってきた。

 文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。
本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。
そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、
人間の脳の中枢を刺激されるからだ。

*1:´ω`