つれづれに

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 あと2ヶ月で、満70歳になる。下に6年前に64歳の感慨が書いてあった。
あれから6年も経つ。まさか、70歳まで生きられるとは思いもよらなかった。
20歳代までは、40歳過ぎが、せいぜいだろうと思っていたし、40歳代では、
還暦辺りが寿命と思っていた。そして、古希を過ぎて、70歳。
 数年前に、近くの知人で、70歳を過ぎて亡くなった人がいたが、
70歳直前辺りから、すれ違うたびに、弱っていくのが見て取れた。
その辺りに私も到達したことになるが、まあ、これだけは仕方がない。
できることは、日々好日で生きるしかない。
 
 知的欲求も衰えてないし、酒もツマミも旨いし、食事も旺盛だから、
当面は大丈夫?だろう! 



・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
2009年11月10日(火)

産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、
それほどでもない感覚でもある。20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、
90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。そこで自分が産まれた時点から、
逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。
私の祖父が、この頃は10歳位になる。それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
黒田清隆大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変
   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、
ソ連の崩壊、9・11テロ、そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。
そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。また、時代とともに家電機器や
パソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が劇的に我われの
生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的
に変っている。三倍の200年の時代を経験してきたようだ。特に、この20年の
変化は劇的であった。とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争
5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。世界でも第一次、
第二次世界大戦世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。
 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、
日本がダウンサイズし、中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、
ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。64年間、十分に世界を
見てきた満足感はある。長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り
越えてきた80歳後半の人は、本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 
彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、時間の長さ・短さを実感
しているだろう。これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった!

・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 -3
2008年11月10日(月)

「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  --その仮説から考えると--
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と
世界恐慌・研究の米国人経済学者がインタビューに答えていた。経済危機としては
歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態である。 
その最大の被害者は最大の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、
サウジアラビア。次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。
アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。
 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、
実際はあまりにも大きな壁があり、早期回復など有得ない。そうこう考えると、
この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、それが世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、
むしろ有益である。今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、
倒産ラッシュは避けられない。 食品が二倍に値上がり(いやもっとか?)、
消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。
生活レベルが現在の半分以下とみればよい。それでも40年~50年前の生活に
戻るだけである。それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的
ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。企業には成長対策、競争
対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来に。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。
更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの
未来像が見えてない。そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、
アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。その中で日本は、どのブロック
に入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、
「驚くべき声明」になる可能性もある。各国が同時に非常事態を宣言する可能性
とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 
日本でも、世界でも、大地震津波やサイクロンが発生するし、異常気象が発生。 
この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。
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 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。
成るほど、書いていて基点が明確であるので、どんどん言葉が出てくるし、
掘り下げて考えやすい。              つづく
・・・・・・・・・
2007年11月10日(土)
2412, 暴対法について
      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~
また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。
こうなったら、「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべき。
暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、
この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 
またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。
開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に緊張感に
包まれている。地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度は
ニアミスを起こしそうになる。「ホテルは警察が常に出入りをしている場所」
ということを彼らは知っているので、無理難題は言ってこない。 
脇を固めていれば、付け込まれることはない。 実感として暴対法以来、
弱体化していることは確かである。数年前に内輪もめのイザコザで組長と
幹部が逮捕されたが、以前のような勢いはない。マフィア化したのかもしれない。
その記事によると
・暴対法の実施から、構成員の半分が準構成員になってしまった。
警察の目から隠してしまい、マフィア化が進んでいった。
 昨年末で構成員4万1千に対して準構成員が4万3千と準構成員の数が上回った。
 シノギも不景気で厳しくなり、ファジーのパート化?分社化していった。
・警察も暴力団との癒着を恐れ、接触を避けるようになり、
暴力団も組織の情報統制を図り、対決姿勢を露わにしだした。
・中小の暴力団は弱体化が進み、地回りなどの収入が激減、多くが消滅していった。
 反面、山口組が、その中で過半数を占める寡占化が進んだ。

以前は、構成員は普通のスナックではあまり見かけなかったが、最近は
得体の知れない怪しげな風体の男を彼方此方で見かけるようになった、
そのため繁華街には以前のように気楽に歩けなくなってきた。
素人(チンピラ)のアマチュア化、プロ(ヤクザ)のセミプロ化ということ。
堂々と犯罪組織が看板を上げているのは世界広しといえども日本だけという
のは、如何いうことだろう?    ヾ(・д・。)バイバイ
・・・・・・・・・
2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり -3
      オッ(*^○^*)ハ~
                   ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある
娯楽の中で一番面白いと・・ 如何にわかってないかをわかること、無知の
知の自覚こそ哲学の原点という。そして「きちっと考えれば悩まなくなる」と
いうが、そのとおりである。由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
 ーーー
「あたりまえなことばかり」 
ー 考えるとはどういうことか ー

 ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、
しかしわからないことをわかろうと考え始めて、如何にわからないかということ
をはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテス無知の知という自覚は、
哲学の原点です。考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、
考えるということはそこから始まるのです。 この「考える」ということは、
世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことが
ないからです。考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先が
あるからです。もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩
まなくなります。考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、
その開放感とか自由感は凄いものなのです。なぜなら、非常に大きなところ
から自分を見る視点を獲得するからです。 相対的な視点が獲得できると、
我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、また宇宙大の視点
から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、
あれこれ悩んだり喧嘩したりすることから開放されるのです。死体が残って、
死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
 これを上手く語る言葉がない。また魂を語るといって、これは死後を
語るということではないのです。死後とは、これこれであると言ってしまえば、
それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものでは
ないらしい。自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。
万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。そうすると再び、
今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることに
よって、その不思議さを自覚することによって、自由になることにあると
思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱい
こだわって、 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、
それから一つ一つ自由になっていく。また本来すべての我われが自由で
あったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。
謎を自覚することは、自由である他になりません。 だからこそ人は、
じっくり考える必要がある。考えて、自覚すること、自分が自分である
ことの謎を自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は
尽きていると考えます。
 ーー
 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。
「人間の最上の快楽は考えることである」というのは、少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。
最果ての地で直感した開放感と自由感は、その離れたところからの大きい
視点を得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。
それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。哲学も、
秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を大きく切り開いてくれる。
我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことが
できる。自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いの
プリズムを照らし合わせて輝かしい人生にすることが、哲学をすることに
求められるのではなかろうか。
 
・・・・・・・
2005年11月10日(木)
1682, 「ひとを嫌うということ」-1  
                    -読書日記
学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。
また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、かなりきつい虐めにあった。
学生時代の寮やクラブの先輩や、勤めているときに合わない先輩との確執も
多々あった。人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、怨み
憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。
ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」憎しみではなく、
普段どこでもあるような嫌いについてであるが。ひとを好きになることに
ついては多くの本があるが、その反対の「嫌う」という問題を、真正面に
捉えている非常に面白い本である。ひとを好きになれ、しかし嫌いになるな
というのは、食べてもいいが決して排泄するなといっていると同じで、無理。
著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、
ある日を境に、人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子
から、ウィーンで大喧嘩をして・・ そして徹底して嫌われるようになった。
 冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。
ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を
浴びせつづけていた。その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。 
そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。いや、死んでからもなお嫌っている。 
息子が、また私をはっきり嫌っている。 これは一体何なのだ!
私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。
つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」本書で私が
つかんだことは、それは「嫌い」という感情は自然であること、
そして理不尽であること、しかもこの理不尽こそが人生であり、
それを誤魔化してはならないということです。
 -
この本の初めから終わりまで、このような文章が延々と続く。
自分の心を代弁し、そして深く納得する。だから面白くて面白くて一人不気味
な笑いを浮かべながら、中島義道の世界に引き込まれてしまう自分をみてしまう。
嫌うということは、食欲や性欲のようなもの。 その自然の欲求を、社会に
生きているということで割り切ってコントロールすればよいと切って捨てている。
自他に対する嫌いをヒリヒリするほど感じることも時に必要であると。
私事になるが、私もこのことをジックリ考えたことが多々ある。それも
20歳頃から。そして割り切ってしまった。「嫌われることも、嫌うことも
避けて通れないなら気にしないことだ。受けとめかたとして、好き嫌いを
二の次にする。 他人の思惑も大事だが、自分の受けとめ方のほうがもっと大事。
人は何時も自分がどう思われているか気にしている、それはそれでよい!
そんな感情など情念のひとつでしかない」と。あと27歳の時、自分で事業を
立ち上げた時も、割り切る機会になった。「一神教」のキリスト教ユダヤ教
の信者は、内面に共通の価値観がある。しかし、多神教の日本人は如何しても
周りの顔色をみるしかない。自分のなかに絶対という信念を持てないからである。
だから、嫌われることが恐ろしくなる。人間関係に悩み傷ついている人は、
この本を読めば大きく癒されるはずだ。この男を見ろ、憎悪を持つ前に、
嫌いを訓練すればよいと納得するだろう。そういえば、歳を重ねるほど憎悪
など持たなくなる。気持ちの処し方が出来てしまったのだろう。 
憎悪する前に、気持ちの中で抹殺してしまうから?

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2004年11月10日(水)
1317, ベスト・エッセイ集-1

’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。
何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本。
この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。
何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。
(字数制限のためカット 09年11月10日)
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2003年11月10日(月)
950、「泣いて笑ってハッケヨイ」

 昨日より大相撲が始まった。そういえば先日、再放送であったが、
NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」が良かった。
今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。 中学を出た
ばかりの子供が、わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。もし自分の
子供であったら、涙が止まらないだろう。気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で
克服していく姿が生々しく映し出されていた。大きな志と小さな自信をもって
相撲に取り組んでいく姿がそこにあった。「体に痛さを慣れさせないと恐怖心に
勝つことが出来ない」という兄弟子の言葉が印象的であった。そして稽古で
痛さを体に憶えさせて行く場面は、人生の根底の要点であった。まずは自分の
恐怖心を乗り越えなくてはならない。 勝つことによって、だんだん意欲が
出てくる姿が初々しくてよい。いま大相撲が面白くなくなってきたが、こうして
一人一人が自分の人生を背負って闘っている姿をみると、じっくりと見直して
みる必要がある。今場所は、横綱武蔵丸が引退かどうかが一番の注目されている。
実際は無理だろうが、相撲の世界はわけの解らないところがあるからどうなる
ことか? -過去に書いた大相撲の随想日記をコピーします。
 ・・・・・・・  
 相撲を考える
 2003年9月22日
 ー字数の関係でカット(2007年11月10日)
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 2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲
 -字数の関係でカット
 ・・・・・・
 2002年09月22日(日)
527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸

 まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。
もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、
彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。
 (字数制限のためカット 09年11月10日)
 ・・・・・・・・・
 576, ある時間の断面ー10
 2002年11月10日(日)

 ー1968年 9月27日
 7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。
受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。石川をチョット無視をする。 
たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。 その後ゼミに
出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調。石川が今日は絶好調だ。
彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。
 ー1968年 9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。
しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめをしていると、石川がくる。
12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと
川崎がくる。石川と深井と川崎と松村の家に車で行くが、凄い家だ。山の手の
家に入るのは初めてだ。(いや鳩山御殿に、ある会合で映画でいうその他の
エキストラで行ったことがあった)その後松村の家を出て、石川と深井と3人で
[[赤と黒」というスナックへ行く。それぞれの性格について話あう。 
23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。夜半の2時に隣の部屋に先輩の
川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。