つれづれに

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 さて、今朝も小雨でポタリングはなし、まだまだ不順な天候は続きそう。
  よくぞ、この平坦な日々に飽きないものと我ながら感心する。
 欧州は難民問題で大変だろう。日本にも、その割り当てが強いられる
 日も遠くはないのだろう。

 そろそろ、二段目の中国か、欧州か、日本発の株式の暴落が起きそうだ。
 9月18日? と、今朝の週刊誌にあったが。
 


・・・・・・
2712, 大相撲が面白い!
2008年09月07日(日)

若貴あたりから、違う面で大相撲が面白くなってきている。
マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際のブラック
ジョーク的な展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足を
カバーするため、いち早く外国人に開放をした。しかし国技とかいうが、
法的に全く根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人
と同じような扱いを受けている。相撲部屋は、ヤクザの世界に酷似、
縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムの
ように独立し、それが集まって大相撲協会をつくっている。 
だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、
個々の選手の薬物まで責任はないのと同じである。 
そんなことは、どうでもよいが。

今回の土俵外の物語は、ロシアの三人の麻薬事件である。
一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。
それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。
朝青龍かたなしである。
今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。
今回は、もう無理だろう?しかし・・ 昨日のニュースでは、期待をして
いたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが天皇家
への尻尾振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。
しかし、幾ら程度が低い彼らも、世界的にも注目を浴びているので、
腰が引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!
「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」位の質問をすればよい。
もし、「もちろん、します!」と答えたら、帰国をして数ヶ月以内に
行方不明になるだろう。
 
大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、
東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。 相撲協会は、
あまりに、軽く甘い。 私が敵対国の政治家なら、対日の攻撃対象にする。 
自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士
を徹底的に怪我をさせるようにもって行く。それかモンゴルのように、
三役力士を自国の力士で占有する。 その意味で、外国人に開放をしたと
同時に、旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲の
ルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに限定すべきだったろう。
それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 
国技とかいう名を返上、払うべき税金は払い、横綱審議会など解散することだ。 
天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして一般席に座るべきだ。
  こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。
    あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。

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 2007年09月07日(金)
2348.ベナレス・・・4

この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。
そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、痛烈な批判なのかもしれない。
朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。
そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の
言葉を聞き、その後に繰り返し唱える。集まってくる人びとの中には、
たくさんの子供たちの姿もあった。かつてスワループさんがそうであったように、
聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、また次の時代へと伝えられて行く
ことを感じさせる光景であった。街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。
こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。

スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、
祈りをささげに行くことがあるという。多くの場合、その交通手段はボートである。
数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、
この街をどう見ているのだろうか。ここで両親を茶毘に付し、また二年前から
現世での生活を捨てるという視点からこの街を見つめ続けてきた彼は、
ベナレスの街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。
「私にとって、この街は特別なところです。この街はすべてが本物なのです。
私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。この街で暮らす
人びとは、とても生き生きと活力に満ちて生きています。それがベナレスの力
だと思うのです。みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、
私は日暮れ時のべナレスがいちばん好きです。太陽が街の中心に沈んで、
この街にエネルギーが注がれる気がするのです」

「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、
この街に太陽が沈む光景は、確かに陽の力が街に与えられるような荘厳
なものであった。人生の最期を家族と過ごす館「ムクティ・バワン」に
通い出してから二十日が経っていた。その間四人の人が亡くなられ、
希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。
------
解)ベナレスも当たり前のことかも知れないが、やはり現地のあの雰囲気
を実際のところ味わってみないと、その意味は理解できないだろう。
それだけの迫力と、深さを感じ取ることはできる。あれだけ、あの地で
死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖は逆に消滅してしまうだろう。
その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える

・・・・・・・
2006年09月07日(木)
1983, 閑話小題
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

ーウォーキングの道でー
先日の土曜日の9時過ぎに土手でウォーキングをしていると、
小学校の運動場で運動会が開かれようとしていた。開会式のようで、
マイクの声が聞こえてきた。ところが中学生の声で、「何々中学応援団
団長何某!」その後に、小学生の女の子の声で「何々小学校応援団長何某!」
と、宣誓の最後に締めくくった。今どき、中学校と小学校の合同の運動会か?と、
思いつつ通り過ぎながら見ると小学生しかいない。
中学校の応援団が、運動会の高学年の応援指導をしていたのである。

学生服を着て、頭に長い鉢巻をした10人ぐらいの中学生が大声で、高学年の
生徒の前で応援の手ふりをしていた。何とも微笑ましいが、生徒のほうは
ピリピリしているのが伝わってきた。 運動会全体がしまっていたようだ。
 小さな集団に小1のグループがあった。幼稚園の集団と間違ってしまう
ほど、幼さが残っていた。

紀子様、男子出産の意味ー
「朝生TV]のテーマではないが、紀子妃の男児出産で、次の次の
天皇継承問題が更に複雑になってきた。過去の女系天皇の場合、結婚をしてない
女性が天皇になっていた。 直径の血を薄めないためだろう。しかし、この時代
まさか結婚をしない訳にはいかない。天皇制を緩める意味で、女系天皇
その子供の天皇継承を認めるのもよい。しかし紀子妃の男子出産で、
次の次の天皇は紀子妃の男児に継承される可能性が大になった。

そうすると、次の天皇を皇太子が辞退ということもあり得る。
雅子様もそれでノイローゼが軽くなるだろうが、その判断は皇太子本人の意思?になる。
こういう直後に、意外と雅子妃の懐妊があるもの。どうなるか、時間が経たないと解らないが・・・
雅子妃もホッとしているのは、間違いないだろう・・・

関敬六という喜劇俳優が亡くなったー
関敬六といえば、TVが出始めの頃から脱線トリオの一員として、
由利徹、八波むとし、南利明等とトリオを組んで茶の間を笑いに包んでいた。
また谷幹一渥美清と三人のコントを今でも思い出す。何とも人間味溢れた役者。
新聞に、その彼の訃報が出ていた。男はつらいよにも、端役としてテキヤ仲間
としてでいていた。これで渥美清も含めて、全て亡くなったことになる。
 一つの時代の終わりを告げているのだろう。

             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!        
・・・・・・・   
2005年09月07日(水)
1618, 楽しく生きるー3

「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を
追い求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、 いう意味で言っている
のではない。目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。
何ごともバランスである。 前回書いた「楽しく生きる」精神科医
高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。

ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、
動きは止まる。すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、
この繰り返しが生命活動である。その生命の欲求サイクルが始るところが
心の奥底の透明な「意識」である。ただ私がそこに「いる」だけの場所である。
欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。「欲求」は、生まれると
すぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した
「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。意識は動かない
「静」で、欲求は動きまわる「動」である。

楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを
忘れないように。いつも変わらない「静」があるからこそ、「動」を楽しむ
ことができる。「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を
楽しませてくれる。楽しく生きる。今、人生を楽しむ。純粋の遊びこそが、
遊びの真髄である。

ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、
単純である。このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が
身につけている「思い込み」である。この「思い込み」が、本来の欲求不満を
自分から隠してしまうのである。「思い込み」という間違った解釈を自分で
与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。この自分の思い込みを
解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」
についての思い込みであるからだ。この思い込み、特にネガティブなイメージ
の取り除いて本来の自分に出会うことが、「もう1人の自分に出会う」
ことである。あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。
人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
 ー以上が、この本の概要である。

<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、思い込みに気がつき、真の
「自分探し」の人を多く見かける。そのタイプを要約すると、ー親と世間の
常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。
このままでは、死ぬに死に切れない。そのために捨て身で世界の果てに来て、
自分の心の渇望を埋めようとしている。もう少し早く気がつけばよかった。
余白はあまりにも短い! 等々である。「楽しく生きる」も、深い心の底
からの欲求の充足でこそ意味がある。その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものを
いっているのではない。 魂が入っていれば、それでもよいか?

・・・・・・・
2004年09月07日(火)
1253, 死について再び考える

過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて
死について考えてみる。毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと
仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とはさほど
変わりはしないのではないか。 死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、
灰に帰す。骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。

人生とは何なのだろうか?ー意味  その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成     何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか? 
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か? 精一杯生きたのだろうか?
答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に多く隠されている。

ー生死の格言ー
・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。  
                      byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。    byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 
                      by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、
 良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。byレオナルド・ダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。        byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 
           なのに、なんてこった。  byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。  
                        by映画『無防備都市
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。        by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。    by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん by蜀山人            
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。     byトルストイ
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役減刑である。byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。byホッファー
(字数の関係でカット08年09月07日)

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2003年09月07日(日)
886, 「ありがとうの言葉」ー8

 昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。8500回であった。
今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。1万回は2時間以上ふるに言い続けて
初めて可能になる。言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。
7000~8000回が、その入り口であった。
回りが全く遮断され「ありがとう』の言葉に一体化してしまう。

 カウントを間違わないように指先に集中するのがポイントだ。
そうしないと、すぐに何かを考えてしまうからだ。右指を十単位、左指を百単位
で折ってカウントをする。カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。
今の私には指折りが最適のようだ。慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。
散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、今は時間で計っている。
散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。この随想日記を読んで
一番初めに反応してきた、ある社長は一日平均6000回言っているという。
また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊買って
周囲に配っているという。 ありがたいことだ。反対に一週間の約束で貸して、
2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。「ありがたい」と思えば約束を
守っているはずなのに。読んでないのか、馬鹿なのか。
「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。

「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。
気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。それと、人に対して寛容になった
ようだ?? ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。否定語は相変わらず
使っているが、すぐに「ありがとう」という言葉で消してしまうのが良い。

・・・・・・・
2002年09月07日(土)
512,パンプローナ牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前のこの祭り
の最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者が出た。今日の
番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年放映される中でも特に迫力
があった。 初めから最後まで手に汗を握る内容であった。この祭りは
ヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍知られるようになった。

この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう街の
道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。
19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中からその祭りに加わった。
ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋からファイナル
ギャザリングと牛追いが見れる。
 4年前の「北スペインの旅」-より抜粋ーの内容をコピーしておきます。
  ーーーーー
 ・・・その中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、
町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。

我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。その夜の闘牛も
その為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。これこそ正しくスペインと思われた。
深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる感動的場面。
市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、ロウソクをかざしながら
歌い踊るのだ。彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。

民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が歌っている。
キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的な祭り騒ぎなのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。この場面に
出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。一生の心の財産になった。