つれづれに

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 今日のYoutube

この一年ぐらい、夕暮れ時に小鳥がきて、
ペットのインコに鳴きかける。 何か、一羽だけでなく、
その時々で、鳥が入れ替わる。 現在、どんな鳥かと
写真をみたら、スズメだった。 最近は、私がインコに
取って代って、口笛で返事をしている。
まあ、閑ということだ!

今日の昼からは湯沢で中学校の≪古希の同級会≫がある。
友人の車に同乗させてもらって行くが、開会が17時。
60数名が集まるというが・・・ これが、中学校の大きな会は
終わりだろう。 


・・・・・・
2641, 今年前半の総括
2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
ー海外では
アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安
・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡
・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明

ー国内では
・岩手・宮城大地震
秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落
・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪の状況
特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような
最悪の事件だった。これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った
心の奥の一端を見せ付けらてしまった。

ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、
 自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。
 (連れ合いも全て亡くなった)
 これで親戚関係の付き合いが大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が
 劇的に良くなった。iPodを購入し、常に携帯するように
 なったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み
 二人強引にピンクに引き込まれそうになって警察まで行った騒動。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。

ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の
 決算は好調。今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。

後半も大きな波乱要素が多くある。山より大きな猪はいない、というから、
  その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。

・・・・・・・・
2007年06月27日(水)
2276, 天才論 -1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]-読書日記

「天才論」
ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、
 成る程と思う箇所が多くあった。

この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、
モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だったとも言われてきた。
ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から
生まれた婚外子ということも含めて、自分のアイデンティティに深い懐疑を
抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスを
ダ・ヴィンチも持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしている
ように思えた」というところが印象的である。

「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)
を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろうか?モーツアルトが、
あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、
ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。
ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として
残されたものに書かれてある「機械」についても疑問点をあげている。
その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。

レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に
「具体的な何か」を、ハッキリと思い浮かべてしまうようだ。

アインシュタインモーツアルトニーチェなど天才と言われるひとたちには、
トップダウン」の働きが強いが、レオナルドは「ボトムアップ
トップダウン」の両方の要素を持っていたと著者は指摘。
彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを
語る上で重要な部分とみている。それはキャンバス(背景図)に描かれた
部分に秘密が含まれており、それを読み解くことを見る人に問いかけて
いると指摘している。

ー天才についての著者は以下のように指摘している。
「この章の冒頭で、天才はみんな、潜在的に万能である、と書きました。
それはどういうことかというと、人間や世界の根本への深い理解は、
あらゆる分野の卓越した業績につながり得る、ということです。
多方面に天才的な能力を発揮した人物というのは、現実には見当たりませんが、
天才はだれでも、どの方面にでも能力を示すことのできる素地をもっている、
と言えるのではないでしょうか。」と。

また、他の箇所でも「大事なことは総合的な知性を蓄わえた上で、
ある特定の分野に集中することです。そうでなければいろいろなものに手を
だしたあげく、結局はどの業績も一流ではなかったという、器用貧乏に
終わってしまうでしょう」と指摘。またレオナルドを通して「生きていること」
に言及しながら、著者は「・・・生きていることは、そもそも根本的に恐ろしい
ことです。生命は、ほかの生命の犠牲なしに生きていくことはできません。
・・中略  いわゆる生きものだけではありません。宇宙空間でも、同じような
ことが起こっています。・・中略・・つまり、われわれの生は、星が死んだことで
はじめて、可能になったわけです。それは、なんと壮大な「die and let live」
でしょう。・・(死ぬ、そして生きさせよ)
天才は、このような「die and let live」の連鎖のなかで、人類が生き延びる
ために編み出したさまざまな技術が、ひとりの人間のなかに高い水準で実現
した生命現象です。レオナルドとは、そのような人だったのではないでしょうか。」 
と、述べている。          
 ーーー
 深い穴を掘るのに、周辺を広く掘らなければならない!ということを 
著者は言いたいのだろう。それは天才論という分野だけではない。
人生に基礎教養が必要!ということと同じである。 
                        -つづく           
                            
・・・・・・・・・
2006年06月27日(火)
1911, スペイン画家・堀越千秋-3
         (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~ ヨウ
「スペインうやむや日記」-2     ー 読書日記
 ースペイン人の特質ー

この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界
に引き込まてしまう。同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・
堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。
28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に
慣れた者のことなのである」といっているが、海外の流浪者の哀感がそのまま
伝わってくる言葉である。流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みが
そのまま迫ってくる。
ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー
・行方不明者はタチマチ『死んだ』か、『刑務所入り』にされてしまうような国。
 何でも断定と、言い張ることは、スペインの特技。
・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがまま
 であり、傍若無人であり、支離滅裂であり、没論理的であり、没個性的であり、
 保守的であり、ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』
・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。
ーー
 だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。
下手な作家より、どうしてこうも画家の方が描写が上手いのだろう。
やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。     
             つづく (⌒▽⌒)/"”バイバイ!
・・・・・・・
2005年06月27日(月)
1546, 人生の最後に後悔すること

アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、
最も後悔していることは何ですか?」の答えは、「もっと、いろんなことに
チャレンジすれば良かった・・」ということだという。おそらく今後
未来永劫?同じ答えになるだろう。
一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、
人生が私たち問いかけている問題である。この人生の問いかけを、人生の
全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。
中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。
何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか? 知識がなかった、
現状に満足しきっていた、余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、
等々、いろいろあるだろうが。

豊かなアメリカの90代の人々が「もっと多くのことをチャレンジすれば
良かった」という切実な後悔は、何を意味しているしているのか?
 旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。
それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。 
ということは、「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジ
してみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、
 広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、
・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る
経験と知識。しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは
無かったはずだ。精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられ
ないからだ。それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことに
チャレンジしておけばよかった!」 この半年間、人生の直線コーナー
に入る前である、もっと深く問い詰めてみよう!

父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分に
とって単なる数字の羅列でしかない!」と言ったことを思い出す。 
中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。
人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。
そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、
老いている状態である。今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。

90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳の人でも同じ
問いかけが必要である。周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。
見えてないのだ。それも足元にあるのに。

・・・・・・・・
2004年06月27日(日)
1181, カント ー 哲学についてー11
 カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家と
みなされている。ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。
因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、身体がゆがんで胸が小さく、
生まれついての喘息もちだった。脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも
死にそうな子供であったのだそうです。毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を
迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」と半ばあきらめつつ、
年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。
そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。
「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。
それは医者として見ただけでわかる。しかし、それは身体だけのことだ。
身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。心までも
“ せむし ”みたいにゆがんで、息苦しくてゼイゼイしているのならともかく、
あなたの言うことも心もしっかりしている。身体のことで辛い、苦しい、
といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで何にもならない。
それよりも、心のしっかりしていることに感謝しなくては。死なずにいるのは
そのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、身体の方も次第に
軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないよう
だったらお前は本当に不幸なんだよ。」
カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。
人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・・。
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。
終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。毎日きまった
時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。
気に入った人と時間を過ごすことを好み、昼飯はかならず人を招待をしていた。
講義のすばらしさも、今も伝説になっている。

中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、彼以降は高名な
哲学者が大学教授になるのが珍しくなくなった。 彼は*経験論と合理論の
統一*をして観念論をうちたてた。それは、一言で言えば人間に知りうることと
知りえないことを明らかにすること、言い換えれば「経験」つまり「認識」
の成り立つ条件を原理的に究明することによって、認識能力の範囲と限界を
明らかにしようとすることである。

ー難しいようだが、人間の持っている五感の機能の範囲でしか世界のことを
理解できない。盲人に自然の美しさは理解できない。舌のない人にあの美味しい
料理の味を味あうことはできない。反面、5感では感知できない他の世界が
あるはず。カントはデカルトスピノザの合理主義にも、ロックやバークリや
ヒュームの経験主義を超えていた。
・合理論を唱えた人々は「あらゆる認識の基礎ははじめから意識の中にある」
 と考えた。理性を重視し、認識の源泉は理性にあるとする。 つまり理性
 だけを信頼し、経験を軽視していた。
・それに対して、経験を通して確実な知識を手に入れようとした経験主義者
 たちは、感覚によって認識できるものしか存在しないと考え、経験を超えた
 ものは何も存在しないと唱えたのである。カントは経験論、合理論ともに
 否定している。哲学史上、カントはこの2つの思想を批判統合し、
 さらに啓蒙思想を加え、批判哲学を確立したと位置付けられている。
 カントの思想が批判哲学といわれるのは、理性そのものを批判、吟味する
 立場をとっためだ。 
 近代思想として生まれながら、
合理論も経験論も、人間の認識の対象(自然)は人間から独立して存在すると
考えたのに対し、カントは、「普遍的な真理は、人間が外のものを正しく受け
止めるところに成り立つのではなく、人間が自ら持つ形式によって自発的に
つくりあげたものについての判断なのである。そしてこの能力を、人間は経験
によって獲得したのではなく、先天的に備えている」と論じた。
これは、天動説を否定して地動説を主張したコペルニクスにちなんで、
コペルニクス的転換」と呼ばれる。しかし、自然科学的な認識として人間が
知りうるのはあくまでも現象界における経験の範囲内での自然の因果関係に
限られる。つまり、経験を超えたもの、物自体を認識することはできないのである。

ー「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」これはカントの墓碑銘にも刻まれた
カント哲学を象徴する『実践理性批判』の結びの言葉である。カントはニュートン
の自然科学にも大きな影響を受けており、彼の哲学の目的は科学と道徳の
絶対確実性を見出すことにあった。
・「我が上なる星空」とは、自然法則を象徴し、
・「我が内なる道徳法則」とは、人間の意志の自由と自律の上に築かれるべき 
人生の法則を 意味している。カントは生涯をかけて自然界の法則の理論的基礎
を築くとともに、人間一人ひとりの心の法則を追い求めた。

・・・・・・
2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 -6

 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の
場所がわからない。たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、
そっちに行くから案内をしてくれるという。ところがなかなか現地のその場所が
わからない。普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」というのが当たり前
なのに、30分近くも一緒にさがしてくれた。人品のよい、かなりの人という
のは勘でわかったが、こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。最後にお礼を
言おうとしたが、逃げるように帰って行った。その時ハッとしたのが、
「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。さがしている間に
何回も何回も「ありがとうございます」といっていたのだ。
「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。
先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが
伝わったのだ。もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。
「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として自分が一番足り
なかったのが、「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。
私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。
まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、数千回いっても足りない位だ。
そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちを
どれ位持てるかどうかで決まってくるのが歴然としている。何か修身みたいな
話だが、やはり歳をとった為なのか?「やれる親切は可能な限りする」という
のが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り果てた時にあってみて、
親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。

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2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3
(2008年6月28日字数制限の為カット)

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2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更

昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた
内容が自動的に消される。これは写真も貼れる。そうなると写真日記
ダブルという問題もでてくる。お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。
まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。
昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、このホームページの変更の
打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。