つれづれに

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 今日のYoutube

 何もなかったように「株価」が上がっている。
いつ、どこで、何があるのかの不安定の中で、である。

 以下の文章は8年前の読書感想文だが、なかなか高尚??な内容である。
8年の時を経て、現在の「いま、ここ、」で、この問題を捉えなおしている私が、
現に存在している。

 こうして、過去の同月同日の自分の書いた文章を読んでいると、
奇妙な感覚になる。その時々に、何気なく書いた文章に、その時の
己が、未知の得体の知れない「何か」が、そこにいる感覚である。
あの時、これを書いていたのは誰だろう? という疑問。


・・・・・・
2274, 現在とは何か?
2007年06月25日(月)

       (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ
「現在」とは何だろうか? 
歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。
その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。
ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、
目の前に現れるから不思議である。 決して哲学的に難しい理屈ではない。
何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。

文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、
-ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏(一橋大学名誉教授)
の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。
難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。
ーその内容の一部を抜粋してみるー
 
 ーー
ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている
出来事の流れだと思っていた。その出来事が確固とした流れをなしており、
その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。
しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまった

インベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。
一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。
 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。
 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、そのときの「今」という意識は
 生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。
 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては
 結婚以後が現在になる。・・・
 かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。
 しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後ということになる。
 破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。
二、次に、持続する現在がある。
 私たちの意識の下層は過去を残している。
 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。
 ひとたび創りだされたものが生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。
 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。
三、一回限りの現在がある。
 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。
 子供はたしかに成長する過程にあるが、完結した全的人間でもある。
 戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、
 孤独なものには援助の手が現在になる。
 一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。
四、最後に決断の領域がある。
 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。
 
 要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として対するのであり、
 時間も客観的に流れていくのではなく、自分が捉えることによってはじめて
 生きてくるということが解ったのです。
 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、
 自分の目で歴史を見るということであり、そのためには自分の内面に対応する
 歴史を発見しなければならないのである。
 
 私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。
 古代、中世、近代という時代区分が確立しているとされ、
 それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかったのである。
 
 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、
 それらを意識していた人々の暮らしと思想を見出さなければならないのだと、
 思い知ったのである。
 私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから始めたのである。
 当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。
 私もその議論の中にいた。しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから
 出発しようとしていた。
 
 私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、その地域の歴史を起こしていくことを
 考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。
ーー

ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。
・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、
・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、
・現在は、一回限りであり(一期一会)、
・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、
 はじめて生きてくる。
 
 現在は、自分の主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として
 考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、ということである。
 
「現在」という問題も、
結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。
般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。

          (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ
・・・・・・・・
2006年06月25日(日)
1909, スペイン画家・堀越千秋-1
   ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス!

以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。
世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを
紹介する番組である。強烈な個性的人物が、日本人のアイディンテティーを守りながら、
活躍している姿を放送していた。

    その中で選ばれた人を、日本のスタジオに呼び寄せて紹介する特集があった。
    その中でも特に、堀越千秋さんが印象的であった。
    題名は「フラメンコの心を描く ~スペイン 堀越千秋~」
  furaヽ(∀`●ヽ)!(ノ●´∀)ノmennko。 ゚+.ヽ(●´∀`●)ノ。+.゚ イェイ♪

そこで彼が1枚の絵を描きあがるプロセスを数日にわたって撮影した場面があった。
大きなキャンパスに茶色の背景を塗りたくり、数時間もジッと見ているだけ、
そしておもむろに描きたしていく。自分の潜在意識から滲みだしてくる抽象画である。
キャンパスに全身全霊を叩きつけて、スペインの情熱を自分を通して放射させるのだ。
       フラメンコ!! ━i(9 ̄ー ̄)9━━━!!
      *・゚゚・*:.。..。.:*・゚(゚∀゚)゚ ・*:.。. .。.:*・゚゚・*!!!!!
  以下は、その番組の紹介文をNHKのHPからコピーしたもの。
  ーー
スペインのロマ族(ジプシー、スペイン語でヒターノ)に
「我が兄弟」と呼ばれる日本人がいる。
堀越千秋(ほりこしちあき)さん、56歳。(現在は58歳)

    28年間スペインに住み、画家として、フラメンコの歌い手として
    ヒターノが生んだフラメンコの心を表現し続けている。
    ヒターノは長い迫害の歴史の中、極限まで高まった喜怒哀楽の感情を
    フラメンコの歌で表現し、辛い暮らしや時代を生き抜いてきた。

堀越さんはスペインに渡ってまもなく、有名なヒターノの歌い手を生んだ
アグヘータ一家の人々と出会った。
今でもアンダルシアに住む彼らのもとをたびたび訪れ、
ヒターノのフラメンコを肌で感じ、共にフラメンコを歌っている。

    日本人でありながら本物のヒターノのフラメンコを歌う堀越さんは
    スペイン人の注目を集め、テレビ出演や公演などを行っている。
    さらに堀越さんはフラメンコの心を歌だけではなく絵画という
    独自の方法で表現している。

自らのうちに高まる感情をキャンバス上に表現する堀越さん流のフラメンコは、
スペイン国内だけではなく海外でも高い評価を受けている。
本場スペインでフラメンコの心を歌と絵で伝える日本人、堀越千秋さん。
番組では堀越さんの新作制作の日々に密着した。

♪ └|∵|┐♪└|∵|┘♪┌|∵|┘♪o(>▽▽<)o†。+゜*。+゜
†(´∀`)†゜+。*゜+。† ☆+:;;;;;:+☆ヾ(*´∀`*)ノ☆+:;;;;;:+☆

   ーー
   以上だが、その堀越千秋の本を図書館で見つけた。
   次回から内容を紹介するが、それが面白い!
    
    悪くいえば、同年代にいた知的ヒッピー。
    良くいえば、型が全く違うグローバルの芸術家?である。
   彼を目の前にしたら、ただ(′O`)ため息であろう。
   
   村上ファンド?、まあ、クソして寝ろ!
   福井?がどうした!小沢某が何じゃらかんじゃら?、アッチに行け!
   読んでいると、そう思ってしまうのが、彼の世界である。
   経験のバックと人間の厚みが違う。
 
 自ら頻便だというが、それが如何した!と言っている。
 私など、頻便になる前のコントロールで必死!クソ!である。
 
    彼が良いということではない?
    自在、 自然(じねん)が良いのだ。
  ☆^▽^☆ (∩゜∀`∩)キャ━━ッ!!  (●*>凵<p喜q)*゜・。Σd(´∀`)イ
    私が三回行って見たスペインは、観光の世界でしかない。
    往くたびに見えてきたスペインは、あくまでお客様用の陰陽の陽の世界。
    彼を通して「スペインの光の背後の深い土色の陰の世界」を垣間みたようだ。
                     i( ・_・)y-~ アディオス!
---
以前彼のことを書いた、内容をコピーしておきます。

2005/04/01
1459, 遠くにありて日本人 -2

この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。
スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。
大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、
あとは数日間、その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。
そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。

そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。
元々頭には、何の構想もないという。
その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。
自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。
ただただ、驚いてしまった。

それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。

その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。
ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。

 ・・・・・・
2005年06月25日(土)
1544, 私の酒中日記-10  金沢ー6
          ー1972年3月某日

武蔵店の店次長と最近飲むようになった。
店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているのだろう。
これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。
何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、目の前に店の女子がいる。
丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。

ところで、店次長の今日の話が面白い。金沢でよく言われている裏話があるという。
その地区でしか聞けない面白い話しである。

能登と福井の女は止めておけ、嫁を貰うなら富山がよい。
自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。
富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。
一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、能登だけは止めておけ。
自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」
その同僚女子は金沢周辺の出身で問題はなかったが。

そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。
神社のあるところは、湧き水が特に良いからだという。
人間も米も水しだいというが、こと結婚相手の女性は湧き水の綺麗なところがよい。

今日は居酒屋から、スナックに行く。
以前から飲みに誘われていた女性だったので、これでよかった。
二年先輩の彼女だが、サッパリしていて好きなタイプだ。
去年の暮れに二日間、金沢の郊外で一緒に売り出しのダイレクトメール配りを
したことがあった。下手なデートよりズット面白かったが。
彼氏のいる女性は安心して遊べるし、複数なら問題はない。
三人で、かなり盛り上がった。

ところで、先日会社の私的な集まりがあった。
40人位の若手の男社員が集められていた。
西友ストアの資本提携に対する反対総会のようであった。
西武系の東大出の嫌味な人事部長と、慶応出のキザな総務課長が乗り込んできたが、
あまりも見下すような気持ちが露出していた。
その爆発なのだろうが、明らかに社長が裏で動いているのが解った。
その直後、西武から来ていた10人ぐらいの社員が一せいに引き上げた。
重大な局面にあるようだ。

会社は弱者の立場に多ってはならないケースとして、
しっかり見ておかなくては!

・・・・・・・・・
2004年06月25日(金)
1179, 哲学についてー10
ー現在の哲学

現在の哲学はどうなっているのだろう。
現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。
この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、
無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく根源的生命力のことをいう。
構造主義とは
[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」
(無意識)を探求する]と、いうことである。解りやすく大雑把にいえば
「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」

その構造主義を唱えたのはソシュールである。
彼は、人間は言語を持つことによって人間になった、「人間は言葉だ」と主張。
構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。

このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。
情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。
情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする
社会といってよい。
その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。
哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に
重要になってきている。自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで
主張することの重要性をあらためて確認した。

「哲学について考える」を書いてきた効用か、いままでとは何か違った目で
「哲学」の本を読めるようになった。 この程度でだ。

ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。
何冊か書いてみると
「哲学のカフェ」 ノーラ・K
ソフィーの世界ヨースタイン・ゴルデル 
「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太
「哲学がわかった!」鷲田小弥太
「哲学のコテン101物語」木田元
「新哲学入門」三木清
ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ
ユング」コリー・ウイルソン
などなど、30~40冊以上はあるが、それを理解しているかといえば
話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30~40とした。

哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。
難しいことをシンプルに、シンプルのことを深く、深いことを面白くである。
哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。

ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。
今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」とかの概念をテーマにして書くつもりである。
次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。

・・・・・・・・・・
2003年06月25日(水)
812, 変な人が書いた成功法則  ー 読書日記

昨日、新潟駅のセゾンの本屋で本を眺めていると、ふと見たことのある人がいる。
コンサルトをお願いをしている林さんだ。
先日、産能大学で臨時講師という珍しい経験をさせてもらった人だ。
まさかと思って声をかけたら、やはり林さんである。
これからある会社にコンサルトにいくという。「面白い本がある!」と彼がいう。
ピンときたので、この本でしょうとその本のところに案内をすると、やはりそう。
先日「大丈夫」というテーマで書いた本だった。
買うには、少し俗っぽい本で、10回に分けて立ち読みで済ますつもりであった。
しかしこれも因縁と買うことにした。

「長者番付日本一」といううたい文句が嫌で買わなかったが、それが買ってみると面白い。
自腹を切るとやはり違う、元を取ってやろうと思う為だ。
元気が出る名言が次々書いてあるのだ。中村天風の小型バンという内容だが、
この不景気に面白い。
ー楽しい生き方を真似をすると、お金と健康と幸せが雪崩のようにやってくる!
というのが、一貫して流れている。
・「しあわせだな~」を口癖に
・言葉が変わると行動も変わってくる
 何事も千回言葉に出していうと『千回の法則』で心が見違えるほどきれいになる
 口に出せば幸せはあとからついてくる
・外見だけでも人生が変わってくる
・モテる超簡単な口癖
・抵抗力が強いほど幸せになれる

・・・・・・・・・・・・
「変な人が書いた成功法則 」 講談社
 斎藤 一人 (著)
ー内容ー
 中学卒業後、裸一貫から「日本一の大金持ち」になった著者が説く、
人生を明るく楽しく生きてリッチになる「究極の成功法」!
「仕事がカンタンでなぜ悪い? 楽をするから成功する」
「口に出せば幸せはあとからついてくる」「外見だけで人生は変わる」
「ダメ人間のほうが成功する」など、著者が語る「新常識」の数々には、
幸せになる「宇宙の法則」がいっぱい。「人生に困ったことは起こらない」
と神様が決めているから、誰だって笑いながら大成功する!
内容(「MARC」データベースより)
日本一の大金持ちが極めた努力しない成功法。成功の秘訣は楽しくて仕方が
ない生き方。「千回の法則」「バランスの法則」「加速の法則」「七八点の法則」
にしたがえば、幸せは向こうから雪崩のようにやってくる!

・・・・・・・
2002年06月25日(火)
448,吉村作治ー考古学について -1

昨日、彼の講演があったので聞いてきた。
エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、
一言一言が非常に興味をもてた。

講演内容を時系列にそのまま書いてみる
・考古学は人間学である 
 骨董屋とは違う
・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる
・自分だけの史料を見つけることができる
歴史学は批判学であるー歴史上言い伝えられていることは真っ当な事はない
 非難とは違うーそれを検証する事である
・考古学はない史料を探すこと  図書館の片隅の史料を探す事も発掘という
・一回の発掘のクルーはー60日*20人・現地人100~150人・
 2000万の費用ーが目安  今までない史料探し、それを今までの史料と検証する

生き様ーこれは造語
死に様の対語としての造語

全部の人が死ぬ、「生まれ変わり」というのはギャグである。
エジプト人は生きるにあたっての大事なことを発明していた。
ーいろいろな概念をつくっていた
「あの世は何か」という概念をびしっと明確に決め文字に残していた。

・あの世とはこの世ではないーその前提としてこの世を知っている
 死を知るということは前提として生を知っていなくてはならない
・神の住んでいるところ
・西の空に太陽が沈んで、東の空から出てくる向こうをあの世と規定した
・あの世の風景が書いてあるがーこの世と同じ風景でしかない
 想像は人間のイメージの範囲しかできないのは当然だ
 火星人のイメージは人間と同じ頭があって、直立で・・・
                     ー 続くー
・・・・・・・・
2001年06月25日(月)
[63] 秘境ツアーコーナー故障中

3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。
ホームページ面白いがメンテとランニング大変!
好きだからやってるが、そうでなくては無理。
                    ーつづく