つれづれに

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 どうも、天気が良くないので花見も、いい加減になる。
近くの桜は、もう散りかけているが、週末は悠久山の花見。
 それにしても、一日一日が早く過ぎ去る。


・・・・・・
2203, 自殺について -2
2007年04月15日(日)

  (~Q~;)  おはよう~~

  経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。。
 日本人のような生真面目な性格も世界で1~2位の自殺率に要因なっている。
 それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
  フィンランドデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)
 が人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。
 そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
    
     ー自殺率の世界分布地図を見るとー
    ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
    ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなど
     ユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
    ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
    *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、
     現在は断然世界一となっている。
     また、米国、英国、カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、
     及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。

 ー日本の自殺率の高さと推移についてー
 
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。
  過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、責任を取る、
  といった倫理規範として自殺がとらえられていて、
  これは他のアジア諸国キューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、
  1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や
  1960年所得倍増計画に代表される経済成長目標の国民的普及により、自殺率は、
  15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増
  (前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行山一証券と立て続けの
  大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増し、
  自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。
  このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、一気に3万1千人台へと
  急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。
  そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。

  --
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。
  激変の中、生きていくことは大変である。
 「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。
  死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
  
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人

 昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7?も増加して
 3万4427人と報じていた。
 
   ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45?、経済苦が25?
 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70?、女子が30?
鬱病が30~70?。他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万~2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ

20万都市で週に一人が、日本全体で毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。
大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。
何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。しかし自殺をしようとする人の大部分が
「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を
過ごしていたら、自分でも死にたくなるだろう。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人
の立場からみれば、その苦しみをから解放される唯一の方法かもしれない。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人
(後の亭主)のアルベルトとの自殺の議論があった。
ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで
耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や
卑怯者するのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない
時に仕方なくとるものと主張した。一方、アルベルトは自殺に対して徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない弱さから引き起こされる」と考えていた。

この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。
生きることも、生きるだけの理由もある。自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない! いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。
地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

・・・・・・・・
2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 -9 才八∋ウ_〆(∀`●)

     グーグルについて書いてきたが、
     先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
     簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。
     先ずは、その記事のコピーである。
              ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
--
産経新聞 2006年4月13日[木]
=サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =

インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。
パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と呼べるウィンドウズで台頭した
マイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用
できるようになったことから、米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。
パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で
無料ソフトを開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。
ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。
谷口正晃、大柳聡庸)

     偶然にも十二日、東京都内でマイクロソフトとグーグルの新製品発表が重なった。
     マイクロソフトは、テレビやDVDなど娯楽機能を強化したOS
     「ウィンドウズXP・メディアセンター・エディション」を搭載した
     パソコンの新製品と映像と音楽配信サービスの拡充を発表。
     OSに依存しないデジタル家電との競争激化の中、
     ジョー・ベルフィオーレ副社長は「パソコンは娯楽の道具として進化する」
     と述べ、優位性を強調した。

 一方のグーグルは、企業が社内ネットワークに蓄積する文書や書類を検索する機器
「グーグル・ミニ」をアピール。
企業内検索はソフト大手が参加する成長市場だが、グーグル企業部門の
デイブ・ギロウド副社長は「マイクロソフト、IBM、オラクルがライバル。
しかし、わが社は検索技術が専門だ」と強い自信を示した。
              ^ー^@)qq(・▽・*)お肩をたたきましょ♪ か?
              それとも、(´_` )qq(・ω・ ) 指圧しましょう !
    ≪新たな本流≫
     業界ではマイクロソフトを代表格とするOSベースの時代を
     「Web(ウェブ)1・0」、ウェブベースの時代を「Web2・0」
     と分け始めており、投資家も2・0を「新たな本流」と熱い視線を注ぐ。
     独自理論に基づく検索サービスと組み合わせた連動広告で収入源を確保し、
     簡易ホームページ、地図サービスといったソフトをウェブ上で無料提供する
     グーグルは「最も2・0的な企業」といわれる。

これまで、IT業界の「老舗」である創業三十年のマイクロソフトの牙城を
崩した企業はないが、創業八年のグーグルが、その最先端を走っているのは間違いない。
                       ー終わり
ーー
以上であるが、流れからいって、明らかにWeb1・0」のマイクロソフトの時代は、
過去のものになりつつある!重点が既にグーグルの時代に移動してしまった。
オープンソース化にマイクロソフトは対応できるのだろうか?
ちなみに、現在の株価の総額はマイクロソフトが30兆円、グーグルは10兆円である。
                   。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ~
・・・・・・・
2005年04月15日(金)
1473, 指桑罵槐(しそうばかい)

ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、
教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。

中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、
尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると
問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題ではない。

15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく
文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千~3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。
まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。

現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。
すでに17回も陳謝させているのに。

以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
ーーーー
指桑罵槐 ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー

桑は、蚕の食べる桑の木のこと。
槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。
本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、という意味だといいます。
「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。

中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、この「桑を指さして槐を罵る」
というやり方をするという。
ある相手を攻撃しているように見せているけれど、実は別のところにいる人を
批判していることになっているというのです。
中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らして
みるのがよいらしい。

中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことが
あるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」
と、逆に日本の検査手法を非難してきた。
指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、
と見るべきなのだろう。
「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」とか、
「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。

・・・・・・・・・
2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。

西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。
西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。

歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。
堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループをここまで率いた力は
大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他は留まるというから、
カタチだけなのだろう。

・・・・・・・・・・
2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 -2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。
しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。
戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化
世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。

 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円
ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。
世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!
それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。

 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ
温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。
それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。
こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと、
先日このコナーでかいた。昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、
宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。
凄い時代である。

http://www.ichinoyu.co.jp/
以前書いたのをコピーしておきます。
 
 ーーーーー
デフレと対策 ー1  2002年10月01日

 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの
業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。

 落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

 先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

 先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで
迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

 何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

 客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)

・・・・・・・・・
2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。
誰かに聞かせたい言葉でもある。

ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。
ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。

まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。
英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。

その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。
ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」

それから公園で英会話の特訓が始まった
そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。
以上である。

この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。

実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。
赤裸々の対話の積み重ねである。 それもぎりぎりの。

いつでも立上げはそうであった。
みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。
しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。

真っ白から始められるからだ。