つれづれに

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 昨日の午後、天気が良かったので信濃川の土手に、
今年初めてのポタリング(自転車散歩)に行ってきた。
まだ土手は数日前の残雪があって自転車では無理。
そこで、長岡大橋から信濃川川西のSCアピタの前の
道路を通って、大手大橋を引きチャリをして、帰ってきた。
いい運動だったが、まだ少しポタリングには早いようだ。 

 昨日、TVで何気なく観た『横道世之介』という邦画を
見入ってしまった。昼の0時から15時30分までの
長い映画だったが、一度見入ったら止められない。
内容は平々凡々だが、間抜けしたところか面白い!
刑事ものとか、ドンパチものの、間に、こういうのノンビリも
のもありか!ただ、後には何も残らないのも確か。
まあ、暇ということ。
https://www.youtube.com/watch?v=f4zlcLZThNw

 



・・・・・・
2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)

 最近、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの一神教に対して
疑問を持ち始めた矢先に図書館で、この本を見つけた。 
この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰している。
   それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。 
早く言えば民族戦争なのである。ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
 --
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、
迫害され差別された人々の宗教のために恨みと復讐心がこもっている。
 被害者は、その被害をより弱い 者に移譲しようとすることで
被害者の劣等感、屈辱感を補 償しようする。
 他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する
過程で形成された「民族」としてユダヤ人となり、ユダヤ教自体も、
その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、
 純粋な一神教へと形成されていった。
ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教として
エスキリスト教をつくった。そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、
下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力で
キリスト教を押し 付けられて、心の奥底で「不幸」を感じた。
そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、
 自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を
巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動
だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ
攻撃と迫害などをしていった。そこで造られたのがアメリカという国。
つまりアメリカは被差別の最終駅になる。だから潜在意識の中で
人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。

・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を
果たしたのは、強烈な被害者意識があったからだという。
 それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、
 そのために黒人からアフリカから差別されて追われたことと、
 ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、
 唯一絶対神という天皇制を発明した。
 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、
外に戦争を仕掛けるようになった。

人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。
これがル・サンチマンである。
--
知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。
そして未来の不安と恐怖というマイナスの気持ちを解消するため、
そして民族を統一するために、アブラハムはヤフーという唯一絶対神
を創ったのである。これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。
そして現在もである。

・・・・・・

2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か 
         才八∋ウ_〆(∀`●)          
     「ファンタジーの魔法空間」ー 読書日記
        著者・井辻朱美 岩波書店
    
 著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて
現代に近づいていく。そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて
「現実へのなだらかな再接続が準備されている」という。 
博物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された時間である。

また、テーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって、
短い死と再生を体験するように仕組んである。
そういう空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、
ファンタジー作品を支えているのはそういった空間なのではないか、
という切り口である。それに気づいた時、著者はファンタジー
「場所」や「空間」という隠れたコードから読み直すと、より面白いという。

 この書ではファンタジーを、
・「家」という空間のファンタジーと、
・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
・「魔法」のファンタジーの3つの織りなす物語と説明している。

ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。
それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
そこで、われわれの精神をつなぎとめ、温め、力を与えるのである。
そこには厳しい父親がいて、優しい母親がいて、温かい食事を皆でとること、
そこが「いい場所」なのである。

いい場所に神棚を置くのではなく、いい場所だからこそ、
神棚を置くのである。民族にとっては、その聖地が「いい場所」になる。
これも然り、そこが、いい場所だから聖地にするのである。
村にとって、鎮守様の祭ってある広場でおこなわれる盆踊りが
「いい場所」になる。家の「いい場所」の台所は、一家団欒のための
煮炊きの釜戸のあるところ。そこは家という母性的な庇護空間の中で
もとりわけ母と結びつく。

もう一つの、「いい場所」とは、屋根裏部屋(今では子供部屋)である。
とりわけ自分の部屋の押入れの中とか、押入れの天井の空間があれば、
そこが子供の隠れ場になる。 そこで最も静かな孤独への上昇をこころみる。
母親から見れば、そこに引きこもって誰もそこにはいれようとしない
変な空間だが、本人にとってそここそが聖地なのである。
そこで独り高みから、世の中を見下すことができる唯一の場所である。
しかし、独り閉じ篭っていたその場所も、ある事件を契機に出ざるを
得なくなる。ある事情で、ある日あっさりと何でもない空間になってしまう。

これは、誰でも経験する通過儀礼である。
「いい場所」は誰でも持たなければならないのだ。
しかし、それは年代ごとに変わっていくものでもある。
変われなくなったのが、引きこもりになる。
この冒頭に博物館に触れたが、そこは人類の屋根裏部屋でもある。
我われの中に刻まれた古い記憶の痕跡として懐かしい場所にある。
そこは屋根裏部屋にある、先祖の写真だったり、
家の宝と同じようなものである。
   
最近、図書館から4冊のファンタジー関連の本を借りてきたが、
ただ単に異空間や、魔法の話ではない。自分の心の屋根裏部屋
の中の秘密の箱を開け、違う世界へ誘う魂への扉である。
色いろの人生経験をしてきたからこそ味わえるファンタジーも、また良い。
数年前からWOWOWでファンタジーの映画やレンタルDVDを多く観ていた。
ハリー・ポッター」や「指輪物語」「ナルニア物語」など・・・
秘境ツアーでケニアパタゴニアで遊びに行くことも、
ファンタジーの世界を旅するようなものである。
そこが私にとって、もう一つの「いい場所」である。            
            
・・・・・・・
2006年03月16日(木)
1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい -1
       (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○            
                   ー読書日記
図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、すばらしい本である。
早速、中古だがアマゾンで発注をした。特に、「モーニング・ページ」
の技法がよい。自分の心のブロックなどを徹底的に見つめて,
気がつかなかった心の奥から知恵を引き出す合理的な手法である。
   
人生は自分の馬鹿の壁を一生かかって乗り越えていく
道筋であることを、この本が教えてくれる。
夢日記』と同じくらい深い示唆がある。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒー
ーまずは、訳者のこの本の紹介文であるー
  ジュリア・キャメロン著 菅 靖彦訳 サンマーク出版 

人は誰でも、自分の中にアーティストの子どもを住まわせている。
その子どもを大切に養い育てれば、創造的な生き生きとした人生を
送ることができる。どうすれば自分の中のアーティスト・チャイルド
を育てることができるのだろう。その疑問にきわめて具体的な
プランをもって答えてくれるのが本書

『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(原題『the artist’s way』)
著者のジュリア・キヤメロンは十五年以上も前から創造性のワーク
ショップを手がけており、本書はそのワークショップの豊富な体験を
元に書き起こされている。
彼女自身、映画の脚本や監督を手がけ、『ワシントン・ポスト
ニューヨーク・タイムズ』『ローリング・ストーン』などに、
   いろいろな論説を載せているアーティストだ。

本書が最初に出版されたのは一九九二年のことだが、
ほぼ十年近くたった現在でも、ベストセラーの上位に名を
連ねるほどの人気ぶりをしめしている。自己啓発書としては、
この十年でおそらくもっともよく売れている本の一つだろう。
なぜそれほどの人気の高さを維持しているかというと、
本書に掲載されているプログラムを実践した多くの人々が、
その効果を公に認めているからである。
世界最大のインターネット書店「アマゾン・コム」のサイトにも、
本書によって創造的な自分に目覚めたというメールが多数寄せられている。
日本でもよく知られている映画監督のマーティン・スコセッシは、
本書が自らの創造怯に触れるための貴重なツールであることを保証している。
しかし、本書で取り上げられている「創造性」が、「芸術家」だけがもてる
特別な資質ではないことを断っておきたい。
自由を保障された一人ひとりの人間が、個性的に自分らしく生きて
いくために欠かせない資質として、著者は「創造性」を位置づけている。
自分をいかんなく発揮して生きるための必須の要素と、
創造性をみなしているのだ。
そのような意味で、本書はより充実した人生を送りたいと思っている
すべての人に向けて書かれたものだといっていい。
本書はきわめて実用性の高い本である。
全体が十二週間の創造性開発のプログラムに分けられており、
読者が最初に紹介されている基本ツールを用いて、
自分一人でプログラムをこなしていける体裁になっている。
実際にどのように進めていけばいいかに関しては、本文に書いてあるので、
参考にしていただきたい。
何人かでスタディー・グループを組み、
いっしょにプログラムを進めていく方法もある。

本書の翻訳は、長い時間をかけて探求してきたことを再確認する
貴重な機会になった。と同時に、自分の中で漠然としていたものの
多くが、本書を通して、より明確になったような気がする。

とりたてて創造性というものを考えたことがない方でも、
本書のプログラムを実践してみれば、生き生きとした自分を取り戻す
きっかけになることを発見するだろう。
自分をもっと発揮して生きたいと思っている方は、
それぞれの生活の場で、ぜひ本書を実践的に活用してみてもらいたい。
                       菅 靖彦
                 -  つづく
  ε(´',_c')зβyё
ーーーーー
2005年03月16日(水)  1443, 孤独について-4

「孤独であるためのレッスン」
NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。

過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。
この本はより掘り下げた`孤独であるためのレッスン'が主テーマである。
今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋である。

「孤独力」には、
・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。
・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの
出来る能力。深さの次元が、ここでは問題になる。
 この「孤独力」が、楽しく生きるための大きな要素になる。

孤独はすばらしい。
孤独こそが人が人として生きる王道だと、孤独を賞賛し、
そして孤独を全うするには、「自分を超えた地点から自分をながめる
もうひとつの目を意識してその目を通じて自分をながめることが
できること」という。{年二回の海外旅行は、その目を養うために
行っている}といってもよい。

また、「人は孤独なときだけ、精神の深みへ降りていける。
そして、本来の自己を探し当てることができる」と。さらに、
「本来の自己を探し当てた人だけが、真に他者との出会いができる」と。
(逆に言うと、真の自己を見つけ出していない人は真の出会いができない、
ということ)子狐を嫌うのは真の自己の何かも知らない輩だからだ。

だから、「寂しいからといって、ただ単に人と群れていたら、
真の自分は見つけられない。無理に人に合わせていたら、自分を
見失ってしまう。群れない自由な孤独人たれ」と。
「ひとりだと感じているあなた。 人の中にはいりこめないと
思っているあなた。わずらわしい人間関係から、逃れたいけど、
できないと思っているあなた。孤独になることを恐れないで。 
ひとりになって、本当に自分のやりたいことは何か見つけ
出して・・」と。この本が語りかけてくる。

 この中の<孤独であるための8つの条件>がよい。
1:「分かり合えない人とは、分かり合えないままでいい」
  と認める勇気を持て。
2:人間関係についての「歪んだ思い込み」やこだわりに気づけ。
3:自分の人生で「本当に大切な何か」を見つけよ。
4:「自分はまもなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
5:「たった一つの人生という作品」をどう作るか、
  絶えず空想しながら生きよ。
6:ソーシャルスキルを身につけよ。 他人の話を聴き、他人を認めよ。
7:「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守っていてくれている。」
  そう思える人を見つめよ。
8:自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守る眼差し」
  を自分の中に育め。

人との距離感を適度に保つため、むやみやたらと人に近づかない
ように、相手との距離を保つためと考えた方が良いが。

P-172の文章が孤独について、わかりやすい要約になっている。

ー私はこれまで、こう述べてきました。孤独を恐れるな。
孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの
真実なのだから、孤独であることを自ら積極的に引き受けよ。
 
人はみな、ひとりで生きていく。この真実を深く引き受けた
ものだけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を聴きながら、
生きていくことが出来る。自己との対話を絶えず積み重ねることで
しか手に入れることのできない精神の厚みを増すことができる。

つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、
自己と出会うことができる。また、そのようにして、
自分自身と出会い、自分の声を聴くことのできる
孤独の人間同士だけが、深く出会うことができる。

お互いのつながりや共通点を確認し、他者を排除する
ことで自分の寂しさ不安を打ち消すような表面的なつながり、
もたれあいでなく、お互いの違いを前提とし、どうしようもない
解りあえなさを認め合う中で、それでも少しでもわかり合い、
響きあうような深い心と心の交流を持つことができる。
つまり、孤独な人間同士だけが、心の深いレベルで対話をし、
交わり、出会うことができる。

孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。
孤独を癒すことができる、ただ、一つの道。
それは、孤独から抜け出すことでなく、より深く、より深く、
その孤独を深めていくことだ。
 
もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、
その関係の中で、お互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、お互いがますます深くますます深くひとりになり、
自分自身になりきることができるような人間関係しか、ありえないであろう。
 ーーー
この詩は孤独を恐れている心を励ましてくれる。

【詩】ゲシュタルトの祈り

わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。
私はあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたは私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはあなた。 わたしはわたし。

もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。
もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。

フレデリック・パールズ作 (ゲシュタルト療法の創始者
 
・・・・・・・・・・・
2004年03月16日(火)
1077, 三分間

スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージの
やり取り三分、スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、
相撲も土俵に上がって立合いまで三分である。

数年前まで、公衆電話の料金が三分十円だった。
本の立ち読みも大体一冊三分である(私の場合だが)。
インスタントラーメンは、お湯を入れて三分である。
これは意味が違うか?我慢できる時間が三分ということか。

この随想日記の閲覧もユックリ読んで三分である。
これ以上だと、気持ちが他に移り変わってしまう。
集中の一ユニットが三分ということだろう。
効率面から考えると、三分の積み重ねをするのが合理的といえる。
会社の朝礼で「三分間スピーチ」を毎朝各人に持ち回りで
するところがあるが、これは思考訓練と自己表現の場になる。

 岡惚れ三年 本惚れ三月 思い遂げたが三分間
これは全く関係ないか。

・・・・・・・・
2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント

 このシビアの言葉が気に入った!
ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」
という瞬間がキャッシュポイントといってよい。。
 人生の中で、自分では気がつかないポイントがあったはずだ。
私のごく身近の人に、集ることを人生のポイントにおいている
人が数人いるが「これをいっちゃお終いよ」の世界だが。
子供が資産を受け継いだその瞬間も、その人にとって
キャッシュポイントである。
 「キャッシュポイント」は、その人にとって経済的に豊かになって
しまう、豊かさの源泉のポイントである。これは誰にでも必ずある。
成功する人は人生のある時点でこのキャッシュポイントを見つけている。
この、「自分の内奥に眠る資産」を現金化する方法を見つけてしまえば
恐れるものはない。このキャッシュポイントをいかに探って掘り当てる
かが重要なテーマである。これを見つけ、実際にお金に変えることが
できると、この上ない幸福感を感じる。本人にとっては
「これでお金をもらっていいの?」と考えてしまう感覚である。
そういうものをどんどん掘り進めることがポイントになる。

 しかしこのポイントは結果としてしか解らないことが多い。
この反語としての言葉、失禁ーいや失金ポイントがある。
私も何回かある、致命傷にならなかったから事業が生き延びて
いるが。キャッシュポイントより失金ー失敗ポイントのほうが
厳しいのが現実である。事業は14勝一敗では駄目で8勝7休の方が
優先されなくてはならない世界である。それまでの蓄積を一瞬に
奪い去ってしまう。 上手くいった時も失敗した時も、
そのポイントにいきつくまでの準備に全ての原因が含まれている。

 この言葉はチャンスポイントとも言い換える事ができる。
チャンスはそうあるものでない。やはり準備をしっかりして
おかなくてはその一瞬を捉えることができない。
このキーワードをレンズとして過去を振り返ってみると面白い。
やはり自分の意志がチャンスポイントをつくっていることが解る。
逆に危機ポイントをみてみると、その裏腹である。
チャンスは危機であり、危機はチャンスでもある。